第二タ イ 国 阿 房 列 車

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3日目

 待望の3日目である。今日はあの戦場に架ける橋、クワイ川の鉄橋が見れる。鉄道にも乗れる。 今日のためにタイまで来たと言っても過言ではない。 天気は相変わらずの薄曇りだが、鉄道に乗る分には降っていても一向に差し支えはない。
 ロビーへの集合時間は7時30分。 昨日よりも1時間ほど早いが、これは市内の渋滞対策。 少しでも混む前に市内を抜けてしまおう、という作戦である。 ホテル前の細い道から大通りであるスクンビット通りに出たところで早速渋滞につかまる。 渋滞の中タラタラとバスは進むが、そのうち妙な事に気付いた。
 スクンビット通りの頭上には高架鉄道スカイトレインが走っており、 高架橋を支える柱が道路の中央に並んでいるのだが、 その柱よりも右側、つまり反対車線側を走っている。 日本でも時間帯によって車線の進行方向が変わる道路は結構あるが、 バンコクではそれが徹底している。上下6車線のうち4車線が上り方向で使用、 都心部に近づくと更に1車線増えて上りが5車線、下りが1車線となった。 限られた設備を有効に使っており、結構効果的なのかな?  どうのこのうの言いながらも案外スムーズに都心部を通過。 都心部を過ぎるとこちらが1車線となるが通行量そのものが減るのでほとんど問題はない。

 チャオプラヤー川を渡り郊外に出ればあとは快調に国道を飛ばす。 相変わらずスピードメータは動かないが、80キロぐらいだろうか? 
 しばらく行った所で例によってガソリンスタンド兼コンビニで小休止。 ここで面白いものを見つける。茶色い小ビンに鷲のマーク。 その下にはLIPOVITAN−D。 それ以外はタイ語で読めないが、これは紛れもなくタイ現地生産の「リポD」。 ここは少し気合いを入れておこうと12バーツで早速購入。 バスに戻りみんなにお披露目してから
「ファイト、一発!」
グイとあおる。
「ん? うわ〜、甘〜!!」
思わず叫んでしまう。
「そうでしょう、タイの人、甘いもの大好き」
黄さんがうれしそうに言う。 それにしても、気合いも消し飛ぶとんでもない甘さである。 においは日本のものと同じなのだが… 

 「タイの人って日本に行った時ってどんなもの食べるんですか?」
E子さんが黄さんに聞く。
「ワタシ、日本行った時食べるのは吉野家の牛丼」
「吉野家?」
「早い、安い、うまい」
ってそのままじゃん。
「スシ、サシミ、最初は食べられない。でも慣れればOK」
「ナットウは絶対にダメ。ツケモノも好きではない。ミソ汁は大丈夫」
だそうである。ただの個人的な嗜好という気もしなくはないが… 

 バスは国道を離れナコン・パトムの街に入っていく。 ナコン・パトムは7〜11世紀に栄えたタイの先住民族ミン族によって 建国されたドヴァーラーヴァーティ王国の首都だったという古都である。 町並み自体に古さは感じないが、市内をしばらく走ると 視界の正面にオレンジ色に輝く巨大な仏舎利塔が見えてくる。 プラ・パトム・チェディというこの塔は高さは約120m、 現存するものとしては世界最大級の仏塔である。
 何か行事があるらしく、塔の前は オレンジ色の衣を身にまとったお坊さんの団体が占拠している。 バスは駐車場を求めて塔の廻りを半周。 裏側の駐車場に落ち着きさっそく見学。 下から見上げると実際以上に大きく見える。 もともとは1600年ほど前にこの地に侵入したインド軍が建造したものを、 現王朝のラーマ4世と5世によって再建されたものだそうである。 侵略軍が作ったモニュメントを再建するというのも 変な気がするが、これも仏の慈悲と言うものなのであろうか?
   とりあえず正面に廻ると高さ15mほどの黄金の仏像が立っている。 日本では座った仏像以外ほとんど見た事がないので、 立ったり寝たりとタイの仏さまはどうも落ち着きがないような気がしてしまう。 しかもその仏さまの足元では、一心にお祈りをする信者の傍らで、 眼鏡をかけた坊さまが新聞を読んだりしている。 こちらの新聞の紙面はとてもカラフルで、 遠目にはまるでスポーツ紙でも読んでいるように見え、ますます妙な感じである。

 再びバスで国道を西へ向かう。 木々の向こうに線路がチラチラと見える。 正確な現在位地が判らないのでなんとも言えないが、 マレー半島を南へ下る南線かその途中で分技するナムトク線であろう。 いずれにしてもこの線路上をバンコクへ戻ることになるのだと思う。 列車の姿は見えないが、もうすぐあそこを走れると思うとなんかうれしい。
 もっともナムトク線には「なんかうれしい」などと言う 軟弱な表現では済まされない歴史がある。 かつて泰緬(たいめん)鉄道と呼ばれたこの線を建設したのは、 太平洋戦争当時の日本陸軍である。 インド侵攻への輸送手段としてタイとビルマ(現ミャンマー)までの 約415kmの工事に着手したのは1942年のこと。 事前の測量調査で、最低でも5年はかかると言われたこの工事は、 わずか15ヶ月余りという驚くべき日数で開通している。 が、必然的にその工事は過酷を極めるものとなった。
その際の労働力となったのは、イギリス、オランダなど連合軍の捕虜、 それと現地で徴用されたアジア人労務者たちで、 これらの人々は劣悪な環境の中、重労働に従事し、多くの人命が失われていった。 手元の資料によるとその数、連合軍捕虜1万2,000人、 アジア人労働者3万3,000人とあるが、 別の資料では連合軍捕虜1万6,000人以上、 アジア人労働者にいたっては10万人以上とも言われており、 まぁ、よく判らないと言うのが本当のところかもしれないが、 ともかく尋常な数字ではい。この路線が死の鉄道と言われる所以である。

 そんな鉄道に乗るのだから、その前にそれなりの手順というものがある。 カンチャナブリの街に入って程なく、小さなお寺の境内近くに停まる。 境内には小さな博物館がある。JEATH戦争博物館という。 JEATHとは何のことかと思ったら、 日本(J)、イギリス(E)、アメリカとオーストラリア(A)、 タイ(T)、そしてオランダ(H)を示しており、 要するに加害者の日本と被害者である各国の頭文字を並べたもので、 しかもDEATH(死)にも通ずるということで、 その時点で日本人としては、過去の悪行を暴かれるようでもう憂鬱になってしまう。
 博物館の建物は、当時の捕虜の収容所を再現した竹作りの粗末な小屋で、 否応無しに当時の捕虜の生活を偲ぶ事ができる。 中に入れば、写真や絵が展示してある。 写真の中の捕虜は下帯一つの姿で顔には笑みを浮かべてはいるが、 心中は屈辱感で一杯であろう事は想像に難くない。
 更に絵の方は戦後に捕虜の体験者やその内容を聞いた人たちによって描かれたもので、 画題も病気に苦しむ姿や拷問を受ける姿などよりストレートに恨みが込められている。 白人の中年女性が目に涙を浮かべて、全裸で拷問を受け苦しみ悶える捕虜の絵を見つめる。 その脇を日本人がいかにも居心地悪そうに通り過ぎていく。 以前にもこんな光景を見たような気がする。 何だったろうとちょっと考えれば、広島の平和資料記念館であった。 あの時とは配役が逆ではあるが… 

 まぁ、戦争について考えるというのはそれなりに難しい事だとは思う。 えてしてこの手の資料館を見た後は、 「戦争はしてはいけない」 「日本人としてとても恥ずかしい」 「捕虜だった人に申し訳ない」 などと言う感想になりがちであり、 それなりに正解だとも思うのだが何となくすっきりしないのである。
 正直に言えば、日本人として言いたい事も多少はある。 それでその時に思った事などを一度ここに並べて見たのだが、 実際に書き出してみたら結構な量になった上に、何を言いたいのか さっぱりわからない文章になってしまった。
 結局全て削除する事にしたのだが、それにしても…と思う。 何であんな戦争をしてしまったのだろう?  「敵を知らず己を知らず」(昔のNスペのパクリだけど…)、 一般国民はもとより軍部も勝手な思い込みだけで十分な情報を持たず、 その軍の暴走により戦争が始まっていったのだと思う。 今、目の前にあるのはその結果の一つである。 こういった負の遺産は大事にしなければいけない。 これも重要な情報源である。せめて真摯にこれを見ねばなるまい。
 あっ、いかん、また長くて訳のわからん文章になりそうだ。 とりあえず、見て、それから考えてみよう。 国家が、あるいは人間というものが犯す愚行について…  と言う訳で、あ〜、シンド、肩が凝った… もう早く汽車に乗りに行こう (って、どこが真摯なんだ…)。

 やはり浮かない表情で出てきたメンバーを乗せたバスは、クワイ川鉄橋駅へ移動。 駅名のとおり、駅のすぐ先に戦場にかける橋、クワイ川鉄橋がある。 バスを降り川縁へ行くと、 先ほどの陰鬱な資料館とはうってかわった明るい空の下、 流れるクワイ川に黒光りするトラスを連ねた鉄橋が見える。 あの映画とは違い橋脚は高くない。言ってみれば普通の鉄橋である。 とは言え、背負っている歴史が歴史だけに周囲には外国人の観光客も多い。 特にイギリス人やオランダ人観光客は、日本人観光客と トラブルになる事があるとガイドブックにも書いてあるし、 黄さんからも注意がある。アレをみたあとではそうだろうな、と改めて思う。 なるべく目を合わせないようにしよう。
 とりあえず鉄橋をバックに記念写真を撮って、 近くに保存してある2両の蒸気機関車を見に行く。 1両は正体が判らないが、もう1両は旧国鉄のC56型である。 太平洋戦争中に日本から送られたもので、 まさにこの戦場に架ける橋を駆け抜けたうちの1両である。 これも写真に収めて、次はこれから乗る列車の入線を撮ろうと ホームへ向けて走り出したとたん、 ぬかるみに足を取られて、ズルッとこける。
 うわ〜、左足の膝から下と左の手のひらが泥だらけ。 やばっ、カメラにも泥がついてる。 とっさにかばったつもりだったが間に合わなかった。 う〜、一瞬、イギリス人の祟りかと思う (さっき削除した部分に、 イギリス人に好意的とは言いきれない部分が少〜しあったからなぁ〜)。
 気を取り直して、今度は慎重に走る。 どこがホームなのかよくわからない作りのホームにあふれる 観光客の間を縫って列車の進入方向へ急ぐ。 ポジションを決めて、Gパンに付いた泥を払いながら列車の入ってくるのを待つこと数分。 観光バスの列の向こうから黄色いディーゼル機関車に引かれた普通列車が近づいてくる。 機関車1両に、客車が9両編成。ローカル線のわりには長い編成である。 それでも後ろに控える観光客の数を考えるとちゃんと乗れるのかね、と思う。 客車は前回乗ったときと同じ紺色とクリーム色のツートンカラーの旧塗装車と、 ブルー系数色のグラディエーションにグレーとアイボリーのちょっと複雑な新塗装車の 混色編成である。
 入線した列車に勇んで乗り込むと車内はロングシート。 こんなトコまで来てこんなシートに座りたくは無い。 1つ後ろの車両を覗くとそちらはクロスシート。 速やかにそちらへ移動し、4人掛のボックスシートを確保。 近くにいたIKUさんと同席となる。 他のメンバーもそれぞれ自分の席を確保しているようである。 相席になったのは別のツアーの日本人夫婦。 ウェットティッシュでGパンの泥を殺ぎ落としていたら、 胡散臭そうな目でこちらを見る。 えっと、すみませんね、どうも…イギリス人が悪いんです、(って違うだろう) 
 さて、乗ったのはいいのだが、これからどこまで行くんだ? なんか情報がないなぁ〜、と思っていたら黄さんが、
「ワンポーで降ります、最初のワンポーでなく、2つ目のワンポーね」
と言いながら車内を廻ってきた。
「乗ってる時間は大体1時間半」
ふ〜ん、ワンポーか、ワンポーってどの辺だろう? 2つ目って言うのがよくわからんが?  どうせバンコク戻るなら終点のトンブリー駅まで乗りたいけどな〜、 トンブリーまで行くと渋滞に巻き込まれてバスが追いつけないのかな、 あ〜、だから市内に入る前に下車するのか、 などと漠然と思う。まぁいいか、列車には乗れたし… 

 発車するとすぐにクワイ川の鉄橋に差し掛かる。 橋の両側に数ヶ所ずつある待避所に逃げ込んだ白人の家族連れがこちらを見上げる。 窓から身を乗り出してカメラを構えていると少し前の窓から5〜6歳ぐらいの 女の子が顔を出す。現地の子らしく浅黒い顔に大きな目が印象的だが、 こちらと目が合うとスッと引っ込む。で、また顔を出す。 これを何度か繰り返すうちにタイミングをはかって一枚撮っとく。 そんなことをしてたら、今度は前の車両からTAKUくんが顔を出すので、 ついでにこれも撮っておく。
 改めて車内を見渡せば、8割ぐらいが観光客。 その内、日本人が6割、白人が4割ぐらいである。 加害者グループと被害者グループ(そう、素直に割りきれるものでもないが…)の 呉越同舟という感はある。どこかよそよそしいのはしょうがないか、と思う。
 車両の方は、以前乗ったときと同じタイプで、 昭和30年代に作ったと思われる客車。 シートは堅いし、もちろん冷房はない。 かつてこのタイプの車両は日本のあちらこちらで走っていたが、 今となってはSLなどと一緒に保存されているものばかりで (それも減りつつある)、そういう意味で貴重品である。 全開の窓からの風を受け、堅めの振動に身を任せていると 昔懐かしい汽車旅が甦ってくるようだ (ただ、シートがビニールレザー張りっていうのが今ひとつだが…)。

 沿線は畑作地帯らしくイモ畑やトウモロコシ畑が広がる。 時々見える土が赤い。初日に空の上からみたあの赤土である。 列車はその中を右へ左へと進行方向を変えながら走る。 線路の保守状態はローカル線にしては良い方だと思う。 なかなか快適な旅である。
 時折停まる駅は無人駅が大半で、 駅名標があるからホームと判るごくごく短くて低いホームに、 9両編成の長大普通列車が停まると、数人の地元の人とおぼしき客が下車していく。 ホームにかかっていても無くても列車のステップがあるので どこからでも降りる事ができる。ホームの反対側へ降りていく人も少なくない。 そちら側にも道らしきものがあり林の中へ消えていく。 その林のなかで何か動くものがいる。 あばら骨の浮いた水牛が3頭、悠然と草を食んでいる。 小さな駅へ停まる度に似たような光景を繰り返す。 どの駅でも乗車する人はほとんどいない。
 そう、この辺で変だと思わなければいけないのである。

 列車はのどかな景色の中、のんびりと行く。 窓から前方を眺めていると、クワイ川鉄橋で顔を見せたあの女の子がまた顔を出す。 さっきよりは慣れてきたのか目があってもすぐには引っ込まない。 カメラを向けると恥ずかしそうに引っ込んで、またちょっと顔を覗かせる。 そのうち笑顔を見せるようになり、軽く手を振ったりもする。
 また列車が小さな駅に停まった。すると駅近くに停まった観光バスから 白人の観光客が数名、列車に駆け込んでくる。 彼らが乗ったのを確認すると、バスは線路とと並走する道路を赤い土煙を上げて走り出す。 窓からは列車に乗った仲間に手を振る人影が見える。 察するに、並走する列車を見ているうちに、 アレに乗りたいなどとわがままを言い出した客がいたのだろう。 やれやれ、どこの国にもおバカというものはいるものである。 自分を振り返りながらそう思う。
 そうこうしているうちに景色に変化が現れる。 切り立った崖を持つ本格的な山が見えてくる。 進行方向右手に見えるその山の赤い絶壁が目を引く。 かなり遠いのでどのぐらいの高さかわからないが、 恐らく100mぐらいはありそうだ。近くで見たら結構な迫力だろうと思う。 仙台市の南西部に磐司岩(ばんじいわ)というローカルな観光地があるのだが、 それに似た感じだな、と思う。
 そして、タイ磐司岩を見ながら、せめてここで気付かなければいけないのである。 そう、この列車が目指しているのがバンコクなんかではないって事に。 バンコクに向かって一時間も走って右手にそんな大きな山なんか見えるはずがない。 そもそも首都圏に向かっている列車が、 降りる客ばかりで乗ってくる客がほとんど皆無(おバカな観光客は別として) などということはありえないのである。 これは行き止まりの終着駅へ向かうローカル列車の典型的なパターンではないか!  なんで気付かないかなぁ〜 

 突然列車が徐行を始めた。 車内の乗客が左側の窓に集中する。 つられて左手を見れば、丘陵地を走っていたはずの列車が いつのまにか渓谷を走っている。 そして前方には木で組まれた高架橋が断崖絶壁の岩肌にへばりつくように続いている。 アルヒル桟道橋だ! 
 えっ、なんで!という言葉が真っ先に頭に浮かぶ。 アルヒル桟道橋は、ナムトク線終点近くにあり、最大級の難所の一つであると同時に クアイ川鉄橋と並ぶ同線の最大級の見所でもある。 今回のツアーには含まれていないと、なぜかかたくなに信じていたのに、 目の前にその光景が広がっている。
 混乱から脱しきれてはいないが、 とにかくデッキから身を乗り出すようにしてカメラを構える。 カメラのフィルム残量はあと4枚。 いささか心もとないが、列車は徐行しているし フィルムの再装填は可能と思われる。 とにかく撮ろう。ってアレ、ピントが合わない。 なんか甘い。それでもフォーカスポイントを変えてなんとか撮影。 4枚撮りきるとフィルムの巻き戻しが始まる。 人を掻き分け急ぎ自席へ戻りフィルムを入れ換えようとカメラのカバーを開けると、 そこには巻き取られていないフィルムが…
 えっ、なんで! 再びそう思う。 とっさにカバーを閉めてもこれは特に意味の無い行動である。 再び恐る恐るカバーを開ける。 ベージュ色のフィルムが消えているわけもない。 再びカバーを閉め手動の巻き戻しボタンを押す。 巻き戻し音が無情に響く。 車窓を見れば、無用な混乱をしている間に 列車はちょうどアルヒル桟道橋を過ぎたところ。 後ろの方へ木製の高架橋が消えていく。
 なにはともあれ力が抜けていくのが判る。 まぁ、見られないと思っていたアルヒル桟道橋を見ることができた訳だし、 慌てていたとはいえ、それなりに雰囲気を味わう事はできた。 右手の列車ギリギリのところの手堀りの切通しも フィルムを入れ換えながら横目にちゃんと見た。 まぁ、それはいい。それはいいのだが当然問題は残る。 まず、フィルムはどのくらいが感光したのだろう?  あのフイルムはいつセットしたかな? 多分、列車に乗ってからだからクアイ川鉄橋は多分大丈夫。 あとは、車内や車窓の写真だがどのぐらいの被害だろう?  あの女の子の写真は駄目かな?
 とにかく日本に帰って現像してみないと何とも言えない所である。 あ〜、でもなんでフィルムが途中で止まっちゃったんだろう?  そういえばピントもうまく合わなかったし、 さっき転んだときの後遺症かなぁ?  するってぇ〜と、やっぱりイギリス人の祟り!?  んなアホな!  ?マークが頭の中を掛け巡る。
 問題はそれだけではない。もっとショックが大きかったのが、 こともあろうにどこに行くのかも判らずに列車に乗っていた自分に対してである。
「何やってんだか!」
自分につぶやく。
 人任せの旅行なんかしてるからこうなるのだ、 パック旅行なんか大キライだ〜! などと吠えてみても しょせん負け犬の遠吠えである。黄さんに聞く機会なんていくらでもあったのだから…  あ〜あ、それにしても何で、バンコクヘ行くって思いこんじゃってたのかなぁ〜

 呆然としたまま2つ目のワンポー駅で下車する。 この駅は駅前にレストランがあるだけの駅で、ここで昼食となる。 簡単な屋根を掛けただけの野趣あふれるレストランで、 タイ料理がメインである。 トムヤンクンやヤキトリ、バナナのフリッタがおいしいと廻りの人たちが言うが、 あ〜、食欲ない。一応、平静を装ってみようとは思うが それが成功しているとは自分でも思えない。目がうつろになっているかも・・・ 
 ここでみんなと別れようかな。レストランに入る前、駅の時刻表は見てきた。 約1時間でさっきの列車がトンブリー行きとなって戻ってくるから、 それで終点まで行こうかと思う。 もう一度アルヒル桟道橋やクワイ川鉄橋を渡れるし…。
 一瞬、かなり本気でそう言う事を考える。 だが、トンブリー駅はバンコクの中心部から見てチャオプラヤー川の対岸にある。 トンブリーに着く頃には日も暮れている。 夜になってからあの大河を船で渡って更にホテルまで戻れるか?  明るいうちならなんとかなると思うが、夜ではちょっと自信がない。 …結局、バスで戻るしかないのか。 テンションが落ちているので、あっという間にそういう結論に達する。

 食事が済んでみんなとバスに乗り込む。 野外のような場所での食事だったのでバスの冷房が心地よい。 運転手とまだショックから立ち直っていない男一人を除いて全員たちまち暴睡状態。 ただ一人元気な運転手は、田舎の舗装道路を快適に飛ばす。 前に車がいてもお構いなし。パッシングをかまして一気に抜き去る。 車内はゆっくり、車外は猛スピードで、それぞれタイの時間が流れていく。
 いつしか寄り添ってきたナムトク線が道路と並走する。 流れるレールをぼーっと眺める。 もう一度乗るチャンスはないだろうなと思う。 並走していた線路が一度少し離れて、その後、線路と道路が交差する。 その踏み切りに差し掛かる直前に、カンカンカンと警報機が鳴り出す。 あっ、列車が来る。せめて写真を撮りたい、停まれ!と願う。 が、バスは一瞬躊躇するような気配があったのだが、 結局ほとんどスピードを落とすことなく踏み切りに突入。 右手彼方に機関車のヘッドライトの光が見える。
 既にこちらの行動パターンを見きっている運転手が、 バックミラー越しに「惜しかったネ」という雰囲気で極上の笑顔を見せる。 「エーイ、そう思ったら停まらんかい!」  もっともタイの運転マナーではあのタイミングで停まったら追突されかねない。 そういうことは判っているのだが… 

 バンコクが近づいてくると次第に廻りの人も目を覚ます。 これから伊勢丹の免税店に行って、そのあと夕食を済ませ、 ニューハーフショーを見に行くスケジュールとなっている。 ニューハーフショー見物はKUNIさんのリクエストで 昨日のバスの中で突然決まった、言ってみればオプションである。
「じゃあ、ニューハーフショー、私案内します、 行かない人ありますか?」
黄さんの言葉に不参加を表明したのは自分を含めて3人。
「とても面白いですヨ、なんで行かないですか?」
そんなの見たくない、と言う理由は、E子さんとMI子さん。 続けて黄さんはこちらを見る。
「ボクには行きたいところがある」
昂然と言い放つが、
「どこ行きたいですか?」
と問われるとたちまち勢いをなくして、
「えっと駅へ」
「えっ?」
「えっと、だからちょっとファランポーン駅へ行きたい」
「あ〜、ファランポーン、判りました」
と言ってニヤリと笑う。 そんな会話があったのが昨日のこと。
 ワンポーの山奥では手も足も出なかったが、ここまで戻ってくればこっちのものである。 オカマの兄ちゃんなんかほっといて駅を見に行く。 先に書いた、JR西日本から無償譲渡されたディーゼルカーを見る機会もここしかないだろうし、 午前中のリベンジと言う気持ちもある。 因みにファランポーン駅とは、昨日チラッと見たバンコク中央駅の別名である。

 昨日も書いた理由で、伊勢丹の免税店はまでは本隊と同行する。 一応、一回りしたところでIKUさんに断っていよいよ単独(わがまま)行動に入る。 伊勢丹の目の前の通りは今朝も通ったところで、 頭上をBTSスカイトレインが走っている。これも乗ろう。
 BTSは、Bangkok mass Transit Systemの略で、 前述のとおり、バンコク市内の交通渋滞緩和を目的に1999年の12月に開通した。 北部のモーチットから東部のオンヌットを結ぶスクンビット線(約17km)と、 西部(と言うほど西ではないが)のナショナルスタジアムと南部のサパーン・タクシンを結ぶ シーロム線(約6.5km)の2路線で構成されており、 2路線が交差するサイアム駅が乗換駅となっている。
 で、現在地からの最寄り駅がそのサイアム駅である。 道路を跨ぐ形で造られたその駅は3層構造で、2階がコンコース、3階が東行きと南行きのホーム、 4階が西行きと北行きのホームとなっている。 まず2階コンコースの窓口でプリペイドカードを買い、ついでに路線図ももらう。 230バーツのこのカードは直接自動改札機に入れて通る事ができるのだが、 実際に使える金額は200バーツ分だけで、残りの30バーツはカードの保証金だそうである。

 これから乗るのは南行きだが、 見晴らしの良さそうな4階のホームへ上がってみると、 ホームの東側から西行きと北行きの電車が並んで入線してきた。
 電源については第三軌条方式をとっており、 頭上に架線やそれを支える柱が無いためとてもすっきりしている。 また、車両の方も白地に青と赤のラインの車体に大きな窓と丸いライト類が配され、 なかなか洗練されたデザインだが、それもそのはず。 デザインしたのはドイツのポルシェ社で、製造は同じくドイツのシーメンス社である。 ポルシェはおなじみだが、シーメンスも世界で実績のあるメーカーで、 外国製品をあまり入れない日本の鉄道会社(最近はそうでもないかな?)でも、 新幹線の制御系の部品や広島電鉄の超低床路面電車などが納品されている。 先ほど買ったプリペイドカードのデザインもシーメンスの企業広告のようで、 BTSの車両と並んで携帯電話やドイツの特急車両などが描かれている。

 3階のホームへ降り、南行きの電車に乗る。って、アレ? あっ、ヤバっ、 東行きに乗っちゃった。あわてて隣のチットロムで降りる。 日中帯の運転間隔は5〜6分。すぐにやって来た電車でサイアムへ折り返す。 さて、仕切り直し、(慎重に?)南行きサバーン・タクシン行きを確認して電車に乗る。 乗り心地は、なかなかいい感じ。新しいだけあってスムーズな走りである。 電車は広大な公園を見下ろし軽快に走る。 ガイドブックには、「高い運賃がバンコク市民に嫌われ、 乗車率はあまり良くない」みたいなことが書いてあったが、 実際にはかなりの立ち客もおり、この1年半の間に市民にも渋滞知らずの利便性が浸透してきたのだろう。  サイアムから2駅目のサラデーン駅を降りるとそこは片側一車線の狭い道。 一応、商店街らしいのだが、薄暗くあまりキレイでもない。 やはり頭上を覆う高架橋の圧迫感を感じる。
 ここからファランポーン駅まではタクシーを使うつもりだ。 道路を見てると流しのタクシーが近づいてくる。 おっ、と思ったら車道寄りに立っていたスーツでピシッときめた若い女性が 左手を斜め下に伸ばす。タクシーがスッと女性の脇に停まる。 なるほど、タクシーはああやって停めるのか。 早速、後続のタクシーが来たので、真似をして左手を斜め下へ伸ばす。 アレ、確か指も立ててたよな? どの指だっけ?  まぁ、いいや、とりあえず親指にしておこう。 それがきいたかどうかはわからないが、タクシーが停まる。 ドアを開けて車内へ入ると冷房が気持ちいい。 ふ〜っと、一息入れてから、
「ファランポーン・ステーション」
黄さんの口調を思い出して、ポーンのポを心持ちパに近い感じで、 なおかつ少しはじけるような感じで発音する (言っておくが、これが正しいかどうかは知らない)。 若い運転手は軽くうなずいて車を出す。
 高架下の狭い道路を抜けラーマW世通りに出たところで早速渋滞につかまる。 断続的な渋滞の中、タクシーは約2キロの距離を20分ぐらいかけて 無事にファランポーン駅前に到着。

 近代化工事がされたはずなのだが、昨日も見た通り外見は以前とあまり変わっていない。 中に入ると、切符売り場の位置が変わっており、 新しい売り場の上には大きな電光式の列車の発車案内標識がど〜んと掲げられ、 タイ語と英語で交互に表示している。 各窓口のすぐ上にもそれぞれモニターが設置され、 今扱っている列車の発車時刻や行き先などが表示されている。 なるほど、こりゃ確かに近代化されているわ、と思う。
 ガラーンとしていた構内(人はグチャグチャいたが…)にも、 衣料品や食料品を扱う売店が立ち並び、売り子が声を張り上げている。 まぁ、JRの駅も最近はやたらと商業コーナーを増やしまくっているし、 これも近代化といえば近代化なのだろうか? 
 ところで、タイの駅は原則改札口がなく、 乗客はフリーでホームまで入ることができるのだが、 ここファランポーン駅は別格で改札口がある。 よってホームに入るためには入場券を買わなければならないが、 タイ語で入場券をなんと言うのか判らない。 そこでここに来る前に黄さんにメモってもらった。 もっとも、黄さんも入場券という言葉は判らず、 「切符・入る・プラットホーム」とタイ語で書いてくれた。 そのメモを手に切符売り場へ向かうが、どの窓口かが判らない。 とりあえず閑そうなところへ行きメモを見せると、 面倒くさそうに右の方を指差す。 右の方へ移動して見るがどこか判らない。 どの窓口も違いそうな気がする。結局改札口まで行き、そこで見せてみると、
「ワンバーツ」
と一言。 1バーツ硬貨を出すと、引き換えにペラペラの紙片をくれる。 タイ語で何やらいろいろと書いてあるが、どうやらこれが入場券らしい。 頭上にタイの王様の肖像が掲げられた改札口を通りようやくホームへ入る。
 ファランポーン駅は、櫛形のホームとドーム型の屋根を持つ ヨーロッパのターミナル駅を連想するような造りである。 鉄道の斜陽化などものともしない雑然とした活気は、 新幹線開業前の上野駅に相通ずるものがある。 ホームにはちょうど列車が到着したところで、たくさんの乗客が吐き出されてくる。 オレンジ色の衣をまとったお坊さんがその前を横切っていく。

 さて、目的のディーゼルカーだが、キハ58系という 急行用としてほとんど日本全国で見る事が出来た車両(亜種も含めてだが…)で、 前述のとおりJR西日本が平成9年にタイ国鉄に無償譲渡したもので、 こちらではエアコン付きの2等車として使用されているらしい。 ガイドブック等にも日本製車両として紹介されていた。 是非ともこの目で見てみたい。 そう思って駅構内に目をこらすがそれらしい姿はない。 ディーゼルカーはいるがステンレス製でこれではない。 その向こうには機関車が引く客車列車が停まっている。 その中の2両、他と比べるとちょっと背が高い。 ん?、と思って近づいてみるとこれもJR西日本から来た12系客車ある。 塗装はタイ国鉄の標準塗装に改められているが、 屋根の上に並んだクーラーの列が他の旧型客車群とは一線を期している。 近づいてみると車端部には何と「日本国有鉄道」のプレートも健在。
 発車する気配がないので冷房の効いた車内へ入ってみる。 内部の造りは日本時代とほとんど変わっていないようだ。 日本国鉄の標準仕様という感じで、、 シートのモケットの柄も見覚えのあるJR時代の茶系のデザイン。 座ってみるとタイにいるのがウソのようである。 山陰本線あたりを旅しているようだ。 今いるのがファランポーン駅なんかではなく、ちょっと昔の米子駅ではないか、 そんな気分になってくる。 実際、この車両に日本のどこかで乗った事があるかもしれない… 

 さて、キハ58系はいないのかなぁ、 とホームの先端まで行くと、その向こうは車両の留置線となっている。 あっ、いた! 運転台側は見えないが雰囲気でわかる。 日本の急行型気動車、キハ58系である。 が、ちょっとばかり遠い。ホームの先端から100メートル弱、と言うところか。
 もう少し近くで見たい。 職員用の通路が近くまで伸びている。 どうしようかと見ていると、そこを歩いてくる人がいる。 正規の国鉄職員ではなさそうだが、 目が合ったのを幸いに、通路とキハ58を交互に指差しカメラで撮るマネをして あそこへ行きたいとという気持ちを伝える。 伝わったのかどうか今ひとつわからないが、軽くうなづいてくれたのを ヨシとして通路を歩き出す。 チラッと振り替えてみたが特に怒っている素振りはないので、 …多分大丈夫だろう(本当か?)。

 近づいて側面が見えるようになってくると、 キハ58系は2両、そのうち1両は元グリーン車のキロ28型である事が判った。
「ふ〜ん、グリーン車まで来てたのか」
などと思いながら、なおも近づくと、 12系同様にタイ国鉄色に塗られた車体が微妙に汚い。
「あんまり手入れが良くないなぁ」
一通り、外観の写真を撮った後、デッキのステップを使って 車内を覗いて見ると、 アリャリャ、ボロボロだ〜。 シートのモケットがはがされ、床の点検用の蓋も外され、 窓に掛けられたカーテンもあちこち破れているし、 天井のクーラーの吹き出し口のカバーも外れて垂れ下がっていたりする。 往年のグリーン車も形無しである。相方のキハ58型も同様に荒れ果てている。 当然の事ながら運用に耐えられる状態ではない。
 改めて外から見ると夕日に照らされたその車両が物悲しく哀れに思える。 もしかしたら部品用としてとってあるのかもしれず、 他の仲間は元気にしているのかもしれないが、 遠く祖国を離れこの扱いでは不本意だろうな、とも思う。 すぐ脇の本線上を先程の12系客車をつないだ列車が通りすぎる。 車内の蛍光灯を光々と灯し旅立つ12系客車と 次第に夕暮れの中へ溶けゆくキハ58系気動車。 ほぼ同時期に日本から来ていながら、文字通り明暗を分ける一瞬の出会いである。
 いずれ朽ち果てていくであろうディーゼルカーを見ていたら、 ふとJEATH戦争博物館で見たイギリス人兵士の写真を思い出した。 彼らにしても、個人の意思とは無関係にこんなアジアの熱帯地方に送られ、 劣等だと信じている黄色人種の捕虜となり過酷な環境で酷使される日々。 さぞかし不本意だったろうと、突然思う。 もっともこんなところで日本製ディーゼルカーと自分の人生を重ねられるのも、 相当に不本意なことだろうが… 

 いつしか7時を過ぎ、構内もすっかり暗くなってきた。 ホームの売店にも白熱灯が灯り、 近代化されたとは言えまだまだあの“妙に懐かしい”というイメージは損なわれてはいない。 近距離の普通列車に混じって夜行列車の姿も見える。 ステンレスの寝台車は韓国製だが、車内は日本の寝台電車とそっくり。 発車まではまだ間があるのか乗客の姿は少ない。
 隣のホームにはこちらもステンレス製のディーゼル特急が停まっている。 どちらもタイ北部のチェンマイ行きだが、 ディーゼル特急の方は駅員なのか警官なのかわからないエラそうなオッちゃんに見送られて、 豪快なエンジン音と共にほぼ満員の乗客を乗せて出発していった。
 残された寝台列車の写真を撮っていたら、窓から白人女性が手を振る。 バックパッカーなのか単独行動のようである。 やっぱりたくましいね。手を振り返して今度はお姉ちゃんをメインにもう一枚。 そんな事をしながら駅構内を最後の散策して撤収する事とする。

 駅前に出る。前回はこの時点でヘロヘロだったが、今回はまだ少し余力がある。 以前は真っ暗で近づく事が出来なかった駅出口左手方向へ行ってみる。 2回目で慣れてきたせいか、それとも照明も増えているのか特に恐怖感はない。 そこには3台のトゥクトゥクが客待ちをしている。
 バンコクのトゥクトゥクは、軽自動車をベースとしたアユタヤのそれとは違い、 バイクを三輪車にしたような構造でハンドルも丸ではなくバイクのものと同じである。 1台に近づいてみる。二十歳ぐらいのあんちゃんが運転手らしい。 地図を広げBTSのナショナルスタジアム駅を指差し
「ハウマッチ?」
「50バーツ」
「えーっ、高いよ(日本語)、30バーツ」
あんちゃんも地図を指差し
「50バーツ」
を繰り返すが、良く見ると指の位置が駅から少しずれてる。 何か少し遠いところを指してるぞ。指の位置をずらして、もう一度
「30バーツ」
あんちゃんは、「ん〜」とうなってから
「40バーツ」
予定通りだが、一応こっちも「う〜ん」とうなってから
「OK」
トゥクトゥクの2人掛けの後部座席へ乗り込む。
 バァゥィーーーィーンというすさまじいエンジン音と排気ガスを撒き散らして トゥクトゥクが走り出す。 走り出してから後悔した。これって結構恐ろしい乗り物だと思う。
 構造が構造なせいか振動がすごい。 座席がちょっと高い事もあってバランスも悪そうである。 しかも屋根に掛かった幌がジャマして意外と廻りが見えない。 それで狭い道を猛スピードで掛けぬける。 道路が渋滞すると反対車線を一気に駆け抜ける。 どんどん裏道へ行っていく。周囲は真っ暗である。 うわ〜、ここはどこ? いい加減 降りたくなってきたところで 狭い道からキュッと左に曲がって広い通りに出てピトッと停まった。
 あんちゃんが振りかえる。 落ち着いて周囲を見渡せば目的地ナショナルスタジアム駅の階段下であった。 ポケットから出した10バーツ硬貨4枚と、一緒に出てきた1バーツ硬貨2枚を一緒に渡す。 2バーツのチップではさしてうれしくもあるまいが、意外にも愛嬌のある表情でニコッと笑う。

 BTSのホームで変なポスターを見つけた。 いきなり日本語で「こんちには」と縦書きして 下にはローマ字でAKIKOとあり、日本人らしいおかっぱの女の子のイラストがついている。 小さく「snack shop」とあるから軽食屋さんか?  日本人がやたらとアルファベットを使いたがるのと同じで 日本のひらがなが格好良く見えたりするのだろうか? 
 電車は始発なので空いている。ちょっと堅めのシートに座るが、 すぐ一つ目の駅サイアムでスクンビット線に乗り換え、更に一つ目のチットロム駅で下車。 そろそろ夕食をとらなければならないが、実はデパ地下へ行ってみたいと思っていた。 以前、シンガポールへ行った時にホテル隣の高島屋の地下で見た惣菜や 正体不明な寿司コーナーなどが面白かったのだが、 買って食べると言うところまで行かなかった。 今回はちょっと買ってみてホテルに戻ってから食べようという思惑である。
 駅から連絡橋でつながったデパートに入ってみる。 すぐに地下に行くつもりだったが、途中の本屋で引っかかっているうちに時間がたってしまった。 何を見るつもりでもなかったのだが、 旅行のガイドブック(もちろんタイ語)のコーナーを見たら、 東南アジアの近隣諸国やヨーロッパなどはあるのに 日本は見当たらない。物価が高いと言ってもヨーロッパとそう大差はないだろうに…  やっぱり人気ないのかな、と思う。
 それはともかく地下へ行こうと思ったら、地下が無い…  しかも何時の間にか9時近い。もうすぐ閉店の時間のようである。 外へ出て急ぎ他の店へと思うが伊勢丹は少し遠い。 どうしよう、と思い廻りを見渡すと道路の向こう側に「そごう」が見える。 タイそごうは無事なのかな? とにかく道路を渡り反対側へ移動する。 店そのものを閉じたという訳ではなさそうだが、営業時間は終了しているようである。 もう面倒くさくなってそごうの1階に入っている マクドナルドでお茶をにごす(海外での定番のような気がしてきた)。
 メニューを見上げると「SAMURAI PORK BERGER SET 82B」 なるものが目に入る。 サムライ? なんか怪しい… それ下さい。
 トレーを受け取るとハンバーガとフライドポテトとコーラが、そして ペラペラの小皿がひとつ。なんだコレ?  前の人を見たら小さなカウンターに寄ってポンプ式のシャンプーのようなものに 小皿をあてがい一押し。赤い液体がブシャっと出てくる。なんだケチャップか。 早速マネして隣のポンプで一押し。ブホッ! 中身が空だったのか出てきたのはほとんど空気。 カウンターには空気と一緒に飛び散ったケチャップが…  あわてて拭くものを探すが見当たらない。ディーパックからティッシュを出そうとしたら 隣にいた男性がそれを手で制し、「座ってなさい」という感じで席を指差す。
 事態を把握できないまま席に座ると、男性は店員を呼びつけ声高に何か言い、 時々こちらを指差す。やっぱり怒られるのかなぁ、と様子を伺っていると 店員が近づいてきて、とても恐縮した様子で小袋入りのケチャップを2つ差し出した。 こちらも思わず恐縮して受け取ってしまう。 件の男性はもういない。う〜ん、とても親切な人だったんだ。
 食事を済ませ店外に出ると外にもテーブルが並びそこで食事をする人が結構いる。 冷房の効いた店内の方がいいだろうに、と見渡すと先ほどの男性がいた。 先方も気付いたようなので会釈すると手を振り笑顔を返してくれる。 手を振って別れるが、タイ人は普通の時の顔と笑ったときのギャップが面白い。 さすがは微笑みの国といわれるだけの事はある。
 あっ、そうそう、サムライバーガの正体を書くのを忘れてた。 そう、ご想像通り?の照り焼きバーガでした。

 さて、時間はもう9時半を廻っている。後はホテルに帰るだけである。 BTSでホテルの最寄り駅アソークまで最後の移動。 この時間でも乗客数は多い。 おかげで座る事はできないが、BTSのためには結構な事だと思う。
 さすがに疲れ果ててホテルへ戻ると、 タイスキを食べて、ニューハーフショーを見てきた本隊も無事戻り、 ちょうど今日の反省会が始まったところ。 聞けば、ニューハーフショーはそれなりに面白かったとの事。 但し、「近くで見たらやっぱオトコだよ、ありゃ」ってそれはそうだろうな。

 最後に、事故調査委員会からの報告。

  • 本日、午前11:50頃発生したフィルム感光事故については、 その後、特にフィルム巻き取りに関して問題が発生していないことから、 ハード故障ではないと考えられる。 半年前に購入したカメラのフイルム巻き取り時作動音の静粛性が向上したため、 動揺していた操作者が、その巻き取り音に気付かずにカバーを開けた為に発生した 単純な人為的なミスの可能性が高い (但し、合焦精度についてはハード故障も視野に入れた継続調査が必要)。
  • 動揺の遠因となった、列車の行き先誤認ついては、 本人の怠慢によるところ極めて大。厳重注意。
  • フィルムの感光規模については、巻き取りに必要な時間から勘案すると比較的軽微、 被害の範囲は最大でも5〜6枚程度と思われる。

    以上。
 はぁ〜っ(泣)
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