娘の通う高校からの依頼で、中国からの留学生を受け入れることになった。
彼女の名前は、チャン・イフェイ。16歳。日中21世紀交流事業の受け入れで、この高校生たちは、北京のトップ高校に通う生徒で、その中でも選び抜かれたエリート達だ。
9月12日の10時、ホテルでの引き渡しで初めて留学生の顔を見た。どの生徒も真 面目な子ばかりである。いわゆるチャラくない。
事前の情報では、名前と年齢、出身地などの情報しかなかったので、留学生たちは胸からぶら下げている大きなネームタグをチェックしていると「おっ!あの子だね。」 と娘とほほ笑みあう。
ずらりと並んだ留学生の元へ、それぞれのホストシスター、またはブラザーが出迎え に行った。
自分でいうのも何だが、こういう場面は娘も私も慣れている。留学生のイフェイと娘はお互いに自己紹介をしてハグ。留学生達は日本語を勉強していないので出来ないが 英語はどの子も出来る。
娘の席へ戻り、娘とイフェイは会話を楽しんでいる。どのファミリーも親の出る幕はなさそう。11時ごろ、車に移動して、私達の家族紹介をしながら、ショッピングモールへと車を 走らせた。
ここでスパゲッティのランチを食べ、私達は彼女に質問攻め。
Q.「どうして日本に興味を持ったの?」
A.「日本の文化や生活習慣に興味を持ちました。」
Q.「日本でぜひやりたいことは?」
A.「たくさんのお友達を作りたい。」
Q.「日本に来ることに対して、ご両親はどのような考えだったの?」
A.「よい経験になるので、いろいろと学んできなさい。」
Q.「ご両親は何をしているの?」
A.「二人とも先生です。」
Q.「兄弟はいるの?」
A.「一人っ子です。中国は国の政策でほとんど一人っ子です。」
Q.「日本に着いた最初の感想は?」
A.「忙しい街だと思いました。」
Q.「日本のドラマや歌手など、誰か知っている人はいる?」
A.「興味がないので知りません。宮崎駿は知っています。」
Q.「どうしてそんなに英語が上手なの?どうやって学んだの?」
A.「毎日、英語のテレビ放送を見ています。出来るだけ英語に触れるようにしてい ます。」
などなど、娘と二人でいっぱい質問した。
本を読むことが大好きで、「将来は物を書く仕事がしたい。」という彼女。政治経済にも興味があるという。
また、「長期でアメリカのエール大学に留学生してみたい。」という夢もある。日本の早稲田大学にも興味があるようだ。
アメリカに一年間留学していた娘に、アメリカの高校生活のことをいろいろと質問していた。
どの質問にもハキハキと自分の答えを言い、また、私達にも質問をしてくる。気が付いたら2時間以上経っていた。
食事を終え、娘は「服と靴とカバンが見たい。」というので、あちらこちらをフラフラしていた。
「ショッピングはあまり興味がない。」というイフェイだが、日本のショッピングモールは初めてだったので、それなりに楽しかったと思う。ハローキティが大好きなようで、イフェイはサンリオのお店を喜んで見て回っていた。そして、自分へのお土産にキティちゃんのタオルを買っていた。
夕方になり、ショッピングモールを後にし、我が家と急いだ。
自宅に到着し、yukunと息子とご対面。ここでもハグ。
早速、家の中を娘が案内した。玄関にド〜ンと飾ってある、これまでに我が家にステイした留学生達の写真をみながら、二人は話がはずんいた。娘のアメリカでの生活の写真も興味津津のイフェイだ。
その後は、日本の高校の教科書を見せ合いながら、娘の部屋で盛り上がっている二人。
夕食は、ポテトグラタンにサラダ。天ぷらなどの日本食も考えたのだが、彼女が日本に到着したのは9月8日(火)。これまでずっと東京のホテルに滞在していた。きっとそこで毎日、日本食を食べていたと思うので、今回は私の得意な料理にした。これが大正解だった。イフェイも「日本食は毎日食べていたので、ちょっと違う料理が食べたいと思っていたところです。」と言ってくれ、残さず食べてくれた。
夕食の後は、デパートで買ったスィーツを食べながら、また質問攻め。
私はどうしても聞きたいことがあった。それは、日本と中国の歴史問題。彼女の考えはもちろんのこと、彼女の祖父母はどう思っているのだろう?と聞きたかった。デリケートな問題なので聞こうかどうか迷ったが、思い切って尋ねた。
イフェイはイヤな顔をすることなく、「それは過去のことです。そのことはきちんと受け止めなくてはいけませんが、私達は今後のことを考えていかなくてはいけない。未来は、日本と中国は友好を深め、平和に暮らしていけるよう、努力しなくてはいけない。」と答えた。
そして、戦争を体験した祖父母は、「戦争は国と国の問題。日本国民の大半は良い人達だ。だから良い関係をつくってきなさい。」と言い、今回の来日を全面的にサポートしてくれたという。
この意見に対して、大きくうなずいた私達。それにしても何を聞いてもきちんとした答えが返ってくる。すごいなあ。
Q.「日本へ来て、驚いたことはある?」
A.「ハイ。こちらへ来て、田んぼがいっぱいあるのに驚きました。日本は東京のような街ばかりだと思っていましたから。」
ハハハ!大笑いした私達。ごめんね〜、田舎で・・・
彼女は、昨日まで東京に滞在しており、到着早々、外務省へ表敬訪問。近郊の高校へ一日体験入学。そして東京、浅草見学。
バスでこちらへ移動し、我が家へやってきた。まあね、周りの景色は東京とは全然違うわね。特に我が家は田んぼの中の一軒家だから。(笑)
あっ、そうそう、日本の高校体験でお友達は出来たのかな??尋ねてみると、「男子高校だったので、出来ませんでした。」なんとも彼女らしい。真面目なんだよね〜。
そんなこんなで、時間があっという間に過ぎる。彼女は「お土産があります。」と言って部屋に戻り、お土産を持参してリビングに戻ってきた。
彼女からのお土産は、yukunと私にはミッキーマウスのアルバム。そして子供たちには万年筆。あまり中国らしくなかったけど(笑)、気持ちが嬉しかった。
いつも11頃に寝るという彼女。話はつきないけど、この辺でおやすみ〜。
9月13日(日)
「今日はどうしようかなあ。どこかへ連れていく?」って、家族で相談していたのだけど、浅草へ見学に行っているし、明日からは大阪へ移動し、そこで大阪城や心斎橋を見学するというので、今回はどこへも連れて行かなかった。
今日は、子供たちの通った中学校が体育大会なので、そちらを見学に行った。
中国も体育大会はあるようだ。種目も日本と同じようなものだという。ただ、運動場が中国と比べると、日本は狭いという。そりゃあ、そうでしょうねぇ。
ランチは、ご近所の中国からの研修生6人とその経営者のご夫婦と一緒に食べた。
彼女達とイフェイは環境や年齢が違うので話が合うかな?と心配したけど、そこは同郷同士、言葉も通じるので、盛り上がっていた。娘はいつもイフェイの隣にいたのだが、「中国語、さっぱりわからない!」と言って、私達のテーブルへきた。
それにしても中国語の発音って難しい!以前に中国からの留学生を受け入れたときにも同じことを思ったのだが、今回も思い知らされた。イフェイに教えてもらった「私の名前は○○です。」という中国語。早速、中国からの研修生6人を前にがんばって使ってみたのだが、誰一人、私の中国語を理解してくれない!というより、「このおばさん、いったい何語を喋っているの?」といった顔。イフェイに通訳してもらい、やっと通じた様子。情けない・・・
「ワンダ〜ミンズゥ〜・・・」なんで通じないんだ?!
イフェイが、「四(スー)という発音も四種類あるんです。“スー、スゥ〜、ス、スー”」って感じです。
ハ???最後の二つは同じ発音に聞こえるんですけど〜〜〜〜!
午後からは、娘の通う高校のお友達と一緒にカラオケへ行った。そのお友達も今回のプログラムで中国からの留学生の受け入れをしている。
歌を歌うことは好きだというイフェイ。娘の話によると、「とっても上手だったよ。そして別の留学生はもっと上手。プロみたいだった。」という。まあ、最近ではカラオケも日本の文化のひとつでしょうねぇ・・・
夕方6時から、フェアウェルパーティがあるので、5時ごろには荷物を持って自宅を出なければいけない。
そのパーティに招待されているのは一家族2名まで。なので、yukunと息子は、ここでイフェイとはお別れになる。
「家族の一員だと思っているよ。絶対にまだ戻ってくるんだよ。」とyukunと息子は声をかけ、しっかりハグだ!
私は、手紙とちょっとした記念品、それにあられなどを渡した。彼女はとても喜んでくれた。思いのほか、喜ぶ彼女の姿を見て、私達のほうが感動してしまった。
パーティは、立食式だった。中国から先生が6人見えたので、お話しようと思ったが、中国の先生方、全然英語が出来なかった。イフェイいわく、「先生方は英語を勉強されていません。」とのこと。
とりあえず、「ニ〜ハオ。」とあいさつ。そして、「ワンダ~ミンズ〜(私の名前は)」と言ってみたが、「ハ?」という顔をされた。言うんじゃなかった。。。(涙)
最後に、中国からの留学生15人がホストファミリーへあいさつした。
これがどの子も感動だった。イフェイのスピーチに、何度も目頭が熱くなった私達。
「日本に家族が出来たこと、そして、一人っ子だった私に姉や弟が出来ました。」と言ってスピーチを終えた彼女。
「絶対にまた戻ってくるのよ。出来れば中国のご両親にも会いたいわ。」と私達。
1泊2日という超短期な受け入れでしたが、夢がいっぱいあるとても素敵な彼女との出会いでした。
12月6日、我が家から車で15分の場所へ家族全員でジョナサンを迎えに行った。
彼のアプリケーションが届いたときに、こちらから英語のメールを送ったら、なんと彼からのメールは上手な日本だった。
これにはびっくり!!「この滞在は最初から最後まで日本語でいけるかもね!」と私が言うと、息子は「本当に自分で書いているかなあ?あまり期待しないように!」と笑いながら言う。
会場に到着すると、すぐにジョナサンの方から私達に近寄ってきてくれた。きれいな日本語で自己紹介。
やはり彼の日本語力は本物だった。(笑)
車で我が家に帰る途中で、彼の通う高校へ案内し、電車の乗り方、バスの乗り方を教えた。
私達の日本語の説明もすべて理解出来るジョナサンだ。
我が家に到着し、息子が家の中を案内した。
すぐに夕食の時間になり、私達は質問攻め。どの質問にも丁寧な日本語で答えてくれる。
彼の両親はフィリピン生まれ。フィリピンからの移民だ。なので、彼はオーストラリアとフィリピンの文化や習慣、両方を持ち合わせている。
彼はとても優秀で、将来は医者になりたいという夢を持っている。
志望大学はシドニー大学で医学を学びたいそうだ。2010年から大学生になるジョナサン。HSCという、日本で言えばセンター試験のような大切なテストを受け、只今その結果を待っているという。その結果はこの滞在中に出るそうだ。
よい結果だといいね。
12月6日
息子が帰宅するなり、「熱があるよ。」と言う、ゲッ!新型インフルエンザじゃないだろうねぇ・・・
12月7日
早朝、病院へ行き検査を受けると、やはり新型インフルエンザと診断された。
うぁ〜!ジョナサンに何て言おう?!このまま受け入れを続けていてもいいものだろうか・・・
早速LP(相談役)さんに連絡をし、その後支部長から連絡がきた。「大変だろうけど、このまま受け入れて下さい。」とのことだった。
ジョナサンには息子のことを話し、「息子は隔離しているからね。今日本中で新型が流行っているから、嗽、手洗いを忘れずにね。」と念を押す。娘が「アメリカでウガイをしている人って見たことないよ。ウガイってちょっと変な感じがするみたいだよ。マスクも変!」と言うが、今回の新型の影響で、うがいや手洗いが海外にも少しずつ広まっているんじゃないかなあ・・・
ジョナサンも娘の意見に大きく頷いている。でもね、ちゃんと予防はしてね。
12月8日
ちゃんと予防をしていてもうつる時はうつるものだ!
なんと、私が新型にかかってしまった!ハぁ~、久しぶりに熱が38度以上になったよ〜〜〜。
しんどいよ〜〜〜。関節のあちこちが痛いのと夜は高熱のために眠れないし、ジョナサンには申し訳ないし・・・
ごめんね。ジョナサン。そして、どうかうつりませんように。。。
娘は今日の朝から広島へ修学旅行に出かけた。娘にもうつっていませんように。
息子と私はそれぞれの部屋で隔離中。Yukunが一人でジョナサンのお世話をしてくれた。
息子も私も熱はすぐに下がったけど、しばらくは隔離されている。
ジョナサンには悪いけど、ランチと夕食はすべて出来あいのものだ。
「ごめんね、ジョナサン。」と何度この言葉を言ったことか。
ジョナサンはイヤな顔をせず、「大丈夫です。」と言ってくれた。本当は厭だろうなあ。私だって、逆の立場だったらイヤだもん。
12月10日
娘が修学旅行から元気に帰ってきた。
どうやら娘はうつらなかったようだ。よかった。
娘がジョナサンの世話をしてくれた。と言っても、夕食は相変わらずお弁当などの出来あいのものだった。
娘が「どんどんお弁当のゴミがたまっていくよ。それと同時に心が寂しくなってくる。」と言っていた。やはり手作りって大事なんだね。
病院の先生が「熱が下がってから二日経てば、普通に活動してもいいですよ。」と言われたが、念のため、五日間くらい部屋で一人こもっていた。
私達が寝込んでいるときは、ジョナサンは高校のお友達とボーリングへ行き、それなりに日本の生活を楽しんでいた。
ちゃんと自分からお友達に声をかけ、自分で楽しめる子なのだ。日本語が出来るので、日本の高校生も緊張せずに彼と行動できるようだ。
12月14日
今日から私は普通の生活に戻った。やはり、ジョナサンはうつらなかった。よかったぁ。本当によかった。
お弁当や食事は手作りに戻ったが、先週仕事を休んだ分の補講がたいへん。てんてこ舞いの毎日だ!
夜は一緒にご飯。家族が揃うのは何日ぶりだろう?寂しい思いをさせてしまった。
ジョナサンに日本の高校生活を尋ねてみた。数学は簡単らしい・・・ジョナサンの通う高校はそれほど進学校ってことはないけどこれにはびっくりだね。大抵のオーストラリア人は「日本の数学は難しい!」って言うから。やはり彼は優秀だ!
放課後は部活動も積極的に参加しているようだ。今日は華道、明日は茶道、という感じで毎日違う部活に参加させてもらっている。剣道も挑戦したが、「頭が壊れるかと思った。」とジョナサン。そりゃあそうだ。試合中、脳震盪を起こした子を何人も知っている・・・
オーストラリアのことをスピーチする機会がたくさんあるようで、その都度、自分で原稿をつくっているジョナサン。私達の助けは必要ない!すばらしい!
我が家に来て数日後のある朝、彼はいつもより早く起きてきた。
「お母さん、コンピューターを使ってもいい?」とジョナサン。あっ、そうだ!今日はHSCの結果発表の日だ!
ドキドキの瞬間だ!結果は、NSW州63,000人中の0.1%以内に入ったらしい。ほとんどの科目で95.5%の出来。その中で日本語は、NSW州の中で4番目だったという。彼もこの結果に驚いている!「うぁ〜、うぁ〜!!」を連発!嬉しい結果を両親やお友達にメールで報告し、上機嫌で学校へ行った。
しか〜し、彼の目指すシドニー大学医学部に入るには95.6%以上の成績がいるようだ。彼の結果は95.5%。0.1足らない。厳しいねぇ。少々がっかりしている彼だが、「でも大丈夫!UNSWで医者を目指します。」とすぐに気持ちを切り替えたジョナサンだ。
12月18日
今日は家族全員で名古屋城へ行った。ジョナサンは日本の文化などにとても興味があり、「どこへ行きたい?」の質問に「名古屋城か熱田神宮へ行きたいです。」と答えていた。
英語が出来るボランティアガイドさんの案内でとても楽しむことが出来た。日本の歴史は勉強していないジョナサンなので、歴史的背景はわからないが、「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」の名前はしっかり覚えた。偶然にも戦国武将のショーもやっていて、写真を撮るのに忙しいジョナサン。お城を楽しむことが出来た。
その後、ユニモールを通り、ミッドランドスクエアへ。そこで夕食をとり、名駅のイルミネーションを見て帰宅した。たくさん歩いたので疲れたが、彼が「今日はありがとうございました。」ときちんとお礼を言ってくれたので、疲れも吹っ飛んで行った。
12月19日
今日はお土産を買いに、100円均一のお店へ行った。しかし彼の気にいったものはそれほどなく、少々がっかりの買い物になった・・・
でもこの日も「連れて行ってくれてありがとうございました。」とお礼を言ってくれた。
12月21日
今日は学校が最後の日。彼は全校生徒の前であいさつをしなくてはいけないらしく、ちょっと緊張気味。昨日の夜、しっかりとスピーチの原稿を作っていた彼。もちろん、私達の助けは必要ない。今週は私の生徒達と一緒にクリスマス会。ここでも彼は上手な日本語で、オーストラリアのクリスマスからお正月にかけての過ごし方を説明してくれた。
彼の家では、親戚やお友達を招待してパーティを開き、プレゼント交換をするそうだ。これを“Kris Kringle”と言うのだそう。フィリピン系なので、彼の家族はクリスマスの時に春巻き、ハムや七面鳥そしてプリンを食べ、大晦日は日本と同じように大掃除をし、その後出来るだけ高く飛び上がり大声を出すそうだ。そして、たくさんの丸いフルーツを買って家に飾る習慣があるという。丸いものはお金をたくさん得ることが出来ると言われているそうだ。フィリピン系オーストラリア人の習慣をたくさん聞き、とても勉強になった。
12月24日
今日は私と二人で熱田神宮へ行った。子供達は学校なのだ!ジョナサンは「イブもクリスマスも学校があるの?」と不思議そう。
ハイ。日本の高校生はクリスマスなんて関係ありません。(涙)もっと言えば、来年は受験生になるので、クリスマスもお正月もありません。。。ここでも日本の神社に興味津津のジョナサン。お土産にお守りを買っていた。その後、東急ハンズへ。ここでお友達のお土産をたくさん買っていた。帰宅後は「ありがとうございました。」とお礼を言ってくれた。
12月25日
「メリークリスマス♪」と言いながら起きてきたジョナサンだよ。昨日のイブはケーキを食べ、我が家流のイブの過ごし方を経験してもらった。
今日は最後の夜。例年通り、我が家では留学生にはスピーチをしてもらう。それをビデオに撮った。
上手な日本語で日本での生活、習慣の違い、そして私達にお礼を言ってくれた。
私たちからはささやかなプレゼントを渡した。息子は得意な習字で、色紙に「夢」と書いて彼に贈った。
「夢」はジョナサンが一番好きな漢字だ。
彼はとても喜んでくれた。「家族の一員として受け入れてくれて本当にありがとう。」と何度もお礼を言ってくれた。
こちらこそ。彼が到着するなり、息子と私はインフルエンザになり、さぞ心配したことだろう。
オーストラリアの家族も心配したことと思う。そのことを彼に尋ねてみると、「心配するので家族には話していません。」と返ってきた。そうだろうね。そのほうがいいね。
明日は行ってしまうのか・・・寂しくなるね・・・
12月26日
いよいよ最後の日だ。
ジョナサンは朝から荷造りに忙しい。その後、掃除機できちんと掃除をしてくれた。
部屋は来る前よりもきれいになっていた。やはり優秀な子は違うなあと感心していると、「みなさんに手紙と写真があります。受け取って下さい。」とジョナサン。
これには感動した。本当に彼に出会うことが出来てよかった。
子供達と年齢も同じくらいだ。この先もずっとジョナサンが息子にとって兄貴のような存在であってほしいと願っている。
もちろん娘にとってもよい弟であってほしい。そして私達にとってもよい息子がまた一人増えた。
いつも感謝の気持ちを忘れないジョナサン。「ありがとう。」という言葉が素直に口から出てくるジョナサン。
ジョナサンからいっぱい学んだ私達家族である。