富山県との県境近くにある、北アルプスの北端が日本海に落ち込んでできた断崖。
古来から北陸道最大の難所として知られてきました。
波も荒く、親は子を、子は親を振り返る暇もないほどの危険な断崖であったため、
この名が付いたとされています。
↑ 国道8号線を上越方面から富山方面へ走らせる。
糸魚川を越え、道の駅「親不知ピアパーク」でしばし休憩。
世界一の海がめ象「ミリオン」とその子供「マリン」(写真右)
↑ この道の駅「親不知ピアパーク」は、北陸自動車道の橋の下に造られている。
↑ 道の駅で休憩後、いよいよ今回の絶景ポイントを目指す。
ここからの国道はヘアピンカーブの連続で運転にはかなり神経を使う。
↑ いよいよ目的地に到着。国道8号線「天険トンネル」の脇に 「親不知観光ホテル」が建っている。
このホテルの近くに駐車場があるので、車を停め 絶景ポイントの「天険コミュニティ広場」を目指す。
↑ 駐車場から歩いて1分。東屋が見え来た。
↑ 今回の絶景ポイント、「天険コミュニティ広場」からの絶景
ここから見える広大な日本海、そして海に突き出た北陸自動車道「親不知IC」は
自然の偉大さと、巨大な人工物の対比が何か不思議な世界を感じさせる。
↑ 東屋の中には親不知の断崖絶壁のミニチュアがある。
また外側にはパネルが展示してあり、国道8号や北陸自動車道についての歴史が載っていた。
第1世代(海岸沿い)第2世代(旧国道8号)、第3世代(国道8号)、第4世代(北陸自動車道)は、
先人の大変な苦労の連続で造られた道路であることが分かる。
↑ 東屋から海岸沿いに遊歩道(第2世代道路)が続いている。
ここから下を見下ろす。100メートル以上の断崖絶壁に日本海が広がる。
↑ 「如砥如矢」(とのごとく、やのごとし)
親不知の最難関「天険」の真上の一枚岩に刻まれている。
明治16年絶壁を削ってようやく道が完成した。その喜びを表現したものが
「如砥如矢」(とのごとく、やのごとし)である。
砥石のように滑らかで矢のように早く通れるという意味。
この道ができる前は、波打ち際のギリギリを歩いて通らなければならず、自然に出来た岩陰で
一週間も波が穏やかになるのを待たなければならなかったりと、多くの旅人を苦しめたという。
↑この遊歩道は残念ながらすぐに通行止めとなっていた。
↑ 親不知の夕暮れ。
広大な日本海に感動。
↑ コミュニティ広場から駐車場に戻る。
トイレに寄ったんだけど、その横からなんだか海岸に出れそうな小道を発見!
↑ これは行くっきゃない! と思い、海岸に向かい歩き始める。
足を踏み入れると一気に”秘境ムード”全開。
”ミニ滝”があったりしてプチアドベンチャー気分を体験。
↑ 途中で犬のフンを踏んだりしてショックを受けたが、
下ること5分。いよいよ海岸が見えてきた。
↑ 海岸にいよいよ降りた。
大小の石がゴロゴロしている。砂浜はない。
先人の方はこの海岸づたいに北陸へ抜けたのだ。
しかし、ここから北陸方面を見ると渡れるような海岸は続いていない。
↑下ってきた道を今度は登る。
途中にあった不気味なトンネル。廃トンネルになっているようだが、
何に使われていたのだろうか?
恐る恐る覗いてみたが、遠くに明かりが見えたので長いトンネルではなさそうだ。
それにしても不気味なトンネルだった。
駐車場までは10分以上歩く。汗はダラダラになった。
↑ 少し足を伸ばして、富山県との県境までドライブ。
看板があるだけで、これといって何もありません。
訪問日 2005.7月
2007年1月1日、
元旦の日に最訪問しました!
冬の日本海は やはりなにか寂しいですね。
↑ 昔はこの断崖絶壁の波打ち際を歩いて渡ったという。
所々に波を避ける洞窟もあるらしいが、
波が強くて1週間も出られなかった人もいたらしい。
天険コミュニティ広場 2007.05.21撮影
魚眼レンズで撮影しました。
今回は天険コミュニティロード(旧国道)を歩いてみた。
天険トンネルが開通しておよそ40年。
使われなくなった国道は荒れ果てていた。
↑歩くこと15分。天険トンネルの富山方面側に到着。
↑ 天険トンネル富山方面側の旧国道入り口。
こちら側を訪れる人はほとんどいないであろう。
↑ 天険コミュニティロードからの夕陽。