2006
2年半ぶりに行われた今回の社員旅行は、会社初の海外進出となる「韓国」
自分自身でははサイパン以来6年ぶりの海外となった。
ちなみに今回の社員旅行は変則的で、当初「韓国」の予定だったが、
希望者があまりにも少なく、「北海道」に変更になった。
しかし、「韓国」案も会社幹部のツルの一声で残り、
1班が「韓国」 2〜3班が「北海道」となったのである。
自分は北海道も行きたかったが、せっかくの海外である。
「韓国」を選択しアジア大陸初進出となった。
<2006度 「韓国」社員旅行 行程 >
(1日目) 6:30上越発 →上越IC →(北陸道)〜 新潟空港IC → 新潟空港発9:30 →
仁川空港着11:46 → ソウル市内へ(市内観光「景福宮」「東和免税店」など)
→ホテル(シェラトンウォーカーヒル)
(2日目) 終日自由行動となる。「終日観光」「半日エステ・アカスリ」「自由行動」の
3班に別れる。 ほとんどの人が「終日観光」を選択。
→ホテル(シェラトンウォーカーヒル)
(3日目) 9:00 ホテル発 → ソウル市内観光(南大門市場、
免税店など) →仁川空港 17:30 →新潟空港19:25
→ 上越着 21:30
<< 1日目 >>
↑ 上越から北陸道を走り、新潟空港に到着。
2001年に北海道を訪れた時以来である。
団体旅行だと待合室が用意された。
そこで、「入国カード」の記入と 韓国のお土産の宅配便の説明を受ける。
その後、混むはずも無く、スムーズに搭乗手続きが完了する。
上空から見た「佐渡島」
AM9:30 新潟空港離陸。
しばらくすると佐渡島が見えてきた。
↑ 飛行機が安定飛行になったところで機内サービスがはじまる。
「牛サイコロステーキ&ライス」と「パン」「ヨーグルト」「ミネラルウォーター」である。
ドリンクサービスしかないと思っていたので ちょっと得した気分。
韓国上空 飛行機は韓国上空を飛び、仁川空港をへ。
新潟は晴れていたが、韓国に入ると雲が多くなってきた。
AM11:30 「仁川空港」着
いよいよ韓国へ初上陸となった。
↑ 日本と韓国には時差がない。
よって、お昼も近かったのでバスに乗り、レストランへ・・・
韓国最初の料理は、「石焼ビビンバ」だった。
↑ レストランで飲んだ「韓国ビール」
なんだかコクというかキレが無い。
炭酸の抜けたビールという感じで美味しくは無かった。
↑ 仁川空港からソウル市内へ。巨大な街が少しづつ見えてきた。
天気はどんよりとした曇り。雨は降っていなかった。
景福宮(キョンボックン)
↑ お昼を食べて寄ったのが、最初の観光スポット「景福宮」
ここでの滞在時間はおよそ1時間。
中は広いので歩く歩く。
独立門
「独立門」って何処からの独立ですか?
「そりやぁもちろん、日本からでしょう」
韓国人の若者さえそう話す。
しかし、そうではないのだ。
日清戦争で日本が勝ち、清国からの独立を記念して
1898年に造られた門である。
↑ その後、東和免税店にてショッピング。
ブランド品に興味の無い人は全くもってつまらない。
↑ 夜のソウル市内。1000万都市の夜景は綺麗だ。
↑ 本日の夕食は 焼肉・骨付カルビ。
さすが、本場の焼肉は旨い。
2人前だったが、全く量は足りず。
↑ ホテルは「シェラトンウォーカーヒルカジノ」
ソウルの郊外に立地しているので、近くにコンビニさえない不便な場所にあるが、
カジノが併設されているホテルで24時間遊べる。
この日自分はルーレットで遊んだ。
1万円で1時間半は遊べたので勝ちはしなかったが充分に楽しめた。
↑ ちなみに韓国のホテルには「歯ブラシ&歯磨き」と「寝巻き」が置いていない。
環境保護の意味からだという。
事前に聞いていたのでこれらは日本から持参した。
ホテルによってはシャンプーなども置いていないところもあるらしい。
<< 1日目の感想 >>
いよいよ上陸した日本から一番近い外国「韓国」
その首都1000万都市「ソウル」はあまりにも過密都市だった。
別名「リトル東京」とも言うらしいが、
その過密ぶりは東京を越えているかもしれない。
住宅不足で8割はアパートに住んでいるという。
確かにアパートの数がやたら多かった。
それと、韓国の道路事情。
幹線道路以外の道幅は複雑で非常に狭い。
尚且つ、ドライバーのマナーの悪さ。
急発信、急ハンドルは当たり前、信号無視さえも見受けられる。
今回乗車した観光バスもスピードを出す出す。
まるでバスがジェットコースターだった。
大人になって初めてバスに酔ってしまったよ。
2006.09.04
<< 2日目 >>
さぁ、2日目だ。
終日、自由行動となっていた。
ほとんどの人がオプションの「観光コース」を選択。
向かった先は 南北朝鮮の軍事境界線付近。
悲願の「板門店」にはツアーの人数が足りず行けなかったが、
良い思い出となった。
↑ 天候は快晴。
前日の天気予報では雨とも予想されていた。
しかし、雲ひとつ無い絶好の観光日和となったのだ。
↑ 走ること一時間。ソウル郊外へ。
道路わきには、鉄格子が設置されていた。
川一つ挟んで、北朝鮮の山々が見える。
臨津閣(イムジンカク)・自由の橋
臨津閣(イムジンカク)は韓半島の統一を祈願するために立てられた観光地である。
臨津閣は板門店のように入場許可が必要でないため、多くの観光客が訪れる。
↑ どうです、この青空。
バスの運ちゃんいわく「自由の橋には何回も来たが、こんなに快晴だった事はない」とか。
とにかく天気が良くて気持ちい。
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自由の橋
休戦協定締結の1953年に造られたこの橋は北朝鮮に捕虜された1万3千人の人々が保釈された際に
「自由万歳」と渡った事からこう名付けられたという。現在は83mだけ渡ることが出来る。
自由の橋は途中フェンスで行き止まりになっている。
離散家族へのメッセージが書かれている布キレが多く結ばれていた。
「自由の橋」からは、朝鮮戦争で破壊された橋げたが今も残る。
↑自由の橋近くには線路があった。一日3本ほど、都羅山駅(トラサン)駅まで電車が走る。
京義線(キョンウィせん・けいぎせん)は、大韓民国のソウルと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の新義州(シニジュ)とを結ぶ鉄道路線。
国家の南北分断に伴い、線路も分断されている。
↑ 次に向かったのが、ソウル側に少し引き返し、オドゥサン統一展望台である。
オドゥ山統一展望台
ソウル郊外から軍事境界線に近い「オドゥ山統一展望台」
3キロ先の対岸には「北朝鮮」を望むことができる。
川一本をはさんで北朝鮮の開豊(ケプン)郡の農村地帯を見ることができるのだ。
集合住宅用らしい建物、農業用の倉庫のようなもの、畑、背後に広がる山々・・・
ココから見える北朝鮮の建物は農村部としてはかなり豪華。
これは、北朝鮮が優雅な暮らしをしていると韓国側にアピールする為に意図的に造られたものらしい。
望遠鏡を使えば、実際に農作業をしている北朝鮮国民が見える。
また山々は木々が切り倒され、殺風景な景色となっていた。
これは韓国側への亡命を防ぐためだという。
川一本なのに行けない国。水量が少ないと歩いて渡れるらしい。
朝鮮半島の現実を見ることができた。
↑ この日の昼食は、「サムゲタン」
韓国の代表的なスープだという。食べた人の大半の意見は
”美味しくない”(笑)
明洞(ミョンドン)
ソウル一の繁華街を歩く。 色んなお店やレストラン、露店などが並ぶ。韓国の情報発信基地である。
その後、免税店でショッピングとなった。
「無法地帯」の交差点
信号が赤に変わっても構わず進入してくる。
よって、交差点は大渋滞。
それが当たり前なのかクラクションを鳴らす車もいない。
↑ 韓国のガソリンスタンド。
ガソリンは日本より高め。1リットル200円近くするとか。
代わりに高速道路の料金はかなり安いらしい。
↑ ソウルの夕暮れ。
本当に天気が良くて良かった。
↑ この日の夕食は「海鮮なべ」
キムチもやっぱり付いてくる。
韓国と言えば”アカスリ”と”エステ”に行かなくては意味がない。
という事で、夕食後、アカスリ&エステに向かった。
料金は日本円で11,000円。
添乗員さんの紹介だったのでマージンも含まれているのだろうか?
ちと高い気がする。
まず、フロントで説明を受ける。
基本コースの他にオプションもあり、
「うぶげ取り」「カッピング」「足つぼマッサージ」などはオプションである。
自分は基本コースのみだった。
では、順番に説明する。
まず、「汗蒸幕」というものに入る。
これは、遠赤外線を発する石をつんだドームの中を
松の木を燃やして熱したものである。
サウナよりもはるかに熱いので、熱気よけに麻袋を頭からかぶる。
それでも3分も入っているのがやっとである。それほど熱いのだ。
体は一気に温まり、汗も激しく出てくる。
他に通常のサウナやお風呂もあり、充分に体を温めておく。
30分ほど、いろんな種類のサウナやお風呂を楽しんだあとで、
いよいよアカスリ&マッサージだ。
若くて美人のスタッフを期待して心は弾む。
実は受付けのときに「若いスタッフがやってくれるんですかぁ?」
と同僚が受付嬢に聞いていた。
受付嬢も綺麗な方だったが歳を聞くとその人は30代後半だという。
「私なんかよりもっと若いですよぉ〜」と笑顔で教えてくれた。
その笑顔に皆 期待するわけだ(ワクワク)
が、確かに若かったのだが、それはなんと10代後半の
男性スタッフだった(悲)
仕方なく、アカスリが始まる。そしてオイルマッサージ、
きゅうりパック、シャンプーをして終了となる。
正直、なんだか流れ作業的な感じであわただしく
終ってしまい(若いスタッフだったから?)
気持ちよかっただとか感じる余裕は無かった。
しいて言えば、きゅうりパックが
きゅうりの香りとひんやりと顔がキュッとひきしまる感じがしてなんだかよかった。
<< 2日目の感想 >>
2日目は観光のオプションで北朝鮮との軍事境界線付近まで行く事ができた。
残念ながら「板門店」は行く事ができなかったが、それでも
北朝鮮を数キロ先に実際に見る事ができて
良い思いでとなった。
もともとは一つの国だったのに〜とか、
日本も終戦後、分割占領されていれば、南北に分かれていた可能性もあったのだ。
そう考えると胸の詰まる思いがした。
果たして、韓国と北朝鮮の統一はやってくるのだろうか?
過密都市ソウル
ソウルの人口はおよそ1千万人。
「リトル東京」とも言われる過密ぶりは、東京を超えるほどでもある。
住宅難でアパートに住む人は市民の8割を超える。
確かに市内には高層のアパートが無数に建っていた。
ソウル近郊の仁川広域市などの韓国首都圏に住む人は国民の46.3%。
つまり人口の半分は首都圏に一極集中しているのだ。
韓国の首都「ソウル」は、予想以上の過密都市だった。