ジグザグ

 

登場人物

 倉松務(くらまつ・つとむ)(四〇歳)作家志望

 倉松久子(くらまつ・ひさこ)(三九歳)務の妻

 倉松サト(くらまつ・さと)(七一歳)務の母

 小田安美(おだ・やすみ)(三八歳)務の妹

 大沢(四六歳)久子の上司

 ひとみ(二三歳)久子の部下

 常子(六九歳)久子の母

 洋一(三九歳)安美の夫

 事務員

 

○北海道石狩市・倉松家の居間・夜

   無人で暗い。窓の外、雪景色。

   電話台の上の電話機。突然鳴り出す。

   倉松務(四〇)、入ってくる。コートを着ている。

務(灯りをつけながら)「はい、はい」

   電話に出る。

務「はい、倉松です」

○東京新宿・日本情報処理開発鰍フオフィス。

   倉松久子(三九)が携帯で話している。

   他には誰もいない。

久子「あ、久子ですけど」

務「ああ、ぼくもたった今、病院から帰ってきたところなんだ」

久子「お母さんの具合どう?」

務「だいぶいいよ。予定どおり、あさって退院する。安美も来ることになってる」

久子「わたしも帰った方がいいわね」

務「えっ、急に大丈夫なのかい? 」

久子「実は急でもないのよ。近いうちに休むって、後輩たちにも言ってあるの。今なら仕事も忙しくな いから、三、四日ならなんとかなるわ。それに気分転換もしたいし」

務「君が来てくれるのならありがたいよ。でも、航空券は?」

久子「なんとかなるわ。明日の夕方には行けると思うわ。時間が決まったら明日にでもまた連絡するから」

務「わかった」

久子「あなた」

務「なんだい?」

久子「はやく、またいっしょに暮したいわね」

務「ほんとだね」

久子「じゃ、おやすみなさい」

務「おやすみ」

   久子、電話を切る。

○タイトル

○新千歳空港・昼

   冬景色の中、国内線の航空機が降下して来る。

○新千歳空港・建物の出入り口。

   右手に旅行用のバッグを下げた久子、出てくる。コートを着ている。

   左腕にアニメ雑誌をかかえていたが、バッグにしまい込む。

久子「うー、さぶ」

   腕時計を見てから回りをきょろきょろ見る。

   バス乗り場に地下鉄麻生駅行きの長距離バスが入ってくる。

   バスに乗る久子。

○札幌・地下鉄麻生駅出入り口

   階段を上がって外に出る久子。

   タクシー乗り場の方へ行く。

   客待ちしているタクシーに乗り込む。

○タクシー内

久子(運転手に)「石狩市鼻川北、おねがいします」

   タクシー、発車する。

○石狩市・倉松家の前

   タクシー、停まる。

   久子、金を払って降りてくる。

   走り去るタクシー。

   久子、インターフォンのボタンを押す。

   鳴り響くチャイムの音。

○倉松家の玄関

務(久子のバッグを持ってやりながら)「ずいぶん早かったね」

久子(コートを脱ぎながら)「お昼前に会社を出られたのよ」

務「仕事は大丈夫なのかい?」

久子「心配ないわ。安美さんは?」

務「明日、病院に来ることになってる。仕事の都合で、今日は来られないらしい」

久子「旭川でジーンズショップを切り盛りするなんて大変ね。勤め人の方がよっぽど気楽だわ」

   複雑な表情の務。

○倉松家の食卓

   務と久子が向かい合って食事している。

   それぞれの前にカレーライスの皿と水の入ったコップ。

久子「ごめんなさいね。ひさしぶりに会ったんだから、わたしが夕食作ってあげるのが本当なのに」

務「いいよ。君だって遠くから来て疲れてるだろう。それにカレーぐらい簡単だよ」

久子(かすかにほほ笑みながら)「変わったわね」

務(カレーを食べながら)「そうかい?」

久子「前は、わたしが夕食の仕度しておいてくれって言っても、なかなかやっといてくれなかったわ」

   務、カレーを食べ終え、一口水を飲む。

務「もうずいぶん前みたいな気がするけど、三か月しかたってないんだよな」

久子「そうよ。三か月前にお母さんが小脳梗塞で倒れたって電話があった時には、どうなることかと思ったわ。でも、お母さんが退院できることになって、本当によかった」

務(食べ終えて)「そうだな……。さて、風呂でも沸かすかな」

久子「ねえ、あなた」

務「なんだい?」

久子(すこし恥ずかしそうに)「お風呂、いっしょに入らない?」

○総合病院・外観・午前中

○総合病院・病室(六人部屋)

   入ってくる務と久子。務は空の手提袋を持っている。

務(かるく会釈しながら)「こんにちは」

   久子もかるく頭を下げる。

   二人、ベッドの一つのそばに行く。

   ベッドには倉松サト(七一)が横になっている。洋服を着ままでいびきをかいている。

務「やれやれ。(サトの肩に手をかけて)母さん」

久子「いいじゃないの、寝かせといてあげれば」

務「だめだよ。いつまでもいるわけにはいかないんだ。(サトに)母さん、母さん」

サト(目覚めて)「あ、あー」

   身体を起す。

サト「おや、務。来てたのかい。仕度して待ってたら、ついウトウトしてしまって」

久子「お母さん、おひさしぶりです」

サト「あら、久子さん。わざわざ来てくれたのかい。すまないね」

務「安美は?」

サト「さあ。まだ来てないみたいだよ」

務「何やってるんだ、あいつ」

   小田安美(三八)、病室に入ってくる。

安美「ごめんごめん。おそくなっちゃって。

 (久子に気づき)あ、お姉さん、こんにちは」

久子「こんにちは。おひさしぶりね、安美さん」

務(持ってきた手提袋を広げながら)「よし、じゃ大きな荷物はまとめてあるから、細かい物をこれに入れてと……」

久子「あたし、やるわ」

   手提袋を受け取る。

○総合病院・会計窓口前

   務、久子、サト、安美が待ち合い用のベンチに腰かけている。

事務員(窓口から)「倉松さん。倉松サトさん」

務「はい」

   立ち上がり、窓口に行く。

務「倉松です」

事務員「倉松さん、一万百六十八円です」

   務、財布を取り出し金を払う。

事務員「ちょうどお預かりします。このたびは退院、おめでとうございます。倉松さん、介護保険の方は利用されてますか?」

務「いえ」

事務員「これからは介護保険の適用を受けられると何かと便利ですよ。パンフレットを差し上げますのでご一読下さい」

   パンフレットを差し出す。

務(受け取りながら)「どうも」

事務員「お大事にどうぞ」

   務、パンフレットを見ながら席に戻る。

安美「お兄ちゃん、済んだの?」

務「ああ、終わった。安美、母さんを頼む。久子、荷物を持ってくれ。おれはタクシーを拾ってくる」

   務、玄関の方へ行く。

   安美、サト、久子立ち上がる。サト、

   杖を突きながら、安美に手を引かれて

   歩く。そのあとから久子、ついて行く。

○倉松家・食卓

   サト、務、安美が席に着いている。

   久子は立ってごはんを炊飯器から茶わんに盛っている。

安美「お姉さん、ごめんね。何もかもやってもらって」

久子「いいのよ。わたしはたまにしか出来ないんだから」

サト「いやあ、やっぱりうちのごはんはいいね。病院は精進料理の余りみたいなものが出てくるからね」

務「母さん、らっきょ、買っておいたよ」

サト「すまないね。これが食べたかったんだよ」

   久子、ごはんをついだ茶わんをサトの方へ差し出す。

久子「お母さん、どうぞ……」

   サト、久子の方を見ずにらっきょの鉢に箸を差し込んでさぐっている。

   箸でらっきょを挟もうとするが、手が思うように動かず挟めない。

   やにわに箸を置き、右手の指を鉢に突っ込んでらっきょを掴んで口に運ぶ。

サト(らっきょを噛みながら)「やっぱりおいしいねえ」

久子「お母さん……ごはん、どうぞ」

サト「ああ、ありがとう」

   サト、茶わんを受け取ると箸を取り、ごはんをかき込む。

○倉松家・食卓

サト「いやあ、おいしかったね。久子さんは料理が上手だね」

久子(ごはんを食べながら)「ありがとうございます」

サト「お茶、もらえるかい?」

久子(茶わんを置きながら)「あ、すいません」

安美「あたしがやるわ」

久子「いや、だいじょうぶ」

   久子、立ち上がってポットからお湯を汲んでお茶をいれる。

サト(お茶を受け取りながら)「ありがとう」

   久子、席に戻り食べ始める。

サト「ほんとにねえ、退院できてよかったよ。病院には五年も十年も入院してる人がいるからねえ。そんなになっちゃあ、おしまいだよね。あ、そうだ、薬飲まなきゃ……」

   サト、かたわらの薬袋を取り上げる。

サト「お水、もらえるかい?」

久子(あわてて茶わんを置き)「ごめんなさい」

   久子、立ち上がり、流しでコップに水を汲む。

久子(コップをわたしながら)「どうぞ」

サト「ありがとう、すまないね」

   サト、薬を取り出して水といっしょに飲む。

サト「すまなかったね。久子さんもゆっくり食べとくれ」

久子「はい」

   久子、席に戻って食べる。

サト「いやあ、病院じゃたいして運動もしないのにごはんだけは三度三度出てくるだろう。だからどうしても便秘がちになってね。人間、やっぱり便通がかんじんだよね。病院だと下の用も看護師の人にやってもらってる人も多くてね。夜の夜中でも、大きいのも小さいのも後始末してもらってるのさ。ああはなりたくないねえ」

   久子、ごはんを残して箸を置く。

サト「おや、久子さん、どうしたの?」

久子「あんまり、食欲がなくて……。安美さん、あと頼める?」

安美「いいよ」

○倉松家・二階(務の部屋)

   布団が二組敷いてある。

   そのそばでバッグに下着などを詰め込んでいる久子。

   階段を上ってくる音がして扉がひらく。

   入ってくる務。パジャマ姿で髪が濡れている。

務「風呂、あいたぞ。(久子の様子を見て)おい、何してるんだ?」

久子「見ればわかるでしょ。荷造りよ。あした東京に帰るわ」

務「え? 三、四日いるって言ってたんじゃないのか?」

久子「気が変わったの。それに、わたし、あなたみたいに暇じゃないのよ」

務「ちょっと待てよ。急に予定を変更されても困るよ。これからのことも話そうと思ってたんだ」

久子「これからのことって?」

務「いつこっちに引っ越してくるかとか、おふくろの面倒をどういうふうに見るとか」

久子(務の顔を見て)「あなたの親なんだもの、あなたが面倒を見ればいいじゃない。わたしは御免よ」

務「何言ってるんだ。お前も倉松家の嫁だろう!」

久子「自分の都合のいいときばっかり嫁扱いしないでよ!」

務(冷静に)「おれは長男だから、いずれは北海道に帰ってこなけりゃならないっていうのは、結婚したときの約束だろう?」

久子「それはあなたが夫らしいことをしてくれた場合の話でしょう。書いた小説がたった一つ賞を取ったからって、会社を辞めて。筆一本で食べて行く自信もないのにわたしと結婚して」

務「君だってそれを承知で結婚したんじゃないか」

久子「あなたの口車にだまされたのよ。この十年間、わたしがあなたを養ってきたじゃないの。あなた、最初からわたしに一生たかるつもりで結婚したんでしょう」

務「何言ってるんだ!」

久子「ちょうどいいじゃない。お母さんとずっと一緒に暮せば。亡くなったお父さんとお母さんの年金があるから、食べていくのには困らないんでしょう」

   務、目をむいて久子を見る。

   久子、顔をそむける。

○東京新宿・日本情報処理開発鰍フオフィス。

   午後、皆パソコンに向かったり、打ち合せをしたりしていそがしく働いている。

   バッグとおみやげの袋を下げた久子、入ってくる。

ひとみ(二三)「倉松リーダー」

久子「おつかれ」

ひとみ「どうしたんですか? あさってまでお休みだったんじゃ」

久子「お母さんの具合、いいもんで切り上げてきたの。これ、おみやげ(袋を差し出す)」

ひとみ「すいません」

久子「エイチ・アイ・イーの佐藤部長、何か言ってきた?」

ひとみ「いえ、今のところは別に」

久子「よかった。じゃ、とりあえずはオーケーね。プレゼンテーションの準備は始めてる?」

ひとみ「はい、昨日から」

久子「あした、出来たところまで見せてね。 

 (自分の机にバッグを置く)大沢マネージャーは……いるわね。ちょっとあいさつしてくるわ」

   オフィスの奥、管理職の席で大沢(四六)が書類を読んでいる。

   近づく久子。

久子「あの、大沢マネージャー」

大沢(顔を上げて)「あれ、倉松くん。君、休暇中じゃ」

久子「母の具合がいいんで切り上げてきたんです。今回はいろいろとご迷惑をおかけました」

大沢「そんなことはいいんだが。お母さんやご主人、大丈夫なのかね?」

久子「大丈夫です。ご心配なく」

大沢「そうか、ならいいが。ところで……これは君が休暇から戻ってから言おうと思ってたんだが……」

久子「はい?」

大沢「倉松くん、君、サブマネージャーになってみる気はないかね?」

久子「サブマネージャー……」

大沢「うん。君は今までプロジェクトリーダーとしてがんばってくれた。客先からの評価も高い。社長とも相談したんだが、ここらで君にもワンランク上の仕事についてもらおうかという事なんだ。どうだろう?」

久子「ええ……ありがたいお話なんですが……すぐには……」

大沢「うん、もちろんそうだろう。仕事も今までと同じというわけにはいかない。それに君の場合は家庭の事情もあるからな。考えておいてくれないか」

久子「わかりました。失礼します」

   呆然とした表情で自分の席に戻る久子。

   腰かける。

   ひとみがコーヒーをついだカップを久子の前に置く。

ひとみ「どうぞ」

久子「(驚いて)えっ。(コーヒーに気づき) あ、ありがとう」

   久子、コーヒーを口に運ぶ。

○倉松家・居間のとなりの部屋(サトの寝室)部屋は暗い。

   ベッドでいびきをかいて寝ているサト。そのかたわらの布団で寝ている安美。

   目を開ける安美。ふと見ると扉から光が漏れている。

   ねぼけまなこで立ち上がり、扉をそっと開ける。

○居間

   灯りがついている。務が食卓で手書きの原稿を読んでいる。

   かたわらにA4判の茶封筒。宛名が手書きで書かれている(「日本大衆小説新人賞係御中」)。

   安美、入ってくる。

安美「お兄ちゃん、ずいぶん早いね」

務「起したか。すまないな」

安美「今何時?」

   居間の壁時計を見る。

安美「六時じゃない。お兄ちゃん、眠くないの?」

務「目が冴えて眠れないんだ」

安美「何してるの?」

務「小説を書いたんで、新人賞に応募しようと思ってね」

安美「ふうん、うまくいくといいね」

   安美、務の向かいに腰かける。

安美「ねえ、お兄ちゃん。久子さん、いつこっちに引っ越して来るの?」

務「それが……」

安美「どうしたの?」

務「当分、来ないと思う。実は母さんの面倒見るの、いやだって言い出して……」

安美「そんな勝手な!」

務「(指を口に当てて)おい」

   安美、しまった、という表情でサトの部屋の方をうかがう。

   そっと立ち上って、サトの部屋の扉を閉める。席に戻る。

安美(声をひそめて)「久子さんだって一応長男の嫁でしょう。システム・エンジニアだか何だか知らないけど、どんな仕事をしてたって長男の嫁は親の面倒見るのがあたり前じゃない」

務「まあ、そうなんだけど……。おれに稼ぎがないことが気に入らないらしい」

安美「そんなこと、今に始まったことじゃないじゃない。あ、ごめん」

務「いや、いいんだ」

安美「仕事してないのが負い目なら、アルバイトでも探してみれば。今、色んな仕事があるから、積極的に探せばきっと見つかるよ。お兄ちゃんにいくらかでも収入があれば、久子さんも文句ないんじゃないかなあ」

務「そうだな」

安美「あたし、もう少し寝る」

   立ち上がってサトの部屋に行く安美。

   前をじっと見つめる務。

○日本情報処理開発鰍フオフィス・正午

   パソコンに向かって作業している久子。

   となりの席のひとみ、見ていたファイルを机に閉じる。

ひとみ「倉松リーダー、お昼行きません?」

久子(手を休めて)「わたしちょっと用事があるの」

ひとみ「あ、そうですか。じゃ」

   ひとみ、席を立つ。まわりでは社員たち、談笑しながら次々とオフィスを出て行く。

   久子、あたりに人が少なくなったのを見はからって机の上の携帯を取り上げる。

○倉松家・居間・正午

   サト、ソファでうたた寝をしている。

   鳴り出す電話。サト、目を開ける。

サト(台所の方に向かって)「電話だよ。出とくれ」

○日本情報処理開発鰍フオフィス

   携帯をかけている久子。聞こえる呼び出し音。

   切れる呼び出し音。

久子「もしもし」

安美「はい、倉松でございます」

久子「久子ですけど」

安美「こんにちは。安美です」

久子「ごめんなさいね。急に帰っちゃって」

安美「(皮肉げに)いいえ、いいんですよ。お

 姉さん、おいそがしいでしょうから」

久子「務さんは?」

○倉松家・居間

   安美、電話に出ている。そばにサトが腰かけている。

安美「今出かけてます」

久子「買い物?」

安美「いえ、職探しにハローワークへ行ってるんです」

久子「務さん、仕事探してるの?」

安美「ええ、お兄ちゃんも考える所があったみたいで」

   少しの間。

安美「お姉さん」

久子「はい?」

安美「(皮肉げに)いつ、こっちに引っ越してらっしゃるんですか?」

   答えに詰まる久子。

   そのとき、玄関の鍵を開ける音。玄関から務が入ってくる。

務(玄関から)「ただいま」

安美(久子に)「あ、いま、帰ってきました。ちょっと待ってください」

   務、居間に入ってくる。

サト(務に)「務、久子さんから電話だよ」

  安美、受話器を務にわたす。

務「もしもし」

○日本情報処理開発鰍フオフィス

久子「(神妙に)この前は、ごめんなさいね」

務「いや、いいんだ」

久子「ハローワーク、行ったんですって?」

務「ああ」

久子「どうだった?」

務「きびしいよ。月に一度おふくろを病院へ連れて行かなくちゃいけないって係の人に話したんだけど、いまどき、月に一度定期的に休めるようなつごうのいい仕事はないって。また行って見るつもりだけど」

久子「そう……。実はね、わたしの仕事のことなんだけど。こんど、サブマネージャーにならないかっていう話がきてるの」

務「サブマネージャー?」

久子「ふつうの会社でいうと係長クラスね。実務から離れることはないと思うけど、管理職としての仕事もぐっと増えるわ。たいへんだけど、今まで出来なかった大きな仕事もやれるの。」

  やや黙る務。

久子「聞いてるの?」

務「ああ」

久子「どう思う?」

○倉松家・居間

務「どうって言われても……。サブマネージャーになるのは君だし……」

○日本情報処理開発鰍フオフィス

久子「(目を開いて)わかったわ。自分で考える。とにかく、サブマネージャーになるにしろ、ならないにしろ、いそがしくなるのは間違いないから、当分北海道へは帰れないわ。安美さんにもよろしく伝えといて。じゃあね」

   携帯を切る。

○倉松家・居間

サト「久子さん、何て?」

務「管理職のポストに就くそうだ」

安美(務を見すえて声高に)「どうしてそうなるわけ? お兄ちゃんが強く言わないから、久子さん、自分の仕事のことばっかり考えるんじゃないの? あたしも人のこと言えないけど、久子さんはお兄ちゃんのお嫁さんで、お兄ちゃんは倉松家の長男でしょう。二人でお母さんのこと考えていかないとだめなんじゃないの?」

   黙る務。

安美「(腕時計を見て)あ。(務に)あたし、帰らなきゃならないから、お兄ちゃん、お母さんのこと頼むね」

   立ち上がり、かたわの旅行カバンを持つ。

安美(サトに)「じゃ、お母さん、元気でね」

サト「気をつけて帰るんだよ」

   安美、居間から出て行く。

   黙って見送る務。

○取引先エイチ・アイ・イーの会議室

   大沢、久子、並んでいる。大沢は腰かけている。久子、立って説明している。

   向かい側にエチ・アイ・イーの幹部三人、腰かけている。いずれも中年の男性である。

久子「今回のプロジェクトの眼目は、基本ソフト・ウィンズXQ上で、JV言語のソフトウェアが稼動する環境を構築することです。これによって御社のJV言語で作られたソフトウェア資産がそのまま活用でき、開発効率を大幅にアップすることが可能です」

○エイチ・アイ・イーの入っている建物の一階ロビー。

   久子、立っている。

   大沢、エレベーターから降りてくる。

大沢「お待たせ。(うれしそうに)倉松くん、好評だったよ。特に佐藤部長がほめてた。目の付け所がいいってね」

久子「そうですか」

大沢「ところで、こんな所で何だけど、サブマネージャーの件だけど、明日じゅうに返事をくれないかな。社長にせかされてるんだよ」

久子「わかりました」

大沢「じゃ、よろしくたのむ。ぼくはまだ寄る所があるから、先に会社に戻っててくれたまえ」

久子「おつかれさまです」

   大沢、腕時計を見ながらロビーから出て行く。

   久子、見送った後、ふと思いついてバッグから携帯を取り出す。

   右手に携帯を持ち、ややしばらく見つめる。やがて、携帯をもう一度バッグにしまい込み、毅然としてロビーから歩き去る。

○日本情報処理開発鰍フオフィス・午前八時五十分

   席についている久子。

   大沢が入ってくる。大沢、席につく。

   久子、立ち上がり大沢の席に行く。

久子「おはようございます」

大沢「おはよう。昨日はごくろうさん」

久子「はい……あの……」

大沢「ん?」

久子「サブマネージャーの件ですけど……つつしんで、お受けします」

大沢「そうか、よかった。でも、ご主人やお母さんのこと、大丈夫なのかね?」

久子「え……、ご心配なく。仕事については理解してくれていますから」

大沢「わかった」

   大沢、立ち上がり、右手を差し出す。

大沢「これからもよろしく頼む」

久子「こちらこそ」

   握手する。

○倉松家・台所

   サト、味噌汁を作っている。

   務、部屋に入ってくる。

サト「雪かき、終わったのかい?」

務「ああ。今日はしばれるね。(サトの方を見て)あれ、母さん何しているの?」

サト「味噌汁作ってるんだよ。冷蔵庫に大根しかなくて、大根だけの味噌汁になったけど……」

  務、サトの手元をのぞきこむ。

  ガステーブルにかかっている味噌汁の手鍋、沸騰している。

務「ああ、だめだよ。味噌汁煮立たせちゃ。ちょっと、どけて」

   サト、よろよろしながらガステーブルの前からどける。務、火を止める。

   そばの茶わん籠から小皿を取り出し、オタマで味噌汁をすくって小皿に取り飲んでみる。

務「何だよこれ。煮詰まってるじゃないか。

 どういうふうに作ったの?」

サト「どうって……お湯入れて、だしのもと入れて、味噌入れて、大根切って入れて……」

務「ふつう、味噌は最後に入れない? 母さんの病気には塩分の取り過ぎはよくないんだから、こんなしょっぱい味噌汁作っちゃだめだよ」

サト「だって、わたしゃそれしかできないんだよ」

務「わかった。作り直すから向うへ行ってて」

サト「すまないね」

   サト、居間の方へ行く。

   務、大きくため息をつくと、手鍋の味噌汁を三角コーナーにぶちまける。

○新宿・カラオケパブ

   日本情報処理開発鰍フ社員たち、席についている。ひとみ、立ってマイクに向かっている。

ひとみ「みなさん、お待たせしました。われらが倉松リーダーのサブマネージャー内定祝いを始めたいと思いまーす(拍手)。では、まず大沢マネージャー、一言おねがいします」

   ひとみ、わきによける。大沢、マイクの前に立つ。

大沢「えー、倉松くんはこの二年間、プロジェクト・リーダーとして活躍してくれました。みなさんもごぞんじの通り、プロジェクト・リーダーというのはよろず苦情相談係みたいなところがあり、一番大変な役職です。倉松くんはその大変な役職を、持ち前のバイタリティで乗り切ってくれました……」

   大沢の言葉、なおも続いている。席で話を聞く久子。

   大沢の話が何か遠い所のことのように聞こえる。

大沢「このたびの内定は社長からの強い要請もありました。私としては遅すぎた気がします。どうか皆さんも、新しい役職に就く倉松くんに出来る限りの応援をおねがいします」

   拍手。大沢、下がる。ひとみ、マイクの前に立つ。

ひとみ「では、倉松リーダー、一言おねがいします」

   盛大な拍手。久子、はっとわれに帰って立ち上がる。

○倉松家・食卓

   サト、席についている。焼いたカレイの皿が目の前にある。

   務、味噌汁をついでサトに差し出す。サト、ものも言わずにすする。

サト「あー、おいしいねえ」

務「(あきれながら)母さん、ごはんが出てくるまで待てないのかい?」

サト「だって、おなかすいてるんだもの。人間、年を取ろうと、病気だろうとおなかはすくからね」

   務、黙ってごはんを盛った茶わんを差し出す。

   サト、茶わんを受け取り、大きく口を開けてごはんをかき込む。

   自分は箸をつけず、そのようすを見ている務。

   サト、カレイを食べようと箸をつけるが、身がうまくほぐせない。

   そこで左手の指でカレイの身をほぐし、口に運ぶ。

サト「いやあ、おいしいねえ」

○カラオケパブ

   久子、マイクを持ってカラオケを熱唱している(TVアニメ「マジンガーZ」の「Zのテーマ」)。

   そうとう酔っている。

○JR駅ホーム・夜

   ベンチに腰をおろす久子。まだ「Zのテーマ」を口ずさんでいる。

ひとみ(かたわらに立って)「大丈夫ですか?」

久子「だいじょうぶ。だいじょうぶ……」

   ひとみ、持っていた飲料水のペットボトルのフタを開け、久子に差し出す。

ひとみ「どうぞ」

久子(受け取りながら)「どうも、ありがとう。(ボトルの口をつけて飲む)ふーっ、おいしい。(ひとみを見て)あなたはえらいわよ。日本の働く女は、気ばたらきも出来なきゃね。今の若い子に欠けているのはそれよ。

 その点、あなたはえらい。ほんとにえらい……」

ひとみ「(苦笑いしながら)ありがとうございます。リーダー、大丈夫ですか? 一人で帰れます?」

久子「だいじょうぶよ。通い慣れた道ですもの。あなた、遠いんでしょ。いいわよ、もう行っても」

ひとみ「じゃ、気をつけて。失礼します」

   ひとみ、一礼して去る。

   もう一度飲料水を飲み、ホームの天井をあおぐ久子。

   久子の携帯の着メロが響く。

   バッグから携帯を出し、出る久子。

久子「もしもし……」

務「おれだ」

久子「あなたなの。何の用?」

務「酔ってるのか?」

久子「ちょっとね。仲間が内定のお祝いをしてくれたの」

務「そうか。今、いいか?」

久子「もうすぐ電車が来るから、少しだけならね」

○倉松家・居間

   務、電話をかけている。

務「実はこれからのことなんだけど……」

   久子、答えない。

務「おふくろの面倒はおれが見るから、いっしょに暮してもらえないか? 一人なら大変でも、二人なら乗り切れると思うんだ」

○JR駅ホーム

久子「甘いわ」

   背筋を伸ばして、ベンチに起き上がる。

久子「いっしょに暮したって、結局苦労するのはわたしじゃない。あなたはいつだってそうよ。とどのつまりはわたしを頼るんじゃない。結局、わたしたち、別々の道を行くしかないんじゃない」

   黙る務。

   電車の到着を告げるアナウンスの声が響く。

久子「切るわよ」

   通話を切る久子。さらに電源も切ってしまう。

   ホームに入ってくる電車。乗る久子。

   扉のそばに立つ。発車する電車。

   扉の窓の見ながら、涙ぐむ久子。

○倉松家・居間

   務、受話器を置く。

   となりの部屋ではサトがいびきをかいて眠っている。

○東京・務と久子のマンション・翌朝

   寝室。薄暗い。うつぶせになって眠っている久子。かろうじてパジャマは着

   ているが、髪も乱れている。あたりに昨日着ていた衣服が落ちている。

   はっと目を開ける久子。枕もとの置時計を見る。

久子「やばい」

   飛び起きる久子。洗面所に走る。

   水を出して顔を洗いかけたとき、インターフォンのチャイムが鳴る。

久子「誰だよ。今ごろ」

   タオルで顔を拭きながら、インターフォンに出る。

久子「はい」

常子(六九)「久子、わたし。ちょっと早いけど来てみた」

久子「お母さん。あのね、わたしこれから会社へ行くの」

常子「今日は土曜日だけど、仕事なの?」

久子「えっ、土曜?」

常子「土曜日は休みなんでしょう? 休日出勤なの?」

久子「いや、ちがった……」

○マンション・玄関・中

   玄関の扉を開ける久子。ビニール袋を下げて入ってくる常子。

常子「ほんとにお前は、いくつになってもそそっかしいんだから」

久子「まったく」

常子(ビニール袋を上げて)「肉じゃがとタケノコごはん持って来たよ」

久子「うわー、ありがとう」

○マンション・居間

   ベランダのカーテンを開ける常子。ちらかった室内が明らかになる。

   コンピューター関係の本やアニメ雑誌が散乱している。

常子「ちらかってるねえ。ちょっと一人で暮すと、すぐ独身時代に戻っちゃうんだから。ほら、早く着替えなさいよ」

久子「はい、はい」

   久子、寝室に引っ込む。

○マンション・食卓

   常子と、トレーナーに着替えた久子、腰かけている。

   久子の前に肉じゃがとタケノコごはんが器に入って置かれている。

   さらに二人の前に湯気の立ったお茶の入った湯呑みが置かれている。

久子「いただいまーす」

   食べ始める久子。

久子「おいしいー。この味は、母さんでなけりゃ出せないわね」

   常子、黙ってお茶を飲む。

   久子、ガツガツと食べ、一息ついてお茶を飲む。

常子「ねえ」

久子「なに?」

常子「あんた、今のままでいいの?」

久子「え?」

常子「倉松のお母さんがよくならない限り、今の暮しが続くんだろう? それでいいの?」

   久子、黙ってお茶をすする。

常子「考えたんだけどね。お前が務さんと夫婦でいる意味なんてないんじゃない? この十年間、務さん亭主らしいことなんてしてくれたことないじゃないか。この先、見込みもない務さんといっしょでいることなんかないんじゃない? お前がそのつもりなら、いつ帰ってきてもいいって父さんも言ってるよ」

   久子、湯呑みを置いてしばし見る。

久子「あの人には、あの人の、いいところがあるのよ。そりゃ、のろまで不器用で、甲斐性なしかもしれないけど。何より、オタクなわたしと結婚してくれたわ。この十年間、つらいこともあったけど、楽しくやってこられたのはあの人のおかげなの」

   常子、小さくため息をつくとお茶を飲

   む。

○倉松家・居間・朝

   テーブルの上に介護保険のパンフレットが置いてある。

   そのそばで務、メモを取りながら電話している。

務「ああ、そうですか。ということは、とにかくかかった費用の一割は負担しなければ

 ならないということですね? はい。はい……」

   サト、となりの部屋から起きてくる。

サト「務、どこに電話してるんだい? 久子さんかい? あれ、でも久子さん仕事じゃないのかい? いいのかい、仕事中に電話して? こんどは、いつ来られるんだい?」

務「(電話に)すこしお待ち下さい。(サトに怒って)静かにしてくれよ。久子じゃないよ。(電話に)どうもすいません。また、くわしく検討してかけますので。ごめんください。失礼します」

    務、電話を切る。

サト「どうしたんだい? 電話、どっかからかかってきたのかい?」

務「いや、こっちからかけたんだ」

   務、サトに向き直る。

務「母さん、朝っぱらから悪いんだけど、話があるんだ」

サト「何だい、あらたまって?」

   サト、ソファに腰かける。

務「母さん。悪いんだけど入所してくれないかな」

サト「入所って何だい?」

務「介護のための施設に入ることだよ。うちにいるよりよっぽど整った世話が受けられる」

   黙って聞くサト。

務「はっきり言って、おれに母さんの面倒は見切れない。母さんがいっしょだと働くことも出来ないんだ。久子も母さんの世話は出来ないって言ってる。悪いけど入所してくれないか」

   サト、やや黙る。

サト「また、病院に入ることになるんだね……」

   務、黙る。

サト「いいよ、入院しても。いやあ、お前たちに迷惑をかけるのは心苦しいって思ってたんだ。お前や久子さんや安美にこれ以上苦労をかけるんなら、いっそ病院に入った方が気が楽ってもんだよ」

務「見舞いには行くよ」

サト「らっきょ、持ってきておくれ。ほんとに病院のごはんときたら、精進料理の余りなんだから」

○倉松家・食卓・二週間後

   すき焼き鍋を囲んでいるサト、務、久子、安美。

務「さあ、母さん、たくさん食べて」

サト「そんなにたくさん食べられないよ。すき焼きなんて、お前が食べたいから作ってもらったんだろう」

務「それは言えてるね」

安美「でも、母さんも入所しちゃうと、すき焼きなんて食べられなくなるでしょう」

サト「まあ、そうだけどね」

久子(左手を差し出し)「お母さん、取りますよ」

サト「ああ、ありがとう(取り皿を久子にわたす)。しかし、すまないね。たかが入院に

 久子さんも安美もわざわざ来てくれるなんて。」

久子(すき焼きの具を皿に取ってサトにわたしながら)「こんな時でもないと親孝行出来ませんから」

   居間のテーブルの上の久子の携帯、鳴り出す。

久子「あ、ごめんなさい」

   久子、席を立ちテーブルによって携帯に出る。

久子「もしもし。あ、ごくろうさまです。何? ……え、その件はすでに決定済みでしょう? ……ちょっと待ってよ。それって佐藤部長に結果が伝わってないだけじゃないの? ……そうかもしれないって、しっかりしてよ。すぐに確認して、伝わってないようなら丁重にあやまって伝える。いいわね。わたし、あさって帰るから、それまで頼むわよ。じゃ、よろしくね」

   久子、携帯を切って食卓に戻る。

久子「すいません」

サト「忙しいんだねえ」

   サト、不意に立ち上がる。

安美「母さん、どうしたの?」

サト「ちょっと、お手洗い」

   よろよろと歩いて行く。

安美「これでよかったんだね」

務「何が?」

安美「入所よ。あたしたちに、理想的な親孝行なんて出来ないもんね」

   ぼんやりと前を見る久子。

   玄関のそばの方から人が倒れる物音。

務「母さん!」

   三人、席を立つ。

○倉松家・トイレの前

   サト、口から泡を出して倒れている。

   安美、駆け寄る。

安美「母さん。母さん!」

久子「お母さん!」

   呼びつづける二人を残し、務、居間に戻る。

○倉松家・居間

   務、電話を取り上げ一一九番する。

務(冷静に)「あ、救急車おねがいします。倉松といいます。住所は……」

○斎場・祭壇前

   祭壇中央にサトの遺影。

   その前で喪服姿の務、久子、安美、安美の夫・洋一(三九)、立っている。

務(参列者に)「本日は葬儀並びに繰り上げ法要にまでご参列いただき、ありがとうございました。

 母は、一度小脳梗塞で入院し、いったん治療、リハビリを終えて退院した後、ふたたび小脳梗塞の発作に襲われて他界しました。ここに生前のご交誼に深く感謝致します」

○倉松家・居間

   お供物の箱や籠に生けた花などが並んでいる。

   安美、入ってくる。洋一、手にお供物の果物を持って続く。

   久子、入ってくる。さらに務、サトの遺影を抱えて入ってくる。

   皆、荷物を置くとソファに腰かける。

安美「ごくろうさまでした」

久子「お茶でもいれようか」

安美「いいよ。お姉さんも少し休んで」

   四人、放心したように黙る。

   電話、鳴る。

安美「洋ちゃん、出て」

   洋一、出る。

洋一「もしもし……倉松です。はい? はい、そうですが……。ちょっとお待ち下さい」

   夫、務の方を見る。

洋一「お兄さん、電話です」

   務、立ち上がってそばに行き、出る。

務「はい、お電話代わりました」

電話の相手「はじめまして。わたくし、日本大衆小説新人賞事務局の者ですが、倉松務さんでいらっしゃいますか?」

務「はい」

相手「実はあなたさまの作品が新人賞に入選しました。おめでとうございます。くわしいことは追って文書で通知いたしますが、取りあえずのお知らせまでにお電話しました」

   目を見開いたまま絶句する務。

                       了

                           2002年7月執筆

 

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