2004年 


過去のひとりごとはこちら

10/29

ローマの休日
大好きな映画です。
想い出もたくさんつまっています。
デジタル復刻版を映画館で観たいと思っていたけど
かなわなかったので心残りだった作品。
テレビでやると知ってもう待ち遠しくて!

観れば観るほどかわいい!かっこいい!おまけにウエストが細い!
目は口ほどに物を言う。
まさにそれです。
目がセリフを言ってる映画

気遣いからくるウソと真実。
探り合いもだましあいもすべてがささやかな愛のエッセンス。
夜が明ければ消えていく星のようなきらめきをちりばめて
静かに迎えるラストシーンのせつなさ。
ポケットに手を入れ振り返るグレゴリーペックの背中が余韻を残します。

最初に見たのは大学生の頃だからもう四半世紀くらい昔。
やっぱり見方や感じ方が今と昔ではかなりちがっています。
あのころは「王女と新聞記者のおとぎ話」くらいにしか思わなかったけど
(もちろん伏線のおもしろさは感じていたけれど)
改めて観るとそのドタバタの中にも深みや哀愁があって
そのセンスのよさに感心&感動。

「自由とは限られた中にこそ存在する」
そんな言葉を思い出しました。
たった一日、たった一度きりの思い出だけで残りの人生をまっとうできる。
オードリーの凛とした瞳が「ワタシのこころは自由よ」といっているようです。

ラストの二人にしかわからない「愛」の会話
その一言の中に全てが含まれています。



10/28

今週はなんかドタバタ・・・
病院の仕事が入っていない週はけっこう自分のペースで動けるのに
なぜだか今週はあわただしいんです。
お天気だともちろん勇んで洗濯物を干し、布団も干す。
途中で買い物にも行くし、銀行にも行くし、当然レッスンもする。
レッスンの合間かその前後には食事の支度だってするし
メールやFAX、お手紙だって書く。
頼まれごとをされれば「ハイよろこんで」がワタシのモットー。
新聞だって読むし、広告のチェックもするし、HPの更新もする。
これくらいは日常的に仕事人、主婦ならみんなこなしていること。

なのに、今週、いや今月は「自治会」なるものが追いかぶさってきて
体力、気力ともに低下気味。
ワタシの地域は自治会の班長さんが順番に回ってくるシステムで
その任期は半年。
世帯数も増え、一度やれば10年くらいはまわってこないけど
年配者が増えてきたのでスキップするお宅も出てくるだろうし
そうなると任期も1年になりそうな予感。
ちょっとドキドキ・・

仕事は自治会費の集金と回覧版まわし・・ぐらいでフツーは終わるのに
なんとゴミ問題までがワタシの当番のときを待っていたかのように表面化。
たしかに、新築のアパートも増えてゴミの出し方もいいかげんだし
飽和状態であることにはまちがいないんだけど
ゴミ捨て場の新規増設となるとこれまた本当に厄介。
市の清掃局総務課にたずねたり、自治会長に聞いたり
誰がどこに捨ててるのか聞き取り調査をしたり・・
場合によっては土地の持ち主を探し出さなくてはならない状態。
そんなこんなで、不在のお宅へは集金のために何度となく足を運び
アパートの分は管理不動産屋さんか、大家さんのところまで取りに行き
集計して区長さんとこへ持って、いろんな説明をして。

学校の役員もそうだけど、役をやると全体が見えてくるし
知り合いも増えて、お互いがよくわかるようになってとても有益です。
みなさん協力的でありがたいかぎり。
今まで距離があった「行政」も、仕事柄その筋の知り合いも増え
距離が縮まってきています。
きっとここにきてまた一気にその距離が縮まることでしょう。
知れば知るほど「へぇ〜」の世界がこの「行政」
おまけに相方もいいタイミングで地域と関わることができ
我が家にとっては非常に好ましいことばかり。

しかーし!
ここ数日、肩こりと頭痛が治りません。
今朝など、肩甲骨周辺が痛くて目がさめるという不幸なワタシ。
「てもみん」なるマッサージ処で30分もみもみしてもらってきましたが
やっぱりイマイチ。
そろそろご褒美の前払いの時期かも。



10/25

健康のつどい
ウォーキングもかねて出かけた県立相模原公園で
市民健康のつどいというイベントをやっていたので
久しぶりに「握力」「長座体前屈」「肺活量」を測定しました。
握力:右32 左33
肺活量:3480cc
長座体前屈:44cm
いずれも実年代を大きく上回り「強健者」レベルでした。
もちろん相方も同じ「強健者」レベル。
これで、年寄り扱いは免れたけど逆にいたわりも減りそう・・・。
肺活量なんて子供の頃に測ったくらいだからちょっとワクワクしました。

別のブースでは献血もやっていたんだけど
これは400cc以上だったからパスして
お次はアルコールテスト
消毒用エタノールをたらしたパッチを腕の内側に貼り、待つこと5分

最初はどうしてパッチテストでわかるのかと思っていたら
アルコールの分解処理は主に肝臓だけど、
皮膚にも同じ分解酵素があるから、皮膚に染み込んだアルコールは
アセトアルデヒトになり、なかなか分解されない人は
毛細血管が拡張してそこの部分が赤くなるだとか。
納得〜!!

はがしてすぐに赤くなったら「ぜんぜん飲めない族」
5分待って赤くなったら「ホントは飲めない族」
5分以上たっても反応がでなかったら「危ない族」です。
アセトアルデヒトを分解する酵素、ALDH。
中でも主役なのはALDH2
アセトアルデヒトが大量にたまらないと働き出さないALDH1に比べ
ALDH2は片っ端から分解してくれる超働き者。

これが全然働かないのが「ぜんぜん飲めない族」
日本人の1割がこれ。
遺伝体質だから訓練してもそれは変わらず、急性アルコール中毒の危険大
その代わりに依存症になることも、肝臓をいためる心配もないんですって。
粕漬けや洋酒入りケーキでぽわんとなちゃうのがこのタイプ。

わずかしか働かないのが「ホントは飲めない族」
日本人の3〜4割。
これは赤くなりながらも飲んでる人、飲めちゃう人でムリして飲んでいると
肝臓を壊しやすく食道ガンなどにもなりやすいらしいです。
「訓練」で飲めるようになったと豪語している人、ご用心です。

フルに働いてるのが「危ない族」
日本人の5〜6割がこの体質。
飲んでも赤くならないし、吐き気や頭痛なしに気持ちよく酔えるタイプ。
実はこれが一番キケン!
習慣的に飲んでいると慢性アルコール疾患になり
アルコール依存症の9割がこの体質。
言わずと知れたワタシはこのタイプ。
パッチテストは当然無反応。
そんなことは調べる前からわかってました。
飲んで記憶がなくなることなんてなかったし♪
飲みすぎるときちんと二日酔いの洗礼を受ける相方も
このタイプだったんでちょっと意外。

女性はホルモンの関係で害をうけやすく、
男性の半分以下の期間しかも少ない飲酒量で
肝障害や依存症になってしまうんですって!

みなさん、お気をつけあそばせ♪
ワタシもたしなむ程度にいただきますわ♪



10/21

「ら」
可能性を表す「ら」が会話からはずされてもうどれくらいになるかしら。
「食べ(ら)れる」「着(ら)れる」
「ら抜き」言葉は知らぬ間に市民権を得て違和感も少なくなってきています。
わざわざ取り上げてとやかくいう人もすでにあまりいません。
ワタシも日常会話ではこの「ら」抜き、やってしまうことがあるんですが
さすがにラジオのトークでは意識して慎んでいます。

もうひとつ「ら」には複数を表す使い方があります。
接尾語につける「ら」です。
君ら、彼ら、の「ら」がそれ。
漢字にすると「等」
普通は自分と同等もしくは目下に使うんですが
事実のみを伝える場合(報道など)は目上や学識者にも使います。
「教授らは」「政府関係者らは」というように。
同じ意味の「たち」や「方」はその区別がなく失礼の無い言葉。
「先生たち」「先生方」を違和感もなく普通です。
先生方(たち)はお元気ですか?などというように。
この調子で「ら」を使うととんでもない。
学生が「教授らは」っていうと小馬鹿にしたような感があります。
教授らはお元気ですか?とはさすがに言わないでしょう。

最近気になるのが子供たちが使う「ら」
「私」と言わず「うち」という。
「ウチら」「オレら」
これって方言なのかしら??
違和感あります。
「○○ちゃんのクラスの自由曲、決まった?」
「ウチらは△△〜」
これまたごくフツーに「ら」を使ってくれます。
「オイラ」も「オレら」の派生語かしらん。
単複両方に使っている「ら」の代表です。

伊豆の方言では「ら」「ず(づ)ら」を会話の最後によくつかます。
「来るら?」(くるでしょ?)
「いくら?」(行く?」
「そう(ず)ら〜」(そうでしょ)

「ら」はなんとも厄介な言葉です。



10/20

父と母の関係
入院していた母が退院すると決まった前夜
一人伊豆で頑張っていた父が我が家へやってきました。
なんでも前回の台風で父の住んでいる場所は27時間もの停電になり
さすがに「せつなく」なったそうです。
台風一過の秋晴れにはならず
雨は続き、電気もつかず、よってレンジが使えず、
冷凍庫も溶け出し、冷蔵庫も・・・
もちろん深夜電力で沸かしているお湯も出なければ
テレビもつかず、ウォーム便座はひんやりと冷たくて。
これでもか、と仕打ちを受けていたようだったといいました。

「やっと人間らしい生活ができるよ。」
そういっておいしそうにうどんをすする父を見て
それこそ「せつなく」なったワタシです。
「食欲が出なくてな。メシなんかどうでもいいってかんじだったよ」

今の時代、「虐待」ならいざしらず、普通の生活をおくっていれば
栄養失調や餓死などは無縁です。
でも、父の話をきいて望まなくてもそれらで亡くなっていく人がいるのは
決して不思議なことではないと思いました。

一人暮らしで体調も万全でなければ食に対しての気力が薄れます。
そうすると作らなくなる。食べなくなる。
それに慣れると食が細くなり、胃が小さくなる。
材料があっても、料理ができても、お金があっても
「食べなくなる」わけです。
それはまるでカラダが「食べる」という行為を忘れてしまうかのよう。

一緒に食事をするうちに
食欲も出てみるみる顔色も良くなり元気になっていった父。
そんな父の姿に、自分も元気にならなくては!とめざましい復活を遂げた母
お互い口ではなんだかんだといってますが
やはり長年連れ添った「同士」なんでしょうね。
甘える、お世話するといった役割分担が自然と出来上がっていました。

男はいくつになっても甘えんぼさん???


大好きな人
相方の両親は弘前に住んでいます。
ワタシの両親は伊豆にいるので
そうお互い気軽に行き来するといった距離ではありません。
相方と結婚しても親同士の「顔合わせ」がなかなか実現しません。
同じ遠距離でも北海道と九州っていうんなら飛行機でブン!だけど
伊豆というのは羽田にも東京駅にも近くなく
まったくもって不便な場所なわけです。

母が上京したさい、我が家へ遊びにきてくれました。
とてもタイミングよくワタシの両親とsakiにも会うことができ
それぞれが「ほっと一安心」
「子を思う親の気持ち」は双方ともまったく同じで
その愛情の深さにワタシはありがたさと申し訳なさとを感じました。

ワタシは相方の家族が大好きなんです。
「義母」「姑」などという言葉で母のことを呼びたくはありません。
もちろん父のことを「舅」妹を「小姑」だなんてもってのほかです。
おとうさん、おかあさん、ともちゃんです。
もう一方的なラブコール。
そんな素敵な人たちの仲間に入れてもらえてすっごく嬉しい♪
自慢できるくらい「幸せもの」と自負しています。
片思いでもいいんだもん。
それくらい大好き。

「離れているからよ」「まだ遠慮があるからに決まってるじゃない」
「嫁と姑は永遠のテーマよ」「甘いね」「嫁は憎くて当たり前」

たしかにドラマでも小説でもこれらを題材にすればヒットまちがいなしです。
実の親子だって年中顔を合わせてれば不機嫌にもなるんだから
そんなのはいろいろあって当然です。
むしろないほうが気味悪いです。
でも、なんでわざわざ波風をたてていくんでしょうか。
自分とやりかたがちがうから?
思い通りにならないから?
ワタシにはそっちのほうが不思議でしょうがない。
お互いすでにできあがっている関係の中に
それぞれ「新参者」として入っていくわけです。
新参者があわせるのは当然でしょう。
そして学んでいく。なじんでいく。
しきたりや慣わし、食べ物に至るまで
今まで自分が知らなかったものをたくさん知ることができるんだもの
こんなに素晴らしいことってほかではあまりありません。

人間は感情の動物ですから些細なことがきっかけでこじれることはあります
ただ、こじれたときにどうするか、大事なのはそこだと思うんです。


みんなのことを思ったらまた会いたくなっちゃった。
早く冬休みにならないかな♪



10/13

境界線
ワタシがエレクトーンを始めたのは大学三年のとき。
成人してから「両手両足バラバラ演奏」を取得したわけ。
最初は左手と左足で2ビートを刻むのさえおぼつかなかったけど
練習のかいあってか16ビートまで器用に刻めるようになり
けっこうノリノリな演奏を好んで行い、リズムも演奏中瞬時に手で変えたりと
今のように全てをプログラミングしてないエレクトーン時代を
アクロバティックにこなしていました。
「30歳を越すと16ビート下手になるから、今のうちに弾いておこうね」
そういわれてもあまりピンとこないまま30歳を超え
それでも平気でノリノリ系を弾いていたら
ある日突然「下手さ」「キレの悪さ」に気づくことになったのです。
聴いている人には気づかれなかったけど「なんかヘン・・」
ジャストだったタイミングが微妙にズレる。
「揺れ」とか「ため」とかとはちょっとちがうその違和感に
「あぁ・・こういうことをいうんだな。これ系は引退しよ」
そして演奏ジャンルはキレイ系へと進んだわけです。
そのとき34歳。

「35歳を越すと回復力とたんに落ちるよ。無理が利かなくなるから」
まさに子育て真っ只中の年齢。
子育ても仕事も勉強もがむしゃらに、それこそ無我夢中でした。
一日のスケジュールは芸能人並の分刻み。
徹夜も半徹夜も40歳すぎまで平気でやっていました。

この時点で「30代は余裕でいける」ことを実感。
パラグライダーで空も飛んでいたし、カラダもエネルギーも充実してました。
ダイエットとは無縁の生活です。

「今はいいけどさ、45歳すぎたらホント来るよ〜。
気力では頑張れ切れないから。楽しみにしてなね。フフフ♪」

ちょっと先を歩くお友達が口をそろえてそういいます。
みんなも30代は言うほどツラクなかったと。
40代前半も徹夜は一日限定になったけど大丈夫だったと。
同じです。ワタシもまったく同じです。
ってことは・・来るってこと??

実りある40代のために今は勉強しようと思った30代後半。
豊かな50代のために頑張ろうと迎えた40代。
実際40代も半ばになると「頑張る」だけじゃダメなこともわかってきました。
肩に降りかかるものの数はかわらないけど
その内容(質)が変わってきたことを実感する昨今。
たしかに加齢には逆らえないし、ムリもきかなくなっています。
代謝もおちてきています。
カラダにいいもの、大切なものを積極的に摂取するように心がける毎日。

今が自分にとっての「境界線」なんだろうなぁ。
このごろそんなことをよく考えます。
きっと40代っていうのはワタシにとって人生の境界線なんでしょうね。

境界線、自分が引いても人が引いても、要は自覚するかしないかってこと。
そう思うとなんだか大事にしたくなっちゃう。
境界線は分岐点だからそこにはいろんな「道」がひらけてるってこと。
そう思うと選ぶ楽しさが見えてくるじゃない♪



10/8

外泊許可

週末だろうと思われた母の外泊が思いのほか早く実現しました。
許可がでたその日に連れて帰ってくるという早業。
母の腫瘍は「血管腫」という良性だったことがわかりまずは一安心。
でも週明けにはまだ検査が残っているので
最終的にはそれらが終わってから・・・だけど。
ガンでなくてもC型肝炎には変わりなく
おまけに造影剤によるアレルギー反応も出て、
最終決定になる血管撮影はできずじまい。
CTやMRIのフィルムを見せてもらったけど
極端なコトをいえば、血管撮影すれば100%にちかい結果が得られるけど
そうでない場合は20%くらいしかわからないそう。
「このへん」と「ここ」のちがい。
母は「このへん」で検査を終了することになりそう。

元気で入院して、病人で一時帰宅した母。
今日で外泊3日目になるけど、昨日まではずっとごろごろ寝ていました。
寝たきり老人にしないっていうことは
こういう初期の軽度から必要なんです。
60歳代でも寝たきりになる人は当たり前にいますからね。
まず、パジャマから普段着に着替えさせます。
これで人間、全然気持ちがちがってくるから不思議。
そしてワタシも平気で仕事にでかけます。
でも、家事や食事は全部やり終えて、母の無駄な心配はとりのぞきます。
配膳は自分で。
上げ膳据え膳ではありません。
ちょっとずつ、普通の生活にもどします。
「疲れたら寝ようね。でも、寝てばかりだと体力落ちるし
おなかすかないから食欲おちるからね。少しずつ元に戻そうね。」
自分の身の回りのことは自分でさせる。
必要以上に手をださない。
じっと待つ。
言葉かけを怠らない。
そして家族が疲れない介護、補助をする。
高齢者病院で身を持って学んだことです。

「明日、都内の仕事で朝からいないから、お昼よろしく!」
妹には昨日のうちに「話し相手」の予約を。
お昼を一緒に食べながらおしゃべりをする。
これだけで、ずいぶんと元気になるものです。

「生きること」と「生活をする」ことのちがい。
クオリティーオブライフ。
「生活の質の維持(向上)」
まさにこれなんですよね。



10/4

お世話すること、されること
母が肝臓ガンの疑いで検査入院してからすでに10日。
元気にルンルンでちょっとおでかけ気分入院だったのに
検査疲れと不慣れなベット生活、発熱にここんとこすっかり「病人」に・・。
それでも母は一人残してきた父のことを終始心配しています。
「ちゃんと食べてるかしら」
「大丈夫かしら・・」
そういいながらも
「ほっといていいわよ。自分でやるっていってるんだから」
と、自己消化の日々。
きっと母は父の世話をするのが元気の秘訣だったんでしょうね。
必要とされるものの強みっていうやつ。
輸血もしてないのにC型肝炎になり、
カラダがしんどくても家事をやり、何もしない父の世話をし・・・
ワタシたちとのおしゃべりや食事を楽しみにしてささやかに生きてきた母。
夫の心配をし、子供の心配をし、孫の心配をし、自分のことは後回し。

ワタシは毎日レッスンの合間をぬって病院に行っています。
週末は相方とsakiも一緒に行きます。
母との何気ない日常のおしゃべりが実にたのしいんです。
ベットの脇にちょこんと腰掛けて小一時間。
一話完結にならず、連続小説ドラマのよう。
yukaの一人暮らしするぞ編
sakiのアルバイト編
相方のダイエット編
父の自立奮闘紀などなど盛りだくさん。
そして
食べたいものを買いに行ったり、作ったり、洗濯物を持ち帰って洗濯したり。
やっと母がいろんなことを「お願い」してくれるようになりました。
ワタシはそれがうれしくてたまりません。
世話になったら悪いという思いが常にあるから「お願い」ができず
「甘え」られず「頼れ」ない父と母。
口癖のように「親の面倒は見ろ」といってる父。
ワタシはその言葉に洗脳されまくって大きくなりました。
そんな父に
「一人じゃたいへんだし、心配だから、こっちに来てね」
「あぁ。そのうちな。いよいよとなったら電話するから」
「いよいよ、になる前に電話して。」
「そうか。でもメシ炊いたぞ。目玉焼きも作ったぞ。ナスも漬けたぞ。
どうだ、すごいだろ」
・・・・・・・・
自分の心配よりも母のことを宜しく頼むと無言のメッセージです。
今日は常温保存もできて、すぐに食べられるものをいくつか送りました。
年齢の割にはカレーやピザ、カツ丼が好きな父。
きっと「こんな無駄遣いして!」と電話がかかってくるでしょう。

ワタシはおせっかいな人間です。
世話好きおばさんです。
人のために働く、動くことが全然苦になりません。
つい、転ばぬ先の杖を差し出してしまうヤツです。
子供からは「過保護」のシールを張られています。

今日は母のリクエストの「おでん」を持っていきます。
「玉子と、しらたきと、大根と、ちくわぶ♪」
母は大の「ちくわぶ」好きです。
ちくわぶって、関東にしかない食材なんだってね。