2004年 


過去のひとりごとはこちら

9/27

米軍最後の日
97年の12月、はじめて足を踏み入れた米海軍厚木基地のチャペル
そこにあったのはカワイのオルガン
足鍵盤はフルベースでバックミラーを見ながら演奏するという
それ自体が初体験のワタシ

「教会のオルガン弾き、やってもらえませんか?
ミサの歌伴奏だから簡単ですよ。
ほとんど白玉(全音符のこと)だし、言葉ならそのうち慣れるから。
クリスチャンじゃなくても大丈夫です。それにもうひとり日本人いるから」

新しいこと大好きで、恐いもの知らずで、チャレンジャーのワタシが
ちょっと(いや、かなり)迷ったのがこの仕事。
言葉なんてどうにでもなると思っていたからそこはクリアだったけど
なんたってミサだから毎週日曜日の朝から午前中いっぱい拘束される。
それによる家庭不和も充分考えられるし、休日がなくなるのが最大のネック

こんなチャンス、めったいないよ
自分の財産になるよ
いろんな世界をみておいでよ

友達たちのそんな声と、頼まれたらイヤと言えない性格が背中を押し
わけもわからず、何も知らずに飛び込んだ治外法権下でのお仕事でした。

本当に多くの尊い経験をしてきました。
一回のミサではだいたい15曲ぐらいを演奏します。
当初は毎回新曲でした。
白玉なんてウソです。めちゃくちゃたいへんでした。
その入りのタイミングで泣いたこともあります。
神父によってタイミングが取りやすかったりわけわからなかったり
英語が聞き取れなかったり・・・。
プロテスタントのミサもゴスペルのミサも経験しました。
結婚式も、お葬式も演奏する機会に恵まれました。
楽譜を一度に数段まとめてみる力もつきました。
即興で演奏することも、ごまかすことも、否応なく覚えました。
毎回「本番」ゆえ、やりなおしも、落ち込みもやってるヒマなどありません。
いろんな国の人と出会いました。
いろんな国の料理を食べました。
フィリピン料理、けっこうすきです。
子供たちも、両親も期せずして口にしました。
サプライズパーティーも
ベビーシャワーも
イースターも、ハロウィンも、クリスマスも
数えたらきりがない異文化交流の数々。
まだ小中学生だった娘たちにも、そのお友達たちにも
機会をみつけてはそれらを体験させてあげました。
司令官の任命式など、アメリカ映画そのもので
参加しているワタシは興奮しっぱなし。
ピアノを教えにいっていた基地内の住宅はそれはそれはおしゃれで
家具は大きく、庭も広く、思わずためいき。
せまいのよ、というマンションはベットルームが2つもあって防音だし
フジヤマ、ゲイシャテイストのインテリアに別のためいきをついたり・・。
驚きと発見の連続でした。

戦争も9.11のテロもこれほど身近に感じたことはありません。
警察犬によるボディーチェックも受けました。
車のチェックもきびしく、恐い思いもしました。
厳戒態勢の中、ミサをやりました。
大好きな人たちやその家族の涙も苦しみも悲しみも喜びも
直接経験した年月でした。
多くの出会いと別れをずっと見守ってきました。

イラク戦争でお金を使いすぎたために軍から教会の経費が減らされ、
ひとつの宗派に一人しか雇えないことになり(他はみなボランティア)
ワタシが辞めることになったこと、残念だという気持ちを
ミサの最後に神父がみんなに話してくれました。

会場にため息とどよめきが流れました。
みな口々に何か言っていますがワタシにはよくわかりません。
ただ、ミサがおわったときに多くの会衆たちから
ハグをされ、キスをされ、握手をされ、涙でくしゃくしゃになりました。
コーラスのメンバーたちからも口々に
「I miss you.  I love you」
と、これまたハグとキスと涙の嵐でした。
「来週もくるんだよ。エスコートするから。hiromiは私たちの家族だからね」

人は国境を越えて愛しあえるものなのです。
音楽は国境を越え、言葉を超え、心に響くものなのです。

最後の曲を弾きながら涙があふれてきました。
最後の和音(B♭)は細心の注意を払い
それはそれは丁寧に指を置きました。

数あるチャンスの中から、この仕事に出逢えたこと
30代後半から40代にかけて、この環境にいられたこと
何よりもたくさんの人と出会えて、つながりをもてたこと
かけがえのない人生のなかで、素晴らしい時間を持てたこと
感謝せずにはいられません

そしてごめんなさいも・・・。
日曜日の朝、いつもいなくてごめんね。
いってらっしゃいって見送ってくれてありがとう。
まだ寝てた時もいっぱいあったよね。
yukaは中2、sakiは4年生だったんだもんね。
たくさん我慢したよね。さびしかったよね。
クリスマスも大晦日もお正月もなかったよね。
クリスマスはキリストの生誕だから当然ミサは盛大にミッドナイトだったし
ニューイヤーもカウントダウンでミサだったし・・。
おせち用意して紅白の始まる前に家を出てミサやって
夜中に帰ってお雑煮の用意をして朝またミサ・・
そんな暮れがもう当たり前になっていたもんね。
GWやお盆なんて習慣、アメリカにはないからまとめて休めなかったし。

「ママ、今日で米軍おしまい?」
「うん、来週からはずっといるよ」
「えへへ♪」

「お疲れさま、気をつけていくんだよ」
「うん」

Sさんからは
「そういえば、今日が厚木の最終日でしたか?お疲れさまでした。」
と、メールをいただきました。

みんなに支えられて最後の日を迎えました。
任務をまっとうしたっていう感じです。
定年退職ってこういう気分なのかもしれません。
本当にありがとう。

7年ぶりの日曜日、何をしようかな。
まずはゆっくり朝寝坊から・・



9/25

代打日記(by Junta)
先日とあるホームページを眺めていて
たいへん興味深いお題を見つけました。
『円は何の単位?』
というもので、
そのホームページの管理人さんは
数学・物理学・生物学・経済学の融合という
『超特大統一理論』に挑んでいます。
それに触発され私なりの考察を記してみたいと思います。

いつもの“ひとりごと”とはかなり趣の異なる内容になることご承知ください。

円は何の単位?
はい 貨幣単位です。
貨幣は財との交換に使われ財の価値を表します。
財は原材料の物質エネルギーに加工に要するエネルギー
流通エネルギーに労働エネルギーなどの総和です。
従って、貨幣はエネルギーの交換の仲立ちをします。
しかし
財の価値=エネルギー
というわけではありません。
貨幣は財の価値に比例しますが、
そのエネルギー量と比例しているわけではないのです。

そもそも、貨幣自体も財と考えると、
財は流通によりそのエネルギー総和は増えるので、
貨幣のエネルギーは莫大なものだと予想されます。
にも関わらず貨幣価値は一定なので
エネルギーと価値を等価とする考えには無理があるのです。

では通貨の性質から考えてみましょう。
通貨の性質と言ってもいろいろあるのですが、
ここではその運用性に注目したいと思います。
金は運用すれば増えるのです。
俗に「金は寂しがりや」と言われるように
たくさんあるところに集まるようです。

通常、物理の世界ではより複雑な様相に向かって進みます。
水に絵の具を溶かすと拡散し、温度は均一になろうとします。
これをエントロピーが増大すると言います。
宇宙全てでエントロピーが増大する方向に進むならば、
エントロピーの増大を時間の経過に置き換えることが可能です。

しかし、金に関しては一極に集中する性質がありそうです。
つまり、
エントロピー = 1/金
となります。
先に書いた通りエントロピーは時間なのですから
金 = 1/時間
と言えます

物理の公式です
f = 1/時間
従って
金 = f
fってなぁに?
それは周波数
円って周波数の単位ですか?


すいません。むりやり結論付けました。
このテーマについてもう少し考えたいと思います。

え?何で自分のホームページに書かないのかって?
気にしないでください。
あんまり更新してなくて、パスワード忘れただけですから。


9/24

つながり
昨日はsakiのピアノの発表会でした。
ワタシも教えているけれど、それは人様のお子様限定。
自分の子供は教えられません。
どうしても「親の欲目」と「血」が邪魔をして・・・。
大喧嘩、大泣き、大騒ぎ・・遠慮がない分ともに大バトルは必至ですもの。
なので、二人ともお友達である先生にお願いをしています。
とても熱心で懐が深くすてきな人で
ワタシが100%の信頼を寄せているから
子供たちも安心してしっかり育ちました。
彼女の発表会はそれはまたとても勉強になるもので
毎回参加し、お手伝いをしたり演奏するのが楽しみでもありました。
そんな彼女が今回選んだテーマは「つながり」
三大Bを中心に構成されていました。
(三大B:バッハ、ベートーベン、ブラームス)
ブラームスの歴史をひもとき、
その後ブラームスから見たベートーベン
ブラームスから見たバッハと展開していきました。
学校では味わえない身に残る音楽史のお勉強です。

毎回歌う「If the world hed a song」
(バッハ:喜びのカンタータより)
今回も最後にみんなで大合唱です。
生徒も親たちもみんな知ってる曲なので本当にみんなで大合唱。
ここにこうしてつながったんだ・・と発見しました。

世界中の誰もが歌える
愛をたたえる歌があったなら
歌うたびに喜びは世界に満ち溢れる

平和を願い
美しいハーモニーにして
もし世界中が声を合わせ
大きな愛をわかちあうことができたら


「この曲、おぼえてる?」
「え?」
「私たちのパーティーで入場のときにsakiが歌った曲だよ」
「あぁ・・・あの時のかぁ。緊張してて覚えてないや」
「みんなにプレゼントしたい曲だったんだ」

人は人とつながり、物とつながり、そしてそれらをまた次へつなげていく。
つながりを意識的にはぐくむときもあれば
気づいたらつながっていたこともある。
つながりはゆっくりとしっかりと・・・



9/22

お誕生日
昨日は相方のお誕生日でした。
「はなまる」のおめざで紹介された「マロンシフォン」と紅茶でお祝い♪
夕食の後、sakiと三人で
「ハッピバースデー」を手拍子とともに歌い
ロウソクを吹き消すマネをして
「おめでと〜!」
「ありがと〜!」
ここでいつもなら乾杯をするんだけど、ダイエット中なのでアルコールはなし
ケーキ、迷ったけど、ま、いっか〜(笑)
何はなくともケーキでしょう!
カロリー的には和菓子なんだけど、
大福やどら焼きにロウソクってわけにもいかないしネ

「一年前は考えもしなかったなぁ・・」
「こうやって(家族で)お祝いすること?」
「そ」
「そんなもんだよ♪」
「来年もどうなってるかわかんないよね。案外、就農してたりして」
「って、考えられるってことは予測の範囲だからまずナイってことだ」
「だね」
「起こるとしたら考えもつかないようなこと♪まさにサプライズだネ」

人生なにが起こるのかわかりません。

「おめでとう」を本人へ
「ありがとう」を両親へ

生まれてきてくれてありがとう。生んでくれてありがとう。


9/21

「ありがとう」と「すみません」
下手すると、この二つの言葉で会話がなりたってしまう場合があります。
足元に転がってきたボール、「すみませ〜ん!」とおじぎをする少年
足元のボールを無言で投げ渡し「ありがとうございます」で場面終結。
よくある一般的なごくフツーの光景です。
「ありがとう」を掛け声のごとくいっているうちは
全然「ありがとう」じゃないよね。
以前、お友達とこんな話をしたことがあります。
「ありがとう」のかわりに「すみません」ってのもどうよ。
確かにそのとおりです。
いわないよりはマシだけど、本当に「マシ」っていう程度。
たしかに両方とも関係を円滑にする言葉だけど、
それ以上にいろんな意味や使い方、使われ方がある言葉が
このふたつだと思うんです。
感謝の言葉
お礼の言葉
物事を受託する言葉
そしてやんわりとお断りするときまでも。

もちろん感動をあらわすときにもこの「ありがとう」は使われちゃいます。
「すみません」はさすがに感動には使わないけど「物を頼む」時には大活躍
このふたつの言葉、丁寧に扱わないとバチが当たります。



9/20

落とし所が見つからない
とにかくここ数日のワタシはすこぶるご機嫌ななめ
気分が悪いから具合まで悪くなってくる。
思い当たるフシは山のようにあっていちいち検証する気にもならない。

カルシウムが足りないのか?
ストレスがたまってるのか?
眠いのか?
おなかがすいているのか??
単に気に入らないってことだけって言えばそれまでなんだけど
機嫌が悪くなる瞬間って本当にふとしたこと。
同様にこころがすっと軽くなるのも一瞬。
人とのかかわり(人生)って掛け算みたいなものだから
相手がゼロなら意味がない。
ってことは自分がゼロならやっぱり何も生まれないわけだ。

ご機嫌ななめの今は、不思議といつも以上にいろんなことが見えてくる。
内省する、整理する、つきつめる、理解する、感謝する、
そんな一連の作業がくり返しおこなわれているわけだから
さぞかしワタシのこころもカラダも思考回路もお疲れだろうなぁ・・。
と、他人事にようにいってしまうけど。

「怒ると疲れちゃうよ」
「はい・・疲れております。グッタリです。」

時間とともに環境が変わるから
「機嫌悪いぞビーム」もそのうち消えるだろうし
取るに足らない出来事になっていくんだろうし
最後には笑い話に変わって行くんだけどね。
もうちょっとかかりそうな気配・・。


そういえば、以前は9/15が敬老の日だったのに
今年は今日だね。
1/15じゃない成人の日といい、10/10じゃない体育の日といい
これらもなんだかなぁ・・って思っちゃうわ。


9/16

そして我が家は大賑わい
ここにきてにわかにいろんなことが持ち上がっている我が家
まずはyukaの一人暮らし宣言。
高校の頃から「卒業したら一人暮らしする!」ってはりきっていたけど
大学は都内だったから自宅通学を余儀なくされ
就職先も都内だからこれまた自宅通勤の範囲。
自立のメドが自分の中で立ったらしく目下お部屋探しの最中。
心配性のワタシが何かにつけて「転ばぬ先の杖」を提供するもんだから
いいかげんうんざりし始めてたのがきっかけみたいだけど
待っている「現実」よりも「あこがれ」のほうが優先しているようで
見てるワタシはまたもイライラ、ハラハラ・・。
進学や就職に伴う強制的一人暮らしじゃないんだから
手伝うこともクチをはさむこともないんだけどね。
旅立ちの秋になりそう。

お次はsaki。
こちらも夏休みを終えてバイト決意したらしく今日が「初日」
はりきっていたわりには朝から緊張でおなかが痛いそうな。
おまけに二日続けてバイトの夢をみたらしい。
「ママ、ストッキングって変な感じ〜〜」
「そだよね。ストキングも初体験だね。
ママも初めてバイトしたときいろんなこと知ったよ〜」
「いらっしゃいませ!○ニーズへようこそ♪」
きっと寝言でいっているにちがいない。
子供たちもこうやっていろんな体験をして大人になっていくのね。
バイトっていう独特の世界で親や先生たちとはちがった大人たちから
いろんなことを学んでこころに「経験」として残してほしいな。

そして相方。
「ダイエットするぞ!」
がんばってね〜〜。
本人のやる気を損ねるようなことをワタシはしません。
率先して応援します。
カロリー計算、粗食、酒断ち、ストレッチetc
ドンとこい!デス。
ワタシはその中でおいしいところだけきまぐれに付き合います。
お散歩とか、粗食とかOKよ。
でもね、お酒は自分で管理してね♪
ワタシは飲むわよ〜☆
なんたってワタシは「鉄の肝臓」なんだから。うふふ。

最後は母
母はC型肝炎を患っていて仲良くつきあってきたのに
ここにきてちょいとそれらが悪さをしたらしく近々検査入院の模様。
父も「矍鑠(かくしゃく)」という言葉からはずいぶんと遠くなっているので
母が実際入院したらちょっと心配・・。
身の回りのことができなくなる。
本人は「大丈夫」といっているけど、これは強制送還ね。
子供たちが巣立つ頃になると、親たちがくたびれてくる。
子育てが終わる頃、介護が始まる。
そのころはちょうど自分たちが更年期に入る。
こころのバランス、カラダのバランス、お金のバランス・・・
こればっかりはマニュアルも黄金率もないのよ、みんな手探りよ。
数年前にお友達から言われた言葉を思い出しました。

子供たちは安心して巣立ってほしい。
親たちは安心して老いてほしい。



9/13

消え逝く記憶のなかで
台風、地震とたいへんな長月のスタートです。
ひとりごとがぼやきにならないうちに
本日一気にまとめて参ります。
この10日間、何事もなかったわけはもちろんなく
むしろありすぎて砂時計のごとくサラサラと流れてしまったわけですが
その中でも印象深い出来事がありました。

「美しさ」のちがい
ちゃんこ「晴海」へ行った時のこと。
それは行きの電車の中で起こりました。
車内にはほどよい人が乗っていました。
座席は満席。立っている人はざっと見回しても20人くらい。
私は最後尾のドア付近に立っていました。
「確認よ〜しっ!しゅっぱ〜つっ!!」
車掌さんの指差し確認です。
2駅をすぎたくらいでそのやけに元気良すぎる声に振り向くと
「車掌見習」の腕章をつけた若者が先輩と一緒に実習していたのです。
空いた席に座りながら「彼」をしばらく観察していた私。
丁寧すぎるほどまじめに、大きな声で頑張っています。
こちらが小恥ずかしくなるくらいの一生懸命姿に
「新人かぁ」「がんばってるね」ととささやきあうカップルや
「俺もこんな時代があったんだよなぁ・・」と目は車窓を追ったまま
隣にいるおくさんに聞こえるともわからないつぶやきをした男性など
車内は「彼」を見守るオーラに包まれていました。

するとそれらをぶち壊すかのように
「きもちわる〜!何あれ」「だっさー、ばかみたい」
一瞬にして乗客の目を自分たちに向けさせた
その恐るべきパワーの持ち主はなんと女子高生らしき二人組
(あまりの化粧の濃さに年齢不詳。
とりあえず制服でそのくらいの年齢層と判断。)
かばんからキティーちゃんの化粧ポーチを出すや
今できあがっている顔に手際よくお化粧を始めました。
とっても一生懸命マスカラを着けています。
何度もビューラーで持ち上げています。
アイライン、アイシャドウと巧みに使っています。
あいにく彼女たちは私のとなりに座っていたのでこちらからは見えません。
正面からその変身過程をみていたご婦人の目は
すでに読みかけていた本からは離れ彼女たちにクギ付け。
ご婦人の表情を見て彼女たちが
今どのように変身しているかがわかるくらいでした。

「どう?マジうまくない?」「超きれーじゃん♪」
彼女たちが降りるとき、その「きれー」といわれるものを見て
めまいがしそうになったのは私だけでしょうか・・・。
「化粧」というのだから「化ける」わけです。
ひそやかに人目を気にして化けるからこそ
美しいと思わせることができるわけです。
奥ゆかしさとか恥じらいとかは昭和語録なのでしょうかねぇ。
その過程をばらしたらありがたみもうまみもありません。
「隠し事しない主義だから」とか「ありのままをみせてるの」っていうのは
単なる自己防衛であって、彼女たちの大きな勘違いだと思うのです。

「美」には人それぞれ、意識の違いがあり価値観の相違なるものがあります
だから
彼女たちを否定するつもりは一切ありません。
見方によっては「超かわいいい」だと思います。
でも
私は「彼」のほうが「美しい」と思ったわけです。
くそまじめにバカでかい声を張り上げて
一見電車好きのオタク少年が夢をかなえた風の彼のおかげで
彼女たちは心置きなく車内で化粧ができたわけですもの。

がんばってね
そう何人もの人が降りるときに彼に声をかけていました。

その声が彼に聞こえているかどうかは知る由もありません。
彼の目線はまっすぐ先頭車両に向けられて
彼の大きな声がホームにも車内にも響いていました。


9/2

感情移入
先週、「水戸黄門」を見た。
チャンネル権を握っていたsakiの選択。
彼女は「水戸黄門」のファンなのだ。
幼稚園の頃から再放送でやっている「昔のもの(時代劇)」を
好んでみていたのはまさに母の影響。
仕事をしているワタシに変わり、母が面倒を見てくれていたのだが
4時台は一緒になってサスペンスや時代劇をよくみていたらしい。
大河ドラマに代表されるように
若手俳優が時代劇に出演する傾向が最近富に増えたが
コレも例外ではなく、助さん、格さん(ってこう書くのか?)が
イケメンでやたらかっこいい。
ストーリーもきわめて単純で無駄がなくわかりやすい。
これが伏線になって、ココがポイントで・・と、とにかくスッキリしているのだ。
一話完結ってのもいい。
今回の内容は「小公女セーラ」や「シンデレラ」の類。
ゴールデンタイムのお子様向け恋愛ドラマ系より人情味があるところは
設定が下町だからなのか?
そういう時代だからなのか?
時代劇の本筋である「勧善懲悪」も健在で
終了間際に出す「印籠」もこのドラマならではの見せ場。
それにしても
起承転結がハッキリしている時代劇を見て目頭が熱くなるのはなぜ?
明治生命のCMを見て感動したり、
映画やドラマで涙ぐんだり
感情移入は加齢とともに充実していくわけだけど。

「置き換え」「自己投影」ができるようになってきたsakiも
このごろウル目になる機会が増えてきた。

「感情失禁」と「感情の発露」
涙ぐむっていうことは一番わかりやすい感情表現だけど
この二つの言葉でくくられるとちょっとさびしい。


涙って人に見られると恥ずかしいのはなぜだろう・・・



9/1

最近心に残った言葉
「(本を読むのに)正しい読み方なんてありません。
豊かな読み方と貧しい読み方があるだけです」
本に限らずどんな事柄も豊かに「読める」ようになりたいです。

毎回Sさんからはこんな心に響くメッセージをちょうだいする。

「読む」ということはその人の「人となり」や「知性」「教養」「経験」により
「豊か」にも「貧しく」もなるもの。
行間にこめられた作者の想い。
言葉の裏側にある真実。
自分の体験だけがそのイメージを膨らませ
自分の知識だけがそれらを計る道しるべとなるわけです。

「物事」にはすべて「理由」がある。

物事を「貧しく」読んでいるワタシ
物事を「豊か」に読んでいるワタシ
今日の自分はどっちだろう