2008年 


過去のひとりごとはこちら

1/19

仕事のこと

昨秋依頼のあった2月開講の新講座が決まった

これで、来月から第二、第四の月〜金はすべてカルチャーで埋まった。


といっても
その隙間には自宅レッスンやら出張レッスンやら病院のお仕事が入っているので、コレだけに没頭するわけではないんだけど。

あともうひとつ
3月開講の子供用の新講座の話も出ているので、
それが開講となるとカルチャー掛け持ちってことに。


こうやって掛け持ちしながら仕事をするにはいくつか理由があるんだけど、当初の予定からはずいぶんとかけ離れてしまっていて、少々うなだれ気味。

目安はあと2年。


その後、このスケジュールを続投するか、整理するかは
そのときになってみないとわからない。


っていうか
あと2年このまま働けるのか??
それもハッキリいってわからない。


私がこうして働けるのは、とりあえず自分も含め家族が健康だから。

そのバランスが崩れたら働いてなんていられない。


当たり前のことが当たり前に繰り返されるなんてのは、奇跡にちかい。


働く理由は数々あれど
仕事があるうちは真摯に働く

ただそれだけ



8/5

好きに暮らす

下の子が成人して、自分も五十路の扉を開けた。
とりあえず子供を成人させるまでは
親としてやるべきことがたっぷりとあるわけです。
妻としてのそれより、親としてのそれのほうがウエイトが大きい。
子供は「命」だけを持って生まれてくるから
育てなければ育たないわけです。
試行錯誤しながらただひたすら「育てる」
そのひとつの区切りが「成人」
親は死ぬまで親だから区切りなんて本当はないんだけど
なんとなく漠然とそう思いながら育てる。

幼稚園に入るまで。
義務教育を終えるまで。
社会人、成人になるまで。
そんな風に「区切り」をつけながらその「時」を向かえ、越えていく。

「子供が成人した今年からは好きに暮らせばいいんだよ」

長年そう思っていたからこの日が待ち遠しかったのは事実。

でも
悲しいことに何をどうしたいのか、私にはわからない。
ご飯作りはキライじゃないからやっぱりするし。
掃除はスキじゃないからやっぱりしない。

人は自分の選んだもので自分を創っているのだから
そういった意味でもみんな「好き」に暮らしているわけだけど
今までのいろんな「配分」を「自分」に向けてもいいんだよ、程度でいい。
全てから「解放」されてしまうと私はとっても困る。
どうしていいのかわからなくなってしまう。

忙しいときほど「時間」がほしい。
だから「時間」を作る。
辛い時ほど「ラク」をしたい。
だから「ラク」できるように考える。
淋しい時ほど「安心」したい。
だから「安心」を探す。

こんな風に両の天秤のバランスを保ちながら暮らしていくのが
私にはちょうどいい。

私はきっと今までと変わらず「好きに暮らす」んだとおもう。

とはいうものの
今の体力があと10年後もあるかっていったら
それは甚だ疑問だから
体力のあるうちに行きたかった場所に行っておこう。
やりたいことはやってみよう。

まずは50歳記念としてパスポートを取得して
JRの「大人休日倶楽部」に入る。

「好きに暮らす」の手始めはこんなところから・・・



6/25

中年期は危機の時期で、人生の見直しの時期

日本語の「危機」は美しい言葉です。
危なく、チャンスである、成長のチャンスという意味です。
中年期は人生の半分が過ぎ
残りの人生や死をどう迎えるのかを考える重要な時期です。
時の貴さ、おのれの役割、対人関係などを
新たに創造する心がけが大事になってくるのです。

これは哲学者:アルフォンス・デーケンの言葉。

とっても心に響きました。

「危機」を美しい言葉だと思ったことは今までありませんでした。
でも
「ピンチはチャンス」
「野球は2アウトから」
とはよくいいます。

「災い転じて福となる」
これもおなじ。

今、この時期に、この言葉に出会って本当によかった。
知らないままだと、「危機」に対して臆病だったはず。
単なる「チャンス」ではなく「成功のチャンス」ってことを知らずにいたはず。

「チャンス」の産物は「ラッキー」「得」ぐらいにしか思っていなかったから。

「成功」には言葉どおり血を吐くような「努力」が存在し
脳みそがすりきれるほど「考える」時間が存在し
関わる人たちへの「感謝」が存在する。
それらがなくては「成功」しないことを
危うく忘れるところでした。

中年期=人生の見直し期

人生の午後は有意義でありたいと心から思います。



4/20

オチがないといけないのか

漫才ブームの時はそう感じなかったけど
今のお笑いブームの影響か日常会話にすらオチが必要らしい。

会話は言葉のキャッチボール
へなちょこボールだって
ナイスなボールだって
投げて、受けて、また投げて・・のくり返しがキャッチボール。
球がそれたら拾いにいってまた投げる。
そしてまた投げて、拾って、たまに落として、暴投もあって・・・
キャッチボールってのはそういうもの。

毎回「ナイスボール!!」じゃないといけないのなら
それはプロの投球練習になってしまう。

第一、「どこ見て投げてるんだー!」「すみませんっっ!」のくり返しが
昼下がりの親子のキャッチボールだったら
子供はぜったいお父さんとは遊びたくなくなる。

投球練習とキャッチボールは全く違う。

それと同じような場面に最近よく出くわし辟易。

「・・・で、オチは?」
「・・・ごめん」
「ないの???」

「・・・で、結論は何よ?」
「え・・。」

気まずそうな女の子の表情
やってらんねーって顔の男の子。


芸人(プロ)になるための会話の練習ならオチも必要だろうが
フツーのデートで毎回会話のたびにオチを要求され
面白くないと文句を言われ、結論を先に言わないといけないないなら
そんなデートは二度としたくない。
(どちらかがもう飽きているなら、これも別れるための作戦だけど)

オチを要求するほうもけっこうグダグダの会話になってるし
結論を先に言わなきゃならないような場面でも
丁寧に過程を説明してしまうこともあるだろうに

言葉のキャッチボールが下手な人が最近増えたような気がしてならない。

ちなみにワタシの話には計算しつくされたオチは
まったくといっていいほどない。
だからもちろん相手にもそんなものは求めない。
ボケとかツッコミとか、プロに任せておけばいいんだよ。

すべるとか、ドン引きとか、いじられてなんぼ、とか
にわか芸人もどきが多すぎ。

日常の会話や、言葉の中には、意味のない「相槌」に似たものが
けっこうたくさんあるんだよ。

「言葉」を介しての時間と物事の共有。
弾む会話にはそれらがあるから尽きることなく「言葉」たち紡がれていく。


3/19

本当にひとりごと

ちょうど一ヶ月前、父の命が短いことを知らされた。
冷静に主治医の話をきき
いつもと変わらず父を見舞ったあと
帰り道で涙がでた。
春まだ浅い夜。
朧にけむる月に向かってにつぶやくように泣いた。
「ヤダよ・・そんなのヤダよ・・・」
顔を手で覆いひと気のない病院の高台で一人泣いた。
数秒だけ静かに泣いた。
その後、呪文のように「大丈夫」をくりかえしながら歩いた。
もう泣かない。
そう自分に言い聞かせながら歩いた。
「大丈夫。大丈夫」
まるで行進曲にあわせたように一歩一歩しっかり歩いた。


人はそうやって自分の心にたくさんの消えないシミをつくりながら
毎日を何もなかったように生きていくんだ。

淡々と過ぎて行く時間。
そこにいる自分を客観的にみている自分がいて
それをまた離れたところから見ている自分がいる。

仕事をしている自分はいつもとかわらない。
ゴハンを作っている自分はいつもとかわらない。
飲み食いして笑っている自分はいつもの自分となんらかわらない。

ぎりぎりのところで「かわらない自分」がいる。

母に会いに行くとそこには知らん顔して笑っている父の遺影がある。
母に会いたいのに会いに行けば「現実」がそこにあり
否応なくフラッシュバックしてしまう。
なのに、それでも父の遺影をみると癒されもする。

遺影と一緒に暮らしている母は
私のそれとは比べ物にならないくらいの気持ちだろう。

母の数値はますますあがっていて決していい状態ではない。
母は「やるべきこと」のためだけに気を張って生きている。
その母の気力が失せた時のことを思うと
もっともっと「かわらない自分」でいなくてはいけないと
奮い立たせる自分がいる。

守るべきものがあるから変わらずにいれる。
やるべきことがあるから変わらずにいれる。

ただそれだけで生きている。

心の奥の深いところに沈めて生きて行く。


3/3

不思議なこと

父は旅立つ直前まで意識がありました。

辛そうな時に「眠る薬飲む?」と聞くと
首をふり最後までイヤイヤをしていました。

父が入院したのは新月の時
主治医からその命が終わりに近いことを知らされたのは満月の時
父の最期が潮の満ち引きと関係していたとは思いませんが
私の生理が始まった日に亡くなりました。

その日、父は母に言ったそうです。
「絵をかく」
あまりしゃべれなくなっていた父は筆談で告げました。

「河の絵をかく 紙」
「え?河?」


それは「川」でなく「河」

メモ用紙にその概要を書いたそうです。

四角で囲んで波線を数本

母が紙を持っていくと
「もう いい」

それから天井を見つめ、いつものように眠ったそうです。

私が付いていた時も指を折ったり、何かを振り払うように手を振ったり。

まだ迎えに来なくていいって言っていたのかもしれません。
三途の川を描いたのかもしれません。

見舞い客がにぎやかだと「ヤカマシイ」と書き
遅くまでいると「ハヤクカエレ」と書き
いつも「俺のことはいいから」と言っていました。

こっちはもっと一緒にいたかったのにね。

「じゃあね、帰るね」
というと、安心したように右手をあげてちょっとおしゃれに手を振る父。

泣き崩れる母と妹をとても冷静にみている自分に
別の不思議さを感じた最期でした。


嫌いは好きの裏返し

「うちには父親がいない。いるのは教師だ」
妹も私も、厳しい父が嫌いでした。
ホームドラマに出てくるような優しい父親を求めていました。

「悔しかったらお父さんを見返してやりなさい」
それが子どもの頃の母の口癖。

自分の教え子たちと比べられ、人前で怒られ、本当にイヤでした。

今で言うところのパワハラ、モラハラです。

ずる賢い私は本の内容を聞かれても困らぬように
本文を読まなくても目次とあとがきには目を通し答えられるようにし
門限に遅れるときはもっともらしい理由を口実を考えるようになり
幼い知恵を出し尽くして父の説教から逃げていました。

認められたくて、褒めてもらいたくて、いろいろ参謀していた私。


「それって、すきってことじゃん」


そうか・・・
私は父が好きだったんだ。

答えはとっても簡単
嫌いは好きの裏返し



父が私に残したもの

それは辞書をひくクセ

「お父さん、コレどういう意味?」
「辞書もってこい」

「はい♪」と差し出すと
「はい、じゃない。ひけ」

それは食事中でも、テレビ見てるときでも変わらない。
うっかり聞こうものなら、辞書もってこい、地図もってこいとウルサイ。

おかげで、今でも辞書をひくことに苦は感じません。
パソコンが普及してもちょっとしたことなら辞書。

苦労したことは忘れない。


8/2

前夜

明日は40代最後のお誕生日
よく生きてきたなぁって思います。
今まではあまり思いもしなかったけど
命を重ねていくことは本当に奇跡であって
「今」をこうしていることがただごとではないと思うのです。

8歳の時、盲腸で入院中に読んだ少女漫画の中に
ある少女のことが書かれていました。
その人は実在する人で私も知っている人。
足に障害を持っていたのですが
その原因がダンプにひかれたことだったとは
その記事を読むまで知りませんでした。
そのとき思ったこと
痛かっただろう
恐かっただろう
8歳の私には想像するにも幼すぎて
ただそれしか思わなかったことを記憶しています。
8歳の記憶が今も残っているのです。
同じ学校でその人をみるたびに
頑張ってね、とか、大変だね、なんていう気持ちではなく
とても崇高な気持ちになっていました。

18歳の時も28歳の時も38歳の時も
「生きる」ことを身を持って感じながら
自分の置かれた環境(病気)と向き合ってきました。

48歳の今年、本当ならちゃんと健康診断しなくてはいけないのに
自分の中の「ジンクツ:8のつく歳は病気が見つかる」に負けて
何もしないで過ごしました。
「あの時早く見つければよかったのに・・」
なんてことになるのかもしれないけど
今年の私は「今」のままで「今」の生活をしたかった・・・
離婚して、再婚して、子どもたちが大きくなって
健やかに今の生活を送っている。
そんないろんなことをそのまま受け止めたくて
そのままで49歳を迎えます。

鬼籍に入った友人も少なくありません。

命を大切にしなくては
生きていることに感謝しなくては
存分に楽しまなければ
本当に罰があたります。

40代最後の歳
明日からの一年はたのしみだった50歳を夢見て
一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。

一年って365日しかないんだもんね

「後悔」はないけど、「未練」はあるもの



7/23

人生の扉

竹内まりあの曲。

とても素直に、50代を見つめていて
歌詞のすべてがいとおしくせつないのです。

あとどのくらい桜が見られるのだろう
あとどのくらい紅葉が見られるのだろう

「壮年」と言われる世代に入ったばかりだから
あと数回ってことはないけれど
昔のように限りなくそれらを見られるわけではありません。
だからこそ生きている「今」がいとおしい。
ひとつひとつ「人生の扉」を開けてきたから
心に残るものも、発見するものも輝いているのです。
「味わい」と「深み」が増して行く世代。
しっかりと「記憶」に残る時間を過ごしていかなければ
もったいないと思います。

あとどのくらい花火が見られるのだろう

今まさにそんな気分です。


7/21

大きく違う

子どもじゃないんだから

もう大人なんだから

この2つの言葉は大きく違う

10代後半から20代ぐらいまでは
「子どもじゃないんだから」
かといって、大人でもない世代

これが30代になると
「いい加減子どもじゃないんだから」
これには「大人になろうよ。(なれよ)」の意味合いが加わる。

そして40代も後半になると
「いい大人なんだから」
と、「子ども」色はかなり薄くなる。

「大人」とは
分別、常識、品格などが備わること
それらが備わっていないと「おとなげない」になる。

もう「いい大人」なんですよね・・・

「自由」な分、「制約」も多いのが「大人」ってことなのかもしれません。


子どもがえりするのはもうちょっと先


5/7

体験は師

いろんな言葉が耳から入ってきても
どんなに情報を詰め込んでも
それがただの「音」でしかないときは
何もこころに残らない。
記憶として残っても、それは力を伴わない。

やってみて初めてわかること
されてみて初めてわかること
すべては「体験」が人を育てるってこと。

とはいうものの、先人の知恵は「知恵」として覚えておいた方が
痛い目に会う回数が少ないのも事実。
先人の知恵はまさしく「体験からくる知恵」ですから。
それでもついついやってしまって痛い目に会う
人が生きている限り「歴史は繰り返す」もの。


ここ数ヶ月、娘達の生活が大きく変わりました。
人が何を言っても「自分で気付かないとダメ」だということを
悩み迷うのではなく「考えないとダメ」だということを
「体験」を通して彼女達は少しずつわかったようです。

「体験」は必ずしもマイナスばかりではありません。
プラスの体験だってたくさんあるのです。

いつまでも「体験の子」ではいかんのだけど
「実感」としてわかるのはやはり「体験」しかないってこと。

その体験があるからこそ
「今」を振り返ったときに
あのときが「転機」だったとか
あれが「きっかけ」だったとか
確信が持てるのです。




4/10

抱きしめてください

「せんせい・・・お願いがあるんですけど・・・」

彼女と初めて会ったのは2週間前
カルチャーセンターの体験日でした。
講座が終わってから話しかけてきた彼女は暗い笑顔でした。
話を聞くと、7年前にお父様をご自分ひとりで看取ったとのこと。
それ以前にお母様も亡くされ、お父様のことでご自分を責め続け
ココロのバランスを崩し、仕事も辞め、出口のない毎日だったそうです。
外出する予定の2時間前には起きないと準備ができないこと
講座に遅刻してしまうかもしれないこと
講座を最後まで続けられないかもしれないこと
相談とも訴えともいえぬ思いを言葉少なに話してくれました。

「・・・ちゃんと泣けましたか?」
「泣いてません・・・泣いてはダメだと言われたし。
そう思い続けてきました。
周りの人が七年もたったんだからもう自分の幸せを考えないと
お父さんも浮かばれないって言うんですけど出来ないんです」

「泣いていいのよ。泣くことによって前に進めるの」

そういうのと抱きしめるのとどちらが早かったかわかりません。
彼女は声をあげて泣き始めました。
私はずっと背中をさすりながら、「よく頑張ったね・・・つらかったよね」と
呪文のように言っていました。

「初対面なのにすみません。でも・・・初めて泣けました。
泣いてもいいんですよね。ありがとうございます」

初対面だからこそ、泣けることもあるのです。
その人の背景を何も知らないから
自分のことを何も知らない相手だからこそ
吐き出すことも出来るのです。

遅刻してもかまわないことを
お休みしても、途中で退席してもかまわないことを
我慢しなくて良いことを伝えると
彼女は戸惑いながらも安心した様子でうなずき教室をあとにしました。

・・・・・・・・

「せんせい・・・終わってから、みんなが帰ってからでいいんです。
私を抱きしめてくれませんか・・ダメですか?」
「うん。いいわよ。でもね。一回限定よ」

思いっきり抱きしめてあげました。
「ちゃんと起きれたのね。よかったね。来てくれてうれしいよ」
「起こしてもらったんです・・」
「そっか・・頑張ったね。」

たくさん抱きしめてあげることはたやすいことです。
だけど、私は毎日彼女と一緒にいることはできません。
毎日抱きしめてあげることはできないのです。
越えていいラインはとてもデリケートで難しい。

彼女が労することなく社会と関われるようになることを
講座に来た時は無条件で楽しめることを
そして笑顔が明るいものになることを
私はバランスを保ちながら応援するだけです。

真摯に丁寧に豊かに、そして確実に応援していく。
ただそれだけ

けして裏切らない
それだけです。



1/26

音楽のちから

「12日に母が亡くなりましたの。95歳だったから往生だったんですけどね。」
今日のカルチャーセンターのお仕事は
会員さんのこんな言葉からスタートしました。
今まで一度も休んだことがない彼女が
前回珍しくお休みをしたので案じていました。

今週は「千の風になって」を最初に歌っています。
あまりにタイムリーなこの曲、どうしたものか・・と思いましたが
私は「音楽の蘇生力」を確信しているので
あえて他の教室と同じようにこの歌から歌いました。
歌うことによって彼女が「何か」を感じてくれたら・・と願って。

「翼をください」
「忘れな草をあなたに」
「いい日旅立ち」

彼女は幾度となく目を潤ませながら歌っていました。

人は「言葉」によって励まされ、勇気づけられ、癒されます。
「音楽」によってこころが揺さぶられて、浄化し、蘇生されていきます。
そして、泣くことによって気持ちが開放され、前へと進めるのです。


「先生。ありがとう。この曲、歌いたかったんです。
本当に母は風になって私の近くにいるんだな・・って。
紅白で歌ってるのを聞いていい曲だなって思ったけど
実際に自分で歌ってみて癒されていくのがわかりました。
音楽のちからって不思議ですね・・・」


そう
音楽のちからってとっても不思議です。
目に見えないのにすごい力を持っている。

私はそれを伝えたくてこの仕事をしてるんだな・・・
そんなことを思った今日のお仕事でした。


母方の祖父母も生きていればそれくらいの年齢だと思います。
56歳で風になってしまった祖父
58歳で風になってしまった祖母

親の年を越えた時の母のためいきを思い出しました。


10/26

逃げ道は安全地帯

追い詰められればネズミだってネコをかむくらいある意味「キレル」
攻撃に転じないタイプは自らを葬る

完璧だといわれているモノに対しても
その落とし穴や逃げ道をあえて見つけるくらい
人は「穴」がほしいもの。

抜け道
おとしどころ
盲点


優位に立つことで逃げ道を保つ人もいれば
弱さを見せることで逃げ道を保つ人もいる。

あえて探すくらいならはじめから散りばめてあったほうがラク。

そんなに自分を追い詰めなくていい。
そんなに頑張らなくていい。
逃げ道はたくさんあるんだから。

ココが逃げ道よってわかりやすいのもいいけど
ゲームさながら隠れ逃げ道ってのもたまに作ったりして。

逃げ道を作る。
逃げ道をみつける。

それがひとつの「安全地帯」


9/30

夢の実現

進路を決めなければいけないこの夏
sakiは自分の将来の仕事について
さまざまな角度から多角的に模索していました。
そのために必要な場所はどこなのか
そこではどんな学びができるのか
それらが意味するものは何なのか
それを見極めるために
いろいろな資料を集め
実際にキャンパスに出向き
公開講座や模擬授業を受け
説明会に参加し個別相談を重ねてきました。

自分で考え
自分で選び
自分で準備し目指したステージは「福祉」と「教育」
キーワードは「音楽」と「子ども」
受験した学部は人間福祉学部:子ども家庭福祉科
臨んだ受験方法はAO入試
その大学での本年度のAO枠は15人

AO(アドミッション・オフィス)入試は
事前に提出したエントリーシートと当日の面接で行われます。
学力試験ではないぶん
ラクといえばラクですが
漠然とした考えや志望動機では受かりません。
自己表現できない子にはむずかしい。
私たちの頃にはなかった入試方法です。

そして本日待ちに待った「出願許可書」を手にしました。
これを手にした子のみ出願できるのです。
出願すればあとは書類審査のみなので当日来校する必要もなく
合格証書と入学手続きの書類が送られて来きます。

滑り止めもなし
他大受験もなし
真っ向勝負の一本勝負
それで決まっちゃうんだから
時代は変わったものです。

結果もたしかに大切だけど
それまでのプロセスを私は親として充分に褒めたいと思います。
「あきらめない」を身に付けたこと
脳みそが擦り切れるほど「考えた」こと
自分と向かい合い「努力」を惜しまなかったこと

これは何においても非常に大切なことだし
私の願いでもあったから。

自己実現の一歩がはじまりました。


8/8

誰にでも春がくるわけではない

「春が来る」といういいかたは、物事が実り、願いが叶うことを意味し、
多くは男女のゴールイン(結婚)をさします。

誰にでも春がくるわけじゃないんだから
大切にするんだよ。

それは「叶わなかった」ということを知っているからです。
でも
叶わなかった(結ばれなかった)ということが
この世の終わりぐらい不幸なのかというと
そんなことはないというのも知っています。

叶わなくても脳裏に焼きつく「恋」があります。
叶わなくても「しあわせ」と思える「時間」があります。
叶わなくても「いとしい」と思う「愛」があります。

叶わない思いは「未練」や「後悔」ではありません。
叶わない思いは「糧」なのです。
叶わない思いは「財産」でもあるのです。
すべてが春を迎えるわけではないのだから
より一層大切に丁寧に育まなければなりません。



その「恋」が叶ったとき、それは「愛」を育む力になっていますか




8/3

ありふれた日常の中で

48回目のお誕生日を迎えました。
前日は「一年無事に過ごせたね」
当日は「新しい一年がはじまるね」
そんな気持ちでいっぱいでした。

あなたをこの世に送り出してくれたご両親にありがとう
あなたの命を救ってくれたお医者様にありがとう
あなたを支えるすべてのものにありがとう

いいえ
感謝しなくてはならないのは私のほうです。

私をみつけてくれてありがとう
私と出会ってくれてありがとう

歳を重ねてわかることがたくさんあります。

生きている、ただそれでいいのだということ。
その上に全てが成り立っているということ。
それが何より愛しくて尊いものだということ。
それをなくしたら何も存在しないということ。
それがなくなったら何も意味を持たないということ。

生きている、それこそが「しあわせ」なのです。

たくさんの「おめでとう」を本当にありがとう



8/1

特別な日


八月なのに全然夏っぽくありません。
でも、今朝、セミが鳴いていました。
とりあえず自然界は「夏」らしい・・・・

18年前の今日、遅れに遅れた梅雨明けの日。

今朝はsakiに生まれた日のことを話しました。
どんな日だったか、どんな風に生まれてきたか、どんな気持ちだったか・・・・
下の子はけっこうムチャな胎児期間を過ごすもので
そんなエピソードも話しました。

前日は相模原公園に行ってたくさん歩いたこと、
レントゲンの時は防放射エプロンをしたこと、
五体不満足でもそんなことは無関係に誕生を待ち望んだこと、
全てを愛しいを思ったこと、
「元気な女の子ですよ」の声に涙が流れたこと。


今までも折に触れ話してはきたけど、
距離感のあった「出生」がちょっとは身近に感じられる年齢になったようで、神妙な顔をして聞いていました。


子育ては思い通りにはならないし、
嬉しいことと辛いこととムカつくことと悩みの連続だけど、
それでもそれに勝るほどの喜びがあることを改めて感じます。

yukaもsakiもどんどん大人の女性になっていき、
辛かったことが夢のように思います。
苛立ちの季節を二人ともちゃんと過ごしてきました。
とてつもないエネルギーに振り回された時期も少なくありません。

親としての弱みを見せてはいけないと意地を張っていた頃は
情けないほど空回りの連続でした。

親とてフツーの人間。
母とてフツーの人間。
傷つくし、凹むし、むかつくし、腹も立てば涙もでるのです。
そんな「同じ弱い人間」だということをこちらが見せられるようになったら
不思議と距離感が狭まりいい関係が生まれ始めました。

二人とも18歳のお誕生日を無事に自宅でお祝いできて
本当にうれしい私なのです。


なんたって自分の18歳は病院の中だったからねぇ・・・



5/18

お金がすべて・・・!?

今の高校生の3割が一番大切なものはお金だとしている。
というニュースを見て一言sakiがのたまった。
「お金がすべてじゃないじゃん。けど、お金は大切。」

ほほぅ・・まともな判断力ではありませんか

「お金があると叶う夢があるし、助かる命がある」
「お金があると優しくなれる」
「愛してるだけじゃゴハンは食べられない」
「お金は人間関係を豊かにもするし、壊しもする」
「お金は人を救うけど、殺しもする」
「返せなくなるのが借金」

これらのことはみんな体験で知っているし、実感する局面も多いわけです。

私の育った家はとにかく「ニコニコ現金払い」でした。
貯まるまでは買わない。
カードは基本的に持たない。
使わない。
使ったらすぐにその分を入金して一括払い。

手持ちがないなら我慢しろ。
横に寄せろ。
借金はするな。
地道に働け。
分相応の生活をしろ。
借金を繰り返すヤツにろくな人間はいない。

貧しい家に育った父と裕福な家に育った母の共通した感覚でした。

生活や子育てにおいていろんな価値観が衝突したと思うのですが、
本代と教育費を惜しむことはしませんでした。
ありがたいことです。
(ちなみに家族旅行の記憶はありません。)

とにかくいろんなモノがほしい高校生の物欲はお金で簡単に満たされるし
快楽も自在に手に入れることができるってことです。
それは大人になってもかわらないんですけどね。

お金は使い方で善にも悪にもなるってこと。
それだけ大切なものなのに、粗末にする人が多すぎます。
いいかげんに扱う人が後を絶ちません・・・



5/16

はじめに言葉ありき

けっこうまえに友達と飲んだとき
「最近の若者はまず、つきあってください、っていう告白があってから
交際がスタートするらしい」
という話題で盛り上がりました。
さっそくsakiにその真意を確かめると、たしかにそのとおりで
まずはコクるところからお付き合いがはじまることが判明。
それまで一緒に帰っていても
遊びに行っていても
カラオケに行っていても
その「告(コク)り」がないうちは単なるお友達の関係でしかないそうで。
誰と帰ろうと、遊びに行こうと、仲良くしようと
ヤキモチなんか焼いてはいけないわけです。

大人に当てはめると
たとえ仲良く飲みに行っても
しょっちゅうメール交換していても
ハタから見ていて「つきあってる」ようにみえても
それは「ただのオトモダチ」
ということになるらしい。

いわゆる契約からスタートする恋愛ってやつです。

これはけっこう便利なようで厄介。
契約があるとその間は守られているから「安心」だし
他の人と仲良くしてると「契約違反」で文句をいうこともできるわけです。
逆手に取れば
言われて/言ってないから「付き合ってはいない」の一言ですべてを解消。
確かに「契約」を結んだわけではないから
都合の悪い局面になればどうにでも抜け道があるってことなんですね。

モノは言いよう、捉えよう、ですね。
おまけにデジタルな時代ですから
アドレスや番号の交換もごくフツーのありふれたことで
電話もメールも本人専用だから
親がでたらどうしよう・・なんて心配は無用。
まずはコクって手に入れる。
すきなものはちゃんとその意思表示をして部外者を阻止する。

なんとも合理的で私にとっては「恐れ入りました」の世界です。
アナログ時代の情緒はどこに行ってしまったのでしょう・・・
電話ひとつするにしたってドキドキものでした。
手紙を書くのだって誤字のないよう辞書をそばにおいて書いたものです。
(不便さがいろんなマナーを知らずに仕込んでくれていたんですがね)

でも、ここでふと思ったのです。

そういった意味では「プロポーズ」はこれに値するのではないかと・・・
「自分たちはつきあっている」
「将来の夢も語り合っている」
「いろんな未来の約束も交わしている」
としていてもそれはただ単に、「今の状態」がそうなだけで
結婚することには結びつかないのです。
つまりは「契約」がなされていないってことですからね。
たしかに大切なプロセスともいえましょう。
こういった手順や手続きっていうのは関係が不安定なると
その効力をがぜん発揮するものです。
そして場合によってはさらに拘束力の強い「誓約」まで引っ張り出すはめに。

不安だと言葉をほしがるのは男も女もいっしょ。
言葉をもって伝えないと伝わらないのも事実。
大切な場面できちんと意思伝達ができない人は
人生を損してると思います。
伝えもせず判断を相手に任せたり、察するのを要求するのはズルい。
逃げ道を常に確保しているヤツはセコい。


人間関係は目配り、気配り、心配りですからね。


恋をすることは簡単だけど
愛を育てるのはたいへんです。
なぜなら、育むという行為は一人ではできませんから。


アナログな時代の愛情表現って奥ゆかしくて粋なんですがね。
最近、その手の話をとんと聞かなくなりました。

デジタルな時代の恋愛をデジラブと密かに命名した私です。


5/6

GWも終わりいつもの土日

今日明日をGWに入れるか入れないか・・・

入れればまだ終わっていないGW。
入れなければ、フツーの週末。


いずれにしても
楽しいことは待ち遠しく、楽しいことはあっと間に過ぎて行くのです。

お休みだからできることもあれば、お休みだから逆にやりにくいこともある。
平日の煩雑さはいろんなものの隠れ蓑になってたりして・・・。

ゆっくりゆっくり育てて行く。

この三連休はとってもゆっくりと時間が流れました。
各々が「自分の時間」のなかで
さまざまなことに思いをめぐらし
それぞれを振り返り
進んで行ったようです。



4/21

あきらめない心

sakiは受験生。
進路についていろいろと考えているようだけど
こればかりは自分で決めなければ道は開いていけないもの。
親がアドバイスをしても
進路指導がアドバイスをしても
友達と話をしたところで
それらはただの「情報」でしかありません。
そして実際にやりたいこととできることはちがうのです。
夢をかなえるために努力をする。
ガマンをする。
自分を律する。

決めるのは自分
行動するのは自分

就職しようと、専門学校へ行こうと、大学(短大)へ行こうと、留学しようと
そんなことはどうでもいいのです。
進学しても中退して仕事に就く人もいるし
仕事に就きながら学校へ通う人もいるのだから。

私がこの時期にsakiに培ってほしいものはただひとつ。
「あきらめない心」

ちょっとの失敗ですぐにやめてしまう人がいます。
思い通りにいかないだけですぐに別のことを探す人がいます。
どうせ・・といってふてくされる人がいます。
もういいや・・・といってズルズルとなしくずしにする人がいます。
楽(しい)ばかり選ぶ人がいます。

考えて別の道を進むのと、あきらめて進むのとは全然ちがいます。
あきらめることが癖になっていると物事は続きません。
あきらめないで続ける。

世の中、大変なことの方が多いのです。
思いどうりにならないことの方が多いのです。
こんなはずではなかったと、どんな環境でも思うのです。

あきらめた瞬間
それは終わってしまうのだから
あきらめてはいけません。

夢はかないません


4/6

一日ひとつのお仕事

発表会の後は一週間お休みっていうのが一般的ですが
私はすぐに反省会を生徒たちとします。
まだ興奮冷めやらないうちに
記憶がはっきりしているうちに
一緒にビデオを見ながらおしゃべりします。

どんな気持ちで弾いたか
どんな感じがしたか
家族からどんな言葉をもらったか
そして
弾きたい曲がみつかったか

それが終わって初めて発表会が終わります。

生徒たちは春休みを存分に楽しみ
私も桜の下で春の想い出を作りました。

自宅レッスンがお休みになるのでその間は一日ひとつのお仕事です。
いつも2〜3個は掛け持っているので
ここ数日はなんとも優雅で落ち着いて仕事ができるから不思議です。
無意識のうちに何かに追われているんでしょうね。
頭の中ではいつも何かしら仕事の段取りをしています。
発表会が終わったからといって「終わり」ではありませんしね。

以前
「君はいつも忙しいんだね」
とウンザリした顔で言われたことがあります。
反射的に「ごめんなさい」と謝っている自分がいました。

仕事をすることに罪悪感を持っていた時代がありました。


私、仕事すきですよ。
だって「相手が喜ぶことをする」のが仕事だと思ってるから。

働く全ての人たちのおかげで私は今日も笑顔です。

いつもありがとう



4/5

比翼の鳥 連理の枝

私の希望でもあり願いでもあります。

この言葉を初めて知ったのは高校の漢文の時間か
大学の漢詩の講義だったと記憶しています。
玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を歌った白楽天(白居易)の長恨歌。

『・・・天に在りては願わくは比翼の鳥となり   
地に在りては願わくは連理の枝と為らむと・・・』

「比翼の鳥」は雌雄それぞれが一目一翼で常に2羽一体となって飛ぶ鳥。
(片方が死ぬともう片方も死んでしまう)
 「連理の枝」は別々の木の枝や幹が連なって木目の相通じたもの
(幹は2本で枝が1つになっている木)
 

それは二つで一つのもの・・・離れることのない愛を誓う言葉。

天上に生まれるなら、比翼の鳥になろう。
地上に生まれたなら、連理の枝になろう・・・
玄宗と楊貴妃は長生殿で二人密やかにそう誓い合ったそうな。

ご存知のように楊貴妃におぼれた玄宗は政務をことごとく乱したわけです。
傾国ってやつですね。
そして38歳だった楊貴妃は玄宗とともに長安を出て蜀に逃げ落ちる途中
将兵たちの不満を抑 えるために自害。
ますます楊貴妃を忘れられなくなった玄宗がその魂を探させ
楊貴妃の霊が伝言したのが「長恨歌」なのです。

情念たっぷり

  天に在りては願わくは比翼の鳥と作(な)り
  地に在りては願わくは連理の枝と為らんと
  天長く地久しきも 時有りて尽く
  此の恨みは連綿として尽くる時無からん


比翼連理

とっても新鮮で印象的な言葉でした。




3/31

心に残った言葉たち

一度やめてしまうと戻れない
義務だと長くは続かない
愛されるより愛したい
饒舌な沈黙



3/28

毒がたまったら
体内デドックスは腸をきれいにするとか
岩盤浴やゲルマニウムで汗をかくとかさまざまあるけど
心にだって毒はたまるのです。
毒の原因はたくさんあるし、人それぞれだけど
どうやって毒だしするかが大切。
出し方によっては逆効果だったりしますから要注意です。

私の場合はひたすら書く。
とにかく書き出す。
きれいごとは書かない。
それこそ毒を吐く。
何が気に入らないのか、どういやなのか、腹が立つのか、むかつくのか
見事なまでに書き出します。
そうするとスッキリして整理もできるから一石二鳥。

あとはひたすら磨く。
キッチンだろうが、窓だろうが、お風呂だろうが、ゴシゴシ磨きます。

そしてひたすら野菜を刻む。
そんな日はたいがい豚汁かミネストローネになります。

こうした単純作業がいいんです。
副交感神経を刺激してくれてリラックス効果が得られます。

優柔不断の小心者なので大酒を食らうとか、ギャンブルに高じるとか
旅行にでかけるとか、パーっとお金を使って解放することはできません。

いずれにしても対処療法でしかないから
きちんと気分を晴らすにはそれらと向き合わなくてはならないんですがね。

原因?
そんなのはさまざまですよ。
子供だったり、パートナーだったり、自分だったり、経済だったり
ある時は生徒(その親)、ある時は体重、あるときは寝癖・・と
あげればキリがありません。


こうして毒をためながら「寛容」にもなっていきます。


3/15

桜咲く季節におもう
子供のころは何とも思わなかった桜が近年とっても気になるんです。
年を重ねるごとに恋にも似た気持ちで桜を待ちます。

桜咲く季節の中をあなたと歩きたい。
桜散る季節をあなたと眺めていたい。

桜色に染まった季節がもうすぐやってきます。

桜の木の下には死体が埋まっている。
コレは有名なお話
その人の情念がこんなにも狂おしく春を彩る。
だからこんなにも人の気持ちに入り込んでくるのか・・・

桜はいろんなキーワードになりますね。

思い出したくない春がある。
抱きしめていたい春がある。
残しておきたい春がある。
忘れられない春がある。

人の心の数だけ思う春があるのです。
それだけの桜花があるのです。


桜とともに旅をしよう



3/14

気づいたこと
私は低音が好きだってことに気づいた。
高音がコロコロとすべるそれらよりも低音のほうが脳にしっくりくるみたい。
疲労度がまったくちがう。

ホルンの音がいい。
チェロの音がいい。
平原綾香の声がいい。
だからユーミンがすきなのか??
男性の深い声がいい。
無骨な音質がいい。
温かい音、深い音、厚みのある音、丸い音がいい。
魂の深いところをつかまれたような気分になる。

そういう言い方をするとツッコミが入ったりするんだけどね。

単なる好みの問題なんですけど、「音」はひとつの泣きツボでもあります。

黄色い声は苦手だわ。

モーツアルトのきらびやかさよりもブラームスの重厚さがすき。
ドラマチックなプッチーニがすき。



2/22

ちゃんと記憶に残しておく
このページは閉鎖したのか・・??
いえ、閉鎖はしておりません。
冬でしたからね、冬眠です。
本当は啓蟄まで埋まっていようかと思ったけど
春ですからね、起きました。


過ぎ去った日々のことをどこまで覚えていますか?
たしかに存在したその時間をどれくらい覚えていますか?

「過去」は過ぎ去る
「未来」は未だ来ず

印象深い出来事は比較的容易に記憶として定着しますが
ごく自然に流れるごくフツーの出来事はなかなか記憶に残りません。
常に覚えている「記憶」と
キッカケで呼び覚まされる「記憶」
どちらも自分の中にあるものです。

私の中で「きちんと覚えておこう」と思ったものがいくつかありました。
ひとつは「出産」
この陣痛の痛みも、この食事も、この気持ちも、この感覚も。
きちんと覚えておくんだ。記憶しておくんだ。と。
だからしっかり覚えています。
娘たちが不安になって聞いてきてもちゃんと答えられます。

あとは「愛情」におけるさまざまな場面
言葉は無粋なものだけど
伝えなければ伝わらないもの。
きちんと気持ちを伝えるにはやはり「言葉」が必要です。

覚えておこうと意識することによって記憶を定着させる。

これからどんどん忘れて行くんですよね。
覚えておきたくても忘れてしまうんでしょう。
だったらなおさら
だからこそ
あの日のことを、あの時間を、あの瞬間を覚えておかなくてはなりません。

そうやって意識していても
自分に都合のいいように記憶してしまうのが
人間なんですけどね。




10/29

怒涛のような一ヶ月
なぜかめちゃめちゃ忙しいかった秋の始まり。
忙しいというより、慌しいといった方が心情的にはあってるかも。
ともに「りっしんべん」ですが、「つくり」でその意味合いを推し量れます。
そんな中で多くの出会いがありました。
新しい人との出会いは新鮮です。
刺激と感動が無条件でプレゼントされた気持ちになります。
さわやかさとみずみずしさが同居しています。
旧友との再会は熟しがあります。
会話の中に「発見」があります。
自分に対しての発見。相手に対しての発見。
薄皮をはぐような、潮の満ち引きにも似たゆっくりとした時間が
成熟を感じさせてくれます。
子供との出会いは大人のそれとは違います。
未成熟の強さ、たくましさ、奔放さ、繊細さ
そんな全てが「固定観念」や「常識」で固まった細胞をほぐしてくれます。

「今」わからないことがわかるのはいつだろう
この子たちが実感としてわからない「今」を
どうしたら感じさせてあげられるのだろう
そんなことを思いながら10歳の子供たちと接していました。
大人ができること、私が伝えてあげられること
何なんだろう・・


10年後、どうしていたい?
それがハッキリすると5年後が見えてくるよ
そうすると3年後がイメージできる。
ほら、1年後のことって簡単に想像できるでしょ?
目標って長いスパンで決めるといいよ。

旧友にいわれて10年前を思い出しました。
「実りある40代のために今は勉強する。
豊かな50代になるために10年後も走ってるんだろうな・・」
10年たった今、その50代を迎えるために
足元を固めている自分に気づきました。
量より質になってきました。
無我夢中で走る時代を過ぎて「今」なんですね。

時間設定をしないとどうやらそこに向かって動かないのが人間のようです。

月単位、年単位で時間を体感している大人と
分単位でめまぐるしく体感している子供とでは設定がちがってきます。

怒涛のような一ヶ月の中でいろんなことを感じ考えました。


人は夢をみる
それははかない
だから「儚い」



9/27

誰もがみな持っている
忘れられない場所があります。
忘れられない時間があります。
忘れられない音楽があります。
自分ひとりで思い出す場所は誰にもいいません。
一人で思い出す時間に余計なものはいりません。

一緒に懐かしむ場所があります。
一緒に時間軸を超える想い出があります。
そんな時は一緒にいることが何よりも重要です。
想い出のパズルをつなぎあわせる時間ですから
一人より二人のほうがHAPPYです。

その時の気持ちが残っているから想い出が濃いのか
豊かな時間だったからいつまでも心に残っているのか
それはその人、その場面でちがうけど
誰もがそんな場所や時間、できごとを持っているのです。
特別なことではありません。
みんな想い出の中に閉じ込めているのです。
心に秘めているのです。
黙っているだけなのです。


あなたも
わたしも

彼も
彼女も


それは恋の数だけあるのです。




9/22

私がお誕生日にこだわる理由
高校三年の6月、17歳のときに体調を崩し入院しました。
前日の晴天からは想像もできないくらいにその日は天気も悪く
梅雨特有の湿度の高さが肌にねっとりとまとわりついていました。
貧血で気分を悪くした友達を保健室に連れて行っただけなのに
まさか自分がそれから約半年もの間闘病生活を送るとは
その瞬間まで夢にも思っていませんでした。
そのまま倒れこんだのは友人ではなく私。
運ばれるタンカの上で顔にかかる霧雨を他人事のように感じていました。

原因不明のめまい、だるさ、吐き気、微熱・・・
どこの病院でも「わからない」「脳波に異常があるような・・」と。
脳波も心電図とおなじでその道のプロが読まないと
正確には読み取れません。
東大病院からの紹介で脳波研究所なるところへも行かされました。
大学病院を3つもかわり最終的に順天堂の脳外科で
「脳幹、小脳に異常がある」と告げられたのでした。
症状は脳腫瘍と酷似。
つらい検査の始まりです。
髄液採取は何度やって痛くて・・・
検査の最中に心停止はするわ、特異体質が判明するわの大騒動。
普通の人が大丈夫な検査でも
「50%の確率で原因がわかりますが、生存率も50%です」とまでいわれ
「たとえ原因がわかっても腫瘍の確率が高いので部位が部位だけに
残念ですが20歳まで生きられるかどうか・・」
両親は葬式を出す準備をしてその検査に臨んだそうです。

入院したところが脳外科だっただけに、死と隣り合わせの日々でした。
仲良くしてくれていた30歳のキレイなお姉さんは手術前日に
その長い髪が剃られて坊主に。マジックで頭に印が書かれていました。
その後集中治療室にいるとばかり思っていたら亡くなっていて・・
そんなことが当たり前のようなところでした。
優しかったおばさんも、本好きのお兄さんもみんな死んでいきました。

18歳のお誕生日はそんな病室の中で迎えたのです。

食べていても痩せていく。
食欲もそのうち失せていく。
温度が保たれた病室の窓から季節の移り変わりを眺めるだけの日々。
まっすぐ歩いているつもりなのに歩けていない。
ちゃんとしゃべっているつもりなのにしゃべれていない。
力がわかない。
気力がない。
ただ、横になって天井をみているだけ。
自分の命の先が見えても、死に対する恐怖感はまったくない。
そんなことすら心に響かないほどになっている自分。
家に戻ってきてもただ部屋の隅でぼぅっとしているだけ。
そんな私をみて「気が狂った・・」と両親は思ったそう。
モノクロの世界に長いこといたような感じ。

小脳萎縮症と診断がおり、原因は風疹の菌とナントカっていう他の菌が
血液から頭に入って、小脳を炎症させ萎縮へと導いたらしいです。
同じ頃、それが心臓に入った人がいて、あっけなく死んだことを聞き
人の人生ってわからないものだ・・と思ったものです。
原因がわかれば治療は簡単。
徹底的にその菌をやっつける。
ただそれだけ。
思えばその年の春先、友達たちはみんな風疹を患っていました。
私だけ発病せず元気だったんです。
しっかり体内で育てていたんですね。

その時からお誕生日は私にとって生きている証なのです。
あぁ。一年間無事に生きることができた。
そう思える唯一の日。

傲慢に生きている人たち。
生みっぱなしで親としての自覚のない人たち。
いとも簡単に自殺する人たち。
興味半分で殺す人たち。
平気で人を裏切りあぐらをかいている人たち。
殴りたくなってきます。
いらない命なら必要としている人にあげてください。
粗末にしている臓器ならムダにすることなく提供してください。
虐待や自殺を見聞きするたびに悔しくなります。
悲しみを通り越して憤りさえ感じるのです。

あの時から私の命は「ひろったもの」なのです。
だから、より人のために生きたいと思うのでしょうか。
あの時のことを思えば、何でもできます。
生きているということが全ての原動力なのです。
私にできることは何でもしたいし、してあげたい。
そう思う気持ちは今も変わりません。

歴史の年号なんて全然おぼえられないけど
お誕生日は不思議と頭に入ります。
キリストの誕生日も、天皇の誕生日も、大統領の誕生日も
私の誕生日も、家族の誕生日も、みんなの誕生日も
とても大切なものなのです。

私と出会ってくれてありがとう。
私をみつけてくれてありがとう。
私を生んでくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

この世に生まれ出たただ一つの日。
だからこそ尊いのです。
私にとってお誕生日は「いのちの日」

あれから30年がたちました。
50歳になっても、60歳になっても感謝とともに祝います。


9/17

しょうもないことたちがパワーになる
昔に比べてフットワークの軽さが激減してることを痛感しています。
知力の曲線は上昇気味なのに
体力の曲線は下降気味。
数年前にそれらがそろそろ交わるなぁと思っていたら
あっという間に体力は下降の一途。
かわりに耐力は上昇してるけど(笑)
体力があった頃はまだまだ人生経験が浅くヒヨッコの代表選手でした。
そのぶん、いろんなことにクビをつっこんだし
勉強したし、自己研鑽の日々でした。
それらがある程度身に着きはじめ「いっちょやったるか」
と鼻息も荒かった頃にプライベートでアクシデント。
ちょうどいい具合にハナっぱしらを折られました。

たしかに仕事面でも飛び回り、遊び面でも飛び回り
少しは家にいろよ、自分って感じでしたが
人間、いろんなしょうもないことが
その人を育てるんですねぇ。

今までやってきたことがムダになっていません。

演奏活動:技術力、表現力、集中力、度胸も愛嬌も身につきました。
たくさんの飲み食い:心身ともに血や肉になりました。
いろんな遊び:多種の楽しみやルールを知りました。
人との出会い:他者の意見、思考を存分に学びました。
ボランティアでのラジオ:人脈がひろがりました。
精神科でのお仕事:コレがもたらしたものは多大です。
仕事内容の移行:音楽と自分との関係や役割を明確にしてくれました。

今の自分がいつも好きです。

凹んでいても、落ちていても、不穏になっていても
元気良くても、頑張っていても、寝坊していても
スレンダーだったころも、ふくよかになったころも
みんなそれぞれに意味があるんですね。

楽しいことを知っているから伝えられる。
つらかった経験があるから痛みがわかる。
自分にも頑張った時代があったから人の頑張りを見守ることができる。

美しいものを知ってるから醜いものがわかる。
おいしいものを知ってるからまずいものがわかる。
本モノを知ってるから偽モノがわかる。
それらに似ているのかな。

自分のエネルギーを高めるために、今日もしょうもないことに奔走します。

知らないコトたくさんあるもの。
それらを知るためにはまずはやってみる☆



9/16

つれづれに想うこと
「先生、この曲うちの母親の世代だと思うんですが・・」とMちゃん
みると懐かしい曲がたくさん。
聖子ちゃんとか明菜ちゃんとか「ルビーの指輪」も入っています。
ジャケットを見ると「走れ!歌謡曲」
ん?これはラジオの・・??
ちょっとーー。お母さんっていくつ??

「先生、mixiしってます?」とAくん
「知ってる〜。私もやってるよ。」
ということでマイミク登録しあっちゃいました。

職場にはお若い世代がたくさんいます。
よくよく聞いてみるとなんと二人ともyukaと同い年。
娘と一緒に働いているようなものです。
あぁ・・・
うちの娘は彼らのようにちゃんと働いているんでしょうか。
親の知らないところで、しっかりと働いているのでしょうか。
はなはだギモンです。

そういう年齢になった自分ってことです。

職場に若い人がいると活気があっていいものです。
その反面落ち着きがなくなるのも事実です。
でもその若い力が患者さんたちを元気付けるんですよね。
年配者の落ち着きと若い世代の勢いがちょうどよく溶け合っているのが
「いい職場」といわれるゆえんでしょう。

私もそんな道を通ってきたってことです。

子供叱るな/来た道だもの/年寄り笑うな/行く道だもの。
来た道/行く道/二人旅/これから通る今日の道/通り直しのできぬ道

そんな言葉を思い出すこのごろ。

そしてもうひとつ
昔、年上の指導者仲間から言われたこと。

口に「+」と書いて「叶う」
プラスのことを口にしなさい。
マイナス(-)なことを言ってはいけません。
せっかく「+」なことを言っても、「-」なことをひとつでも言うと
それは「吐く」だから。
全部なくなっちゃうよ。


人生のセンパイは心に響くことをいつも教えてくれます。


8/31

ひろみ先生のレッスン+one
第四水曜日にやっているラジオのコーナータイトルです。
レッスンについてお話したり、ピアノについてお話したり
金曜日の「音楽くすり箱」よりちょっとまじめなコーナー。
夏休み最後ってこともあり
今日は中三の生徒ちゃん二人を連れて行ってきました。

「自分にとってピアノとは」
この質問に対して二人が答えてくれたことを紹介します。

ももちゃんはこの夏NHK合唱コンクールの伴奏をやった生徒。
この曲はかなりむずかしく弾きにくい作品でした。
「なんか嫌い・・」
曲に対してのマイナスの感情がモロに演奏にでていて
仕上がりにも時間がかかり、この壁をどうしたら越えられるか
私も指導者として一緒に成長した夏でした。
自分にとってピアノは「息抜き」 
いやなことがあったり、行き詰ったときに弾くと、
気持ちが落ち着くしスッキリする。
運動みたいに激しくはないのに気持ちいい爽快感がある。
と答えました。

自分にとってピアノは「自信につながるもの」
何も自慢できるものがなかったけど、ピアノは自分に「自信」をくれた。
中学に入って練習する時間がなくなったけど、
これでやめたら自分には胸を張って言えるものはなくなるからやめたくなかった。と答えたゆうきちゃんは
小学校のころ毎朝学校に行く前に
ピアノを弾いていたという経歴の持ち主。
勘のいい子で飲み込みも早く年齢の割りに大人びていた子供でした。
(単に、朝早く起きて暇だったからという理由ですが)

二人がなんて答えるかとても興味がありました。

ももちゃんは小学生の頃なかなか音符の理解ができず、
曲の進みが本当に遅く、毎回試行錯誤の連続だったし
ゆうきちゃんは練習時間がなくなってしまったことで
物事全般に対しても「いいかげんさ」が見え隠れしたこともある生徒でした。

ともに「心のよりどころ」になっているピアノ。

音楽本来の姿を感じた瞬間でした。

親だけが頑張っても、先生だけが頑張っても、生徒だけが頑張っても
上手くいかないし、長くは続かない。
理解と、協力と、信頼関係が築けたときに
大きな力がうまれ、揺るがない太い絆が姿を現す。
この三者が一体となって作り上げるのが「習い事」
三人のこんくらべとはよく言ったものです。

練習するに越したことはないけれど、できないときだってあります。
大切なのは「続ける」こと。
続けた先に、自分でもハッキリとわかる「手ごたえ」があるんですね。

人が、その瞬間ごとに感じることのできる「何か」を
「継続」はしっかりと教えてくれるのだと思いました。

私にとってピアノ(音楽)とは・・・
自分とそれらを結ぶかけがえのないパートナー


7/31

プレバースディー
我が家のベーベちゃんsakiも8/1には17歳になります。
17歳っていったら大人と子供を行ったり来たりのキラキラの真っ只中。
南沙織の「17才」が浮かんできちゃうくらい。
森高千里でもいいけど私の年代だとやはり南沙織・・・でしょう!
夏生まれの子はどうしてもお誕生日が夏休みになるから
あまり友達からも祝ってもらえず、けっこう損した気分になるのは
長年経験済みの私にはよ〜〜くわかる。
だからなおさらその日を工夫して楽しくって思っちゃうんです。
朝っぱらからお祝いして驚かせた年もありました。
今年は前倒しで今日、お祝いをすることにしました。
家族でお祝いするのもあと数えるほどでしょう。
じきに親よりも友達や彼氏がお祝いしてくれるんですもの。
おまけに明日は月曜日ゆえ相方は仕事。
ご本人はみなとみらいの花火大会。
浴衣を着てボーイフレンドちゃんとおでかけだってさ。
高校生の頃、浴衣着て花火大会なんか行ったことなかった私には
うらやましくって仕方がない・・。
(今はなおさら、浴衣着て花火大会には行かないけど)

そんなわけで
朝から仕込み!
買出しは昨日!
肉好きのsakiが「もういい・・」というくらいのメニューを相方が企画。
あれ以来ずっと続いているパパごはん。
ステーキ肉のかたまりを買い込んで分厚く切ってる・・
ネットでレシピ調べてる・・
もともと料理好きの食いしん坊だけど、今回はリキ入れてます。

「パパと血がつながってきたんだよね〜〜♪」
「おぅよ!!」

食べ物でつながる親子の絆・・
ソレモアリ。

いろんな経験をしてほしい。
楽しいこともつらいことも
すべて自分が選んでいる(自主選択)んだってことを学んでほしい。
切り開く力も、一呼吸する力も、自分の中にあるんだってこと。
それらのことを母は伝えてきたんだよ。
気づいてますか?

小さい頃は
「赤は止まれ、青はすすめ」とか「お箸はこう持つんだよ」とか
「好き嫌いはダメだよ」とか「帰ったら手を洗うんだよ」とか
「順番を待つんだよ」とか、「意地悪しちゃいけないよ」とか
年齢、学年ごとにいろんなことを場面場面で教えてきたけど
そんなマナーや躾の域はもう卒業してるから
これからは一段階上のことを導いてあげたい。
アメリカは18歳で独立(自立)させるけど
日本は20歳まで親の庇護下。
それにはそれだけの理由や意味があるんだと私は思います。

あと三年。
何を伝えられるか。
何を残せるか。

私にとっても卒業へのカウントダウンの始まりです。



7/28

お昼寝
我が家のリビングで生徒ちゃんが寝ています。
中学二年生の女の子。
連日の部活と塾、おまけにこの暑さ。
大人だってへばります。
夏休みは朝からレッスンをするんですが
彼女が来たのは午前10時。
最近の子特有の「疲れた」「眠い」「だるい」の連発。
もともと頑張り屋でレッスンも休まずまじめに練習してくるのに
どうも今日は体調優れず・・って雰囲気。
1時間レッスンして「少しこっちで寝な」と一言。
お母さんは朝から用事でおでかけだからお昼も一人らしい。
だったら寝たいだけ寝かせてあげることにしよう。
11時からの子(中学三年)はNHK合唱コンクールを目の前に控え
その伴奏でキリキリ舞い。
ここ数日朝と夕方二回レッスンにきています。
今日もお弁当をもってレッスンにきて、そのまま学校で練習。
その後またレッスンにくるというハードスケジュール。
「ももちゃん、どっちでご飯食べる?」
「涼しい方が良いからこっち〜☆」
「じゃ、時間見て遅れないように行くんだよ。」
「先生、えりなちゃんは?(実は同じ部活の後輩)」
「あ、こっちで寝てるよ♪」
「あ・・ホントだ。先生、せっかくだから起きるまで寝かせてあげてね。
親ってゴハンとかいって起こすけど、おなかすいたら起きるし」
「OK!」

その後、えりなちゃんは一時間ほど寝て、自ら起き
我が家の昨日の残りモノ(ゴーヤチャンプルー)とお素麺を
私と一緒に食べ、そしてまた寝ています。
風が通り抜けるリビングはたしかに気持ちがいい。

ももちゃんと入れ替わりに帰ってきたsakiも何の違和感もなく
えりなちゃんとゴハンを食べ、お昼寝を見守ります。
「我が家の三女みたいだね。かわいいね。
こんな風にゆっくりできるところって他にはないんだよね。
保健室みたいな音楽教室じゃん♪」

大人も子供もみんなそれぞれに重すぎるほどの荷物をかかえて
毎日一生懸命生きてます。
たまには荷物降ろして、休憩していいんだよ。
疲れちゃうと次の荷物が背負えなくなっちゃうもの。

じゃ、私はこれからレッスンだからね。
あとはよろしく!

きっちりやる習い事とリラックスできる習い事
ONとOFFが習い事にあってもいいと思う・・・・。
私はすすんでOFF型の習い事を提供しちゃいます。



7/24

呼び方
けっこう前からだけど、気になっていることがあります。
それは呼び方。
みなさんは自分のことを何て呼びますか?
夫婦間で呼び合うときは
双方の名前だったり、愛称だったり
子供がいれば「お父さん(パパ)」「お母さん(ママ)」だったりしますが
自分のことを自分で言うときが問題なのです。
女性なら「私」「あたし」
男性なら「俺」「ぼく」
などが一般的だと思いますが
成人していて、しかも30歳をすぎているのに
自分のことを名前で呼ぶ人いますよね。
あれって気になるんです。
いい年して自分のことを「○○ねぇ」とかいう人。
頭悪いっていうか、幼稚っていうか、ハッキリ言って引いちゃいます。
そういうことが「かわいい」に直結していると勘違いしている女性・・
さすがに男性ではいないでしょうが・・。
そういう女性とは一緒に仕事したくないですね。
幼馴染や小学校のときからの知り合いだったら
おつきあいも「腐れ縁」的なくくりで継続しているかもしれませんが
そうでない場合は気味が悪いです。
ごめんなさいです。
プライベートと職場では使い分けているのかもしれません。
そうであってほしいですが社会人としてどうなんでしょう。
はなはだ疑問に思います。

実は娘たちも自分のことを名前で呼んでいました。
sakiはいまだに自分のことを「saki」と言います。
yukaも大学に行くくらいまで「yuka」だったように記憶しています。
自分の子供だと気づかない局面でした。
ある日yukaが「あたしね」と言ったんです。
「え!?」と思いました。
むしろ不自然にさえ感じたんです。
でも、これがフツーなんですよね。
「あたしって言えるようになったんだ・・」といったら
「だってさ、みっともないじゃん。いい年してyukaなんていってたら」
おお・・!社会性が身についているではないか。
バイトのおかげ?上級学校のおかげ?
いまだにプライベートやごく親しい仲間内では
私のことを「ママ」と言っていますが
高校入学を機に自ら対外的には「母」「母親」にスライドしていました。
「お母さんが・・」なんていってたら即やめさせます。
これはsakiも一緒。
あとは自分のことをいつ「あたし」に変えるか・・・です。

私は自分のことを「あたし(私)」といいます。
たまに親として説教するときは「ママ」といい
指導者として意見するときは「先生」といいますが
ほとんどの場合は私個人(人として)として物申すので
子供たちに説教する場合も、レッスンのときも「私」です。

配偶者に対しての呼び方もさまざまですよね
主人、ご主人、だんな、夫、妻、家内、奥さん、うちの、嫁、つれあいなど
地域性や親密度、公私で呼び方が違ってきます。
まだ私が駆け出しのころ、仕事の集まりのときに
(20歳くらい)年上の友人がご主人のことを
「○○(苗字)」と呼んでいたのがとても印象的でした。

呼び方ひとつでその人の品性もお人柄も出るってことですね。


6/28

まいりました・・・・
それは先週の金曜日。
甥っ子ちゃんのレッスンをしている時でした。
カサ・・。ポタ・・。
レッスン室には私と甥っ子ちゃんしかいません。
ゴキブリ!?
何かの気配を感じ、ピアノの音以上に耳を済ませます。
ポタ・・・。ポタ・・。ポタ ポタ
だんだん間隔が短くなります。
後ろを振り向いても何も居ません。
音のするほうへいくと、レッスン室にあってはならないものが・・・!!
うそ・・!何これ・・??
頭の上にポタ・・・
つめたっ!
見ると上から水が・・・。

何??

エアコンから水漏れです。
雨漏りではありません。
エアコンです・・。
泣いてます。

床、びっちょり!!
ちょっとした水たまり・・・
ぎょぇ〜〜〜〜っっ
「そこんとこ30回弾いてて!」
「え〜〜〜〜」
「いいからっ!とにかく弾くっ」
甥っ子ちゃん(小1)に冷たく言い放ちタオル持つこと3枚。

・・・・・・・・・
あたしゃ もう ガックリですよ。
レッスンどこではありません。
エアコン切った防音室の暑いこと!熱いこと!
死にそうです。
不健康な汗がでてきます。
防音室解除。
この際家中に音を響かせましょう。
通行人の皆さん、しばしお楽しみください♪

(扇風機ってやつを思い出さなかったんだなぁ〜。団扇使用・・)

修理・・・かぁ・・・。
場合によっては買い替え??
お金出て行きすぎだよー。


ネットで修理予約して、修理までの間のレッスンはエアコンの下にゴミ箱・・。
規則的な雨だれをききながらレッスンしました。

そして今日、修理のお兄さんがきました!


おかげさまでエアコンは直りました。
あっという間の作業です。
これからはレッスンも快適です♪


フィルターの掃除だけじゃダメってコトです。
ダクトの掃除は素人ではできません。
たまにはプロのお掃除屋さんに頼まないといけないらしい・・・。
なるほど。
長く持たせるには定期的なメンテが必要ってことね。
了解!

「では、出張費と作業費で○○になります」
「ありがとうござい・・ま・・す・
(うそ〜〜〜〜。涙)
すいません!コンビニ行ってきます!
お金が・・ちょっとたりないですー。
カード払いって・・・できませんよねぇ・・・・
「あはは。いいですよ。じゃ、あとから請求書送付しますね〜。」
・・・・・・すいません
(やさしく微笑んだ瞳の奥が、気持ち冷ややかに見えたのは私だけ?)

そうだ・・昨日、新聞代払ったんだった・・・・
がっつり忘れてました・・・・。


泣きたいのはこっちだよーーーー


え?いくら足りなかったかって?
野口君一人分



6/23

盛りだくさんの二泊三日
6/19日から21日まで万博に行っていました。
掲示板や口福日記にも書いているので内容は省略。
一緒に行ったのは三太朗一家。
旅行に行くのは初めてです。
が、
飲み食いのテンションが同じだったからかなり盛りあがりました。
初日のサプライズには本当にびっくり。
足湯つきの居酒屋で翌日の計画を立てながら飲み食いを終え
「じゃ、そろそろ行こうか」
というそのときお店の人がロウソク付きのケーキを。
「え?」(だれかお誕生日だったっけ?三太朗父?)
「おめでとう〜〜!!」(おめでとう〜〜!って便乗拍手する私)
そしてケーキを見ると私たちの「結婚一周年記念おめでとう」の文字が!
「え〜〜!?うそ〜〜」
感激しました。
素直に嬉しかったです。
いつもそういうことをする側だったので、してもらったのは初めてです。
夫婦として暮らしているといろいろとあるものです。
めげそうな日もありました。
それはきっと相方とて同じでしょう。
これからも一緒に仲良く笑って暮らしていこうと心ひそかに思いました。
一年前が鮮明によみがえりました。
「末永くお幸せに!」
相方は照れていましたけどね。
がんばります♪
ありがとう!

そして
名古屋にはネットで知り合ったお友達&音楽友達が住んでいます。
不慣れな土地で今回ほど人情と愛情を感じたことはありません。
実は
相方が初日に咳がゴホゴホ(未だにゴホゲホ。気管支炎か肺がんか?))
二日目に捻挫発覚(万博会場では車椅子・・・!)
そして帰宅したら左目が腫れている・・・(ものもらいだよ)
いわば三重苦状態@名古屋だったのです。
帰宅翌日は有無も言わさず病院デス・・
名古屋組の連携プレー&三太朗一家のケアで無事に乗り切れたものの
人とのつながり、思いやりが染み渡ったことはありません。
みな嫌な顔ひとつせずいろんなことをしてくれたんです。
車は出してくれるわ、万博会場を走り回ってくれるわ・・・
いろんな手配を快くしてくれました。
私一人だったらオロオロしていたにちがいありません。
疲れがたまって不機嫌になって無口になっていたにちがいありません。
顔に出さないようにしようと思いながらもイライラしたかもしれません。
最悪、けんかなんかしちゃったかも・・。
そんなことしたら「魔の六月」復活です。
みんなに支えられて楽しく過ごすことができました。
車椅子を押すのは病院で慣れていましたが
100キロもある巨体を乗せて押すのは初めてです。
前が見えません。
なだらかな坂ほどきついものはありません。
くだりは当然きついです。
相方も肩身が狭かったことと思います。
大きな体が小さくなっていました。

いたわる身、いたわってもらう身、ともに経験した二泊三日でした。
でもね、ちょっとうれしかったんだ。
相方は純でシャイでナイーブ(自称)です。
あまのじゃくで、けっこういばりん坊です。
雑踏で手を引かれたことはあっても
恋人つなぎなんてしながら歩いたことはありません。
ふだん外で一緒にくっついてることはないけど
今回ばかりは誰かいなきゃ不自由でしかたない状態。
万博会場の車椅子は自分で動かせるタイプだったけど
笹島サテライトのは自分じゃ移動できないタイプだからなおさら・・。
「恥ずかしい」を通り越して「仕方がない」が優先の相方でした。
私はちょっとニンマリ。えへへ。

お互い自己管理を徹底して、健康体でたくさん遊びにいこうね♪

お世話になったみなさんに感謝してやみません。


5/12

なんだかモヤモヤ・・・
GW、いかがでした?
我が家はそれはもうイベント満載。
どこをとっても息つく暇もないくらい・・・
ある意味とても思い出深いGWでありました。
その反動と言うか、余韻というか、余波というか・・・
その濃密さにいまだヘトヘト感ありです。
バテています。
まさに連休バテ。
プチひきこもりともいいます。
五月病??
仕事以外では外に出ません。
出たくありません。
買い物も最小限に抑えています。
でもなぜかお財布の中身は軽やかに・・どこいくんだろう?
とはいうものの
新緑の季節なのですよ。
見渡す限りの緑!
色鮮やかです。
薫風!
この上なくさわやかです。
花粉症の人もそろそろマスクなしで出歩けるんじゃないかしら。
晴れていればホントに気持ちのいい季節です。

明日は横浜のお仕事なので朝からおでかけです。
通勤ラッシュ時ではありませんが
女性専用車両がある時間帯なので乗り込んでみます。
怖いもの見たさってやつですね。
きっと安心してみなさんぐーぐー眠っているのかも。
それともメイクに熱中かな。
香水くさかったらいやだなぁ。
もしかしたらプチ着替えとかしてたりして・・。
一般車両でも女子高生って平気で靴下は着替えたりしてますもの
女性専用となったらそれはもうスゴイのでは・・・!?
明日のお出かけもそんなことを考えるとちょっとワクワク(笑)
でも一番後ろの車両なんですよね。
出口や階段に近いところをちゃんと計算して今まで乗っていたので
そのへんはちょっと不便。

差別と区別ってやつですね。