「で? どういう関係なの? 門脇くんと晴乃は。」
あたしの話を一通り聞いた後、美記は康平に尋ねた。
「だから、小学校の時・・・」
リトルリーグでバッテリー組んでた、ってあたしが口を挟もうとしたのに。
「晴乃は・・・俺の女房だ!」
康平は当たり前みたいに言いやがった。
「えっ・・・。」
美記は思わず反応してあたしの目を見る。
只でさえ超高校級ピッチャーとして入学する前から有名人の康平が割と大きな声でそんなこと言うもんだから、今までこっちに背を向けて座ってた隣の隣の席の人まで振り返った。
「妙な言い方すんなよ、バッテリー組んでた、って普通に言えよ。」
あたしは康平の頭を思いっきり小突く。
「ってぇ、止めろよ、男女!」
無意識に康平が返した言葉に。
「ふふっ。」
笑ったのは美記だ。
「?」
「ごめん。『男女』って、小学生みたいで可愛いなーと思って。」
康平が言うから何気なく受け止めてたけど、確かに高校生のセリフじゃないね。
けど、あたしはみんなと中学が違ったから昨日の入学式まで三年も会ってなかったのに昨日もおとといもずっと一緒にいたみたいに当時のままの関係に戻ってる。
それがなんだか心地よかった。
「可愛くないよ、こんなでっかいヤツ。」
そのままのノリで康平の肩を叩こうとして、あたしは手を止めた。
康平の肩は昔と同じじゃないんだ・・・。
「おい、晴乃、康平の肩なんて叩くんじゃねぇぞ。」
「あ、祥吾、おはよ。」
気がついたらあたしの後ろに立ってた祥吾を振り返って見上げる。
「康平の肩には俺たち野球部みんなの、ていうか学校の、期待がかかってんだからな。」
そんなこと、祥吾に言われなくたってわかってる。
「もちろん、この野球名門校織田高でショートのレギュラーの座が約束されてるこの俺様に
触れる場合も優しくな。」
祥吾はそう言うと空中でナニかを揉む仕草をする。
ったく、コイツも全然変わってない。
「どうだか。あたしはあんたが野球部だってこと自体びっくりだよ。中学行ったらバスケ部入るって言ってたくせに。」
そう。
祥吾はどうして・・・。
「へぇ、リトルリーグで全国準優勝したチームでレギュラーだったのに野球以外も考えたんだぁ。」
美記は普通に感心してる。
「まぁな、野球以外にも俺を必要としてる場所があるに決まってるからよ。」
祥吾は軽く答えたけど、あたしは納得できなかった。
厳しい練習と坊主がいやで中学では野球はしないって、決めてたはずの祥吾。
「・・・・・・。」
あたしは思わず祥吾の顔を見つめていた。
「なんだよ?」
「ううん、別に。」
今は、深く考えるのはやめよう。
所詮、小学生時代のことなんだから。
「そういえば晴乃は中学ではソフト部か?」
康平は思い出したようにあたしに聞く。
「んなわけねぇよ。」
間髪を入れず、祥吾があたしのかわりに答えた。
「え、えっと体操部。」
祥吾があまりにも素早く言うもんだからあたしも焦って返答する。
「ふーん。」
まるで怒ってるみたいな口調の祥吾を気にしながら、康平はそれだけ言った。
祥吾、あたしがソフト部じゃないってなんではっきり言えたんだろう。
あたしはリトルリーグでキャッチャーとしてレギュラーで4番だったんだよ?
流れでいったらソフト部入るのが自然だよ?
あたしの思いわかってるの?
「だろ?」
勝ち誇ったように言ってふんぞり返る祥吾の目は笑ってない。
そうだよ、ソフト部になんか入れなかった。
「・・・うん。」
あたしはうつむき、その場には少しだけ静寂が生まれた。
そしてホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴り、あたしたちは席に着いた。


放課後。
一週間後に入部届けを一斉に出すまで一年生は定時に帰ることになっている。
「帰ろ、晴乃。」
「おぅ。」
あたしは美記と教室を出ようとしていた。
「晴乃!」
「ん?」
康平の声だ。
「一週間も部活にいけねぇんじゃ体なまっちまうからこれから祥吾とちょっと遊んでから帰るんだけどお前も付きあわねぇか?」
あー、遊ぶって所謂自主トレね。
「どこで?」
「小学校んときの練習場、監督には許可とってある。」
『小学校のときの練習場』
あたしの胸が小さく疼く。
「行こうぜ、な。萩原さんも。」
康平の無邪気な笑顔が、なんだか切なかった。
あのグラウンドで、康平と祥吾と、あたしは平気でいられるだろうか?
あたしの中でいろんな思いがぐるぐる回った。
今の康平の力が見たい。
もしかしたらついていってもキャッチボールとかしてくれないのかもしれない。
それはすごく辛いけど。
でも。
「美記、いい?」
「うん。見てみたい。」
結局、あたしは行くことにした。


大きな市営公園に隣接するかなり整備された野球場。
うちのチームの専用ってわけじゃないけど、あたしたち以外にも全国に行った代があったりして
市も応援してくれてるのか実質専用みたいになっていた。
OBもよく利用してるけど、あたしは中学に入ってから一度も来たことはなかった。
康平と祥吾は格好は学ランを脱いだだけの制服姿だけどなぜだかグラブだけは二人とも持っていて軽いキャッチボールをはじめている。
パン、パンとボールがグラブに収まる音を聞きながらあたしはその場に立ちつくす。
「そこ、危なくない?」
あまりにも二人に近づきすぎてたあたしに美記が声をかける。
「あ、ありがと。」
少し後ろに下がったけれど、あたいは康平と祥吾から目をそらせなかった。
変わってないなぁ・・・。
康平のあの腕の振り下ろし方も祥吾のあの足の運び方も小学校のころの面影が残ってる。
目を閉じれば思い出せる、あの日のこと。
カウント2−3、ランナー1、2塁。
大きな一本がでればサヨナラ負け。
炎天下、疲れきった康平の渾身のストレートは弾き返された。
白球が向かうのは三遊間。
なんてことないショートフライになるはずのその打球は祥吾のグラブの先に接触、ボールは行き先を変え、グラウンドの奥深くに、転がっていった。
そして同点のランナー、逆転のランナーがホームベースを踏んで駆け抜けてゆく。
それはあたしが出場できる、最後の『野球』の試合だったんだ・・・。
「どしたの? 泣いてる?」
ふとわれに返ると美記が顔を覗き込んでいる。
「え? そんなことない・・・けど。」
言ったけど、目を開けてみたら視界が滲んでいた。
ひとつ瞬きをしたら涙はあふれて頬を伝った。
「たった三年前、晴乃はあの人たちと肩を並べていたんだね。」
あたしの心を見透かしたかのように美記は言う。
「うん。」
わかってたけど、やっぱり・・・。
あたしは頬の涙を手の甲で拭って口だけ笑った。
「おーい、晴乃。」
いつのまにかキャッチボールを止めてた康平が腕を大きく振ってあたしを呼ぶ。
「久しぶりに俺の球、受けてくれねぇか?」
康平の言葉に。
あたしは折角作った笑顔が固まった。
受けたい、心底思った。
「うそ・・・、超高校級だよ。」
美記の呟きも耳に入ったけど。
「わかった!」
あたしは走り出していた。

「パンツ見んなよ」
あたしはセーラー服のまま、康平と対峙してそんきょの姿勢をとった。
キャッチャーとして見る康平の姿が大きい。
あの頃はあたしのほうが大きかったのに。
「遠くてみえねぇよ、行くぞ。」
康平は振りかぶって。
パンッ。
ボールはあたしのグラブに入った。
くぅー、懐かしい。
康平の投球の感触。
すぐに投げ返して次のボールを待つ。
パンッ。
もう二度と、この感触を味わうことはないと思っていたのに。
こうやって康平の正面に座ることもないと思っていたのに。
忘れようとしてたのに。
あたしは一球、一球をかみ締めて捕球した。
「手、痛くないかぁ。」
「大丈夫ー。」
でもね、あたし気づいてた。
超高校級だもん、当たり前なのかもしれないけど、康平はあたしへの投球に手加減してる。
体力的に男子に敵わないってあの頃だってわかってたけど、手加減なんかなかった。
情けないね。
あたしはもう康平の女房じゃない。
康平の球、受けても全然痛くないけど、すごく痛い。
また涙が出そうになった。
「康平、俺にも晴乃とやらせろ!」
傍らで休んでいた祥吾が突然大声をだした。
「おう!」
康平はあたしが返したボールを祥吾に渡す。
「行くぜ、晴乃!」
祥吾は振りかぶってぇ、
「晴乃、お前・・・。」
投げるのを一度止めた。
「ん?」
「今日のパンツは黒か?」
はぁ?
あんたねぇ。
「わざわざ投げんのやめて言いたいことはそれだけか!」
あたしは怒鳴った。
黒、だけどね。
「行くぜ! 黒パンツ!」
祥吾が投げたボールはあたしの構えたグラブに鋭くくい込んだ。
グラブを通り抜けて指まで痺れる強い投球。
康平と、よりは当時キャッチボールした回数は少ないけど、わかるよ、祥吾。
あんたは本気だ。
「大声で言うな!」
思いっきり投げ返す。
たった一球受けただけで痺れが取れない祥吾の球。
これが高校生の男の子の球なんだ。
甲子園を目指す人の球なんだ。
敵わない、叶わない夢なんだ。
どんなにがんばっても超えられないものはある。
それでも祥吾はちゃんと付き合ってくれている。
どうして、こんな風にしてくれるの?
あの日のことを、まだ・・・。


あたしたちは日が暮れるまで懐かしいグラウンドで汗を流し、それからあたしたちは彼らと別れ、
二人で家への道を歩いた。
「桜木くん、言ってたよ。」
美記はおもむろに口を開いた。
「祥吾が? 何を?」
なんだろう?
「あの頃、守備もバッティングも、晴乃には絶対負けてたんだって? 彼。」
「そうかな?」
なにを言ってたかと思えば・・・。
「頑張っても頑張っても、晴乃との力の差ばっかり気になって、5番の門脇くん、4番の晴乃の前の3番にいることが怖かった、って。」
練習嫌いの祥吾が、3番にいることを怖がってたのはあたしの方だよ?
祥吾が真面目に努力したらどうなっちゃうんだろう、って。
いつか康平も祥吾もチームのみんなも男になってあたしを超えていくんじゃないかって常に怯えてた。
6年のとき、あたしが一番背高かったけどだんだん目の高さが近くなってきて、みんな肩も強くなってきて。
あたしだけ取り残されてく。
「晴乃はずっと、超えられない壁なんだって・・・。」
壁、か。
あたしの壁はもっと高いよ。
あたしはどんなに頑張っても甲子園には行けない。
「でも、ほんと、すごいね、晴乃。」
「え?」
急にトーンが変わった美記の声。
「織田高の野球部と普通にキャッチボールできちゃうなんて。」
「いや・・・。」
普通に、ではないけど・・・。
口ごもるあたしに。
「晴乃、ずっと『野球』の練習続けてたもんね。」
美記は言って、そんな顔は男に対してしろよ、ってぐらいの微笑をあたしに向けた。
そういうこと、言うな。
そんなことしたってどうにもならないってことはあたしだってわかってる。
「うん。」
あたしは自分の掌のバットだこを握りしめ、呟いた。


 -終-


* 解説 *  *