遺伝子の川

リチャード・ドーキンス

自己増殖を続ける遺伝子。私たちは本当に遺伝子の乗り物なのか。そして進化とは何か。世代を超えて流れ続ける遺伝子の川の流れをたどりながら、自然淘汰と生命の謎に迫る。

ディジタル・リヴァー

どんな民族にも自らの祖先にまつわる叙事詩的な伝説があり、しばしばそういった伝説は宗教的礼賛という形をとるようになる。人々は祖先を敬い、崇拝さえする。生まれるすべての生物のほとんどは、十分な発育を見ないうちに死んでしまう。生き残って繁殖する少数のうち、なお子孫を1000世代ののちまで生かせるものは、さらに少数である。この少数の中のごく少数者、祖先のエリートのみが将来の世代から祖先と呼ばれる資格をもつ。祖先は希少な存在であり、子孫はありふれた存在なのである。

すべての生物がすべての遺伝子を、祖先と同世代で失敗した者からでなく、子孫を残した祖先から受け継いでいる以上、あらゆる生物は成功する遺伝子をもつ傾向がある。彼らの祖先になるのに必要なもの、つまり生き残って繁殖するのに必要なものを持っていることになる。

だからこそ、鳥はあれほど上手に飛び、魚はいかにもすいすいと泳ぎ、猿は木登りがとても得意で、ウイルスは広がるのがうまいのだ。我々が人生を愛し、セックスを好み、子供を可愛がるのも、せれゆえである。それは我々全てがただ一人の例外もなく、成功した祖先から途切れること無しに受け継がれてきたすべての遺伝子を持っているからにほかならない。

この本の表題で「川」はDNAの川であり、空間でなく時間を流れる。それは情報の川である。情報は体を通り抜けながら体に影響を及ぼすが、その際に体から影響を受けることはない。

いまやDNAの川の流れの数は、おそらく3000万にのぼるだろう。なぜなら、地球上の生物の種の数がそれくらいだと推定されるからである。また、現存する種の数は、かつて生存した種の数の約1%と推定されている。そうだとすると、DNAの川には総計30億の流れがあったことになる。今日の3000万の流れは元に戻すすべもないほど離れていて、その多くはやがて消えていく運命にある。というのも、ほとんどの種が絶滅するからである。3000万の川を過去にさかのぼっていけば、一つまた一つと川が合流していくのがわかるだろう。

約700万年前のところで、ヒトの遺伝子の川はチンパンジーの遺伝子の川と一緒になるが、それはゴリラの遺伝子の川が合流するのとほぼ同じ時期である。さらに数百万年さかのぼると、我々とこれらのアフリカの類人猿が共有している川にオランウータンが加わる。さらにさかのぼると、ギボンの川−下流ではテナガザルやフクロテナガザルの多くの種へと分かれていく川に−合流する。時間をさかのぼるにつれて、われわれの遺伝子の川に合流するいくつもの川は、下流にいくにしたがって旧世界ザルや新世界ザルやマダガスカルのキツネザルへと分岐する定めにあるのだ。さらにさかのぼると、げっ歯類や猫、コウモリ、ゾウなどの、ほかの哺乳類の大グループとつながる川と一緒になる。それより先では、様々な種類の爬虫類や鳥類、両生類、魚類、無脊椎動物などとつながる小川に出会うことになる。

遺伝子は純粋な情報である。純粋な情報はコピーすることができるし、ディジタルな情報なので、複製の正確性は計り知れない。我々は、プログラミングを行ったディジタル・データーベースを増殖させるようなプログラムされた生存機械なのである。