第9集:ヒトは何処へいくのか

氷河期にマンモスさえ餌食として、全地球的規模で拡散した人類は、あらゆる動物を殺し、すべてを食べ尽くす猛獣となった。

爆発的な人口増加による食糧危機は、イネ科植物との出会いによって乗り越えられた。

農耕革命によりヒトは植物と共に歩き始めた。

第1章:一万年前の人口爆発

200万年前に始まった氷河期は、地球の歴の中で極めて特殊な時代であった。気候の変動が激しく、今存在する生命はこの氷河期を乗り越えるために、絶滅の危機と進化を繰り返した。

氷河期に生きた人類は得られる食料に応じて、人口の増減を繰り返しながら氷河期を生きていたに違いない。激しい気候変動によって、豊かな時代と飢餓の時代が突然やってくるのである。

110万年前にアフリカを出発した人類は、すぐ東南アジアへ。80万年前に温帯の暖かい地域へ。 60万年前に温帯の寒い地域へ進出した。極寒のシベリアには、3万年前に西から進入。2万年前に東から本格的に進入した。また、1万2000年前にアメリカ大陸へ入った人類は1000年という短い期間で南アメリカの南端に到達した。しかし、無尽蔵だと思われた食料にも当然限界がある。南アメリカまで到達した人類を待っていたのは、飢餓と絶望の危機だった。

そして、1万年前に人類は農耕牧畜を始めた。狩猟採取という方法で自然の恵みを利用する生活から、食料を生産するという新しい技術を得たのである。

第2章:農耕生活から全てが始まった

なぜ、人類が狩猟採取から農耕へと変わったかは、現在もはっきりた定説はない。しかし、氷河期という気候変動や人口増加などが要因だったと考えられている。

それまでの時代、人々はごく限られた洞窟の内や外で暮らしていた。そして、農耕が始まると村ができ、大勢の人々が暮らすようになった。牧畜も始まり、土器や新しい宗教が出現した。

村の成立とともに、穀物の貯蔵による貧困の差、階級や権力が生まれてきた。村文明の段階で、集団の間のコミュニケーションの必要性から文字が生まれた。そして、農耕技術が周辺に広がるとき、灌漑の必要性から用水路の開拓や水の分配が始まり、技術や管理というものが生まれてきた。
管理社会の原点は、農耕技術の発明にあったのだ。

地球生命の未来は人類に託されている

はるか40億年前、猛毒・高温の海に生まれた生命は、酸素を作り出し、自らが住み易いよう地球環境そのものを変革した。そして、脊椎動物の上陸においては、両生類が水を離れて陸地で生息できるよう、骨格や肺といった生命維持装置を作りだした。

この上陸が生み出した効果は、単に生活圏の拡大にとどまらず、空気を直接、大量に供給できるという点で、次の進化の革命に大きく貢献した。

つまり、ヒトの脳細胞に必要な多量の酸素は、生命が上陸したからこそ得られたと言っても過言ではない。魚類や両生類のように水中に暮らしていたら、大脳が私たちの段階まで発達することはなかった。また、直立二足歩行をするようになったことも、脳が大きくなる方向にプラスに働いた。

この偶然の出来事によって獲得した大きな脳が、言葉を使うことを可能にし、道具をつくりだし、他の生命とは大きく異なった生き方を可能にしてきたのだ。

そして、1万年前、人類は小麦と豆、家畜を組み合わせることによって、1万年もの長い時代に耐え得る農業というシステムをつくりだした。

私たちはその恩恵に預かっている。では、私たちは未来の人々に、どんなシステムを残すことが出来るのであろうか。残すに値するものを生みだすためには、地球を知り、生命をもっと知る必要がある。

生命40億年の歴史から何を学ぶか、私たち人類の英知に地球生命の未来は託されている。

最後に

今回の旅の最後に、私たちはイギリスのオックスフォードで研究を続けているリチャード・ドーキンス博士を訪ねた。「利己的な遺伝子」、「ブラインド・ウォッチメイカー」など、生命の進化をテーマとした著書は、日本でもよく読まれている。

博士はゆっくりと言葉を選びながら話してくれた。

「あらゆる生命は遺伝子の乗り物として存在しており、遺伝子の生き残りのために存在していると考えることが出来ます。遺伝子はそれぞれの遺伝子のコピーを残すことを目的にその乗り物を動かし、その数を増やす方向に働くのです。

人類は遺伝子で見る限りは、生命の歴史の延長線上にあります。遺伝子には生き残るための情報が書き込まれていますが、これは初期の生命から人類に至るまで、さまざまに枝分かれはしてきましたが、基本的な部分は同じです。生きるための情報を作り出し、蓄積する極めて巧妙な装置と見ることが出来ます。

一方で、人類は脳という新しい情報装置が遺伝子とは別に進化を続けたわけです。その結果、あらゆる生命に働いてきた自然淘汰という法則に逆らうことになったのです。遺伝子とは別にこうした装置を持つことによって、人類はそれまでの進化とは別の道を歩き始めたのです。

道具や火の使用はすでに狩猟採取生活の時代に生まれていました。しかし、農耕を始めたことによって、定住生活が生まれ、人が増えます。そこで必要になるのがコミュニケーションです。大きな集団で暮らすようになるにつれて、コミュニケーションの必要性が高まり、言語が発達し、文字ができ、新しい情報の蓄積が始まったのです。」

生命40億年はるかな旅5(NHK出版)