第1章:前兆

1952年 フロリダ湾岸
ブロリーリーが、フロリダに生息するハクトウワシの80%に、生殖能力がないことを報告。

1950年代後半 イギリス
イギリスで、カワウソの激減。殺虫剤ジエルドリンが原因ではという声もあるが、本当のとことは謎のままだった。

1960年代半ば ミシガン湖
ミンクの繁殖に奇妙な兆候が見え始めた。業者が飼育しているミンクを掛け合わせていたが、メスのミンクが子供を生まなくなった。当初、生まれるミンクの数は平均すると四頭から二頭に減っていた。ところが1967年までには、大半のメスが一頭も子を産まず、またまれに子供が生まれたにせよ、たちまち死んでしまうのだ。
調査では、ミンクの不妊はPCB(ポリ塩化ビフェノール)に関係していることが突き止められた。

1970年 オンタリオ湖
ニア・アイランドに広がる背黒カモメのコロニーでは、孵っていない卵や捨て去られた巣が見つかり、そこらじゅうに雛鳥の死骸が散乱していた。雛の80%が孵化する前に死んでいた。
ギルバートンは、ダイオキシン汚染が関係していると報告。

1970年初頭 南カリフォルニア・チャネル諸島
西洋カモメが、メス同士で一つの巣に同居するという異常な事態が発生していた。

1980年代 フロリダ・アポプカ湖
アポプカ湖のアリゲーターが産み落とした卵は大半が死滅していた。一般に、メスのアリゲーターが産んだ卵の90%が孵化するが、アポプカ湖では、孵化する卵は全体の18%。さらに孵化したアリゲーターの子供のうち半分が弱っていき、生後10日ほどで死んでしまった。
さらに調査で、オスの大半に奇妙な奇形が生じていた。少なくとも60%のオスのペニスは、異常なほど萎縮していたのだ。

1988年 北ヨーロッパ
のちにアザラシの大量死として史上最大規模となる疫病のそもそもの兆候が現れたのは、スウェーデンとデンマークを結ぶ狭い海峡カッテガットにあるアンホルト島でのことだった。季節は春である。

流産したアザラシの胎児の死骸が打ち上げられるようになった。さらに成長したアザラシの死骸も潮に運ばれてきた。その後北海沿岸地域に沿ってあっとう間に広がった。結局11月までに確認されたアザラシの死骸は、1万8000頭にも及んだが、これは北海全域に棲むアザラシの40%を上回る数だった。

大量死の原因は、アザラシがジステンバー・ウイルスの一種に感染していた事実が判明した。しかし、同じスコットランドでも比較的汚染の少ない海岸では、ウイルスに感染したアザラシの数が少ないのは偶然のことだろうか。

1990年代初頭 地中海
シマイルカの大量死。正式に確認された死骸の総数は、1100頭。原因は、ジステンバー系のウイルスと判明したが、研究者は汚染が絡んでいることを匂わせる兆候も見つけだしていた。

バルセロナ大学のアレックス・アグィラールは、大量死した個体のPCB含有量が、健康なイルカの二倍から三倍の高い値を示しているのに気づいた。

1992年 デンマーク コペンハーゲン
コペンハーゲン大学のニールス・スカッケベックは、長年精子数の激減と精子の奇形を数多く目にしてきた。しかも年を追うごとにますます増えていたのだ。

さらに調査をしてみると、成人男性の平均精子数は、1938年から1990年にかけてほぼ半減していた。同時に精巣がんの発生件数が激増していた。さらに、精巣の下降不全(停留精巣)や尿管萎縮といった生殖器異常が若年層でうなぎ登りに増えていた。

1950年代にはじまったこの奇妙で謎めいた問題は、世界各地で表面化し始めていた。フロリダ、五大湖、カリフォルニア、イギリス、デンマーク、地中海と、いたるところで噴出したのだ。野生生物についてののっぴきならない報告の多くには、生殖器の障害、異常行動、生殖能力の減退、子供の死滅、動物集団の突然の絶滅などが含まれていた。そうこうするうちに、当初野生生物に現れていた憂慮すべき生殖問題は、ヒトをも巻き込むことになった。

事件のどれ一つを見ても、なにかひどくまずい状況が進行しつつあることははっきりしていた。ところがバラバラの現象が一つに結びつくなどとは誰も思ってみなかった。どうやらほとんどの事件に、科学汚染が絡んでいるらしことはそれとなくわかっていた。けれどもすべての事件に共通の糸を見て取った者は誰一人としていなかった。

そして1980年代の後半になってようやく、ある科学者がバラバラになった事件を一つにまとめはじめたのである。