第4章:ホルモン異常

有毒の遺産の謎を探る場合、医学史上の惨事を避けて通るわけには行かない。この事件には貴重な教訓が含まれている上に、事件の本質が本書のテーマと密接に関わっているからだ。ここで明らかになるのは、ヒトがホルモン作用攪乱物質に弱いこと、そして人体に及ぼすそうした化学物質の危険性を数々の動物実験ですでに指摘しているという事実である。

そもそも、この警告は明瞭で不吉なものだった。1930年代に、ノースウェスタン大学医学部の研究者らは、妊娠期のホルモン・レベルの変化が、子宮内で急激に成長していく胎児にとってとりわけ危険であることを明らかにしていた。

ある実験では、すでに体内に十分な女性ホルモンを備えていた妊娠中のラットに、さらにエストロゲンが投与された。生まれた子供に現れたエストロゲンの影響は、実に劇的なものだった。性発達が阻害されたことによる異常が、顕著に見られたのである。

子宮内で、天然もしくは合成エストロゲンに過剰に暴露していたメスの子供には、子宮、膣、卵巣の構造上の欠陥が見られ、同じくオスの子供には、ペニスの発達不全や生殖器の奇形が現れたのだ。

1938年、英国の科学者で内科医でもあったエドワード・チャールズ・ドットとその同僚は、体内で天然エストロゲンのように作用する化学物質の合成に成功したと発表した。これを聞いた医学界は、DES(ジエチルスチルベストロール)の名で通っていた合成エストロゲンを、奇跡の薬物と賞賛した。

ほどなくして、さまざまな問題を抱えた妊婦にDESが投与されはじめた。エストロゲン・レベルが十分でないと、流産や早産が誘発されると考えられていたからだ。被験者となった妊婦の総数は、米国や中南米諸国で500万人にも上った。

その後の数十年で、DESは、流産の予防薬として処方されただけでなく、快適な妊娠期を保証する妊婦必須薬とのお墨付きを得ることになった。生理機能を改善するビタミンのように考えられていたのである。

1953年9月にアンドレア・シュワルツは誕生した。母親は、つわりが強く、医師からDESを処方され、アンドレアがお腹にいる間、毎日欠かさず飲んでいた。成長したアンドレアは、ポール・ゴールドスタインと結婚。アンドレアとポールは子づくりに励んだが、いっこうに明るい兆しは見えてこなかった。ついに専門医にかかったアンドレアは、自分の子宮の奇形に気づいたのである。

その後の研究によれば、アンドレアのようなケースの場合、60人に40人の割合で、子宮の奇形が見つかったのである。他にも若年性の膣癌にも、DESが関係していることがわかった。

薬物や環境汚染を引き起こしている化学物質が、どんな過程を経て子宮に至るかを専門に研究していたジョン・マクラクランらは、妊娠中の親マウスにDSEを投与することで、その子供の膣に腺癌を誘発させることに成功した。

さらにマクラクランらは、オスへのDSEの影響を探りはじめた。その結果から明らかになったのは、子宮内でDSEに暴露したオスには、精巣の下降不全(停留精巣)をはじめ、精巣の発育不全、精巣上体ののう胞などの生殖器障害が生じたのである。このほかには、奇形化した精子、生殖能力の減退、生殖器の腫瘍も確認された。こうして、発達過程でDESがホルモン・メッセージを阻害している証拠が突き止められたのである。

さらにメリッサ・ハインズによれば、動物の場合、DSEないしは過剰なエストロゲンに暴露すると「脳構造と行動に劇的な変化が生じる」という。出生前ないしは出生直後に過剰なエストロゲンに暴露したラット、マウス、ハムスター、モルモットのメスには決まって生殖行動のオス化が見られる。オス特有のマウンティングが頻繁に現れ、メス本来のつがい行動はあまり見られないのだ。こうしてみると、メスの正常な発育には少量のエストロゲンがあれば十分らしく、それ以上の量を投与すると、オス化を誘発してしまうようだ。

DSE暴露とヒトの行動との関連性を最も端的に示しているのは、性的指向に関する研究である。性的指向とは、ある個人が男女どちらに魅力を感じやすいかということである。大多数の男女は、異性に魅力を感じる。生殖を第一に考えるなら、この行動は、進化の観点からも、別段驚くには当たらない。ところが、今や、ヒトの性行動について古典となっているキンゼー博士の研究によれば、男女の性差は、絶対的なものでないことがわかっている。1940年代後半から1950年代初頭にかけてキンゼーの調査報告によると、男性被験者の約10%、女性被験者の3−5%が、同性に性的な魅力を感じていたのである。
 
ハインズは、DSEに暴露していた女性被害者を、そうした経験のない女性と企画することで、研究結果を総括した。そして、出世以前におけるDSE暴露と同性愛および両性愛の間に相関性があることを突き止めた。それによると、DSEに暴露していた女性の24%が、、同性愛ないしは両性愛傾向を示したのである。

DSEにまつわる一件は、教訓に満ちている。この思いもよらなかった悲劇の実験を通じて、化学物質が胎盤を難なくすり抜け、胎児の成長を阻害して、数十年後に甚大な影響を及ぼしうる事実が明らかになった。これは、いままでに確認されていなかった現象だった。この遅効性の長期に及ぶ影響は、思春期にならないと表面化しなかったのである。