第9章:死の年代記

多くの野生動物が、汚染物質に由来する生殖問題を抱えている。中でもクジラ、イルカ、アザラシなど海洋哺乳類やホッキョクグマは、長い目で見ると特に大きな危険に直面しているといえる。

残留性化学物質は海の食物連鎖をめぐっているうちに次第に蓄積され濃縮されていく。そして寿命の長い捕食者を高レベルの汚染物質にさらすことになる。海洋動物は特に体内に残留性化学物質を取り込みやすいが、それは厚い脂肪層を抱えているためだ。脂肪層は冷たい海水から身を守ってくれ、餌が一時的に底をついたときにはエネルギー源にもなるのである。過去半世紀の間に地球上で使用された膨大な量の残留化学物質は、時を経て徐々に海へと流れだし、すでに脅威的な汚染レベルまで達している。

1987年、ジステンパー・ウイルスのために、推定1万頭のバイカアザラシが死んだ。

1987年、ニュー・ジャージ州からフロリダ州にいたる大西洋沿岸でバンドウイルカの大量死が見られ、その数は88年までに700頭を上回った。これは実に、沿岸地域を回遊するバンドウイルカの半分を超える個体数である。

1988年、北海で、2万頭のゴマアザラシが数ヶ月のうちに死んでいった。これは、この地域の個体数の60%にも及ぶ数である。

1990年から93年までに、1000頭を越えるシマイルカそ死骸が地中海に打ち上げられた。

こうした大量死はすべて、奇妙な偶然の一致に過ぎないのだろうか、それとも共通の問題が海洋動物の間に深刻な波紋を投げかけている証拠なのだろうか?

三つのケースでは、海洋動物の死因はジステンパー・ウイルスによる感染症だった。また、他のケースでは、バクテイアや菌類が大量死を引き起こした作用因ではないかと言われている。

けれども、直接の死因がわかったところで、なぜこれほど広範囲な地域で海洋動物の体力が低下してしてしまったのかは説明できない。実は、解剖所見にその謎を解く鍵が隠されていた。死んだ個体は免疫系の働きが弱っており、しかもその体内からはPCBなどの汚染物質が高レベルで検出されたのだ。それらはいずれも、免疫応答を抑制することが数多くの動物実験を通して明らかになっている物質である。

たしかにジステンパー・ウイルス自体も、その猛威の犠牲となった野生動物の免疫系を弱める要因だったことはまちがいない。しかし、二つの最新研究によれば、野生生物の大量死には、汚染物質による免疫抑制が絡んでいることも考えられるという。

生殖系と同じように免疫系も、出生前の発達段階で、ホルモン作用攪乱物質の打撃を被りやすい。合成化学物質と免疫機能不全とのつながりを裏付ける証拠はさらに増えつつあるが、この問題はとりわけ海洋哺乳類の場合には抜き差しならないものである。

海洋哺乳類は、高レベルの汚染物質を体内に蓄積しており、その子供は初めから免疫不全をかかえたまま生まれてくる。つまり、海洋哺乳類の大量死は、こうした先天性の免疫不全と、誕生後に汚染海域で長期にわたって暴露してきた有毒化学物質との悪の相乗効果によって、起こるべきして起こったのかもしれない。実際、有毒化学物質に胎内で暴露している子供は、成長後の暴露しか経験してない親に比べて、病気に対する抵抗力が著しく劣っているのである。

野生生物の危機とホルモン作用の攪乱との関連性を裏付ける証拠と理論が、続々と現れてくるにつれて、内分泌攪乱物質こそが、地球上の生物多様性を長期にわたって脅かす元凶であるとする見方が濃厚になっている。

科学者は、絶滅の謎を探っていく中で、棲息環境の悪化や気候変動などの明白な要因はもちろん、生殖障害や異常行動といった機能変化までも問題にせざるをえなくなっている。

一見普段通り健康そうに見える野生生物でも、よくよく調べてみると、異常なホルモン比率を示していたり、雄雌いずれともつかない生殖器を備えたり、あるいは脳組織に異常が現れていたりするからである。数々の機能障害に陥ってしまった野生生物は、数百万年にもおよぶ自然選択の過程で勝ち取ってきた地位を、もはや保てなくなっているのではなかろうか?

普通であればどういうことはないストレスにも耐えられなくなっていたり、自然災害の結果減ってしまった個体数を、元の状態に戻すこともままならなくなっているのかもしれないのだ。野生生物は、はっきりした理由もわからないまま、ある日突然、あるいは人知れずじわじわと絶滅していくのかもしれない。