現在の日本では、「死」というものが、日常生活からかけ離れて存在している。
「死」の恐怖というものを、日常生活から切り離してしまった。
もともと「死」は、日常生活の中にあり、身内の病人と生活を共にし、死を感じながら生活してきた。
しかし現在の日本では、「死」は病院の中にしか存在せず、
日常生活を送る家庭には、健康体の人間しか存在しない。
子供たちにとって「死」と対面するのは、病院での身内の臨終の一瞬にしかない。
「死」というものを、身近に感じなくなった生物は、人類だけかもしれない。
いやあえて「死」を、日常生活から切り離してしまったのです。
それは人類の奢りと滅亡を示しているのではなかろうか。