YOKOのフラット

 翌日、Yoko のフラットへ。小雨が降っている。
折りたたみ傘をさして歩いたが、足元がぬれ、スニーカーのつま先からしみ込んで、冷たい。
その Queen's Park を見ながら、Yoko のフラットは…。
あ、少しずつ番号が近づいてくる。と、その時上の方の窓から、コンコンという音。
曇った窓ガラスの向こう、 Yoko だ。
にこっと笑って手を振るのが見えたと思うと、窓から彼女が消えた。 子どもみたいな足音がドタドタと聞こえ、そのフラットの一階のドアが開いた。
 「来ましたね」
 「ハイ、何とか」
  ずっと外に出たり、入ったりして待っていてくれたのだそう。
まず部屋に入る。
ここが彼女のお城だ。いやぁ、ホントに狭いワ。三畳あるのかな? 本やノートや紙切れがいっぱいの 机はテーブルにも使い、ベッドはいすにもなる。 クローゼットの前の空間はかろうじて人が一人立つだけの半畳。
 「ね、泊めてあげられないでしょ」
  ンダね。
でもよく整理されて、居心地がいい。何より住みやすそうだし。
この部屋でYoko は一人で勉強したり、生活したり、私に手紙を書いてくれたり、しているのだ。
彼女からの手紙を読むたび、一体どんなところに住んでいるのかな、といっぱい想像していたものだった。
靴下をかわかし、借してくれたサンダルをはいて、フラットの裏の野菜畑を見に出る。
Yoko が丹精した小さな家庭菜園の新鮮な野菜を二人で採り、炒めた。ちっちゃな炊飯器でご飯も炊いた。
ここは、キチンも冷蔵庫もバスルームも共同。電話も2階に一つだから、鳴ると、フラットにいる誰かが 出るらしい。いなければ誰も出ない。
この電話、驚いたことに時々鳴っていた。
私は相性が悪かったのか、一度もつながらなかった。
Yoko は、このフラットが何度めかのマイホーム。
友達に聞いたりしてあちこちさがしたけれど、ここより安いフラットはみつからないそう。
韓国人の女子学生や、初老のフィリピン人女性が住んでいる。
ロンドンも聞きしにまさる多民族都市なのだ。
勉強机の上のノートなどを片付けて、食器を置く。 おままごとのようにして作ったお昼ご飯をごちそうになった。
 「いただきます」
 「おいしいネ」


食後の紅茶を飲みながら、ベッドに並んでおしゃべり。話がとぎれた時に、私は Yoko の顔を見て言った。
  「Yoko ちゃん」
「ン?」
「おカネ、貸して」
「いいよ、いくら?」
  間髪いれずに返事が返ってきた後、沈黙があった。彼女は黙って大きな目で私を見ている。
  たとえば
 『もうお金、足りなくなったの?』とか
 『何、買うの?』とか
 『どうして? カードは持って来なかったの?』とか・・・・
こういう場合、たいてい誰もが思わず問い返しそうなことを、彼女は一言も尋ねない。
 そして、私の次の言葉を待っている。
 この時のシーンを、私は鮮明に記憶している。
 想像していたそのとおりだった。

 「実はね……」
私はこれまでのことをかいつまんで話した。
その間、彼女は大きな目を見開いて、ウン、ウン、と短くうなづきながら聞いていた。
余計な言葉は一切、さしはさまなかった。私を責めるようなことも何一つ言わなかった。
 それがこういう場合、どれほどできないことであるか。そしてどれほど有り難いことか。
 「今日電話をかけて、いつパスポートがもらえるか確認するの」
 「わかった。それで、いくら貸して欲しい?」
 「そうねぇ。£500(10万円)くらいでいいと思うわ」  「それで足りる? ま、いいか。足りなかったら、またその時に、もう一度貸してあげることにして、と。 じゃ、これから、さっそく出かけよう。お金おろして、大使館へ電話して。財布なんかもいるでしょ。 100円均一みたいな店があるんだよ。ポンドショップっていってね。 私はそこで、雑貨やセーターなどよく買うの。いらなくなったものは売っちゃうし」
 「ウン。ほんとにありがとう。きっとそう言ってもらえると思ってた」
 「でしょ。持つべきものは・・・」
 「ともだ……」と答えかけると、すかさず
 「オカネ、でしょ?」
 「モツベキモノハ、オカネ」
 これはよく Yoko が言う“迷セリフ”
 今、ここで言わなくていつ言うのって、二人で大笑い。

  Queen's Park でリスに手からピーナッツをやり、付近のガーデニングを楽しんだ。
彼女がよく行って勉強すると言う、図書館へも入った。休館日だったけど。
とある家の庭先で「バターカップ」という黄色い可憐な花を見つけて「私、これが大好きなの」と Yoko。
似合わず(似合ってるでしょと言われそう)可憐な花ばかりを好きなのね、彼女。
 Yoko ちゃん、8月にはもう日本に帰って来るンだよね?
 うーん、それがねぇ。まだしばらくいることにしたンだ。来年くらいまで。
 え〜、じゃ、あわてて来ることなかったンだ。
 何言ってんの。私がそう書いたから来れたんだもの。よかったじゃない。
   そりゃそうだ。
 飛ぶには「はずみ」と「きっかけ」がいるものね。

街角で、彼女は数回に分けてお金をおろしてくれた。
ロンドンは、というか、ほかの国にもあるのだろうが、こういう街角の建物の壁に向かって並んでいる のはキャッシングをしている人たちだ。
現金を持ち歩かないのが習慣だから、必要になれば、こうしてすぐにおろせるわけで、便利だ。
でもこういうところで、よくおろしたてのお金を二人組みで、一人が話しかけて気をそらせて、もう一人 がその間にお金を盗んでしまうということもあるらしい。

結局、この時とあとで足りなくなりそうになって、私は都合£700(14万円)を借りた。
帰国してすぐに私は名古屋の「CITIBANK」 のYoko 名義の口座にお金を振り込んだ。
 何度もありがとう、を繰り返す私に彼女は言った。
 「私だって、だれにでもホイホイとは貸さないんだよ」
   一生忘れないよ。
 Yoko ちゃん。


Yoko とは数年前に知り合った。
 

さわやかな人生観と潔さを併せ持ち、
ポジティブな「個」が確立した人。

そして、ユーモア精神が自然体で身についている。

大事にしたい友達の一人である。