帰国後

 ロンドンへはキャセイパシフィック航空で行った。
香港でトランジットの待ち時間が3時間半もあった。
一人なので、寝過ごすのが心配で“うたたね”する訳にもいかず、人けのないだだっぴろくて、 薄暗い空港待合室で、時間をつぶしたのだった。

 さて、Mercia のうちから近いホテルを予約して移り、2泊した。
もうここまでくれば旅は、ひたすら楽しい。
ホテルできままにテレビを堪能し、ウォーレスコレクション (個人の美術館)へ足を伸ばし、マダムタッソー蝋人形館 は歩いていける距離といううれしさ。

 最後の日の午後、ヒースロー空港までミニキャブに乗った。客は私ひとり。
運転手は太った赤ら顔の60歳くらいのおっちゃんだった。
 「日本人ですか」
「はい、そうです」
ロンドンで行ったところや、印象や、世間話。
「そうですか。いい旅でよかったですね。日本人はもう何人も乗せたけれど、shy な人が多くてね。 あまり話さない人が多いと思ってたけど、あなたはよく話すのでびっくりしました」
「そぉ? 日本人もいろいろいますから」
「そうだろうね、いやぁ、楽しかったですよ」 こちらこそ
 かなり早めに空港に着いた。重い荷物をひきずりながら、キャセイパシフィック航空のカウンター へ行くと、張り紙が。

キャセイパシフィック航空は、従業員の待遇改善を
勝ち取るために、一昨日からストライキをしています。
本日のすべてのフライトはキャンセルされました。
皆様のご理解を・・・・

      ナヌ???    ウッソォ、がまた起きた。まったく、これもあり?
   カウンターで、マークという男性スタッフと話をつける。
 「帰れないなんて困るわ。どうしてくれるの?」
 「ストライキのことをニュースで見なかったのですか?」
 「いいえ。どうしたらいいのですか。もうホテル代なんて残っていません」
 「わかりました。何とかしましょう。日本ですね。JALに交渉してみますから」
        しばらくして帰ってきた彼、
 「何とかなりましたよ、よかったですね。成田までの直行便です」
 「え? 成田では困ります。私は名古屋に帰るのですよ」
 「では成田から名古屋までの国内便も手配しましょう」
ほんまかいな。
しかし、ほんまでした。
これは多分、11番目のラッキー。
 飛行機の中で、私はロンドンの旅を反芻した。出会いとスリルと友情と名画に満ち溢れた旅だった。
見残したところ、行けなかったところもある。
たぶん、いやきっと、私はもう一度来るだろう。
  ふと、この旅の間中、父が見守ってくれたような気が、した。
 

 予定時間よりかなり早く名古屋空港に着いた。
迎えに来てくれていた夫と娘に荷物を預けて、日本のむし暑さに半分ボォッとなりながら、 帰宅の途につく。
 「あ、おかあさん、これ、今日届いたの」と一枚のはがき。
 見るとYokoから。
 「おかえりなさい。このハガキを読んでいるということは、無事に帰れたということですね。 ロンドンまで来てくれてありがとう。尋ねてきてくれる友達のいる幸せをしみじみと」
 ワオ。
 「あいつめ、ヤルナ」

 こちらへ帰る日、Yokoは小さな包みを手渡してくれた。中には二人で遊んだクイーンズパーク の小石たちが小さなジャムの空きビンに入っていた。
「この石にひょっとしたらあのリスたちがつまずいたかもしれないよ」
 包んであったのはパステルカラーのカレンダー。
私が着いた日からの日記風のメモが裏に。
毎日、数行ずつ私とのことが書いてある。彼女の思いが伝わって胸が熱くなったっけ。
 車の中で二人に「スリくん」のことを話す。
 「まぁ、無事で帰れてよかったわ」
 「そうなのヨ。おかげで、こんな素敵なショルダーバッグやいい財布も買えたしね。 大丈夫、おみやげはきちんと買ってきたからね」」

   その次の日の朝は時差の関係もあって早くに目が覚めた。
 「何時? ヤダ。まだ5時半じゃないの」
 ベッドで寝返りを打った時、思った。
 私には、まだやり残していることがある。
 カードはストップさせたけれど、トラベラーズチェックは何度電話しても「しばらくお待ちください」 のあと、音楽が鳴り続け、やがてプツンときれてしまって一度も紛失を届けられなかった。
ロンドンにいた時には、すっぱりと諦めてしまって、そのお金を惜しいと思わなかったが、 もう日本に帰ってきたのだ。トライだけしてみてもいいだろう、と思った。
 ダメモトだよ。
 やれることを全部やってから、終わりにするのがいつもの「私流」

 起きだして、階下へ行く。
 「アメリカンエキスプレスのトラベラーズチェック紛失時にはここへ電話を」と、 書かれたダイヤルをまわす。
 「ハロー」と男性の声。
 「Japanese speaker, please」 
   日本へ帰ってまで英語をしゃべりたくない。
 とたんに
 「大丈夫ですよ。どうなさいましたか」という返事。
  その若い日本人の男性スタッフはとても感じのよい人だった。
 カクカクシカジカだったのです。

 「全部でいくら、お買いになりましたか?」
 「30万円です。ロンドンへ着いて、5日目でした。現金も持っていましたので、 チェックはあまり使ってはいませんが。 でも私、使ったトラベラーズチェックの番号を控えていなかったのです。それではもうだめでしょうか?」
 「いえ、上のものと相談してみます。その警察の紛失届の番号を教えてください。
ハイ、わかりました。それから、すみませんが、あなたのステイしたところは? そうですか。 それから、あなたのお母様の旧姓は? あ、姓は変わっていないのですか。少しおまちください」
 待つこと5分。でも何で母の「旧姓」がいるわけ?
 

 ああ、そうか。少しは疑っているわけね。
 それにしても何度もよく待たされる。
 私はこれ、どこへかけているんだろう?

 「もしもし、それではしばらくしたら、東京の方から、あなたに書類が送られてきますので、 必要事項を書いて送り返してください。たぶんですが、23、4万は返ってくると思います」
 「ホントですか。ありがとうございました。ところで、私はこの電話、どこへかけているのでしょうか」
 「ユタ州です」
ユタ州? 50分以上もアメリカにかけてたわけ? ギエー。
 「あれ、フリーダイヤルでおかけではないのですか? お教えしますので、次回は、 こちらへおかけになるといいですよ」
 「ご親切にどうも。でも、もう二度とかけたくありません」
 「そうですよね」
 二人で笑いながら、互いの「なすべきコト」を済ませた安堵感を共有した。
 8月、私の口座に、25万円余が振り込まれた。
できればこれを最後のラッキーとして数えたい気分。
おまけに電話代は意外に安くて6900円。

口座にお金が振り込まれ、電話代の請求書が届いた時、私の『ロンドンの旅』がほんとうに終わった。
 だれかさんの受け売りではないけど、「自分を誉めてあげたい」気分です。
    「ようやったネ」って。