5. 5年後の二人



「はぁ…」
気分が優れないんだ、と人払いをしてラーサーはベッドの上に倒れ込む。
本当に疲れた。
以前から執拗に勧められていた見合い話を何かと理由をつけては断ってきていたのだが、
候補くらいは決めるべきだと宰相に散々泣き付かれてしまったのが今月の始め。
一度だけでいいから、とあまりに粘るから渋々許可を出したのが失敗だった。
約束でしたから、と用意された席にラーサーは絶句した。
今まで無視し続けてきた花嫁候補とやらが一同に集められているではないか。
ラーサー一人に対して、相手の女性がウン十人というおかしな比率で、会場として用意された大広間はまるで地獄のような有様になったのである。
皇帝の后、だ。
それはもう矢継ぎ早に彼女たちは自己紹介と聞いてもいないのに趣味の話をすると、だれがラーサーと踊るのだと奪い合いだ。
皆名門貴族の出だと言うが、それが真実であるか疑いたくなるような状況に、ラーサーはただただ時間よ早く過ぎてくれと、たらい回しにされながら思ったのだった。
もう二度と、絶対に、この手の話は受けない。そう決めた。
代わる代わるラーサーの目の前に現れた女性らの白粉や香水の匂いに胸がむかつく。
思い出せばズキズキと痛み出す頭を枕に埋めて、ラーサーは大きな溜息を吐き出した。
結婚など誰がするものか。
結婚するくらいならば養子を迎えたいと本気で思っている。
皇族に生まれた以上は政略結婚というものの必要性についてとっくりと教え込まれて来た訳だが、それでも、可能であればそれを拒否したい。
皇族の結婚など愛が無くてもできる、と昔は思っていた。
だが―――駄目だ。
一度、手放し難い愛の対象を見つけてしまったならば。

カタン、と窓硝子が鳴る。

「?」
ふ、と枕から頭を持ち上げると涼しい夜風がラーサーの頬を撫でた。
いつの間にか、部屋の窓が開いている。
不思議に思って窓辺へと向かうが、窓の外には何の気配も感じられない。
広間の賑わいが嘘のような、静かな宵闇がそこにあるだけだ。
星屑のように煌く街灯を眼下に見下ろしながら窓を閉める。
ベッドに戻る為に踵を返したラーサーの動きがぴたり、とそこで止まった。
背中に何か堅いものが当たる感触。
『動くな』
ラーサーの身体が凍りつく。
『動けば撃つ』
真後ろからかけられた低い男の声。
ゴリ、と背骨に当てられたのは銃口か。
(僕とした事が油断した)
今宵は花嫁候補を多く招待した事もあって、いつもの倍は警備が厳重だったというのに。
それに安心して気を抜くなど、あってはならぬ事だ。
帝国を支える皇帝として、いついかなる時も己の身を守りきらねばならない。
死ぬわけにはいかない。
父や兄の為に、帝国の為に。
そして何より、彼女の為に―――。
警備を掻い潜り、皇帝にいきなり銃を突きつけるような相手と交渉できるのかは不明だ。
いや、できないのならば何としても隙を見て取り押さえる。それが無理なら逃げるまで。
心を落ち着け、冷静な判断がいつでも取れるように、ラーサーは背後の動きに全神経を集中させた。
『なんて―――』
僅かだが、銃口が背中から離れた感覚。
そんなチャンスを逃す筈なく、ラーサーは俊敏な動作で振り返りざま銃を叩き落し、相手を床に押し倒す―――。

『きゃあ!』

あまり聞きたくない、野太い男の可愛らしい悲鳴。
一瞬でカチリと思考が切り替わったのはその時だ。
「っ!パンネロさん!?」
バタン、と派手な音を立てて床に倒れこんだものだから、部屋の外で見張りをしている兵士達が何事か集まり始めていた。無事を確認するように激しく部屋のドアを叩いてくる。
「だ、大丈夫だ。少しうたた寝をしていたらベッドから落ちただけだから」
咄嗟に口から出たのは何とも情けない言い訳。
部屋の外で慌てて駆けつけた兵士達はさぞかし顔を歪めているに違いない。
そう、今自分が組み敷いている彼女と同じように。
「っ、ラーサー様、ベッドからよく落ちるんですか?」
笑いを堪えるのに必死、とでもいうように涙目になっている彼女を恨みがましく見る。
こんな下手な言い訳しか出来ないのは思いがけず突然彼女が目の前に現れたからだ。
まったく、冷静沈着で通っている皇帝はどこへやら。
こんな風にどうしようもなく心拍数をあげさせるのは、きっと彼女だけ。
「――パンネロさん…どうやってここに…?」
大きなハニーブロンドの瞳に悪戯めいた光が宿る。
5年前よりも随分綺麗に、大人の女性へと変身をとげたというのにあの頃と変わらず、子供のような無邪気な顔で彼女は笑った。
「便利ですよね、コレ」
悪びれる様子などなく、片手に握られていた四角い物体をラーサーに差し出す。
変声機だ。
悪ふざけにもってこいの道具である。
「悪戯にしては過ぎますよ。本気で身の危険を感じました」
変声機は良いとしても、だ。ラーサーが叩き落した銃は玩具ではない。
「ごめんなさい、ちょっと今日は警備が厳しかったんで…空賊の腕の見せ所だなぁ、なんて思ってしまって。今の私のスキルで忍び込めるかどうか試してみたらこんな登場になっちゃったんです」
空賊として様々な場所を飛び回る彼女はこの数年で驚くほどその腕をあげた。
勉強熱心な彼女だからこそ、様々な知恵と工夫を駆使して罠抜けから謎解き、警備兵らの追走から逃れる方法や、このような場所に忍び込む術を得られたのだろう。
彼女の腕があがったのを実感するのは嬉しい事だが、こんな風に賊の侵入を簡単に許すようではいつ暗殺されてもおかしくないようなものでもある。警備の配置や体制をもう少し考え直した方が良さそうだ、とつい皇帝の顔になって考え出してしまうラーサーだ。
ああ、いけない。折角パンネロが来訪してくれたというのに。
別の所に行きかけた思考を組み敷いたパンネロに戻して、ラーサーは微笑む。
「驚きましたけど…予想しなかった分嬉しいです」
一月に何度も続く時もあれば、三ヶ月から半年間が開いて送られてくる彼女の手紙が、普段は彼女の来訪を告げてくれる。勿論急遽仕事の都合で帝都に立ち寄ったという事も数度あったが、その時は決まってガブラスと打ち合わせて秘密裏に逢引をするのが恒例だった。
だからこんな風に突然、何の知らせもなくラーサーの目の前に現れた彼女には本当に驚いたし、心の底から嬉しかった。
バルフレアやヴァンなら驚かせたかったといってこういう形の再会も想像できなくはなかったけれど、パンネロがだ。
幸せで、眩暈がする。
望まぬ結婚相手の候補達に会わされて疲れた後なら尚更。
しかし頬に伸ばされたパンネロの手が赤く腫れあがっているのを見て、ラーサーは顔色を失くす。
「すみません!痛かったでしょう」
先程容赦なく叩き落した所為だ。
泣きそうになるラーサーに、パンネロは微笑む。
「大丈夫ですよ、これ位。もっと危険な目にも合ってますし」
けれどラーサーには微笑み返すことが出来ない。
何気なく吐かれたその言葉に、彼女がいつ命を落としても仕方ない仕事をしているのだ、と思い知らされて。余計に泣きたい気分だ。
ラーサーが机の上に山積みにされた書類と格闘している間、彼女は命落としてもおかしくないような危険な場所を旅し、逃げ場の無い空の上を小さな飛空挺で飛び回っているのだから。
「…ラーサー様…」
押し倒した格好のまま、ラーサーは彼女をそっと抱きしめる。
彼女の白い首筋に顔を埋めて。
小さなかすり傷や痣、一生残るであろう傷跡がパンネロの綺麗な肌の上を残酷に飾り立てている。
空賊なんて危険な仕事、止めてはくれないかと何度懇願しそうになったか。
けれどそれは彼女の夢で。強い自分の意志で選びとった道なのだ。
ラーサーが国を捨てて皇帝を辞める事などできないように、彼女も空賊を続けていくのだろう。
それでも。
彼女がこうして時折、疲れた羽を休めに来てくれる場所がここであるのならば。
今は、それだけで―――いい。
「ラーサー様、また背、伸びましたね」
柔らかい彼女の声が耳にくすぐったい。
「まだまだ成長期ですから」
「あ、」
「?」
「そういえば言いたい台詞があったんです」
ラーサーは顔を上げて、パンネロを見下ろす。
今はラーサーだけを映すハニーブラウンの瞳が、そこにあった。
「ラーサー様の時間を盗みに来た、っなんて―――ちょっと言ってみたかったんです。空賊っぽく」
いたって真面目な顔でそう言うパンネロに、ラーサーは吹き出す。
まったく、彼女はラーサーを驚かせたり、悲しませたり、楽しませたり、忙しい。
「何ですかそれ、バルフレアさんの影響ですか?」
「おかしいですか?」
「盗むも何も、パンネロさんが来る時は僕の時間は全部貴方のものですから」
「わ、そういう事を照れもせず言えるのって、やっぱラーサー様ですよね」
「そうですか?」
「そうですよ」
くすくす、と顔を見合わせて笑いあう。
何て幸せな時間。
このまま時が止まってしまえばいいのに、なんてもう何度思っただろう。
「逆なら良かったのに」
「え?体勢ですか?」
「…いえ…」
パンネロの深い意味は無いであろう発言に耳を赤くしつつ、ラーサーは彼女に囁く。
「僕が空賊で、そんな台詞を吐いてみたいなって。普通こういう場所で待っているのは女性の方でしょう?」
どこかの御伽噺でありそうな、シチュエーション。
「アーシェみたいに、ですか?」
パンネロの呟きに、ふ、とダルマスカ王国の女王の顔が脳裏に浮かぶ。
彼女は日に一度、必ず空を見上げるそうだ。
空の向こうにいる人の事をその度に案じ、想っているのかもしれない。
ラーサーのように。
「そういえば、聞きました。今日はラーサー様の花嫁候補が大勢集まってい―――」
最後まで言わせずに、彼女の口を優しく塞ぐ。
聞きたくなかった。
そんな頭痛の種になる話など。
優しく、羽を落とすように口付けして、ラーサーは静かに、そしてゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕の花嫁候補は一人しか居ません」
貴方しか、要らないんです。
そう耳元に愛を囁いて。
自由に空を羽ばたく彼女の翼を今だけ地上に縫いとめる。

どうかもう少し。
もう少しだけこのままで。


■ モドル ■





尻切れのようなカンジで無理やり終了!
二人が結婚できるとしたら随分後になりそうな気がします。
ラーサーといいアーシェといい大変な相手を好きになったもんだな、と。