2・あなたの笑う声
「もうやだぁ、ヴァンったら」
草原に響き渡る、明るい笑い声。
今の心中をそのまま映したかのような曇り空色の瞳をそちらに向けて睨んだアーシェに、ラーサーは思わず息を飲み込んだ。
戦争を仕掛けておきながら、和平の為に手を取り合う交渉を進めたいとアーシェに申し出たのが昨日。
ガリフの里を出てから終始張り詰めた空気がアーシェとラーサーの間に横たわっている。
アーシェは気が立っている。
それを示すように、モンスター達が普段より増して無残な姿で足元に転がっているのだ。
やりきれぬ彼女の気持ちが、そのまま見事に太刀筋に現れているらしい。
雷雲を背後に背負っていそうなアーシェと、きゃっきゃと笑うパンネロとの温度差はかなりのものだ。
アーシェが大きく息を吸って口を開く。
「い―――」
怒鳴られる、とラーサーは自分がそうされるかのように思わず身を竦ませる。
が、それより僅かに早く。
「見てくださいよ、コレ。すごい型!」
ぐい、とパンネロに引っ張られてアーシェの前によろけ出たヴァンの背中。
そこにはくっきりと赤い足跡。
「さっき思いっきりチョコボに蹴られてたもんね。暫く跡が残りそう」
「いてて、痛ぇって。さ、触んなってパンネロ」
わざとか、その足跡の上をパンネロに叩かれたヴァンが悲鳴のような声をあげて更に一歩前に転げ出ると、ふと彼の顔が奇妙に歪む。
「う…」
口を開きかけたまま静止していたアーシェの細い眉がぐっと眉間に寄る。
「何?」
目の前で仁王立ちになっているアーシェにゆっくりと青ざめた顔を向け、口をぱくつかせるヴァン。
「な…んか…踏んだ」
そろりと片足立ちになると、踏んだものを確かめるようにその足裏を見たヴァンが悲鳴をあげる。
「うわっ踏んだ!チョコボの糞!」
「なっ」
それ以上近寄らないで、と剣を構えて牽制するアーシェ。
喚きながらその靴裏を草地に擦り付けるヴァン。
それらの動作がさも可笑しかったのか笑い転げるパンネロ。
笑っては可哀想だ、と思いながらもラーサーもつられて笑ってしまう。
すでにアーシェの背後に雷雲の影は無い。
「ひどっラーサー、お前まで〜!!」
かなわないわね、と呟いて表情を崩したアーシェの横顔が印象的だった。
「え?」
「何か、すごいです」
隣にすとんと腰を下ろしたラーサーの言葉に、パンネロは一度瞬く。
「アーシェさん」
アーシェの苛立った様子は誰が見ても分かるものだった。だからあえて何がとは言わない。
「別にすごい事なんて何もしてませんよ?」
変なラーサー様、と笑うパンネロだ。
「ヴァンが一人で面白い事をしてただけですよ」
確かにそうなのかもしれないが、絶妙のタイミングで会話が振られたように思うのは自分の気のせいではあるまい。そう問うようにじっと覗き込むと、パンネロはそんなラーサーを面白そうに見返す。
「ただ―――、私は楽しもうと思ってます。常に」
「楽しもうと?」
「はい」
一つ深呼吸をして、パンネロはゆっくりと語り出す。
「私にはアーシェやラーサー様みたいに国をかけて戦ったり、旅をする理由がありません。それでもこうして見た事の無い土地を歩いて、普通は出会えない人達と旅をするなら…楽しまないと損ですから」
その発言をするのには勇気が必要だったのだろう。大きく溜息を吐いて、パンネロは組んだ手を前にウンと伸ばす。
「…旅をする理由が無い私が同行するのはちょっとおかしいですよね」
「いいえ、そんな事は―――」
アーシェやラーサーのような大義名分は無いにしろ、全く無いのではあるまい、とラーサーはパンネロの瞳を見て確信する。
言おうか言うまいか、何かを躊躇うような。
「ヴァンさんが居るからですか?」
同じ孤児、家族であるヴァンが放って置けなくて、と以前聞いた気がする。
「それは…そうなんですけど…私、お節介なんです。多分」
伸ばした両手で膝を抱えるようにして座るパンネロが、その膝の上にこつん、と額を当てる。
オンドール侯爵の屋敷で見たような、憂いの浮かんだ横顔にラーサーは胸に苦しさを覚えた。
「ヴァンだけじゃなく、皆にお節介を焼きたいんです。皆に必要とされたい、つまり裏を返せば寂しいんですね、きっと」
旅の仲間の一員としてとても馴染んでいるように見えるパンネロの弱気な発言に、ラーサーは声をかけられず黙り込む。
「ただ目的地を目指すだけの旅でなく…えっと…その…笑わないでくださいね?」
そう言って小さくはにかみながら、パンネロは小さく呟く。
「仲間、じゃなくて友達になりたいんです、私」
ただ目的地へ向かうだけの旅の同行者ではなく、もっと親密な関係になりたいのだ、と。
「アーシェは王女様で、こんな私とは普通は口をきいてもらえないような人だけど…今だけはちょっと距離を縮められたらなぁって思うんです」
信じていた仲間であり部下であった男の裏切りや、レイスウォールの遺産である‘暁の断片’の力の消失。状況は目まぐるしく変わり、助言は得られても全ての判断を委ねられたアーシェにかかる重圧はかなりのものだろう。
「笑って旅をするような状況じゃないとしても…ずっと気を張り詰めているのは疲れるから…」
旅を楽しもう、と言ったパンネロだが、その本意は皆を‘楽しませたい’のだ。
自分が楽しむ事で、周りもそれに同調して欲しい。
そういう状況ではないという事を知った上での道化役。
どこまでもお節介で、どこまでも彼女らしい。
「ってラーサー様、内緒にしておいてください。ここだけの話ですよ」
そこまで告白しておいてようやく慌てたように口元に片手をあてて小声になったパンネロだ。
「気を使ってるって思って欲しくないんです。あ、気を使ってない訳じゃないですけど、思うほど気を使ってないっていうか、その、自然にそうなっているっていうか…ええと…」
本能的に、彼女は人の気持ちを察している、という事だ。
何となく空気が悪い、いい空気にしたい、その見極めが自然に出来る。
「わかりました。内緒にしておきます」
他でもない自分にその‘内緒話’を打ち明けてくれた事実に、ラーサーの顔が綻ぶ。
「安心してください、パンネロさん。アーシェさんもわかってますから」
「え?」
パンネロの気持ちはアーシェにちゃんと通じている。
屈託なく笑うパンネロの声に、それを受け入れられない心の余裕のなさを自覚し、またその声に心が和ませられた事に、気付いている。
「あ!」
突然立ち上がったパンネロに驚いて、ラーサーも何事かと彼女の視線の先を追う。
草地の間に溜まった水溜りで靴底を濯いでいたヴァンがそこに居るのだが…。
「危ない!ヴァン!」
水溜りを覗き込むようにして屈んでいたヴァンの背後に忍び寄る影。
黒チョコボが大きく足を突き出すのが見えた。
と、同時にそれに背中を蹴られて当然のように水溜りに落ちるヴァン。
「やだっ、ちょっとヴァンったら!だ、大丈夫?」
大いに吹き出しながらも駆け寄っていくパンネロに続いて、ラーサーも草地を掻き分けて走り出す。
ヴァンには悪いが、彼の存在もまたパンネロの笑い声を引き起こす要としてこの旅には不可欠な気がする。ヴァンがいて、パンネロが笑うからこそここは心地よい。
泥水に濡れながら、その反応を楽しむように逃げていくチョコボを追うヴァン。
笑ってないで捕まえてくれよ、という情けない彼の声にパンネロとラーサーが笑い声を上げた。
草地のあちこち突き出た岩の陰に寄りかかり、仮眠をとっているアーシェの口元が笑む。
草原に響き渡る笑い声に、暫し楽しい夢でも見ているかのように。
■ モドル ■
笑われ者ヴァン。ツイてない彼のお話です。別のモンはツイてますけど。
ラサパンなんだかアシェ←→パンなんだか。ヴァンとパンネロは旅の潤滑剤に
なってるのではないでしょうか。二人居ないととっても事務的なPTだよ。