4・小さな嬉しさ



「ラーサー、好き嫌いは駄目だぜ?」
これ美味いのに、とヴァンの腕が伸び、皿の上から料理が消える。
あ、と言う間も無くそれらはヴァンの胃の中へ。
「ヴァン、お行儀が悪いよ」
右隣で食事をしていたパンネロの非難の声。
「嫌いなモノ食べてやったんだから感謝しろよなっ」
「嫌いだなんてどうして言えるのよ、馬鹿ヴァン!」
一足先に食事を終えたヴァンが、小言など聞きたくないとばかりにテーブルから去っていく。
取り残されたテーブルで今だぽかんと放心しているラーサーに、ごめんなさい、とパンネロは頭を下げた。
「意地汚くてすみませんっ」
ようやく空になった皿と、今の状況に我に返ったラーサーがいえいえと首を振る。
「別に構いません、僕―――もうお腹が一杯でしたし」
「でも好き、ですよね」
「え?」
皿の上から消えた料理。
メインの肉料理の脇に添えられたそれは忘れられたかのようにラーサーの皿の上に残されていたものだった。
「ラーサー様、最初に大事そうによけてましたから…」
「そ、そうですか?」
自分ではまるで意識をしていなかった事だ。
ソリドール家の食卓には様々な趣向が凝らされた料理が並ぶ。
好き嫌いなどしてはいけないという教えに従い、澄まし顔でどれも美味しく食べさせて貰っているつもりだ。これは好きだから、嫌いだからと選り分けたり残したりするのは行儀が悪いと理解していた。
筈だったのだけれども。
知らず知らず皿の上で線引きをしていたのか、と思うと恥ずかしくてラーサーは俯く。
テーブルを囲んだ皆が分かる程にハッキリと動作に現れていたのだろうか。
「好きな物を最後に残しておくなんざ、さすが坊ちゃん育ちだねぇ」
美味いモンはそれが一番いい状態の時に美味しく頂くのが礼儀だとバルフレアがナフキンで口元を拭いながらにやりと笑う。
「最初に食べちまえば誰かに盗られて悔しがる事もない」
食事も、女もな、と色男らしい台詞を吐くと、同じく食事を終えたアーシェが冷たい視線をそちらに向ける。
「仕方ないですよ、ラーサー様は好きな食べ物を横取りされるような環境で育ってないんでしょうし」
マイペースに食事を続けているパンネロの、自分とは育った環境が違うから、とさりげなく差別された事を悲しく思いつつ、今だ空の皿を眺めるラーサーである。
今までラーサーの前に置かれる料理はラーサーしか手を付けなかった。
ヴァン達と共に旅をする期間はお世辞にも豪勢とは言えないような簡素な食事もしたけれど、それでも自分用に分けられた分は自分だけの物であった。
パンネロ曰く久しぶりに奮発した、と言わしめる食事を目の前に並べ、和気藹々と食事を摂っていたのが今。それ程メニューに選択肢はなかったが、それでも各自が注文したものであったし、ラーサーの前に運ばれてきた料理はやはりラーサーのものだ、と信じていたのだ。
簡素な食事続きの中の、久しぶりの美味しい食事、その中に自分の好物を見つけたならば、次に同じような食事が摂れるのがいつとも分からないのならば、ゆっくり味わいたい、そう無意識のうちに感じて選り分けていたのだろう。
だがそれは―――いとも簡単に消えてしまった。
他人の胃袋に。
「ヴァンも私も、大勢の子供と一緒に食事してましたから…早い者勝ちだったんですよね〜」
あんまりゆっくり味わって食べるって事、無かったなぁと小さく溜息を吐きながらパンネロがまたラーサーにすみませんでしたと謝った。
パンネロには全く関係がなく、ましてヴァンが謝った所で消えた料理は戻って来ない。
たった二口程のささいなものだったが、それだけの為にまた新しく料理を注文するだけの時間も無く、またお腹が空いている訳も無く、そう思えば思うほどにたった二口といえどそれがとても悔しいものに思える。
取って置いた好物を誰かに奪われるという経験を初めてしたから余計に、ちっぽけな事だと理解していても、失ったものが妙に大きなものだったような錯覚を覚えて、ラーサーは謝るパンネロに平気ですよと笑いながらも皿の上から視線を外せないでいる。
未練がましくいつまでもそうしていたから、パンネロの言葉もかなり上の空で聞いていた。
「ラーサー様、あーん」
だから、それも上の空で聞いている。
機械仕掛けの人形のように、特に何の感情も伴わず、口を開けた。
条件反射というやつだ。
銀色の光が反射する。
フォークが、口元に。
舌先にそれが触れて、ラーサーは口を閉じた。
そして噛み締める。
―――甘い。
目の前の皿から視線を上げると、驚いたような周囲の顔が並んでいて。
ラーサーはフォークを自分の口元に運んだ手の主へとゆっくり視線を移す。
「えと…ラーサー様と同じものを注文したから一緒です。お行儀…悪いですけど…その…お皿に移して口を付けるのもどうかな〜って思ったんで…もう勢い…っていうか…」
しどろもどろで弁明するパンネロが、ラーサーの口元からさっとフォークを退けて、ごちそうさまでした!と言うや否や席を立つ。
状況が飲み込めない。
説明を求めるように周囲に視線を戻すと、呆れたようなアーシェやバルフレア、クスクスと笑うフラン、放心しているようなバッシュと眼が合う。
「坊やがあんまりにも名残惜しそうな顔をしていたから堪らなくなったのよ」
「確かにあなたもパンネロも同じ料理だったけれど…」
あれは無いでしょう、と深い溜息。
「それにしてもお嬢ちゃんも都合良く残していたもんだな」
嫌いだったのか?と顎に手をやって唸るバルフレア。
「嫌いなものであればそれこそヴァンが横から食べていそうだが―――」
それまで静観していたバッシュがポツリと零した言葉で一瞬場がしん、と静まり返る。
確かにそうだ、と頷く一同。
「つまり…まぁ」
カタン、と席を立ったバルフレアがラーサーの額を軽く指で突いた。
「この果報者、ってトコか?」
行儀云々はこの際言いっこナシだなと苦笑した彼に目を瞬かせ、ラーサーは状況を理解すべく、ゆっくりと会話やらを思い出した。
ラーサーがあんまりにも未練たらしく皿から消えたたった二口の料理の事を考えていたから―――
パンネロが自分の皿に残っていた同じものをラーサーに食べさせてくれた…のか。
好物を皿から奪われるのも初めての経験ながら、それを他の皿から分けてもらう、否、食べさせてもらうのもまた初めての経験である。
たった二口。
否、ラーサーの口に収まったのは一口分。
メイン料理の脇に添えられた、何でもない料理。
それは間違いなく今までで一番貴重で、忘れ難い味をラーサーに残したのだった。


■ モドル ■

最後にとっておいた好物を盗られ、半分こしてもらうお話。
ラーサーはショートケーキの苺最後にとっておくタイプだと思います。
バルとヴァンは真っ先に食べるだろうな…。

ちなみにこの最後まで取って置いた料理、というか食材、何かオシャレ所で…「ポワロ」(別名:ポロねぎ…一気に庶民臭いな…)あたりの野菜とでも思っておいてください。柔らかく煮て食べると甘くて美味しいようです。玉葱と代用できるとの事で、ヴィシソワーズなんかにも入ってるみたいで。苦味もえぐみも無く優しく食べやすい葱みたいです。近場では売ってるの見た事ないなぁ…
冷めても美味しいようなので最後にとっておいても問題なしってトコでしょうか。

パンネロは厳しい食事風景の最中でも自分の皿は守れる子だと思ってます。
ヴァンは一度ならず何度も痛い目みてるんですよ、多分。だから盗れません。