8. 噂話



知ってるかい?この噂を。
第三週の金曜日、ミゲロの道具屋でね―――。


「今朝はやけに早いな」
まだ夜も明けきらぬ早朝。
ひゅん、と空気を裂く音に混じって、静かだが威厳のある低い声がかけられる。
「ちょっと面白い噂話を耳にしてねぇ」
無駄な詮索は受けたくないとばかりに彼に背中を向けていたというのに、口から滑り出た言葉はまるで裏腹だ。
「噂?」
それはその噂が彼の耳にも届いているのかどうか、それが自分だけが知っている情報であるという事を再確認して優越感に浸りたかったのかもしれない。
「そ、噂」
くるりと振り返ると、額に僅かに汗を浮かべた将軍が眉を寄せてこちらを見ている。
「その真偽を確かめに出掛けてくるのさ。ホンモノなら後で詳しく説明してやるよ」
ホンモノならば、何かしら大変な事になってしまうのだろうけれど。
にっと笑いかけてバルフレアはまだ暗いラバナスタの街中に消えていく。

夜明け前だというのにラバナスタの街中を行く人々の数は少なくない。
様々な人種が入り乱れ、自由に商売をするこの都市は朝も夜もなく活気に満ちている。
いつ店を閉めているのか分からぬ喧騒に包まれた砂海亭の前を横切り、まだ灯りの消えないショーウィンドウを眺めながら向かう目的地は―――。
近隣からも品揃えの豊富さと取引の正確さで有名なミゲロの道具屋、だ。

「俺が一番乗りだな」
扉の閉ざされた暗い店の前に人影は見当たらない。
噂が真実であれば長蛇の列でも出来ていそうだが、それが無いのを見ると、この噂はまだ余り一般的には広まってはいないものなのだろう。
情報屋から小銭と交換で得た情報であるから、そうでなくては価値が無いのだが。
悠々と店の扉の前で開店を待とうと進んだバルフレアは、暗がりからこちらに向かって歩いてくる人影に眼を見張る。
向こうもまたこちらに気付いたようで、ピタリと立ち止まった。
「お…前…」
「あれ?こんな時間から買出しですか?」
こんな時間に出歩く人種には不自然な高いトーンの声にバルフレアは顔を顰める。
「そういう王子サマは?」
「僕はポーションの補充ですよ?皆さんの為に」
暗がりではっきりとは確認できないが、涼しげな笑顔を浮かべているであろう少年の姿が想像できて、バルフレアは小さく溜息を吐いた。噂の事で来たようでは―――ないようだ。多分。
「バルフレアさんがこんな時間にここに来るなんて、何か特別な仕入れでしょうか?」
ち、鋭いな。
「そういえば―――僕、聞いたんですよ」
!!?
思わず前のめりになるバルフレアだ。
「噂ですけどね」
意味深に、やけにゆっくりと呟いた少年の持つ情報が自分のものと同じものであるのかどうか、確かめるべきか否か。
「へぇ?面白い噂なら是非聞かせて欲しいねぇ」
「駄目ですよ。僕、折角だからそれ確かめてみようと思っているんです」
ぎくり、とバルフレアの身体が僅かに固まる。
「だから確かめ終わったら、教えてあげますよ」
「ほう?」
チリ、と火花でも散りそうな空気に、バルフレアは確信する。
(コイツ知ってやがる)
そうと分かれば、と一歩前に出たバルフレアに、負けじと身体を乗り出す少年・ラーサーだ。
「横入りは駄目ですよ」
「何を言う。俺が先頭だ」
いつの間にかぐいぐいと互いの身体を押し合って、道具屋の前で攻防を続ける二人に冷や水がかけられたのはその時だ。
「何をしているの?あなたたち」
白み始めた景色の中、冷たい視線を寄越す女性。
「…アーシェさん…」
「…これはこれは王女サマ。こんな時間に何の用で」
「ここに用があるの。道を塞がないでくれるかしら?」
少し肌寒い空気を纏った朝霧の中、それよりさらに冷たい言葉が二人に投げつけられる。
「悪いが俺もここに用があってね、後ろに並んでくれるか?」
「先頭は僕です。バルフレアさんもアーシェさんもちゃんと並んでくださいね」
三者三様の笑みが浮かぶ。
「先を争って買うような品物があるのかしら?」
「さぁ?あるのかい?王子サマ」
「僕はポーションの補充です」
「ポーションなんざ昼間でも買えるだろうが」
「道具の準備はフランさんに任せているバルフレアさんがこんな早起きしてまで買いにくる理由は何なんです?」
「それを言うなら王女サマもだろう?最近はめっきり将軍サマと嬢ちゃんに任せてる筈だろう?」
一歩も譲らない三人が互いの思惑で唸る中、城壁の向こうからゆっくりと朝日が顔を覗かせる。
と同時に。
ガタン、と物音が聞こえた店の中。
コホン、と一つ咳払いをして、バルフレアがラーサーとアーシェに笑いかける。
「白状すると俺は開店一番に手に入るらしいあるブツが欲しい。だからここは譲ってくれ」
ガタガタ、とまた店内で物音。開店準備がされているようだ。
ここはもう正直に言ってスマートに一番を頂こうとしたバルフレアだったが―――。
「駄目です!僕も狙っているものがあるんです!それは月に一度しか入荷しない貴重なポーションなんです!」
開店直前という事で焦りの表情を浮かべたラーサーも続けて告白する。
「ってバルフレアさんの欲しい物とは…被ってません…よね?」
バルフレアの表情を読もうとじっと見つめるラーサーだ。
そして思い切り困った顔をしているのはアーシェで。
微妙な空気が流れる中、ついにギイと軋んだ音を立てて道具屋の扉が内側へと開かれる。
「!」


「…あれ?皆さんどうしたんですか?こんな朝早くに」
きょとんとした表情を浮かべているのはパンネロだ。
「…何で嬢ちゃんがここにいるんだ…」
「あ、私ミゲロさんのお世話にずっとなってるんですよ。言ってませんでしたっけ?街に寄っている間、少しでも時間がある時はお手伝いしてるんです」
にこり、と屈託無く笑ったパンネロの姿に、ガクリと肩を落としたバルフレアだ。
「仲良く買出しですか?あ、旅仲間だからってまけませんからね〜」
「パ、パンネロさん一人ですか?」
「こんな時間ですからね。もう2時間もしたら他の子も来ますよ。ラーサー様はいつものポーションですか?」
「え…ええ…その…はい」
頬をほんのりと色づかせて口篭るラーサーに、バルフレアは更に落胆する。
恐らく同じ目的でやってきたラーサーだ、ここは勇気を出して‘例の品’があるのかどうか聞いて欲しい所だったのだが。
バルフレアの口から聞けない事もないが、パンネロには問い難い。
何故なら―――。
「パンネロ、少し聞きたいのだけれど」
(聞くか!?いくか??)
アーシェも同じ目的であればと願うのはバルフレアだけでなく、隣で困った表情を浮かべているラーサーも一緒だろう。
「第三週金曜日に入荷される特別な品物って一体何なのかしら?」
(いったー!)
思わずラーサーと顔を見合わせたバルフレアが拳を握り締める。
「特別なもの…ですか?」
アーシェの問いにうーんと首を傾げたパンネロがポンと両手を叩く。
「あ、もしかして―――」
(もしかして???)
くすくすと小さく笑いながら、パンネロが言う。
「そんな問い合わせが近頃よくあるってミゲロさんが言ってたんですよ。あの噂話ですよね?」


「残念です」
「ああ、全くだ」
「…」
三者共しっかりとミゲロの道具屋に貢献して、溜息を漏らす。
噂がデマだったという事で事なきを得たが、本当だったのならば―――。
無用な詮索はすまい、と三人は思い思いの方角へ足を向けて道具屋を去っていく。



知ってるかい?この噂話。
第三週金曜日、ラバナスタのミゲロの道具屋に特別なポーションが入荷されるって事。
その名前はラブポーション、つまり惚れ薬さ。
ん?効果?好きな相手にこっそり飲ませて…へへへ、そこからは、ね。
誰か買った奴がいるかって?ははぁ疑ってらっしゃる?
月に1本だからね。しかもこの噂、ごく少数しか知らないんでね。
じゃあ何故知ってるかって?いやね、女房と添えたのもソレのお陰なのさ。いや、ホント。
嘘かどうか確かめに行ってくださいよ。嘘ならこの情報量、そっくり返しますぜ?


月に一度、そのような噂話で小銭を儲ける人々がいるとかいないとか。


■ モドル ■

さてそんな三人は誰に使うつもりだったのか…レッツ妄想。
軽いノリで書いてみました。

おまけ・後日談。