9・駆け出したくなる気持ち



「盗んでください!私を、ここから!」
シュトラールの操縦席から聞こえた、アーシェの台詞だ。
王女である自分を誘拐する形でオンドール候の屋敷から連れ出せという意味であって、他意は無い言葉なのだとしても、だ。
反芻すると、なんとも大胆な台詞だったな、とパンネロは一人思う。
オンドール侯爵の屋敷の中、姿の見えなくなったヴァンを追ってシュトラールに辿りつき、成り行きのようにそのまま王女や空賊と旅をする事になったのだが、その会話内容をふと思い出したのである。
ただ何となく手持ち無沙汰で、この際に見学させてもらおうとシュトラールの中を歩いていた所だった。
自分を盗めと要求するアーシェの勇ましさ、否、大胆さに溜息が出る。
そっと操縦席を覗き込むと、またその強烈な台詞が頭の中を巡った。
そんな台詞が咄嗟に出て来るのがすごい。
誘拐して、と言うならまだしも、盗んで、とは。
他意はなくても、曲解すれば―――。
ぼんやりと頭の中にアーシェの姿が浮かぶ。
白い豪奢なドレスに身を包んだ…そう、ラスラ王子との結婚パレードで着ていたあの姿。
そこに颯爽と現れる―――バルフレア。
想像だ。
想像だけれども。
花嫁を抱き上げて優雅に去るバルフレアの姿はとても絵になるなとパンネロは一人頷く。
ラスラ王子には申し訳ないけれど、想像だ、あくまで。
パンネロも読書くらいはする。一般的に出回っている娯楽小説の類等々。
少女達が頬を染め、溜息を吐きながら羨ましそうに語る話。
美男美女の王子と王女が結ばれる見目麗しい話に憧れ、
身分違いの恋、許されざる恋、引き裂かれ、尚も互いを求め合う姿に涙し、
また、望まぬ婚姻の場に割って入る勇ましい恋人の姿に恋をする。
乙女のバイブルとして所持していたいそれらの話の一つに登場してもいいような台詞だ。
アーシェのその台詞は。
アーシェやバルフレアにはとても聞かせられないような恥ずかしいまでに乙女妄想全開の想像を膨らませて、それをひとしきり楽しんだパンネロは、それら妄想の鍵となった言葉をぽつりと漏らす。
特に意味は無く。 乙女が焦がれる小説の一台詞として、余韻に浸るように。

「盗んでください…私を、ここから」

自分には一生縁の無さそうな台詞。
言葉に出してから気付く。あまりに自分には不釣合いだ。
物語の中のヒロインのように何かに縛られ囚われている訳でもないのだし。
アーシェが言うからサマになるのであって、やはり自分には―――。

「盗んでやろうか?」

それまで物音一つしなかった場所に、声が響いて。
パンネロは文字通り、飛び上がった。
「ばっババババ―――!」
言葉になるものでない。
顔から火が出る、というのはこういう事だと実感した瞬間だ。
今まさに妄想の中で優雅に王女を攫って行った男の姿が実体化して目の前にぬうと現れたのだから。
「す、すみませんっっっ!!」
真っ先に口を突いて出た言葉はそれ。
変な妄想をしてすみません。
似合わない台詞を言ってすみません。
しかし詫びるよりも兎に角恥ずかしい。
今自分がどんな顔をしているのか。
それを見るバルフレアがどんな顔をしているのか、想像して。
その場に居続ける事など出来ずに、パンネロは言葉にならない叫び声を上げながらその場を逃げ出した。

カンカンカン、と金属音が遠ざかる。
愛機を見学したい、と言っていたから先程パンネロを中に通したわよという相棒の報告は聞いている。
そのパンネロに用事があった訳でもなく、そう、彼女が中に居る居ないに関係なく、ふと愛機が恋しくなってここに来たバルフレアだったのだが―――。
愛機の内部をぐるりと見回し、どこも変わった所が無い事を確認するようにしてから、視線をつい今しがたまでパンネロが立っていた場所に戻す。
そこにもう彼女は居ない。
居ないが、残像が脳裏に蘇る。
多分、聞いてはいけない台詞だった、のだろう。
つい口を挟んでしまった。深い意味は無く、だ。
だが。
バルフレアは口を押さえた。
「―――パンネロが凄い勢いで飛び出して来たけれど…貴方何かしたの?」
コツコツと静かな足音を立てていつの間にか隣に来ていた相棒が棘のある言葉を投げかける。
眉間にくっきりと深い皺を寄せて。
その皺は尋常じゃない様子のパンネロを案じたものであり、そしてまた身体を震わせて笑うバルフレアの姿を怪訝に思って。
「いや―――」
呼吸も困難なのか、少し息を荒くして、バルフレアは何でもないと手を振る。
「お前さんも王女サマもつれないが、久しぶりに熱の通った反応を見てね」
そう言いながら、また笑う。
苛めないで頂戴、とでも言うように鋭く細められた赤い眼に、大丈夫だと軽口を叩いて、
「しかし―――お宝は存外身近に転がってるものかも知れないな」
心躍るようなとびきりの情報を仕入れたような顔をしたバルフレアがフランにくるりと背を向ける。

またくっくっと笑い始めたバルフレアの背中が遠ざかる。
今にも駆け出していきそうな、浮き立った相棒の姿にフランはただただ眉をひそめるだけであった。


■ モドル ■

恥ずかしさのあまり駆け出すパンネロと
駆け出したくなる程楽しい思いをしたバルフレアの話。
バルネロ風味です。うーん普通に恥ずかしいな。妄想中に声かけられたら…