第26回学習会 転形問題論争について  5/21(土),2005 14:30〜 於.長野市
     --- その歴史と現在
 
以下は当日のレジメです。
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1.転形問題論争とは

マルクスは『資本論』第三部第二編「利潤の平均利潤への転形」、とりわけ第九章「平均利潤と生産価格」で、一般的利潤率の形成にともない価値が生産価格に転形し、また剰余価値が平均利潤に転形することを説いた。しかし、総価値=総生産価格であり、総剰余価値=総利潤の関係は保たれるとした「総計一致の二命題」に対し、それは成り立たない、あるいは価値と生産価格との関係についての論証は十分に為されていない、論証に失敗しているとして、マルクス経済学の虚構性や崩壊を主張したり、その修正を図ろうとしたりする主張が現れた。それに対する反批判、等々の論争。

2.転形問題論争の歴史

・1894年 『資本論』第三巻の刊行
・1896年 ベェーム=バヴェルク「マルクスの体系の終結に寄せて」を発表
・1904年 ヒルファディング「ベェーム=バヴェルクのマルクス批判」を発表
・1906-07年 ボルトキェヴィッチ「価値計算と価格計算」を発表
・1907年 ボルトキェヴィッチ「資本論第三巻におけるマルクスの基本的理論構造
       の修正について」を発表    
・1949年 スウィージーによる上記論争の紹介
(日本語訳、『論争・マルクス経済学』1969年、法政大学出版会)
・1960年 ピエロ=スラッファ『商品による商品の生産』出版

● ベェーム=バヴェルク(1851-1914、オーストリア)
 メンガーらと並びオーストリア学派の創始者の一人。『資本論』第一巻と第三巻の間
 には矛盾がある(価値と生産価格の「二つの価値理論」)と主張し、そしてその原因
 は労働価値説そのものの不可能性にあると、主観的価値論(限界効用学説)の立場
 からマルクスを批判。

● ヒルファディング(1877-1941、ドイツ)
 ベェーム=バヴェルクらの主観的価値論の立場は、経済学の出発点を個人(の欲望、
 等々)におき経済現象を非歴史的・非社会的にとらえている。これにたいしてマルクス
 は社会から出発する。労働は人と人とを結びつける「人間社会の本質的要素」である。
 それは、単に商品交換の基準(価値決定の基準)であるだけではなく、「労働の生産
 性の程度および労働の組織上の様式は、社会生活の性格を決定するものである。」 
 <生産価格はたんに価値の「修正」にすぎず、したがって二つの理論は論理的に関連
 していて、どんな意味でも矛盾するものではない>と反批判。(<>内はスウィージー
 からの引用。以下のボルトキェヴィッチについての部分も同様)

● ボルトキェヴィッチ(1868-1931、ロシア生まれ。ドイツで統計学者として活躍)
 ベェーム=バヴェルクは<価値の生産価格への転嫁という全操作を無意味なものと見
 なした・・・ヒルファディングのほうはどうかというと、一度もマルクスの手続き上の確か
 さを疑ってみたことがない・・・ボルトキェヴィッチにのこされた仕事は、この問題をとり
 あげて、マルクスの価値論および剰余価値論のワク組のなかでこれを解決しようと企
 てることであった。><近代的リカードウ主義者>

● ピエロ=スラッファ(1898-1983、イタリア生まれ。ケンブリッジ大学の経済学者)
 新リカードウ学派的な立場から、マーシャルを代表とする新古典学派と論争。筑波大学
 の藤田晋吾は『スラッファの沈黙』(2001年、東海大学出版会)で置塩信雄の経済学等
 とも関連させて転形問題論争についてのスラッファのアプローチについて論考している。

3.現代日本のマルクス経済学内における二つの傾向

(1)松石勝彦、見田石介、等の正統マルクス学派
    松石勝彦は『マルクス経済学』(1990年、青木書店)で、マルクスの叙述に即
    しながら『資本論』の生産価格論を分析し、それを「二段階転化論」として整
    理することによって、この問題は既にマルクスによって解決されていると主張。
    したがって、価値と生産価格との間には矛盾があるとか、総計一致二命題は成
    立しないというような議論そのものが間違っていると主張している。
    確かに、マルクスは「二段階転化論」(価値の生産価格への転化→生産価格の
    費用価格への繰り込み)的に問題を処理しているといってよいと思うが、はたし
    て「二段階」だけで済む問題なのか疑問は残る。また、マルクス自身「一般的法
    則が支配的傾向として自己を貫徹するのは、つねにただ、極めて複雑で近似的
    な仕方でのみであり、永遠の動揺のけっして確定されえない平均としてのみであ
    る。」(角川文庫版、第六分冊P.258)ともいっている。

(2)置塩信雄、関恒義、等の数理マルクス学派
    置塩信雄は『資本制経済の基礎理論』(1965年、創文社)において、総計一致
    二命題は成立しないが、「正の剰余価値が存在することが、正の利潤が存在す
    る必要十分条件である」として、数理経済学的立場から労働の搾取の存在を「証
    明」した。関恒義も『経済学と数学利用』(1979年、大月書店)において、置塩に言
    及し、同様の立場を取っている。また上記の藤田晋吾も、数理経済学的な手法そ
    のものについてはそれを前提して考えている。
    しかし、この手法は「価値決定方程式」の正当性・正しさを大前提としている。

【資 料】

<マルクスに対するこのベーム・バベルクの批判が、その後、労働価値を否定するブルジョア的批判の基本となるだけに、総価値=総価格の命題は、マルクス主義経済学の根幹としてはっきりと確認しておく必要がある。ところで、マルクスの示す総剰余価値=総利潤は、マルクスが転形問題を途中で打ち切ることなく、いっそうくわしく展開していれば、一般に成立しないことを確認できた命題である。なぜなら、剰余価値部分を構成する諸商品それ自体が生産価格で表示されなければならず、あとでみるように、生産価格で表示された総利潤が価値表示の総剰余価値に一致しなけれbならない必然性は存在しないからである。ここでは、置塩信雄『マルクス経済学』(1977年)が示すように、「利潤が存在するための条件は剰余労働が存在すること」という命題が確認ないし論証されていれば、それで十分なのである。> (関恒義『経済学と数学利用』p.74)