診療の合間に
見出し一覧
 最近気に入っているCD
 在宅酸素療法の危機
 更新のプレッシャー
 説明しない医師
 新しい医学教育−医療面接
 忘年会シーズンですね
 大学病院も定額制!?
 厚生労働省は本気
 医師の国会議員
 忘年会最終版
 年賀状
 奥方はフォーク・クルセダーズフリーク
 謹賀新年!!
 アクセスカウンタの伸びがすごい!!
 癌の免疫療法
 そろそろインフルエンザが
 賢い患者になるために
 市民公開講座無事終了
 良いことしか言えないんですね
 親子は安全な関係か?
 春は切ない季節??
 続いて息子のこと
 チャレンジはしてみるもの−高校受験
 包括評価とクリニカルパス
 平和な休日
 IT社会は管理社会?!
 Bフレッツがやってきました
 六本木ヒルズ行ってみました
 ツバメが巣を作りました
 かなりヒヤッとしました
 検診を受けましょうネ
 久々のビアガーデン − 夏の恒例行事
 包括評価が始まりましたが...
 雨の花火大会
 コンピュータウィルスが猛威を振るっています
 夏なのにこんなに忙しくていいの!?
 考え直してほしいハッピーマンデー
 始まりました現代版「白い巨塔」
 母娘は宝塚フリーク?!
 大学教官が任期制に
 大学病院勤務医にも労働基準法の適応が
 受験シーズン突入です
 センター試験近づく
 今年のインフルエンザは怪しい?!
 コンピュータウィルスが半端ではありません
 本物のウィルスもそろそろ来ました
 いやいや、風にやられました
 アテネ、サッカー ピンチ?!
 白い巨塔も、ジ・エンドです
 政府の対応、それでいいの?!
 ゴールデンウィークですね
 GWも終わりダム満水にホッ
 県民の恥をさらすな! 交通マナー
 当世学生事情
 良い情報も伝えて欲しい
 雷には気をつけましょうネ
 職場を変わることになりました
 JR通勤もまた楽し
 転勤はやはりストレス?!
 自分の美学を持っていますか?
 今日はちょっと特別な日
 大学病院はどこへ行くんだろう?
 新しい形の遠隔医療
 医学教育と医療現場とのギャップ
 歩道はやっぱり歩くところ?
 一人きりのX'masイブにもちょっといいことが
 新たな年になりました
 10万回アクセス記念に書き込みのページを
 老年医療の講演に感激!
 メールの返事を出していますか?
 夢は語るもの ー選抜高校野球開幕ー
 今年は桜が鮮やかでした
 大型ショッピングセンター詣では1日がかり
 ご当地小説
 種蒔きの時期
 夏休み
 秋の夜長
 忙しかった!!
 インフルエンザの季節です
 新年おめでとうございます
 受験の季節です
 全国版テレビに出ました
 テレビ放送の余波
 あけましておめでとうございます
 春になりました
 今年の夏
 本を出しました
 今年も最終日となりました
 今年の夏はちょっと変?
 大晦日になりました
 職場が変わりました
 何かと新たな年でした
>秋らしくなりました
 謹賀新年
 最近気に入っているCD 2002.12.08
いきなり医療に関係ない内容ですみません。
私たちがかつてリアルタイムで聞いた、フォーク・クルセダーズが最近再結成され(といっても全く同一メンバーではありませんが)、「戦争と平和」というアルバムを出しました。普段はレンタルCDですませている我が家ですが、これは買わないとと思い、発売日に息せき切ってレコード店に行きましたが、果たして初回分は予約で売り切れでした。
幸いなことに次の入荷分で入手することができました。聴いてみると、期待通り遊び心満載の内容で、しかも心に滲みる曲もあり、買った甲斐がありました。世代を超えて通ずるものがあると思いますので、レンタルで結構ですから、一度耳にしていただきたいなと思います。
もう一つ、中森明菜の「歌姫U」。これは、もともと他のシンガーの曲を彼女が歌ったものです。この中で、特に気に入っている曲が二曲。確かテレサ・テンの曲だったと思いますが。「別れの予感」。車の中で歌詞をかみしめながら聴いていると、いつもウルウルしてしまいます。
もう一曲は「瑠璃色の地球」です。これは歌詞がとても美しく、聴いた瞬間ビリビリと震えるものがありました。で、元は一体誰の曲だったのだろうと、インターネットで探した結果、松田聖子の曲だったということがわかりました。オリジナルはもう10数年前のものです。この曲は最近テレビCMでも採用されることが決まったようで、私のセンスもなかなかのものだと、一人ほくそ笑んでいました。 が...
2002.12.13追記: このアルバムが発表されたとき、中森明菜が松田聖子の歌曲を歌うということで、ずいぶん話題になったのだ、とある知人が教えてくれました。なんだ、そうだったのか。でも、私自身はそのことを(うかつにも)知らなかったわけで、私の目の付け所の評価が下がるわけではないと思うのですが。 やはり独りよがりですかね。
 在宅酸素療法の危機 2002.12.09
在宅酸素療法ってご存じでしょうか。呼吸機能の低下のために、血液中の酸素が不足する患者さんに対して、自宅で酸素吸入を行えるようにする治療法です。略してHOTと呼びます。
HOTを行うためには、酸素濃縮器か濃縮酸素(ボンベ)を自宅に置く必要があります。現在ではいずれも保険適応がありますが、月90,000円程度かかるため、2割負担では18,000円、3割負担では27,000円かかります。
HOTが必要になるのは高齢者が多いのですが、これまでは定額制だったので、月2000円程度の負担ですんでいました。しかし、高齢者が1割負担になると、月に1回ですが、9000円の負担になります。先日新たな患者さんに導入しようとして改めて気づきました。
在宅酸素療法に携わっている業者に尋ねると、高齢者の1割程度の方が酸素吸入のための機器を返却しているとのことでした。肺機能が低下し、血液中の酸素が常に不足している方にとってはただならぬ事態なのですが、厚生労働省のお役人様は、果たしてそのような事情まで考慮して1割負担にしたのでしょうか? 弱いものに厳しい保険改訂には、本当に腹立たしく思います。
これまで若年の方には、身体障害者の申請をして費用の負担がないように配慮していましたが、今後は高齢者での申請が増えるものと予想されます。
 更新のプレッシャー 2002.12.12
ホームページを立ち上げたときには、当然見て下さる人もなく、自分が確認のために見るたびにカウンタが上がるという寂しい状況でしたが、最近ようやく親しい方々に見て下さいと言えるようになりました。そうすると、確認のために見る以外に、カウンタが少しではありますが、上がっているのがわかり、更新のプレッシャーを感じています。一つの項目を書き始めると長くなってしまうので、どうしても更新が遅れがちになりますが、これに懲りずにこれからもご愛読下さい。
 説明しない医師 2002.12.12
今や医療は「説明」と「同意」の時代です。これを英語では「インフォームド・コンセント」といいます。患者様に対する説明が不十分という指摘は、かなり以前からされていました。して当たり前の説明がなされないために、説明をしないと(したという証拠がないと)一部の保険点数が認められないなど、情けない事態になっています。
そんな時代にあっても、やはり説明が十分でない医師(場合)が見られます。これはどうしてなのでしょうか?
一つは、その段階では誰が見ても説明できない場合。私は呼吸器疾患の診療もしているのですが、胸部X線写真で小さな陰があり、精密検査をしてもらったのだが「わからない」と言われ、不安になって大学病院に来られる患者様が、時におられます。
で、当然のことながら、元の医師には黙って受診しているので、やむを得ずX線単純写真やCTを撮り直します(これも医療費高騰の原因の一つ!!)。すると、果たして直径5mm位の小さな陰影が確かに見られます。肺がんかどうかを診断するためには、その塊に見える部分から細胞を取ってきて、顕微鏡で見なければなりません。この細胞を取るルートは2つあります。一つは気管支鏡検査をして気管支の内側からアプローチする方法で、もう一つは(肺の中心部から離れて気管支鏡が届かない場所の場合)皮膚の外から細い針を刺して細胞を取るという方法のいずれかです。
しかし、このような小さな陰影の場合、そのどちらを使っても、陰影の部分に到達できないことがあります。このような場合、「この時点では『日本国中の誰が見ても』わからない」、と言えばいいのですが、控えめな先生はそうはおっしゃらない。しかしながら、患者様は、わからないと言われれば、その先生に診断をする能力がないように感じてしまうのです。
もう一つは、症状が出ている原因が本当にわからない場合。医学がいくら進んだとはいえ、解明できない身体の変化はまだまだ数多くあります。このような場合でも、何もかも全くわからないということはなく、大まかにどんなことが起きているのかを説明することはできます。たとえば熱が出る原因がわからなくても、感染症であるのかそうでないのか、悪性の可能性があるのかそうでないのか、今後の見通しはおおまかにどうなのか、等々。
説明をしない(できない?)医師は、私が想像するには、何かはっきりした(教科書に書いてあるような)病名にたどり着かないと自分が納得できず、安心して患者様に説明できないのではないかと思います。先人のお墨付きがないと、患者様に自信を持って説明しにくいのは確かです。
でも、考えてみて下さい。病名や診断基準というものは、自然界を相手に、人間が便宜上「作った」ものです。生命の複雑さを考えると、今知られている病名だけで全てを説明しようというのは、医師の奢りではないかと思います。先になると「A」という病名の診断基準を満たすものでも、それまでの過程においてはきっぱりと「A」と言い切れない時期があり、医師はウーンと悩むのです。
説明が困難な状態の一つに、私が診る機会が多い、自律神経系の不調和からくる症状が挙げられます。動悸がする、何となく胸苦しい、緊張すると下痢をする、手や足がしびれる、ふらつく感じがする、顔がほてる、といったつかみ所がない症状です。これらの症状の多くは、一般的な検査をしても異常を見いだすことが出来ません。挙げ句の果てが、CTを撮ったり、MRIまで撮ったりという高額な検査を繰り返すことになります。
もちろん、隠れた病変を見逃さないために、このような検査が有効なことは言うまでもありません。問題なのは、検査して異常が見つからなかった場合に、どう説明するかです。「検査の結果異常ありませんでした」、といって安心して下さる患者様はよいのですが、ではどうしてこんな症状が出るのだろうか?、もっと重い病気が隠れているのではないだろうか?と、不安を募らせてしまう方もおられます。
症状が出るメカニズムを、生活面での種々のストレスや、身体の疲労の結果、身体の生理的な作用が、普段より増強されたり、控えめになってみたり、という風にお話しすれば、わかっていただける場合が多いのです。しかし、このような説明の仕方は大学では教わっていないので、つい、異常はないが、症状が出る原因はわからない、という説明になってしまうと思われます。医学教育に携わるものとしての反省も込めてでした。
   
 新しい医学教育−医療面接 2002.12.13
私たちが20数年前に受けたものも含めて、これまでの医学教育は講義中心でした。しかし、これでは臨床能力の高い医師が養成されないとの反省から、最近は医学教育の中でより実際的な臨床実習を重視することが求められています。私どもの香川医科大学でも、5年生始めからの約1年4ヶ月を臨床実習に充てています。
より現場に近い実習そのものは、かなり以前から取り組んできていました。最近では、その臨床的な技能を試験の形で評価しようという動きになってきています。今はその結果をどのように使うかは、各大学に任されています。しかし、近い将来、国家試験に取り入れられることがほぼ確実になってきています。
この実技の中に、医療面接という項目があります。患者様と会話をして、受診に至った経緯と患者様の希望とを明らかにするという内容です。ここで、患者様の役をする人が必要になります。本当の患者様に何人もの学生の相手をしていただくことは到底できませんから、専門に患者役をする人(この方たちを模擬患者;SPさんと呼びます)にお手伝いいただくことになります。
香川医科大学では、昨年の春までは県外から派遣していただいていましたが、ある方のご尽力で、昨年秋から地元で養成を始めることができました。現在では12名のSPさんがこの組織(香川医科大学SP研究会)に属して、隔週で5年生の学生5−6名ずつを相手に患者役を演じていただいています。
今回はさわりだけで、詳しくはまた後日ご紹介します。
 忘年会シーズンですね 2002.12.15
12月も半ばとなり、忘年会もたけなわのことと思います。当方は、4/6終了。全部で6つというのは、多いのでしょうか、少ないのでしょうか? 今回は内科の呼吸器グループの忘年会を欠席してしまいました。いつも不義理をしているので、二次会からでも出席したかったのですが、どうも体調が今一歩で、第一内科の呼吸器グループの先生方、ごめんなさい。
あと、パートでお世話になっている医療機関の忘年会にもお誘いいただいたのですが、大学医局のと同じ日だったり、連続したりで、今回は涙をのんでお断りしました。日常の忙しい診療の中ではお話しできないような本音や、いつもは表せない感謝の気持ちをお伝えしたかったのですが、残念です。これに懲りずにまた来年もお誘い下さいね。
あと2つのうち一つは医療情報部と医療情報係との合同忘年会です。これが、東京日帰り出張の日なので、空港からそのまま会場に直行。ご心配なく、代行運転で帰ります。飲酒運転は絶対に慎みましょう。
最後の一つは、息子(中3)の小学校時代の野球チームのお父さん方の会です。小学校時代はもちろんのこと、卒業して3年になるのですが、いまだに年に2回ほど続いています。このメンバーがまた素晴らしい人たちばかりで、普段は医療関係の人しか付き合いがない自分にとっては、色々な仕事を持った人たちとお話しできる機会は、とても貴重なものです。といっても、いつも5時間あまり、野球の話しかしないんですがね。
 大学病院も定額制!? 2002.12.17
この度、老人医療保険が定額制から1割負担に変わり、在宅酸素療法が危機に、ということは先に書きました。これに反対の方向をとっている(とらされようとしている)のが、大学病院を中心とした特定機能病院です。特定機能病院というのは、高度な医療を提供する以外に、高度医療に関する研究・開発・評価・研修などを行う機能を有することが求められている病院で、大学病院以外に、国立がんセンター、国立循環器病センターがこれに相当します。
この特定機能病院で、来年4月から入院医療に限って「包括評価」制度が導入されます。通常の医療は「出来高」制で、ある医療行為に付けられた保険点数の積み重ねで、医療費が計算されます。ただ、保険医療には「審査」があり、明らかに過剰な医療行為や、病名に照らし合わせて不適切な医療行為は認められないことがあります。
包括評価制度とは、一つの病名について、1日いくら、という額が定められ、入院している日数を掛けた額が、1ヶ月の入院医療費となるわけです。複数の病気の治療を行わなければならない場合は、最も高い額の病名を主たる病名として申請できます。
ちょっと考えると、重症度が高く、バリエーションが多い患者様を多く抱える特定機能病院には、「定額」は最もそぐわない報酬体型のように思われます。私が、厚生労働省の担当官に尋ねたところでは、特定機能病院は、質の高い医療を行うことを周囲から求められている医療機関なので、定額制を取り入れても、質の低下はないと期待できるから、という回答でした。
これは、裏を返せば、定額制になると、医療の質の低下が生じる可能性があるということなのです。確かに、やるべきことをやってもやらなくても一定の報酬がいただけるのですから、コストを抑えて利ざやを稼ごうという、ふとどきな医療機関が現れる懸念はあります。その点、特定機能病院はまさかそんなことはしないでしょう、という期待なのですね。
定額制にもいい面はあります。これまで保険診療の枠に縛られていて、月に一定の回数しかできなかった検査や、連続3日間しか使えなかった注射薬などが、その医療機関の裁量で可能になるのです。私どもの病院も含め、特定機能病院の医師たちは(厚生労働省の期待通り)患者様のために最高の医療をしたいと思っているので、むしろ、質の低下よりも使い過ぎが問題になります。
使い過ぎは、患者様にとっては多くの場合悪いことではないのですが、医療機関にとっては経営を揺さぶる大きな問題です。特に大学病院は、再来年から独立行政法人となるため、大幅な赤字は病院存続の危機となります。使い過ぎを防止するシステムを早急に作らなければなりません。
今後この「定額制」が一般病院に拡大された場合に懸念されることは、多くの病気を抱えた(すなわちコストがかかる)患者様の診療をしたがらない医療機関が増えることです。厚生労働省が、特定機能病院での試行の後に、このような患者様の押し付け合いが防げるようなシステムを作ってくれることを切に望みます。
 厚生労働省は本気 2002.12.20
19日は、先に書いた特定機能病院の包括評価の説明を受けるために、東京に出張していました。大筋は理解できたのですが、細部で未定の部分がいくつもあり、また、病院側のシステムの整備も3月末までに対応できるかが懸念されます。そこで、質疑応答の部分で、これらの整備が間に合わない場合、実施時期を延期するつもりはあるのか、という質問が出ました。しかし、厚生労働省の回答は”NO”でした。何が何でも来年4月に実施するつもりのようです。
また、特定機能病院で実施したあとは、一般の病院にも広めてゆく予定と、はっきり言っていました。患者様のために、精一杯医療を行っても、それに見合う報酬が得られない時、医師の診療に対する熱意が薄れないかと、本当に心配です。
字が詰まって見にくいという声があり、段落の間を少し開けてみましたが、いかがでしょうか。少し間延びする気もするのですが...
 医師の国会議員 2002.12.21
私たちと同じ医師でありながら国会議員、という方はたくさんおられます。その中で、今私が注目しているのが、何かと話題沸騰の民主党参議院議員である、桜井 充さんです。
私の知人が、たまたま桜井さんの秘書を務めることになったため、何度かお会いする機会ができ、その姿勢と議論の進め方に惚れ込んでしまいました。桜井さんは摂食障害の治療にも携わっておられた(現在も)ため、心身医学の地位向上という面からも期待しています。
その桜井さんが、ご自分のメールマガジンの中で、診療報酬の包括払いに触れておられ、重症度を無視した病名のくくりでは、(コストのかかる)重症患者様を診療しなくなる可能性があり、自分としては従来の出来高払いにすべきだと思うと書いておられました。
特定機能病院はまだしも、一般医療機関で包括払いにすると、このような懸念が生じることは、全く正当な指摘です。ただ、民主党の医療政策としては、包括払いを一つの柱にしているようで、桜井さんの個人的な意見とは大きく食い違っているようです。私としてはもちろん、桜井さんの個人的見解に大賛成です。
ご興味があれば、桜井さんのHPなどにアクセスしてみて下さい。
 URL: http://www.uranus.dti.ne.jp/~sakurai/
 メルマガの購読申し込み:http://www.mag2.com/j/14/01/0001.htm (桜井さんはNo53です)
 忘年会最終版 2002.12.22
昨夜は今年最後の忘年会でした。4回前に書いた、息子の小学校時代の野球チームのお父さんの会です。5時間野球の話、の予定でしたが、お店の都合で、4時間半の会でした。息子達が中3なので、さすがに、少しは成績や進学の話も出ました。でも30分くらいかな。
野球以外で盛り上がったのが、お母様方がとっても話し好き、ということ。11月のとある休日に、中学校の野球部(そう、息子達は中学校でもほぼ同じメンバーで野球部に属していたのです)で、3年生を送る会がありました。これには、本人と母親とが参加。11時から始まって、午後1時過ぎには終わり、息子はそのまま塾に直行しているはずなのに、母親が帰ってこない。
結局帰ってきたのは午後4時頃。一体何をしていたのか? (予想通り)会場近くのお宅におじゃまして、ダベリングをしていたのです。私は娘と4時間あまり留守番をしていたのですが、我が家の奥様は夕方帰ってきても悪びれる風もなく、「情報交換をしていた」ですって。この日集まった数人のお宅も同様の状況だったようです。
この後、12月に入って、市内に新しくできたお店で、お母様方がランチの会をしたのですが、ランチだけで粘ること3時間あまり。お店の方も忍耐強いものですが、よくそんなに話すことがあるなあと、感心してしまいます。電話も1時間はざらという話が飛び交っていましたし。(我々の会も一つのお店で4−5時間粘るのですから、人のことを言えた義理ではありませんが)
ちょうど、これを書いている時に、テレビの特命リサーチで、男と女の話はどうしてかみ合わないか、というテーマを取り上げていました。結論としては、男性の話は、「勝負・プライド型」で、女性の話は「共感型」なのだそうです。私の所においでになる女性の患者様が、「主人がちっともわかってくれない」、と訴えられるのは、まさにこれなんですよね。
男性どおしでは、用件がすむとそれで終わりなので、電話も5分ともたないのですが、女性の場合は、「そうよねー」って繰り返し共感するために、話が長引くのでしょうか。でも、我々父親の会も結構(昔話も含めて)共感し合っているので、この会に関していえば、少し女性的な会なのかもしれませんね(もちろんいい意味でです)。
 年賀状 2002.12.29
お知らせにも書いたように、ようやく年賀状の作製が終結しました。インクジェット用の年賀状ができてから、本当に便利になりました。印刷屋さんには本当に申し訳ないと思うのですが、家族それぞれに絵柄を変えることができるのは、大きな魅力です。写真は気恥ずかしいので、娘の分だけにしました。
来年は未年で、何と4回目の年男です。未年生まれの牡羊座ですから、気性は推して知るべしですよね。普段は受け身的な私が、このようなホームページを出したことに驚かれた知人も少なくないようです。ま、羊男の気まぐれな反乱とでも言っておきましょうか。
 奥方はフォーク・クルセダーズフリーク 2002.12.30
またまた医療とは関係ない話題を。
冒頭にザ・フォーク・クルセダーズの期間限定再結成の話をしましたが、それも、賞味期限が明日までになってしまいました。
CD「戦争と平和」を購入した時に、きたやまおさむ講演会の応募券が入っていたそうです。時は12月26日木曜日、所は大阪サンケイホール。問題は、うちの奥方が、私の全く知らないうちに応募していたことでした。競争率が高いので、まさか当たるとは思っていなかったようです。 が、、、 しばらく経って、忘れた頃に「入場券」が届いたのです。
さあ、それからが大変。奥方は大阪には全く土地勘がないため、急遽大阪のガイドブックを買ってきて、サンケイホールへのたどり着き方を学習。私も家庭の平和を保つため(というより日帰りで帰ってきてもらうために)、インターネットで新幹線の時刻を懸命に検索。奥方は私が作成したスケジュールを持って、翌日早速JR切符を買いに走りました。
で、ようやく何とか昼頃に高松を出れば、その日のうちに帰ってこれることがわかったのですが、当日時は既に冬休み。子どもは一体誰が見るの?? 中3の息子は塾の講習があるので夕方までは放っておいてもいいけど、小4の娘は? 非常に幸いなことに、年末で職場の会議もなかったため、午後は年休を取ることができて、事なきを得ました。でも、抜けられない会議などがあったときはどうしていたことでしょう……。 で、私は娘とハリーポッターを見に行くことに。これはこれで、楽しみでした。久しぶりの映画館。
サンケイホール行きが決まってからの奥方は、もうすっかりフォークルフリーク。期間限定のホームページを欠かさずチェックして、「目安箱」(いわゆる書き込み欄)を見ては、どこどこからこんな人が行くらしい、などなど、気分は次第にエクサイト。あちこちから一人で大阪に乗り込む人が少なくないことを知り、かなり心強かったようです。
さて当日。娘を私に託した奥方は意気揚々と(しかし、無事にホ−ルに着けるかという不安も抱きながら)出かけて行きました。きたやまさんは、ご存じのように現在は国立大学教授という公務員。NHKホールでの一回きりのコンサート(今そのBS放送を見ながらこれを書いています)を決行するのもかなり大変なことだったでしょう。サンケイホールでは「講演会」という名目で、大学に届けを出したのでしょうね。 
でも中身は.....予想通り、講演は30分で、残りの1時間半は加藤さん、坂崎さんも参加しての音楽会だったそうです。泉谷しげるも乱入したとかで(大暴れしたそうです)。 で、観客はというと、年代はうちの奥方(一応フォークルをリアルタイムで見た年代)を真ん中辺にして、かなり幅広かったとのこと。坂崎さんのファンで来たという若い世代も多かったとか。大阪不案内の奥方が道を教えて差し上げた方もあったとか。
帰ってきた後がまた大変。明日で期限切れとなるホームページを来る日も来る日も眺めては、目安箱の中身を伝達してくれるのです。このページがなくなったらどうしよう、寂しい...... おそらく高校受験を控えた息子の心配から逃れられる、唯一の安らぎだったのではないかと推察する次第です。明後日から息子への檄が増えるのではないか、いやきっとそうなる、と危惧を深める年末でありました。
 謹賀新年!! 2003.1.1
皆様、どの様な年越しをされましたか? わが家は、息子がナイナイのカウントダウン、奥方と娘と私とはフォークルの昇天カウントダウンで越年しました。おかげで新年にやろうと思っていた腕時計の時刻合わせができませんでした。
フォークルのHPは昇天後は消滅するものと、奥方はあきらめていたのですが、なんと、49日間限定の「偲ぶ會」バージョンが新たにできていました。まだご覧になっていない方のために、
「偲ぶ會」:http://www.folkcrusaders.com/2003web/2003index.html
昇天バージョン:http://www.folkcrusaders.com/ (自動的に「偲ぶ會」に移行します)
昨年書き忘れたのですが、私の直属の上司が、30年ほど前に、北山修さんが当時やっていた視聴者参加番組に出たことがあるそうです。カップルで、そのなれそめなどを話題にする番組だったようですが、一体、どちらが応募したのでしょうか...
では皆様、本年が皆様にとってよい1年となりますように。
 アクセスカウンタの伸びがすごい!! 2003.1.9
謹賀新年からはや1週間以上経ってしまいました。心身症関係のHPで以前から注目していたページがあり、リンク集を作ったら真っ先にリンクさせていただこうと思っていました。
主は九大心療内科の先輩で、今年年賀状をいただいたのを契機にリンクを申し込んだら、そのページ(リンク集最上段)にも1月8日付でリンクを張って下さいました。今日になってアクセスカウンタの伸びがすごいのですが、おそらくそのリンクのおかげと推測しています。T先生ありがとうございました。
 癌の免疫療法 2003.1.9
もう一人、私のHPを見て連絡をくれた先生がありました。香川医科大学卒業で、第一内科とその関連病院で修行を積み、郷里岐阜県関市で開業された小林先生です。
小林先生は、免疫やアレルギーに関心を持っておられ、基礎の教室で一緒に実験をしたこともありました。以前から癌の免疫療法に大きな関心を持っていたのですが、開業してからは専門の先生方とコネクションを持ちながら、自ら実践しておられるようです。関心のある方はリンク集に載せてありますので(小林内科のホームページ)、ぜひ一度ご覧下さい。
 そろそろインフルエンザが 2003.1.12
昨年はインフルエンザの流行が遅く、3月になって中規模の流行が起きました。今年は既に昨年末から39℃を越える発熱を伴った患者様が現れ、インフルエンザと診断されています。
近年の暖冬傾向とは異なり、この冬は寒さが押し寄せるのが早く、夏から一気に冬になりました。そのために、体力的に弱っている方が多く、インフルエンザが流行する下地ができていたのではないかと私は個人的に考えています。
最近利用できるようになったインフルエンザの治療薬は、ウィルスが細胞の中で増えるのを抑える薬剤なので、発症後48時間以内でなければ効果を発揮しません。関節痛などを伴った39℃を越える発熱が見られた場合には、早めに医療機関を受診するようにしましょう。
インフルエンザも本気 2003.1.14
今日は午前中岡山市内にある病院で診療をしていましたが、来てます!! インフルエンザ。
39℃以上の発熱と関節痛で疑った患者様2名に迅速検査をしたところ、2名ともA型が陽性。的中率100%!!
早速タミフルを処方しました。治癒証明をもらいに来た高校生に聞いたところ、服用した翌日から熱が下がったとのことでした。すごい効き目! と思いながら大学に帰ってくると、製薬メーカーから「供給が間に合わないかもしれないので、最小限の処方にして下さい」との連絡が。確かにこの高校生の効果からすると、2日分もあれば十分と思いました。皆さん、できるだけ多くの方が恩恵にあずかれるように、使い過ぎは慎みましょうね。
 賢い患者になるために 2003.1.18
今日の夕方は、あるSP(模擬患者)さんのお宅におじゃましていました。1月25日(土)に開催される、「納得の医療を受けるための市民公開講座 −賢い患者になるために−(高松市医師会主催)」に、香川医大SP研究会の会員2名がパネリストとして参加するため、その原稿の打ち合わせのために集まったのです。
この公開講座は、年頭の市報に出ていましたので、高松市にお住まいの方はご存じの方もあるでしょうし、また17日付の四国新聞にも掲載されていました。
この企画は、インフォームド・コンセント(納得診療)に明るい、大阪府立成人病センター参事の中島 弘先生を中心に企画されたものです。内容は、中島先生の基調講演に引き続いて、医師−患者関係というテーマに詳しい看護師さん、およびジャーナリストの方、香川医大の学生2名、そして、わがSPさん2名がパネリストとして発表し、その後討論が行われる予定です。
以前にも書きましたように、SPさんには、医学生の医療面接実習に協力して頂いています。このパネルでは、医療面接の実際、SPとして医学教育に関わっての感想、そして、賢い患者になるための秘訣などをお話しして頂くことになりそうです。どんな秘訣があるかって? それは、ヒ・ミ・ツ。公開講座が終われば「公開」します。
パネルディスカッションの司会は、香川医大総合診療部の福永講師と、不肖私とが相務めます。なお、参加費は無料ですが、事前の申し込みが必要です。高松市医師会:電話087−831−2208まで。
 市民公開講座無事終了 2003.1.29
前項に書きました市民公開講座が先週末無事終了しました。プログラムについては、高松市医師会のサイトを参照して下さい。
当日は、予想を上回る300人もの聴衆がおいでになり、予定時間を1時間もオーバーしたにもかかわらず、多くの方が用意した講演を最後まで聴いて下さいました。
大阪府立成人病センター中島先生のインフォームド・コンセントのお話に引き続いて、癌医療にかかわる看護師さんのお話、実際に自分が患者の体験をされた放送局プロデューサーのお話と続き、香川医科大学学生と、模擬患者さんそれぞれ2名ずつのお話で締めくくりました。
会場からは、医療の現状に対する手厳しいご意見も出されましたが、患者様の立場に立った医療のあり方や、患者様とのコミュニケーションを重視した医学教育にも、大いなる関心を寄せていただきました。
賢い患者になるにはどうしたらいいか? 個人的体験も踏まえた模擬患者さんのお話からは、患者自身が医師を信頼しようとする態度(言葉遣い、身だしなみなど)が大切であり、また、医師も神様ではないのだから、黙っていてはわかってもらえるはずはなく、思っていることは言わないと伝わらない、というくだりをご紹介したいと思います。皆様はどう思われるでしょうか?
 良いことしか言えないんですね 2003.1.29
昨日、岡山の病院で診療していた時のことです。この病院には隔週に午前中だけ行くのですが、私は新患外来というのを担当しています。ご存じのようにインフルエンザが大流行して、そこへ普通感冒も混ざり、新患外来は大混雑。そんな中で、1日に数人だけ、継続的に見ている人の予約を入れています。
この日は9時過ぎに60歳代の気管支喘息の女の方の予約を入れていました。混んでいなければ予約時刻くらいには診察ができるのですが、この日は先に感冒の方が何人か来られたために、診察が10時頃になってしまいました。
普段は穏やかな方なのですが、この日ばかりは、入って来るなり、「長いこと待ったので血圧が上がった」、と。確かに測ってみると160もあり、普段より上昇しています。たかが1時間の待ち時間と思われるかもしれませんが、この方はかつて肺炎を起こして苦しんだことがあり、他の患者さんの風邪をもらうことを極端に恐れていたのです。
それだけならまだよかったのですが... 前回お薬をもらったときに、その薬の入った袋を見た知人が、薬の飲み過ぎだ、と言ったそうです。この方の薬剤は、数年前から色々と工夫を重ねて今の内容に落ち着き、これだけ使っているから今の状態を維持できていると、私は信じていました。
患者さんもそのことはわかっていると思っていました。それを、知人に言われたから減らせないか、とおっしゃるのです。本人も恐れているはずの、この風邪の流行っている時期に薬を減らすなんてとんでもない、と私は思いました。で、何回かの問答の末に、つい声を荒げてしまいました。「そんなに言うんだったらもう私は責任が持てない。ご自分がいいと思う治療をしたらいい。」というようなことを口走ったと思います。
その方は、「私は先生を信頼しているのに... 良いことしか言えないんですね」とおっしゃいました。ガーンときました。自分は、患者様が何でも遠慮なく言えるような関係を目指していたのではなかったのか! それが一体今日のざまは何だ!! いくら忙しくて気がたっていたとはいえ、患者様が言いたいことを言えなくしてしまうような言動はもってのほかです。 帰りのフェリーの中で壁に向かって思い切り反省をしました。
 親子は安全な関係か? 2002.2.16
心療内科のページに書くような内容ですが、こちらがしばらく更新できていないのでここに書くことにしました。 本題ですが、多くの方は親子というのは安全な関係と思っていることでしょう。 本当にそうでしょうか?
子どもには両親に現れている形質が必ずしも現れるわけではありません。片方の親の形質がより強く現れている場合もあるでしょうし、親より上の世代の形質が、親を通り抜けて子どもに現れることもあります。
私の息子の例ですが、食べ物の好みや、着るものにこだわるところなどは、私よりむしろ私の弟に似ているのです。もちろん、押し出しが弱い所などは私に似ており、彼が小さい頃、その点を奥方が歯がゆく言うと、私としては、俺の子だから仕方ないよなあ、と思ったものです。自分も小さい時はあんなだったよなあって。
これは、上の世代から伝わった遺伝的要素が、私にも弟にも伝わっているのですが、私には現れず、弟には現れたものがあるということなのでしょう。それがたまたま私の息子にも現れた。両親のどちらかが思い当たるような形質ならまだ理解できるのですが、両親のどちらにも思い当たらないような性格なり気質が現れると、子どもを理解したり、共感したりすることが難しいかもしれません。
親子の間でけんかが絶えない、というような話を時折耳にしますが、それにはこのような遺伝子のいたずらが隠れているのかもしれませんね。タイトルに安全な関係か? と書きましたが、他人なら気が合わなければ付き合わなければいいのですが、親子はそうはゆかないからです。
実の親子でありながら、父親にも母親にも理解されず、受け入れられないようなことがあっても、自立できるまでは親と共に暮らさなければなりません。ここに「安全でない」関係が生まれることになります。
遺伝の仕組みを考えると、親子は理解し合える安全な関係(のはずだ)という考えを改めなくてはなりませんね。
 春は切ない季節?? 2003.3.11
春は「木の芽立ち」といって、情緒的に不安定になりやすい時期とされています。われわれの所に受診する患者さんも増えるので、ちょっと恐怖の季節でもあります。
どうしてこの時期は不安定になりやすいのでしょうか? 
   ・冬に張りつめていた気持ちが弛むため? 
   ・昼と夜との寒暖の差が何らかの作用をする?
私自身はこの時期はむしろ好きでした。上着を脱いで歩ける昼下がり。特別いいことがなくても、何故か気持ちがウキウキして、身体まで軽くなるように思えます。 (もしかしてこの軽さが問題なのでしょうか?) 最近はこの季節が少し短い気がしていますが、春の夕暮れも捨てがたいものがあります。満開の櫻を見ると、本当に幸せな気持ちになれます。
ところが、今年は少し違います。春の息吹を感じるのに、何故か切ないのです。 
理由はわかっています。息子が中学校を卒業するのです。 自分を振り返ってみてもわかりますが、中学校の3年間は本当にあっという間でした。 小学校では、初めの頃に紹介したように、後半は野球漬けの日々でした。毎週日曜日の練習、年に何回もある大会。6年生の時には、淡路島でしたが県外遠征もでき、その大会でも3位となり、充実した日々と想い出とを胸に(親も子も)卒業することができました。
(続く)
 続いて息子のこと 2003.3.11
中学校でも野球でいい成績をと、親も子も思っていたのですが、中学校は部活動ですので、親はほとんど手出しができません。部の先生も一人では目が届かないだろうと、休日の練習には手助けも申し出たのですが、「部活動ですから」と、受け入れてもらえませんでした。
中学校の野球は大会も少なく、大きな大会は春夏2回のみ。あとは秋に新人戦があるのみです。小学校の時は学年ごとにチームを組んでいたのですが、中学校は当然1校1チーム。すぐ上の学年が人数的には充実していたので、息子達が本格的に練習できたのは2年生の夏以降です。
2年の夏休みはほとんど毎日練習に出て行き、体力的にもしっかりしてきたと思えたのですが、新人戦では思ったほどの結果を残せませんでした。その後、普段の練習は言うまでもなく、冬休み、春休みと練習を積んだにもかかわらず、春の大会では市の代表にはなったものの県大会はいいとこなしで終了。
3年生になっても、勉強そっちのけで練習に打ち込んだのですが、夏の大会は市の代表まであと一歩で叶いませんでした。おかげで、夏休みは勉強するしかなくなり、親が見てもよく勉強をしていたと思います。
そして2学期。文化祭では何とギターを抱えて、バンド出演したのです。ギターそのものは1年くらい前から(私が大学時代に買ったものを)少しづつさわっていたのですが、何と2学期になって自分のギターとアンプを買いたいと言い出したのです。
おまえ、入試を前にして、何を考えてるんだ! それも、成績面で余裕があるならまだしも... とは思ったものの、中学校生活の数少ない想い出になればと許可を出しました(お金は出していませんが)。 文化祭の前2−3週間しかちゃんとに練習していなかったようでしたが、何と、本番ではまともに弾いているではありませんか。 俺よりうまい、負けた!と思いました。私も大学の時にはバンドを組んで大学祭に出たものでしたが、それよりレベルが高かったと思います。ちょっと感激したひとときでありました。
11月始めに文化祭がすんでからはひたすら受験勉強の毎日です。 それから4ヶ月半の月日が流れ、今日、やっと公立高校の学力試験が終わりました。うちの息子はある程度寝ないと身体が保たないのですが、眠い目をこすりながら、時にテレビを少し見るくらいで(吉本の熱狂的ファン)、よくがんばったと思います。結果はともかくとして、誉めてやりたいと思います。 明日は面接で、発表は来週の水曜日。当日朝は生きた心地がしないでしょうね、きっと。
春にかこつけて、子どものことを書いてしまったように思いますが、春は出会いと共に、別れの季節なんですね。 身体が何とはなしに軽くなる浮遊感と、この別れとが春の不安定さを醸し出しているのかもしれません。どこの高校に通うようになるかはわかりませんが、息子には4月からの新たな出会いを大切にしていって欲しいものだと思います。
 チャレンジはしてみるもの−高校受験 2003.3.26
3月19日に香川県公立高校の合格発表がありました。私の息子も洗礼を受けたわけですが、何と、大方の予想を裏切って、志望校に合格してしまいました。大方というのは、主として担任を初めとした、中学校の先生方のことです。何しろ志望校のボーダーラインぎりぎりか、その下という成績が続いていましたから無理もありません。
私立高校の結果如何によっては、志望を下げないといけないか、と本気で思っていました。が、幸いなことに私立高校が確保できたので、中学校には私立の手続きを必ずする、という条件で元の志望校で受けさせてもらうことができました。
中学校卒業生の数が減るということで、定員が40人も減らされた中での受験でしたから、無謀もいいところです。内申書の点数もはかばかしくないし、ポジティブな要素は極めて少なかったのです。しかし、野球部に属している子ども達の間では、昨年劣勢を跳ね返して合格した「伝説」となっている先輩がおり、それを心の支えにがんばったのでしょうね。
ボーダーラインにいる子ども達にとっては、最後の2ヶ月間の過ごし方が合否の分かれ目と言われていましたが、まさにその通りでした。親にとっては胃が破れそうな2ヶ月でしたが、少しでも可能性があるのなら、最後の最後まであきらめずにチャレンジをするという精神を、改めて子どもに教えられた高校受験でした。
 包括評価とクリニカルパス 2003.4.9
大学病院などの特定機能病院で、いわゆる定額制の「包括評価」支払い制度がスタートするということは、昨年12月に書きました。一部の病院では4月から開始していますが、香川医大も含めて、多くの大学病院は医事会計システムの整備の遅れから、導入を延期しているようです(最大限3ヶ月猶予され香川医大も7月からの導入となりました)。
「クリニカルパス」とは一般の方々には耳新しい言葉と思います。色々な病気に対する入院治療の中で、ほぼ一定のやり方で行えるものがあります。例えば、虫垂炎や小児のヘルニア(いわゆる脱腸)に対する手術、人工関節の置換術などです。
これらの治療を効率的に、一定の期間で行うために、入院から退院までいつ何をするかということを、あらかじめスケジュールに組んでおくわけですね。これをクリニカルパス(パス:道筋)というわけです。この予定表は医療スタッフ側の目安だけでなく、患者様にもお渡しします。そうすることで、患者様の理解と協力とが得られ、一定期間内に治療を行うことが一層容易になります。
香川医大でも、昨年秋から少しずつパスの作製と実施に取り組んできています。ここで気になるのが、包括評価との関係です。従来の出来高払い制度では、かかった費用だけ請求ができるのですが、包括評価では、疾患ごとに1日いくら、という計算になります。
せっかく作ったパスでも、組み方によっては、出来高以下の保険点数になってしまうかもしれません。大学病院は大きな黒字を出す必要はないのですが、来年からの独立法人化を考えると、少なくとも赤字にすることはできません。
そこで、包括評価の最終案が出たところで、それぞれのパスについて、出来高払いの点数と、包括評価の点数とをそれぞれ算出して、比較してもらいました。そうするとどうでしょうか、ほとんどのパスについて、差がほとんど見られなかったのです。これには驚きました。
包括評価において、各疾患ごとの一日点数をいくらにするかということは、全ての特定機能病院の、昨年4ヶ月間の全入院データ(想像を絶する膨大なものです)を元にして計算されたのですが、ここまで精度が高いとは思っていませんでした。
見方を変えると、香川医大のクリニカルパスが妥当な内容であった、ということも言えるでしょう。ただ、この計算は、あくまでも患者様に併存症や突発事態(合併症の発症)がなく、予定通りに事が運んだ場合ということですから、予定外のことが起こると、ちょっと計算が狂ってきます。その場合でも、入院期間が延びるとその分はちゃんと加算されますから、突発事態を切り捨てることは決してしません。その点はご安心下さい。
普段は、厚生官僚のすることには腹の立つことはあっても、感心することは少ないのですが、包括評価の点数の決め方はなかなかのものだと(今のところ)感じ入っています。 導入後に赤字部分が多く見られるようになると、考えが大きく変わることもあるかもしれませんが。
 平和な休日 2003.5.7
今年のゴールデンウィークも駆け足で過ぎてしまいましたが、皆様休日はどのようにお過ごしでしょうか。我が家は、高校生となった息子が日曜日は朝から部活に出かけて行くようになったため、残された母子+私は過ごし方を考えないといけません。
最近の我が家のマイブームは卓球です。近くの市立体育館に行くのですが、GW中に3回も行きました。小5の娘が最近腕を上げてきて、何とかラリーが続き、時には打ち込まれてしまいます。奥方は中学生の頃に卓球をしていたため、腕に覚えあり、余裕です。私はバドミントンをしていたので、シャフトの長いラケットは得意なのですが、卓球のように腕に近いラケットはどうも勝手が違います。ま、それでもまだ娘の相手には十分なるのですが。
中学校まで野球をしていた息子は、グラブをラケットに持ち替えて、テニスを始めました。同じ中学校野球部から同じ高校に進学した7人の内5人は野球を続けていますが、2人が反逆し、もう一人はヨット部に入りました。聞くところによると、野球部はやはり高校スポーツの花形のようで、父兄会という組織もしっかりしており、早速会合があったようです。部員や顧問の名簿もしっかりできていましたし、夏までの練習試合の予定もバッチリ通知されています。
テニス部はというと、部員のミーティングすらないようです。もちろん、部員名簿もありません。練習の予定すら前日に聞いてくるような状況です。今は春の大会の最中のようで、新入部員はトレーニングもそこそこに練習試合があれば線審をさせられているようです。ま、夏まではほとんど物にはならないでしょうね。
そんな中で、5月3日には、市内の高校テニス部新入部員を集めての講習会が、県営グラウンドのコートで行われました。市か県のテニス協会が主催だったようですが、朝から夕方まであり、疲れ果てて帰ってきました。少し早めに迎えに行ったので、周囲を見渡してみると、野球場では中学生の県春季大会、ベスト4を決める試合が行われていました。残念ながら息子の母校は市の予選を勝ち抜けなかったようなのですが、昨年まではあんなふうに野球のユニフォームを着ていたのだなあと、感慨深く観戦していました。
隣のメインの野球場では、四国六大学野球(ローカルですが、地方にもちゃんとこんなリーグがあるのですよ)のリーグ戦が行われていました。予想以上にギャラリーが多く、大学野球もしっかり組織されていることを実感しました。やっぱり野球はスポーツの花形なんですね。
 私とコンピュータ 続く
今回は、私の大学での本業に近い話題を少し。私は小さい頃から機械いじりが大好きでした。プラモデルも随分作りました。小学校の夏休みの宿題には、たいていモーターを使った工作を作っていました。当時は大阪に住んでいて、電車を利用することが多かったせいもあり、鉄道もまた大好き少年でした。近くで新しい路線が開通すると一目散に乗りに行き、写真を撮ってきたものでした。
コンピュータの話は学会終了後ということで、乞御期待。
 IT社会は管理社会?! 2003.5.17
心身医学会の後、今週初めには日本アレルギー学会に出席しました。
私は、アレルギー学会の専門医でもあるので、大切な学会なのですが、最近は大学の用務と重なることが多く、3日間フルに出席できたことがありません。
今回驚いたのは、参加証にバーコードが付いていて、学会場に行けばチェックをし、さらにイーブニングシンポジウムの入り口でもチェックされたのです。今回の学会長は、参加人数を正確に把握するためだけの利用と言われていますが、その後どんな風に使われるか保証はありません。
知らないうちに出席率の管理に使われていても、われわれには知るよしがないのです。私のように会期の一部しか出席できない人間にとっては、まさに脅威のシステムでした。
 Bフレッツがやってきました 2003.6.7
自宅のインターネット環境は、数年来ISDNだったのですが、昨日、ついにBフレッツがやってきました。
通信速度は20−30Mbpsですので、計算上はISDN(64kbps)の100倍以上。 
体感速度はそこまではないのですが、HPの画面がサクサク変わるのは感激です。これで動画も余裕で見ることができます。
通信速度に比例して更新速度も速くなればいいのですが、速まるのは当面アップのスピードだけかもしれません....
 六本木ヒルズ行ってみました 2003.6.8
先週末、学会出張で上京した際に、夕方に時間が空いたので、今、噂の六本木ヒルズに行ってみました。といったものの、最初は、何しろ「お上りさん」(この言葉って既に死語でしょうか?)ですから、どうやって行けばよいのかわかりません。インターネットで検索して(http://www.mori.co.jp/business/roppongi/など)、地下鉄日比谷線の六本木駅が最寄り駅らしいと当たりを付けて、いざホテルを出発。
水道橋から約30分かけて、ようやく目指す日比谷駅に到着。ヒルズと言うだけあって、本当に小高くなっているのですよ。それが何とも別世界的な、非日常的な雰囲気を醸し出しています。朝日放送のビルの横には東京タワーも眺望できますし、デートにはいいでしょうねえ。
約1時間ショッピング街を歩いてみましたが、ま、一人でしたしね、おまけに手に持っているのは、その後会うことにしていた高校時代の友人へのお土産のさぬきうどんの紙袋。ちょっと雰囲気を壊してしまったかもしれませんね。 案内パンフレットだけは証拠の品としてしっかり家に持って帰りました。
次に行く時には展望台に上がってみたいと思います。
六本木駅から出てきたところにある案内板 メインビルの夜景(屋上に展望台あり)
 ツバメが巣を作りました 2003.6.18
これも診療には関係ないのですが...
うちはマンション住まいなのですが、しばらく前にベランダにツバメが巣を作ったことがありました。1年目は物珍しさも手伝って辛抱したのですが、やはり巣の下が泥で汚れるので、ご用済みの巣を取り払い(結構大変な作業でした)、最近は一面にネットを張り、鳥類の侵入を防いでいました。
これ(ネット)ですっかり安心しきっていたのですが、今年は、ツバメもさるものです、外の通路(廊下)側に巣を作り始めました。ツバメは幸せを運んできてくれるというし、ま、いいかな、と思っていたのですが、最初の巣は、掃除の方が気を利かせて、撤去してしまいました。
ところがその後、したたかなツバメがまた巣作りを始めたので、管理人さんの許可を得て、巣をそのままにしておきました。
かといって、無防備では床面が汚れるので、右図のような泥よけを装着するという念(熱??)の入れよう。その結果できたのが、左のような巣です。すごいですよね。誰にも教わらず、一代でこんな立派な巣を作ってしまうのですから。 この巣は実は完成品ではなく、現在では入り口が更に狭まっています。 
さて、ツバメさんはどんな幸せを運んできてくれるのでしょうか?...
6月8日現在の状態 苦心の泥よけ
 かなりヒヤッとしました 2003.6.22
プライマリ・ケア学会に出席するために、一昨日から札幌に行っていました。
 その時のことです。
飛行機で、東京で乗り継いで千歳空港へ、という段取りだったのですが、羽田上空の風が強く、着陸態勢に入って陸地が近づいてきているにもかかわらず、かなり揺れるんです。
え、こんなので降りれるの? と半信半疑状態でいるところに、車輪が着地する、(普段より)かなり強い衝撃。なんだ、降りられたんだ、と思う暇もなく、機首が再び空に向かい、機体は再上昇を始めてしまいました。
で、東京湾上空を反時計回りに旋回し、20分後に今度は無事着陸したのですが、乗り継ぎ便の出発時刻は既に10分過ぎていました。もともと乗り継ぎ時間が30分しかなかったので、再上昇した瞬間に、あー元の便には乗れないな、とあきらめはついていました。しかし、預けた荷物の関係でその直後の便には乗れずに、結局1時間半遅れで羽田を出発することになりました。
JAS(今はJAL?)の担当の方(女性)がわれわれ一行をANAの搭乗口まで運んでくれ、テキパキとANAと交渉を進めてくれ、何ともかっこよかったです(これは私だけでなく、一同皆の意見)。
年に数回は羽田に飛行機で行きますが、こんな経験はかつてなく、また、羽田では結構珍しいことのようです。高松空港では、気象状況が悪く、最終便が着陸を4回トライしてもできず、羽田に引き返した、という出来事が最近続いてありましたが。
羽田便は通常は中型機が運航しているのですが、我々の乗った便だけはなぜかその日やや小型機(MD-81)だったので、風に対抗できなかったのでは、ということでした。
新千歳空港も雲が厚く立ちこめていましたが、ジャンボは余裕で降りました。今日の乗り継ぎは問題なく、無事に帰って来れましたのでご安心を。
 検診を受けましょうネ 2003.7.11
自治体検診の季節です。
  私の住んでいる市は確か4ヶ月間ですが、長い所では半年間もあります。
私が気になることが一つ。それは、慢性疾患で大学病院にかかっている患者様が意外と受けていないのです。大学病院で診てもらっているからと、安心しておられるようです。
私ども大学病院の医師を信頼して下さっているのはありがたいのですが、残念ながら超能力者ではありませんし、保険診療にも限界(症状があって初めて検査ができる)がありますので、普段診ている部分しか見えていないのが現状です。
慢性疾患等で医療機関に通院している皆様も、年に一回は総点検をしましょうね。
 久々のビアガーデン − 夏の恒例行事 2003.7.13
昨夜は、息子の小学校時代の野球チームのお父さん方の集まりがありました。6回目と10回目に書いたのと同じメンバーです。忘年会以来ですから7ヶ月ぶりでしょうか。今年は本格的な梅雨空ですので、ビアガーデンはとってもリスキーです。例年と同じデパートの屋上。ここは、屋根ありエリアと屋根なしエリアとがあるのですが、予約できたのは屋根なしエリアでした。
雲が低くたれ込めていたので、私が着いた時には、先着メンバーは入ろうか、あきらめて隣のビルにある居酒屋にしようか迷っていたようです。ここは、入ったら飲み放題、食べ放題なのですが、こういう時は決心が鈍ります。しかし、最後に現れた長老の、「大丈夫、いけるいける」の一言で決まり。入場券売り場の女性の、「雨が降っても一切払い戻しはしません」というキツイ言葉(脅し?)にも、「かまいません!!」と強気で対応してなだれ込んだのでした。
集まったのは父親8名と、コーチ1名、それと、1学年下で監督をしていたお父さんの総勢10名。卒業して足かけ4年、よく続いているものです。元々この会は、小学校で一緒に野球をしていた子ども達が、高校野球で活躍するまで見守ろうという趣旨で始まった会なので、一応はあと2年間ということになりますが、私は密かに、それで終わるわけはないだろうと感じています。それだけ居心地のいいグループなんですね。
さて、話の内容なのですが、やっぱり中心は野球、それしかない、という感じでした。中学校で一緒にやっていた14人のうち、高校に入って野球しているのは、8人です。5人(T高)と2人(I高)とが市内の高校で、1人は京都の私立名門高校で野球を続けています。うちの息子はテニスに転向してしまったので、話題提供はほとんどできず、ひたすら聞き役でした。
この会は楽しみにしていたのですが、恐れていたことが一つ。その前の日に、4泊5日で宿泊学習に行っていた娘が疲れ果てて帰ってきたのです。宿泊先から途中で出した手紙には、「早く帰りたい...」、と切実に訴えていましたが、果たして虫に刺されまくり、肩と背中は日焼けで真っ赤にして帰ってきました。 で、夜中に久々に鼻血を出して起こされ、その後もウンウンいいながら寝ていたので、いささか心配しながら睡眠不足の状態で望んだので、いつ意識が途切れるかという大きな不安があったのでした。
屋外のビアガーデンは長老の気合いで何とか2時間はもって、一応払った入場料は惜しくない程度になったところに、雨が落ちてきました。 が、このままではとっても話したりないということで、隣のビルにある、全国チェーンの居酒屋白○屋に移動。
ここは、どうみても若者向けの店で、40代のおじさん集団が一つのテーブルを囲んでいる姿は少し異様なのでは... と思うのはトイレに立って周りを見渡した時だけで、テーブルに帰ってしまえばもう自分たちの世界。周りにだれがいようがおかまいなしの3時間半でした。私は予想通り、最後の3,40分は船を漕いでいましたが。
この日に集合がかかったのは、高校野球県予選開会式の日だったからです。I高はベスト8は狙えるかという組合せなのですが、T高は初戦がシード校と当たってしまい、苦戦が予想されます。高校野球はやはり高校スポーツの花形で、当日は1年生全員がバスで応援に行くそうです。
雨で順延になって予定がずれたら、出張のために見に行けなくなる、と言っていたお父さんがありましたが、恐れが的中し、今日の試合は順延。いっそのこともう一日延びれば、T高は日曜日の試合となり、私も応援に行けるのですが。
集まっての話と同じで長々と書いてしまいました。当事者でない方にはあまり面白くなかったと思いますので、どうぞ読み飛ばして下さい、とここで書いても既に遅しですよね。かなりプライベートなお話しにお付き合い下さったことを心より感謝します。ありがとうございました。
 包括評価が始まりましたが... 2003.8.7
特定機能病院では4月から、包括評価制度という「まるめ」の保険制度が導入されていますが、我々の施設では、システム整備の遅れから7月から開始となりました。
従来の「出来高」制では、診療として行ったことが漏れなく把握され、それに適切な病名がついていればよかったのですが、包括評価ではそうはゆきません。包括評価では、一回の入院が一つの病名で代表されます。その病名に対して1日いくらという計算になります。
単一の疾患で入院から退院まで過ごせれば問題はないのですが、そんな場合は多くはありません。入院前から複数の疾患を持っている場合や、入院後に新たな病気を発症することもあります。このように複数の疾患がある場合、包括評価では、最も費用がかかった病名を選ぶことが要求されます。
これが簡単なようで難しい。AとBとの2つの病気があった場合、行った検査や治療が、Aに対するものか、Bに対するものか、明かな場合もありますが、両方に関係している場合、どちらとも決めきれない場合もあります。そんなわけで、A、Bいずれの病気によけい費用がかかったかを見定めるのは案外困難なことがあります。医師はすべての診療行為に対する点数を把握してはいませんから、点数を把握できる事務サイドの負担が激増しています。
もう一つのややこしさは、包括評価の中での出来高部分です。厚労省は、元々はすべてを「まるめ」ようとしたのですが、この部分は包括の枠外にして欲しいという要求があちこちから噴出し、結局、手術の手技料や、内視鏡検査料などは出来高で計算してよいことになりました。このため、医療費の計算が非常に複雑になっています。
さらに、退院時に病名が変更になると、入院全体をその病名で計算し直さなければならないため、月をまたがって入院している場合には、前月の医療費の過不足を払い戻し/追加徴収しなくてはなりません。
包括評価は医療費抑制のための一つの施策だと思うのですが、こんな面倒なことをして、医療費の抑制につながらなかった場合はどうするのでしょうね?
 雨の花火大会 2003.08.14
昨日から夏休みで、久々のゴロゴロ生活をしています。そんな中、昨日は、ちょっとした楽しみが2つありました。
一つは、WPS、知っていますか? そうです、湾岸警察署の略。 踊る大捜査線 The Movie 2 を見に行ったのです。 うちは以前から大ファンで、借りられるビデオはほとんど見ました。 今回も、2時間余り時間の経つのを忘れて、しっかり楽しませてもらいました。
夜は市の花火大会です。1時間で5000発余り。真下まで行くと混み合うので、少し遠いけど、いつも家の近くの海岸から鑑賞。 今朝の新聞では、途切れなく5000発と書いてありましたが、実際は間合いがあるんです。
後でHPで見ると5分ずつ10幕あったようで、その幕間が1分ほどあるんですね。近くで見ていたらいいのでしょうけど、我々が見た場所からは、音が聞こえるまで、約6秒。すると、それぞれの幕の初めは、無音で花火の絵だけが6秒間見え、ようやくドン!と来るんですね。やっぱり花火はあの音がないと臨場感がありません。 
大阪のPLの花火は40分だったかで、数万発上がるそうです。昨夜は途中で雨が落ちてきたので、間合いがつらく、ここも時間を短縮して、間合いをなくせばいいのになと思いました。 でも、花火の内容は、ポケモンのキャラクター花火など初公開の物もあり、技術的には確実に進歩しているなと感じさせられました。
 コンピュータウィルスが猛威を振るっています 2003.8.19
既にご存じのように、Blasterという名のコンピュータウィルスが大流行しています。
自分が普段使っているパソコンは、最新版に更新して、ウィルス対策ソフトも自動更新にしているので、今のところ大丈夫です。
しかし、数年前に導入してからメインテナンスをしていない機器や、時々は使うけど十分にはメインテナンスができていない機器が心配です。
実際、1台のパソコンからBlasterが見つかり、ドキッとしました。しかし、幸いなことにウィルス対策ソフトが検出してくれて、感染は防げたようです。
まだ職場に何台か未対策のパソコンがあるので急いで最新版に更新しなくてはなりません。しかし、マイクロソフトのHPも混み合っているようで、イライラしながらの更新作業になりそうです。
 夏なのにこんなに忙しくていいの!? 2003.8.31
子ども達の夏休みも今日で終わり、明日から新学期です。 もっとも、2学期制を採用している所(息子の高校も)では既に始まっていますが。
今年は涼しかったり、急に暑くなってみたりの落ち着かない夏でしたが、自分自身についても、8月の終わりから9月の初めにかけて仕上げないといけない用件が例年にもまして多く、精神状態も落ち着きませんでした。
ここ1ヶ月、昼間の眠気が非常に強く、忙しさのせいか、はたまた、睡眠時無呼吸症候群か! と思っていました。 が、いろいろ考えてみると、夏前に比べると、コーヒーの飲み方が不足していることに気がつきました。 コーヒーを飲まないと起きていられないなんて、情けない話ですが、これが本当かどうかは、今後涼しくなると明らかになるでしょう。
そんなわけで、更新も遅々として進んでいませんが、今少し時間をいただいて、秋の夜長に期待したいと思います。
 考え直してほしいハッピーマンデー 2003.9.14
今日、明日はハッピーマンデーで連休です。
ハッピーマンデーは、2000年から成人の日と体育の日とを皮切りに始まり、今年は海の日と今回の敬老の日とが加わっています。今年はたまたま元の9月15日が月曜日ですので、気づいていない人が多いと思いますが(私もその一人でした)、来年からは9月第三月曜日になるようです。
ところで皆様、ハッピーマンデーはどうお過ごしですか? 2000年の調査では、7割が歓迎であったようですが、昨年は月曜日の休みが9回もあった(今年は7回)ため、さすがに、「月曜日ばかり休みにするなー!」と、お怒りの声がHP上でも見られました。ゴミの収集が困るというのですね。うちもそうです、紙類と、ビン・カン類とが隔週なので、どちらも1ヶ月貯まるとなかなかきつい。
また、仕事の段取りもしにくいのです。私は隔週の月曜日に外来をしているのですが、さすがに昨年の秋は困りました。今年も10月、11月は月に1回しか外来ができません。もっとも、11月はハッピーマンデーとは関係なく、振り替え休日のためなのですが。
来年は、暦の巡りで休日がかなりばらけて、月曜日の休みが5回どまりで、週の半ばの休みが多くなります。無理に連休にしなくても、週の半ばの休みも悪くないと思うのですが、皆様はどうお考えでしょうか? 月曜日の休みが減ると、また別の祝日をハッピーマンデーにしようという論議が出てくるかもしれませんが、どうかそれだけはご勘弁願いたいものです。
ちなみに、私が使っているザウルスのカレンダーでは、今回の2つの休日すら対応できていません。来年からどうしたものかと思っているのですが...
 始まりました現代版「白い巨塔」 2003.10.13
10月9日から、TVで現代版ともいえる「白い巨塔」が始まりました。
景気が悪くなると医療物が増えてくるということになっているようですが、その前のDr.コトーもなかなか面白かったし、医療従事者としてはどちらかといえば歓迎というところでしょうか。
主人公の財前助教授は、かつては田宮二郎さんが演じていたのですが、その強烈な個性故に、いにしえ版を見た方は、唐沢さん演じる財前助教授にまだ少し馴染めないかもしれませんね。初回の前半は、財前助教授ってこんなにいい人だったかなと感じましたが、最後に一度引き受けた手術を断るくだりから、そろそろ来たな、と感じました。
この作品は確か20年以上前に書かれたものなので、それを意識すると、携帯電話が出てくることに違和感を感じてしまいました。
原作は大学医学部の「医局」の実態を描いた作品ですが、その辺りがどう現代的に味付けされているか、これからの展開が楽しみです。
 母娘は宝塚フリーク?! 2003.11.9
宝塚歌劇ってご存じですよね。私も大阪に住んでいた幼少の頃、一度だけ連れて行ったもらったことがあります。当時の(何組かは忘れましたが)トップは真帆しぶきさんだったように思います。宝塚独特の華麗なステージに、子供心ながら、いたく感動したことを覚えています。
その宝塚に、母(念のため妻)娘(小5)がはまっています。数年前、まだ娘が小学校低学年の頃、その頃は宝塚ファミリーランドが営業していたのですが、家族で一度行きました。この時はまだ娘もあまりぴんと来なかったようで、劇のストーリーも理解できず、半分くらいは寝ていました。
ところが、何を思ったのか、この夏母が娘だけを連れて、宝塚に行ってくるというのです。ま、息子はハナから関心がなく、私まで行ってしまっては費用もかかるし、母娘の留守中、息子の面倒も見なくてはいけないのでお留守番。初めて2人で行ったのは夏休み中の平日だったので、仕事もありましたし。
さすがに泊まりがけでなんぞという贅沢なことは言いませんので、高速バスと阪急電車とを乗り継いでの日帰り観劇です。ま、それなら許しましょう。2人にとっては初めてのルートなので、バスは三宮のどこに着くのか、阪急はどこから乗ってどこで乗り換えたらいいのか...等々、初回はかなりの指南が必要でした。でも、その甲斐あってか、うまく行ってくることができました。すると...
その後9月、11月と休みを利用して、息子と私を放置して、日帰りを繰り返しています。9月の時は、「出待ち」をすると言って、帰ってきたのは夜の12時前。「出待ち」というのは、ステージが終わって、楽屋裏から出演者が出てくるのを、個人ファンクラブの幹部の方の仕切に従って、文字通り待つことらしいです。憧れのトップの方が出てくるところにはうまく立ち会え、大感激したようですが、あっという間に「出待ち」集団の前を通り過ぎて、出迎えの車に乗り込んでしまったようです。
その前後から、HPで関連のページを検索し、本を注文したり、ビデオを注文したり... あまりにしょっちゅう同じビデオばかり見ているので、こちらも映像と歌とが頭の中でグルグル回ってしまったほどでした。切符が取れたので、また来年早々に出かけるとか。将来への投資ってことになればいいんですけどねえ...
 大学教官が任期制に  2003.11.16
国立大学は来春から独立行政法人となります。これは、各大学の裁量権が拡大する利点もあるのですが、各大学、ひいては各教官への評価も厳しくなります。これまでより更に細かな評価によって、国からの交付金の多少が決まってくるのです。
このような中、一昨日九州から講演に来ていただいたある先生から、国立K大学は教官を5年だったかの任期制にする、と聞きました。5年連続して、毎年英文の論文を筆頭著者で1編以上書かないと、次の契約更改がないというのです。教授でさえ、教室員がこのような業績をきちんとあげないと、自分の首が怪しくなるというのです。
これは、確かに大学の学術的アクティビティを高めるためには必要な措置かもしれません。しかし、医学部について考えてみると、大学病院の医師がまだ完全には医学部の教官と分離できていない現状を考えると、大学病院での医療の質が...と懸念されます。
一般に、大学の教官は、教育と研究との2つの役割を担っているのですが、医学部ではそれに加えて、診療という第三の、しかし社会的にも大きな役割があります。最近は、ただでさえ医学教育改革により、教育にかける時間が多大になってきています。この上に研究面でのデューティーが課せられると、診療は一体どうなるのか?
最近では、規模の大きな大学医学部では、附属病院の医師を学部の医師と分離しようという試みがなされていますが、まだ完全に分離して、診療専任医師にまでは至っていません。ましてや、私の属するような地方大学では、病院専任など夢のような話です。
大学病院は、今春から包括医療制度が始まり、診療報酬には上限が定められました。独立行政法人の元で病院経営をきちんとやって行こうと思うと、大幅な持ち出しは許されません。大学病院の役割である高度先進医療をやろうとすればするほど、持ち出しが増え、経営を圧迫します。それに加えて教官の任期制。
論文を書くことに縛られると、どうしても診療に割ける時間が減少します。このような状況で、大学病院の診療の質を保つことが極めて困難であることは、容易に想像がつきます。文科省や厚労省は、大学病院に一体何を求めているのか、大いに疑問を感じざるを得ません。
来春から始まる医師の新臨床研修システムで、大学病院では募集定員割れしている所が少なくないのに、教育・診療に定評のある一般病院では定員を越える応募があったという事実を、よく吟味してみる必要があるように思います。
 大学病院勤務医にも労働基準法の適応が 2003.12.23
国立大学は来年4月から独立行政法人化されます。これまで以上に無駄遣いをなくし、経営努力をしてゆかなければならないのですが、そもそも、教育機関にこのような「改革」が必要かどうか、私は疑問に思っているのですが。教育の機会均等が失われてしまうのではないか...
それはともかくとして、国立大学病院では今大きな問題が生じています。それは、これまでは国家公務員法に従っていた大学病院医師に、独法化以降は一般の労働基準法が適応されるというのです。すると何が起きるか? 大学病院の当直医が減ってしまうのです。
これまでは、各診療科に一人当直医がいました。したがって、夜間などの時間外患者様にも分担して対応できていました。で、当直医は翌日もそのまま日常の勤務をしていたわけですが、これが許されないようなのです。つまり、当直をした翌日は休まなければならない。
そのような基準で常勤の医師数から当直可能な医師数を割り出すと、一夜について5〜6名程度になるようで、内科系1名、外科系1名...というような配置になりそうです。こうなると、救急救命センターにお世話にならなくてもすむような時間外受診の患者様への対応が極めて困難になります。
私は気管支喘息の患者様を数10人大学病院で診ているのですが、時間外に発作を起こして来られる可能性のある患者様は、大学病院では落ち着いて診療できなくなります。今年度末までに、市内の融通の利く医療機関に替わっていただくことを本気で考えています。
大学病院はこれまでも医療機関としては甚だ小回りの利かない医療機関でしたが、これで、ますます「医療」がやりにくくなります。文科省は独法化を決める時にここまで考えていたのでしょうか。それとも、これで医療機関の機能分化がさらに促進されると考えてのことなのでしょうか。
ちなみに、今年の年末年始はまだ従来の体制ですし、休みが長いのでむしろ体制を強化して臨みますので(香川大学の場合)、今回はご安心下さい。
 受験シーズン突入です 2004.1.6
年が明けるとそこは受験の季節。 来週末はセンター試験です。
われわれの頃は、センター試験も、その前の共通一次試験もありませんでしたから、本番一発勝負。一発勝負に泣く人もあった(私も現役の時は)わけですが、センター試験は何しろ時期が早いので、公立高校の現役の人は大変でしょうね。なんて、人事ではありません、我が家も息子が2年後には洗礼を受けるわけですから。
センター試験を前にして、残された期間をどう勉強して過ごそうかと悩んでいる方もあるかもしれません。何にでも完璧を目指す方が時におられます。このような方は、試験でも100点を目指してしまいます。経験のある方もおありかと思いますが、今で90点分の勉強は出来ていて、そこから10点上げようとすると、とんでもなく大変なのです。定期テストでいうと、教科書の隅ずーみまで覚えてゆかないと、100点に到達しません。
試験は差を付けるためのものなのですから、後の10から15点分は、みんなが見ていないような所から、あるいは、ひねりを利かせて、誰にでもはできないような問題を入れておくのです。ですから、80〜90点はちょっと頑張れば取れても、そこから先は険しいのです。難関の大学になると、この幅が30〜40点分に拡がるわけですね。
で、何が言いたいかというと、得意科目で90点くらい出来る見通しがあり、不得意科目で60点くらいの見通しなら、迷わず60点を80点に上げる努力をすべきということです。それができないから不得意なんだ、という声も聞こえてきそうですが、90点からの10点よりは、60点からの20点の方が可能性は高いと思われます。
このページを受験生の方が見ることは珍しいかもしれませんが、もし迷える受験生の方がいらっしゃったなら、参考までに。
 センター試験近づく 2004.1.15
いよいよ今週末はセンター試験ですね。
昨年末年賀状を書いていて気づいたのですが、今年は高校を卒業して30年になります。ですから、私の大学入試はその頃だったわけで、センター試験も、その前の共通一次試験もありませんでした。大学は一期校、二期校に分かれていて、2回受けるチャンスがありました。どっちも一発勝負でしたから、リスクもありましたが、センター試験+個別試験のように2度受けるわずらわしさはありませんでした。その点、今の受験生は本当に大変だと思います。
試験が近づくと、何をしていいか迷いが大きくなると思いますが、この時期ですので、まずは健康状態に気を付けることが一番です。インフルエンザも既に発症が見られますし、嘔吐下痢症もまだ散発しています。
今からは新たなことはしないで、これまで蓄積した力を十分に発揮できるような体調づくりに努めましょうね。
 今年のインフルエンザは怪しい?! 2004.1.18
そろそろインフルエンザの季節です。われわれの地域でも、既にA型の発症が見られています。しかし、中でも気になるのが、ワクチンを接種したにもかかわらず感染して、それはあることなのですが、しかも、特効薬のタミフルの効きが悪かった方があったことです。
昨年の例では、服用するとその日のうちに熱が下がったりして、その効果に感嘆したものでした。その方の場合が特殊で、大部分はちゃんと効くのであれば問題はないのですが。
私の心配がどうぞ杞憂に終わりますように。

(その後、ワクチンを接種したにもかかわらず、A型インフルエンザにかかってしまったという話をよく耳にします。タミフルはちゃんと効いている方もあるようですが、今年はちょっと一筋縄ではゆかないように思われます)
 コンピュータウィルスが半端ではありません 2004.2.6
インフルエンザがそろそろ流行の兆しを見せていますが、コンピュータウィルスの襲来も凄まじいものがあります。 WORM_MYDOOM(マイドーム)という新種のウィルスのようです。メールに添付文書で付いてくるので、添付文書を開かなければ問題はありません。
このサイトのお便り用アドレス(melow77)への送信がやたら多かったので、アドレスを変更しました。新しいアドレスはトップページの郵便マークをクリック下さい。
 本物のウィルスもそろそろ来ました 2004.2.10
インフルエンザが本格的に流行り始めました。小児科の先生は例年並みと否定するのですが、やはり、ワクチンをしていてもかかる人が、今年は多いように思います。
うちの元気娘もついにやられました。2回痛い目をしたのは一体何だったのでしょう?!
ワクチンをしていても感染しているのは、どうも若い世代に多いようなので、若者の皆様、特に気を付けて下さいね。
 いやいや、風にやられました 2004.2.25
今回は風邪でなく、本物の風の話です。
先週末から、川崎市にある聖マリアンナ医大で行われた、日本総合診療医学会、という学会に出席していました。
横浜なら、普通は飛行機で行きます。京浜急行のアクセスが便利になったので、羽田−横浜間は都内と同じくらいの感覚です。うまくゆけば30分かからないので、都内よりもむしろ早いかもしれません。しかし、今回は、新横浜からのアクセスが便利(そうにみえた)な場所だったので、久々にJRで往復することにしました。「のぞみ」の中でゆっくり本を読むのもいいかなあ、なんて思ったりもしたのです。
行きはよかったのです。前日は横浜に泊まって、翌朝、横浜市営地下鉄とバスとを乗り継いで、約1時間かかって学会場へ。学会は、土・日の2日間あり、帰りは日曜の夜です。JRを使う時、たいていは帰りの切符も取っておくのですが、今回は学会の進行状況を見て(途中で抜けて)帰ろうと思っていたので、帰りの席は確保していませんでした。
会の進行が遅れたので、後ろ髪を引かれながら、午後4時に会場を出て新横浜へ。午後5時過ぎの「のぞみ」をあてにしていたのですが、20分前にみどりの窓口に行くと既に満席! やむを得ず、次の便にして、新大阪で乗り換えて岡山へ。 ところが!! 岡山に着く少し前に家からメールが入り、強風のために瀬戸大橋線が止まっていると。今頃の時期は時々あるんですよね。元の予定では、午後10時に高松に着くはずだったのですが、一体何時になるのだろう? 今日中に動くのだろうか? 心の中は不安で一杯。
岡山に着いて、とりあえず瀬戸大橋線に行ってみましたが、何と、動きそうな気配。マリンライナー(岡山と高松とを結ぶ快速列車です:ローカルですみません)は、何事もなかったかのように定時に出発しました。なんだ、たいしたことなかったじゃん、と思わず標準語を心の中でつぶやいて、顔はほころび... だったのですが。
岡山の最終駅、児島にさしかかる寸前、この列車はここで運転を打ち切ります、との非常なアナウンス。せめて、フェリーに乗れる宇野に向かう線が分岐している茶屋町(これもローカルですみません)で降ろしてくれたらまだ何とかなるのに、こ、ここでは何ともできない。どうすればいいんだ! 頭の中は激しく回転するのですが、答えは真っ白。
JRをあきらめて、タクシーで宇野に向かおうか、それとも岡山まで帰って一泊しようか、と思っていたところへ、反対側のホームの電車が、茶屋町で折り返して宇野に向かうというアナウンス。救われた!! と思いました。ただ、どうも1便前の列車も瀬戸大橋を渡れていなかったようで、折り返し列車は既にすし詰め状態。それでも、数10分辛抱して、ようやくフェリー港のある宇野に到着。
ここからも凄まじかったですね。何百人という乗客が、フェリー乗り場目指して一目散に移動。瀬戸大橋ができる前、宇高連絡船の頃に何度となく見た風景が、目の前に広がっていました。橋ができて10年以上も経つのになんで今さら? と心の中で叫びながら、自分もひたすら船に向かい、客席に着いたものの既にほぼ満席。わずかな隙を見つけて何とか座ることはできましたが、その後に着いた方は立ち席状態でした。四国に住んで10数年、フェリーの中にこんなに人があふれたのを見たのは初めてでした。
というわけで、家に帰り着いたのは12時少し前でしたが、その日のうちに着いたのは幸いというべきでしょうね。高松以遠の人はこんなものではすんでいないでしょうから。
という長い物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。風のおかげで、思いもよらない長い一日でした
 アテネ、サッカー ピンチ?! 2004.3.14
日本国中が注目していた、サッカーのオリンピック予選、よもやのことが起きましたね。
悪くても引き分けの試合に、まさかの敗戦。UAEが、これも予想外の引き分けをしてくれたために、首の皮一枚でつながっている状態です。勝ち点ではバーレーンまで並んでしまい、まさに三つ巴。
私はサッカーは詳しくなく、こういう時だけにわかファンになるのですが(バレーボールの時もそうでした)、日本の試合を見ていていつも思うことがあります。それは、ボールの周りに選手が少ないということです。特にゴール前。せっかくサイドを突破してセンタリングを上げても、そこには2、3人しかいません。これではこぼれ球も拾えません。もっとも、テレビで見ているだけなので、実際は違っているかもしれません。しかし、どこと対戦しても、相手方はもっと集まっているように、テレビでも見えます。
日本の選手は、自分のポジションを頑なに護っているのか、あるいは体力的な問題からボールの所に集えないのか、このあたりは私にはわかりません。決定力不足と言われて久しい日本チームですが、多少品が悪くても、もっとがむしゃらにボールに群れて欲しいなと思うのは私だけでしょうか?
ここ2試合出番のない平山に、そろそろ暴れて欲しいなと思うのですが...
 アテネ、サッカー やりました!! 2004.3.18
日本国中が注目していた、サッカーのオリンピック予選、やりましたね。
自分で得点こそ取らなかったものの、私の言うとおり、平山が出たら勝ったでしょう! (ってことはないか)
これでオリンピックの楽しみが減らないですみましたね。
 白い巨塔も、ジ・エンドです 2004.3.18
白い巨塔も終わってしまいましたね。肺癌の胸膜播種で手術不能とわかってからの展開が早くて、少しついて行けませんでしたね。
唐沢さんの財前五郎もなかなかよかったのではないですか?
里見医師に対して最後に残した手紙の内容が心に染みましたね。
木曜日夜の楽しみがなくなった後は、一体私はどうすればいいのか? この日だけは自分を納得させて早めに帰宅していたのに...
 政府の対応、それでいいの?! 2004.4.15
イラクの邦人拘束は1週間以上経過しても未だ解決せず、さらに2人が拘束されてしまいました。
ここではあまり政治的なことは書きたくないのですが、当初からの政府の対応を見ていると、一言書かずにはおれなくなりました。
一番に言いたいことは、どうして政府は拘束した側を刺激するようなことばかり言うのだろうか、ということです。まず、「自衛隊は決して撤退しない」。 これは、自衛隊は戦うために行ったのではなく、あくまでも人道支援、という言い分はわかります。しかし、武器を携行している以上、拘束した側からは戦う覚悟がある、いつアメリカ側に加わって武力を行使するかわからないと映るでしょう。
次は、アメリカとの関係ですが、元々はイラクからアメリカを排除したい、というのが彼らの主眼であるのに、どうして殊更にアメリカとの緊密な協力関係を強調するのでしょうか? 小泉首相とアメリカの副大統領とのツーショットなどは、拘束側を刺激するだけのように思われます。拘束側は日本やアメリカのテレビ番組なんて見ていないと考えているのでしょうか? もしそうなら、とんでもない考え違いでしょうね。何らかの方法で、日米の、特にメディア情報は全て伝わっていると思わなければなりません。
こちらのメディア情報が筒抜けになっていることを分かったうえであのような行動と発言をしているとすれば、アメリカの力を持ってすれば、怖いものはなく、全て力で抑えきれると考えているのでしょうか。
前線でお互いの部隊が向き合っているのではなく、既に邦人が相手の手中にあるのですから、もっと言動を慎重にしていただきたいと思います。もっと言えば、水面下での協力はするとしても、表面的には、アメリカとの協力関係を一時凍結する、くらいの事は言ってもいいと思います。あまりに権謀術数がなさすぎ、まっとう過ぎます。駆け引きもなにもないように見えることが作戦ならそれでいいのですが、拘束された人たちは喉元にナイフを突きつけられているのですから、小泉さんをはじめ、政府の要人も言葉をもっと慎重に選んで欲しいと、切に願う次第です。

        
無事解放されました
上の記述をアップした直後に、拘束されていた3人が解放されたというニュースが飛び込んできました。 まだ、新たに拘束された2人の解放が残っていますので、これで全てよしとは言えませんが、可能であれば政府の対応を詳細に伝えて欲しいものです。
 ゴールデンウィークですね 2004.5.2
長い休みを取ることができている方には、もう後半に突入するゴールデンウィークですが、いかがお過ごしでしょうか。
私は暦通りの休みですから、今日からやっと4連休です。 しかし、遠出をするなどという、気力も、体力も、そして財力もありませんから、さしずめ、日曜日X4というところでしょうか。でも、この間は、朝、子供達をたたき起こして、テレビで時間を気にしながら、1分を争って家を出るというバトルはまのがれるので、それだけは救いですね。 ところが! 漏れ聞くところによると、後半にはリビングの床の手入れをする、という奥方の計画が水面下で進行しているようなので、いささか恐怖ではあります。
私の職場の上司は鉄道ファンで、これは最近よく知れ渡っている事実なのですが、実は何を隠そうこの私も、幼い頃は鉄道ファンだったのです。 小学校の頃は大阪(豊中市)に住んでいましたので、大阪の地下鉄新路線が開業する朝にはとびきり早起きをして、2、3人の友人と連れだって、一番列車というわけにははゆきませんでしたが、乗りに行ったものです。 ある時は自販機で買った切符の番号が00001番だったので痛く感動したのですが、その時には少し知恵が回らなかったのでしょう、それで新しい車両に乗り、降りる時に改札口で渡してしまいました。 もう一枚買って、それで乗れば記念切符が残ったのですけどね。開通の日が平日だと、それから普段通り登校していたわけで、今思えばよくやったものです。
最近は車や飛行機で移動する機会の方が圧倒的に多いので、鉄道を利用することはめっきり減りました。(上司は飛行機嫌いで、もっぱら新幹線で移動です)  しかし、それまで乗ったことのない路線に足を踏み入れる時には、今でもドキドキします。 そうはいっても西日本で未踏破の路線はごく少ないので、今は、「ホワイトアウト」のモデルとなった(と私が踏んでいる)奥只見湖の近くを走る只見線とか、やはり南東北の磐越西線、東線などで、ゆっくり列車の旅を楽しんでみたいと思っています。 とはいえ、それが叶うのは何時の日になる事やら...
皆様、残された休日を有意義に過ごして下さいね。
 GWも終わりダム満水にホッ 2004.5.16
更新が遅くなりましたが、GWはどのように過ごされたでしょうか。当方は予想通りで、恐れていたリビングの床のワックスがけも、無事(?)挙行されました。もっとも、終盤は雨降りだったので、特に悔しくはありませんでしたけれど。
ところで、今日のテーマは県外の方にはわかりにくいでしょうね。香川県は水不足で有名な地域の一つです。県内至る所にため池が点在しています。最近ブームの「さぬきうどん」店の数とどちらが多いでしょうか?
その中でも、高松市周辺は、高知県にある早明浦ダムに100%近くその水源を依存しています。今をさかのぼる10年前、そのダムの水が涸れたのです。ダムの湖底が見えんばかりになり、高松市周囲はついに、1日5時間の時限給水となったのです。5時間の断水ではないのですよ、1日のうち、午後4時から9時の5時間しか水道水が出ないのです。
経験のない方には想像がつかないでしょうけど、これにはホトホト参りました。水が出る間に風呂に入り、その残りの水で洗濯をし、再度水を貯め、貯めた水で、出ない時間帯の食器を洗い(これはもちろんポリタンクに貯めた水です)、水洗便所の水を流し...思い出すだけでゾッとします。おかげで、夜の町もすっかり干上がってしまいました。こんな状態が約1ヶ月続いたのですが、台風1発で、何とか解消しました。この時ばかりは台風に心から感謝しました。
その後ヒヤヒヤする年も何度かあったのですが、今年まで何とか断水は避けられてきました。ところが、今年は年明けから雨が少なめで、GWの前には早明浦ダムの水位が前年割れ状態が続いていたのです。10年前の状態に極めて似ている!! このままダムが低水位で経過するとGW明けに行われるであろう田植えでますます水不足に...と密かに懸念していたのですが、GW終盤の雨で、いつの間にかダムの水位が100%に戻っていました。もうしばらくして梅雨に突入すると、おそらくは今年も大丈夫でしょう。そんなわけで、GWに少しばかり水を差した雨も、この地域にとっては恵みの雨でした。
 県民の恥をさらすな! 交通マナー 2004.5.30
昨年から医療情報学会が制定した、医療情報技師という資格があるのですが、この検定試験前の講習会のお世話で、土・日と倉敷に出向いていました。昨年は講習を受ける立場だったのですが、幸いに検定に合格したために、今年はお世話する側に回りました。2日間8コマの講習のうち、1コマの担当もしました。60数枚のスライドを90分弱で説明するので、途中脱線するわけにも行かず、ちょっときつかったかな、というところでした。
ここで書きたかったのはそのことではなく、帰りのフェリー乗り場でのことです。行きは時間節約で瀬戸大橋を通って行ったのですが、帰りは経費節減で、久々に岡山県の宇野からフェリーに乗りました。途中慣れない道を通ったり、前を安全運転優良自動車が先導してくれた(要するにゆっくり運転)こともあったりで、乗り場に着く直前に!!前の便が港を離れてしまいました。
ですから、次の便としては私が一番乗りだったわけです。私は、事務所(発券所)に一番近い側の待機レーンに止まっていました。 私が着いて間もなく、2台の大きくはないトラックがやって来て、私の止まっている所と、事務所の間のレーンがないところに車を駐めたのです。駐まってすぐに何人か降りて事務所に入っていったため、業者の車かと思っていました。
ところが、次の便が着くや、その2台の車は、勝手にずんずんと前に出て行くではありませんか。こういう所では、普通は係員の誘導に従って、整然と船に向かうものなのです。私は昨年夏まで10数年間、月に2回岡山までフェリーで通っていましたが、こんな光景は目にしたことがありませんでした。 通常は普通車が先に着いていても、大きなトラックを先に乗せて、それから合間を見て普通車を入れるのです。で、先の2台は、大きくはないけど一応トラックだったので、係員も何気なく先に乗せてしまいました。そこまではまだ許せる。
ところが、事もあろうに、私のすぐ後ろに並んでいたワンボックスカー(KGWナンバー!)が、その2台の車の動きに触発されたのか、何と私の車の横をすり抜けて前に出て行って乗り込もうとしたのです。何という暴挙!! さすがに誘導員もこれは制止したのですが、大型トラックの隙を抜けてまんまと先に乗り込んでしまいました。私は当然クラクションを鳴らして抗議し、誘導員にも、「ちゃんと誘導してくれないと困る」と、(普段は温厚な私が)大声で叫びましたが、これが、混んでいて、乗れるか乗れないかという状況ならホント血を見るところです。今回は、待っている車全て乗れるくらいの混み具合だったので、降りる順番が少し遅れる程度の被害でしたが、逆に、それなら、何で前の私の車を追い越してまで先に乗らないといけなかったのか、ということが問題です。
私の住んでいるKGW県は、交通マナーが悪いのでとても有名な所です。県外から転入してきた人は異口同音にその悪さを指摘します。たとえば、ぐるぐる回って上がって行く立体駐車場で、出るときに、前が混んでいるので止まって待っていると、後ろの車が横をすり抜けて前に出て行くんですよ。で、結局前で詰まってしまい、こちらは内心(バカー!)と思うのですけどね。また、交差点で右折をしようと待っていると、やはり待ちきれない車が後ろを通って前に出て行く。その他にも、ウィンカーは出さない、赤信号に変わってもガンガン突っ込んでくる...枚挙にいとまがありません。
私も17年ほど前にKGW県にやって来たときには相当度肝を抜かれましたが、最近はかなり麻痺して、必ずしもお行儀のいい運転ばかりをしているとは言えないのですが、今日のマナー(ないんですけど)は到底許せない!!。 しかも、県外です。県内ならお互い様ですむかもしれませんが、せめて、県外ではお行儀よくして、県民の恥をさらさないように心がけたいものですね。
 当世学生事情 2004.6.11
先日、私共の学生と少し時間をかけて話をする機会がありました。生活のことや、学業のこと、そしてサークル活動などについて話を聞いたのですが、その時に感じたことを一つ。
ある男子学生が、サークル活動をしていないというので、では、普段は何をして過ごしているの? と尋ねたら、少し口ごもった後に、「麻雀」という答え。勉強の方は大丈夫かなあ、と心配する一方で、そういえば、学生から麻雀という言葉を聞いたのは、ずいぶんと久しぶりだなあ、と感じました。
われわれの学生時代、特に教養の2年間は、大学の裏手にある学生下宿(この言葉も、もはや死語?)では、たいていは何処かで4人が卓を囲んでいたものです。私は麻雀はしなかったのですが、自宅生であったにもかかわらず、週のほとんどの夜を誰かの下宿で過ごし、家で寝るのは多くとも2,3回でした。友人の4畳半の部屋で8人が寝たこともありました。この時は熾烈な場所の奪い合いで、一旦トイレに行くと、後は窓際で座って寝るしかなかった。実に懐かしい記憶です。 そんなですから、珍しく続けて家に居ると、あんた家におったん? と母親に言われる始末。
麻雀の善し悪しは別として、われわれの時代はこんな風に横のつながりがすごく密接でした。その現れの一つとして、今でも当時親しかった仲間と、年に1回は当番制で同窓会をしています。
では、今の学生さんはどうなのでしょうか? その学生さんに聞いてみると、麻雀をする学生は少ないと言います。それは一体何故なんでしょうか? われわれが学生の頃は、携帯電話もパソコンも、テレビゲームもありませんでした。ポケットベルも施設内で使うだけで、個人的な普及は全くしていませんでしたね。ですから、群れないと遊べなかったわけです。今は、パソコン1台あれば、一人で何時間でも遊ぶことができてしまう。携帯メールがあるから、何となく繋がりがあるように思っているけど、昔ほどの密度はきっとないでしょう。そういう意味では、われわれの時代は便利な道具がなくて、むしろ良い時代だったと思います。
学生さんに、困ったときの対応法についての調査をすると、誰かに相談する、という回答が少ないという印象があります。自己中心というのでなく、人との関わり方、人への頼り方を知らない世代になってきているといえるのかもしれません。今後は、より上の世代が、彼らとどの様に接してゆくか、また人に頼むという対処法をどう伝えるか、ということを、真剣に考えて行かなければならないのでしょうね。
 良い情報も伝えて欲しい 2004.6.21
今朝は台風6号の接近で大荒れの天気でした。警報のおかげで、子供達は学校は臨時休校。私も家で待機していたかったのですが、今日は外来の日だったため、窓からのんきに外を眺めて過ごしているわけにはゆきません。少しでも雨脚が弱いうちにと、7時前に家を出て職場に向かいました。途中もそれほど困難はなく、職場でも幸いにも入り口に近いところに車を駐めることができたので、傘が犠牲になることは避けられました(過去何本の傘がアレヨという間に裏返しになったことか)。
こんな天候の中では、予約の方はともかく、わざわざ新たに受診される方は少ないだろうと思っていたのですが、確かに全体の数は少なめでした。しかし、そんな中、対応に少し力がいった患者様が来られました。
この方は、数年以上市内の大規模病院で、高血圧、糖尿病の治療を受けられ、さらに心臓病の再発予防に抗凝固剤を服用されていました。それに、最近歩行に支障を来すようになり、同病院の神経内科にも受診され、薬剤が追加になりました。われわれの病院に来られたのは、今の治療についての説明が不十分で納得しかねることと、薬が増えて副作用が出ているのではないか、ということでした。
持参されたお薬の一覧を見ても、特に問題はなさそうに思えました。でも、ご本人は納得されていないのです。これには幾つか要因がありましたが、一つは○○年も糖尿病の治療をしているのに、よくならない、薬が減らない、糖尿病は腎臓を悪くする病気と聞いているが、主治医は気にしてくれているのか...。 持参された検査結果を見ると、ちゃんと腎臓の検査はされているのです。しかし、結果が正常なので説明されなかったのでしょう。抗凝固薬も数が多いのではと疑問に感じておられるのですが、これについても薬の量が適正かどうかの検査をちゃんとされている。この方の主治医は、せっかくきっちりと診療をされているのに、その内容を伝えていなかったために、患者様が台風の中をわれわれの所までやって来なければならないような気持ちにさせてしまったのです。
医師は往々にして、検査結果の異常値だけを説明して、正常であった値についてはあたりまえのこととして話題にしない傾向があります。やれ、血糖が高い、コレステロールが高い... しかし、異常値だけを話題にしていたのでは、治療の全体像がぼやけてしまうことは、この方の例を見てもよくわかると思います。糖尿病は、進行すると幾つかの合併症が出る病気だけど、今日の検査では○と△とは問題ありませんよ、というように。 問題のない値を見ると、医師は自分なりに納得してしまうのですが、その納得を患者様にも伝えてゆく努力を怠ってはいけないのですね。 自分への反省も込めて書かせていただきました。
 雷には気をつけましょうネ 2004.7.11
梅雨明けも間近の暑い日々が続いています。今年の6月の気温はとんでもなく高かったそうですね。今でこの温度なら、夏が来たらどうする! と心配です。雨が少し降ったので、気温の上昇は少し抑えられていますが、この先どうなることか。
先日、出先の医療機関で診療をしていた時のことです。朝から雨模様だったのですが、突然雨脚が強くなり、ついでに雷も、と思っていると、突然の停電。この停電で、目の前のパソコンの電源が落ちてしまいました。これで困ったことが2つ。一つは、このパソコンに患者様の予約を入れていたのですが、普通はこまめに保存をしているのに、この日に限って昼前まで保存していなかった。で、当然のごとく、数人分の予約が白紙状態。これは、患者様にお渡しする予約票の控えを受付から借りてきて、何とか復旧。
もう一つは予想外の出来事。最近はデータを保存し持ち運ぶのに、USBメモリというのを使っています。場所を取らないし、容量も大きいものがあり、大変便利です。で、このメモリを本体に差しっぱなしにしていたのです。普通はこのようにして使っているのですが、停電は予想外だった。診療終了後に予約の保存をしようとしてメモリを開けると、果たして、中のファイルのかなりの部分が消失していました。しばらくの間、茫然自失。おそらくほとんどのものはコピーが別のパソコンにある(と思う)ので、まず実害はなさそうですが、もしかして未保存のものもあったかもしれません。
コンピュータが停止すると色々な業務に支障を来す場合は、「無停電電源装置」という装置を使って、停電が回復するまでの時間をカバーするのですが、ここのパソコンはそこまでの対応をしていませんでした。今回の教訓として、雷鳴が轟いている時に、停電対策をしていないパソコンでUSBメモリを使う場合は、差しっぱなしにしないで、必要なときだけ入れてすぐに抜くということをこまめに行うということです。幸い、メモリが破損するという最悪の事態はまのがれたようですが、本当に未保存データがなかったか、いささか心配ではあります。
 職場を変わることになりました 2004.8.29
この度、12年8ヶ月勤めさせていただいた香川大学医学部(旧香川医科大学)を8月末で退職し、9月より母校である、岡山大学医学部・歯学部附属病院に勤めることになりました。
平成4年から9年余りは総合診療部の所属、その後約3年半は医療情報部の所属でした。総合診療部では様々な未解決の問題を抱えた患者様の診療にあたると共に、医学教育にもしっかり関わらせていただきました。その中でコミュニケーション教育の必要性を痛感し、模擬患者さんの育成を始めました。最近の模擬患者さんの活動は、そのお一人のHP「模擬患者SP一年生」に詳しく記されていますので、一度ご覧下さい。
医療情報部では、病院情報システムの構築とその維持とが主な仕事でした。世の中は今、国策もあり電子カルテを利用する方向に向かっています。香川大学医学部でもその方向で準備を進めていますが、その中で感じたのは、「紙」というものは本当に便利なものだなあ、ということです。何らかの示指の変更や追加をするときに、紙であれば、元の示指用紙に書き足して、それを看護師さんに伝えればすむのですが、コンピュータでこれをやろうとすると、結構な手間になるのです。紙の発明はやっぱり偉大! とつくづく思いますね。
医療情報部ではまた、地域医療情報ネットワークの構築と普及とに努めてきました。患者様の診療情報というのは、本来は患者様のものですが、今はかかっている医療機関から簡単には持ち出すことはできません。これは機密保持という問題と、膨大な情報の複製を作らなければならないという手間も障害になっています。電子カルテが普及すれば、患者様が別の医療機関に移るときに、電子カルテ間で速やかな情報の移動を行うことができます。そんな理想像を描きながら仕事をしてきたわけですが...
岡山大学病院では、総合患者支援センターという組織を、平成15年4月から立ち上げています。ここのセンター長からの1本の電話がなければ、香川に骨を埋めるつもりでいたのです。電話の内容は、専任の副センター長が8月末で退職するので、その後に来てくれないかというものでした。
ホームページがある(上のリンクです)というので見てみると、相談業務が主で、医師としての自分の姿が見えないなあ、と始めは思いました。 しかしよく見ると、地域医療支援やら、遠隔医療という文字も見えます。さらによく考えてみると、ここは患者様に役立つことであれば、何をしてもいいんだと勝手に解釈。ということは、心身医学的な知識と経験とが活かせるかもしれない。医療情報で培ってきたことと心身医学とがここでは仕事として統合できる可能性がある、とそう考えました。
私が、最終的に心身医学をやろうと決めたのは、「私のプロフィール」にも書いているように、学生時代の岡大病院への入院経験でした。入院生活は(当時)ひどくストレスフルなもので、入院中のストレスが軽減できれば、疾患の経過にもいい影響を与えるのではないか、とそう考えたのです。しかしながら、この考えを実践することは、心身医学を学びながらも、病院内での職務の制約から、これまではできていませんでした。そこで、これまでやってきた仕事の仕上げとして、このセンターで最初の課題に立ち返ることができる、ということは、何か天恵のように感じました。
ここで問題は、香川での仕事の後継者がすぐにはいないということでした。模擬患者さんとは立ち上げ以来3年間のお付き合いですので、どなたかにすぐに委ねるわけにもいきませんし、私自身、もうしばらく関わっていたいという気持ちもあります。 また、医療情報部の仕事も、学内では引き継いでくれる方が見あたらず、目下のところ学外にも目を向けて後任者を選考中ですが、決まるまでには数ヶ月を要するでしょう。 これらの点については、今しばらくお手伝いをさせていただけるようお願いして、岡山への転勤を決意しました。
8月に入ってから大学の部屋の片づけに取り組んでいますが、12年8ヶ月間のゴミは容易には減ってくれません。コンピュータ内のデータの移行も一苦労です。が、幸いといいますか、今回は転居をしないので(JRで岡山まで通勤)、その点は気が楽です。これで家の片づけがあろうものなら、もうパニック状態ですね。
転勤まであと2日となってしまいましたが、容赦なくやってくる台風の動きが気になります。初日からJRが止まって行けませーん、ということがないようにしなければね。今のところ、初日までには通り過ぎてくれるようですが、動きがゆっくりになるようだと、それなりの対応を考えないといけません。
岡山での様子は、また紹介させていただきますので、乞ご期待。
 JR通勤もまた楽し 2004.9.5
9月からJRで海を越えて岡山まで通勤しています。といっても、初日は荷物を運ぶ都合もあり、車で行ったので、まだわずか2日間ですが。
高松市内から岡山まで通うと話すと、たいていの人は、それは大変だなあ、と言われます。これまでは車で20分の通勤でしたから、JRの前後を合わせると一気に4倍強になったわけで、それだけを取り上げれば、確かに「たいへん」なんですね。
通勤時間が延びると、職場でいられる時間は短くなります。朝は40分程度早く家を出るだけでいいのですが、帰りはこれまでより1.5時間ほど早く引き上げなければなりません。が、まあ、診療に割く時間がこれまでよりは減ったので、職場にいる時間が減っても、そこは何とかなりそうです。
JR通勤のメリットは、待ち時間や実際に乗っている時間を利用して、本が読めるということです。自動車通勤中は当然本は読めませんし、勤務先の部屋に長くいたからといって、パソコンには向かっていても、そこで本を読もうという気にはなれませんでした。何かを書くために参考になる文章を読むことはあっても、一般書や啓蒙書などを読むのは何だか時間が惜しいように思えたのですね。
それが、今は強制的に時間が与えられています。この際、この時間を利用して、これまで「積ん読」になっていた本を発掘して読むしかありません。ただし、乱視がこれ以上進まないように、半分くらいはMDで音を聴くか、居眠りをしているか、ということになりそうですが。
人生の半分くらいをすぎて、初めて定期というものを持ち、今のところはちょっとウキウキした気分で通いつつありますが、さて、そのうちに体力の限界を感じるかもしれません。半年くらい経った頃に、またその後の状況をお知らせしましょう。
 転勤はやはりストレス?! 2004.9.19
ストレスの大きさを測る尺度として、ホームズとレイというアメリカの学者が発表した 『社会的再適応評価尺度』 がよく知られています。これは、配偶者の死を100点としたときに、他の出来事が何点くらいのストレス度になるかということを、統計的に示したものです。
これによると、結婚は50点、仕事の変化は39点、転職・職場の配置転換は36点です。臨床の医師は、基本的に転勤が多いものです。特に始めの数年は、1,2年ごとに医療機関を変わることがごく当たり前のようになっています。
自分を振り返ってみると、今回で6回目の転勤となります。1回目は、九大の心療内科に行った時だったので、見知らぬ環境とはいえ、やっと心身医学の本格的な勉強ができるという希望に溢れていました。したがってストレス度はゼロに近かったかもしれません。一緒に研修を受けた同僚との付き合いも楽しいものでした。2回目は、大分県の関連病院への転勤で、ここは個人病院でしたので、大切にしていただき、仕事は結構ハードでしたが、ストレス度は10点台でしょうか。
3回目は四国に移って、とある企業病院。ここは、最初ちょっと大変でした。病棟の業務で看護師さんとの調整が難航し、ストレス度60点くらいだったか。アルコール消費量も少し増えて... でも、約1年後に病院長が替わり、外科の若い医師も来て、病院全体が活発化したので、ストレス度はぐーんと低下。
その次は、「精神科での修業時代」で紹介しましたので省略しますが、ストレス度は80点以上だったでしょう。
5回目が初めての大学病院でした。生活環境は、「とある企業病院」時代に4年余り住んでいた所とほぼ一緒だったので、しかも東京よりは地方都市の方が住みやすく、この点は問題なし。しかも、結婚後初めて官舎を出ての生活だったので、家族も含めて気持ち的にはノビノビ。
しかし、大学での生活は、まさに「針のむしろ」状態でした。これについては、いくつかの要素があります。まず、それまではずっと臨床に携わっていたため研究業績も学位もなく、大学という研究機関ではひどく肩身が狭かったこと。次には、大学の同期生数人を除いては知り合いがいなかったこと。これについては内科の母教室の研究会などに出させていただくことで、少しずつ顔見知りが増えて行きました。さらには、大学は学生の教育をしなくてはならないのですが、ここでも問題点発生。教えるためには生半可な知識ではだめで、もう一度教科書を紐解いたりして、確実な知識を得なくてはならない点でした。このようなわけで、ストレス度はこれも80点以上でしたが、「精神科での修業時代」とは違って、この状態が数年以上と長く続きました。
その後、アレルギーに詳しい先生が基礎医学に来て下さったので、研究や論文の指導を受けることができ、学位をいただくことができて、ようやく一息。これで、ストレス度は40点くらいには下がったかもしれません。さらに、ここ数年は、医療情報の仕事をするようになり、病院内の調整のためにいろんな診療科の医師や、看護師さんを始めとした様々な職種の人たちと関わるようになったため、顔見知りが増え、病院の中も歩きやすくなっていましたね。
そうこうしているうちに、12年8ヶ月経ち、ようやく少しは肩身が広くなりかけていたところに、今回の転勤。卒業後23年経って初めて母校に就職したわけですが、既に同期生は3人しか大学内に残っておらず、知り合いが少ない点では13年前と同じですね。センターのスタッフとは、何故かかなり前から勤めていたかのような雰囲気で仕事ができていますが、そこを一歩出ると、そこはもう見知らぬ世界。周りが知らない人ばかり、というのはすごいストレスなんですね。改めて感じました。この点だけ取り上げるとストレス度70点。いわゆる転勤族の方たちは、本当にすごい心臓をしていると、心から思いました。かたや、転勤で体調を崩す方があるのも、それも実感を持って納得という感じです。
でも、13年前とは違って、仕事上の役割ははっきりしているし、色んな会議にも「出さされて」いるので、環境に馴染むのは少しばかり早いかもしれません。
そんなわけで、職場を変わるストレスは身をもって体験できています。ただし、今回は住居の変更は伴っていないので、その点、トータルとしてのストレスはこれまでよりは少ないかもしれません。
かなり個人的な話に長々とお付き合いいただき、どうもありがとうございました。でも、転勤が繰り返しある方の配偶者の方々は、このような心情をぜひご理解下さいね。
 自分の美学を持っていますか? 2004.10.2
という大げさなタイトルを付けてしまいましたが、皆様いかがでしょうか。自分はこの点は譲らないとか、こういう時は必ずこのようにする、といったこだわりをお持ちの方は少なくないと思います。
私のこだわりは、一口で言えば、「後の人に迷惑をかけない」ということでしょうか。たとえば、バスに乗ります。降りるときに料金を払う場合、一つ前のバス停あたりで財布を探り、小銭を準備。間違っても、バスが止まってから料金箱の前に行き、おもむろに財布を出すようなことはしません。もっといえば、バスに乗る前から財布の中の小銭を確認しています。 時に、バス停で降りる人がひとあたりすんでから出口にやってきて(それもゆっくりと)、それから財布を探る方がありますね。これはもう暴挙としか言いようがない。 もっとも、仕事の疲れでついつい座席でウトウトされていたのかもしれませんが。
週に1、2度、車で1回260円の有料道路を通ります。これには、経済的なこともあり、回数券を買っておき、料金所での停止は最小限にして通り抜けます。回数券の購入は、午後や夕方の、ゲートが2つ空いている時間帯を選び、必ず外側のゲートで買うようにします。 朝私が通る方向はゲートが一つなので、その時は買いません。この前、私の前に無理矢理割り込んできた車が、一つしか空いていないゲートに入ったと思えば、何と回数券を買っているではありませんか。車が連なっていたのなら、いたしかたありませんが、私の車の後は空いていたわけで、何も私の車を追い抜いておいて回数券を買わなくても...と、腹が立つというより、あきれてしまいました。
私は車を運転する際に、必ずしも交通法規を遵守しているというわけでは決してありませんが、やはり後ろの車のことは気にしています。まず、ウィンカー(方向指示器)は必ず、少し手前で出す。特に右折する場合は必須です。直進と右折が両方できるようなレーンの場合は、一層早めに出して、「直進車はこの車の後ろに付かないでね」、と合図します。信号で止まって、動き出すときにおもむろに右にウィンカーを出す、という車が、この辺りでは少なからず見られますが、これはよしてほしいですね。 片側一車線で、右折レーンがないような交差点で、やむを得ずに右折する場合には、中央から少し右に張り出して、後ろの車が左側をすり抜けて直進できるように心がけます。これに対して、さも「これは私の道よ」と言わんばかりに、車線の真ん中で、時には車を斜めにして、右折のタイミングを待っている車を見ると... いやいや、人のことは言わないでおきましょう。 あくまでも私のこだわり(私は美学と思っているのですが)ということで紹介させていただきました。
 今日はちょっと特別な日 2004.10.3
今日は、高校野球県秋季大会の準決勝の日。ここに、息子が通うT高校が登場。なんと、夏の甲子園出場校である尽誠高校を破っての準決勝進出です。息子自身は高校に入ってテニスに転向してしまったのですが、小中と一緒に野球をやっていたお父さん方からお呼びがかかって球場へ。
その途中の道路が何やら物々しい警戒。実は 「第二十四回全国豊かな海づくり大会」というイベントが行われていて、天皇皇后両陛下がおいでになっているのです。今朝は式典に出席され、どうもその次の予定地に向かうためのお車の行列が通るらしいのです。沿道には日の丸の旗を手にした住民が。この際、車を何処かに駐めて、もう少し待って両陛下のお姿をこの目で...とも思ったのですが、試合開始も近づいていたので、気になりながらも球場へ直行。
で、試合結果は、昨年も決勝に進出しているS高校が対戦相手。先制はされたものの、相手の守備の乱れにつけ込んで、タイムリーに長打も飛び出して、何と何と勝利!! 四国大会への出場を決めると共に5年ぶりに決勝進出です。四国大会で活躍すれば、選抜への切符も見えてくるため、父兄は狂喜乱舞です。決勝戦は見に行けませんが、ぜひこの調子でがんばって欲しいですね。
後で聞くと、息子がたまたま行っていた県の建物の前をご一行が通られたので、館内にアナウンスがあり、息子も外に出て列に加わると共に、何と携帯ムービーでお姿を撮ってしまったようです。ほんの数秒ですが、確かに車の窓から手を振るお姿が映っていました。こんなこと、現代だから許されるのでしょうね
というわけで、今日はほんの少しばかり特別な日でした。
 優勝はなりませんでした 2004.10.16
今日は上で書いた高校野球秋季大会の決勝の日。晴天に恵まれて、午後1時にプレーボール。といっても私は球場に行けず、携帯メールで経過を聞くだけでしたが。
この試合には、小学校で野球をしていた時のライバル達が相手チームにいて、その意味でもぜひ勝ってほしかったのですが、残念ながら、実力は相手の方が一枚上だったようで、8−4で敗戦。でも、よくここまでがんばったと思います。この上は四国大会で大暴れしてほしいものですね。
 大学病院はどこへ行くんだろう? 2004.10.31
新しい職場に移って2ヶ月が経ちました。ようやく廊下を歩くのにも、肩の力が抜けてきたようです。昼ご飯を食べるときでも、周りが知らない顔ばかりなので、当初はかなりの緊張感があったのですが、それも少しましになってきました。知らない顔がほとんど、という点は変わらないのですが、気持ちには少しだけゆとりが。時間というものはすばらしく癒しの効果を持っていると、改めて感じました。
私の職場のあるスタッフが、この方も昨年別の病院から移って来られたのですが、雑談の折に、前の病院は医師も含めてどの職員も「自分の病院」という意識を持っていたけど、ここではそれが希薄なように思うと言われました。転勤以来、いくつかの会議に出て、何となくモヤモヤと感じていたものの一つはこれだったのか、と、心の中で、ポンと手を打ちました。
一般の医療機関では、若い医師などでは多少の異動はありますが、中堅以上の医師ではあまり動くことはありません。医師以外のスタッフはもっと固定しており、「自分の病院」という意識が産まれやすいのでしょう。しかし、大学病院は事情が異なります。講師くらいの中堅医師でも何時関連の病院に異動する命令が下るか、気が気ではないのです。
もちろん、目の前の患者さんに対しては、最新の医学知識と技術とを駆使して診療にあたります。個々の医師達は帰宅時間を惜しんで、患者さんの治療にあたっており、時として民間病院では得られないような治療結果が得られることがあり、これが大学病院の良さです。
大学病院は、かつては治療成績が全てといってもいいくらいの存在でしたが、最近は医療サービスを提供する病院としての基本的な姿勢をも問われるようになってきています。その一つの表れが「病院機能評価」です。これは、第三者によって、安全や患者サービスといった様々な面から病院が評価を受けるもので、大学病院もこれを避けて通れない状況になってきています。
この機能評価にある基準をクリアするためには、病院の職員一人一人が病院のことを考えないといけないわけですが、大学病院では、上に書いたような事情で、なかなか難しいところがあります。
大学病院の職員、特に医師が病院のことを考えにくい理由はそれだけではありません。大学に勤める医師は、一方ではすべて研究者として扱われますので、その評価は論文の数と質ということになります。一方で、病院としての医療サービスの質の向上を求めながら、また一方では論文をしっかり書けという。そこにまた、大学本来の使命である医学教育が入ってくるわけですから、これはもう、一人の人間がなせる業ではありません。これらがこなせる数少ない方は教授として最後まで残れますが、そうでない人間は、診療と、自分の身を維持する(少しでも論文を書く)ことに精一杯で、とても病院全体のことなど考えることはできません。
では、大学病院はこのままでいいのか? これを打開するためには、研究者と臨床医とをはっきり分離しなくてはなりません。このことは既に文科省などでも認識されており、実際に大学病院のスタッフを研究職から分けようという取り組みはなされています。しかし、診療面での評価方法が確立していないために、大学病院所属の医師も、未だに論文で評価されているのが現状です。診療した患者さんの数やその満足度、地域医療機関からの紹介数など、いくらでも尺度はあると思うので、ぜひとも早く、大学病院はどうあるべきかを考えることができる医師が、落ち着いて仕事ができる環境にしていただきたいなと思います。
 新しい形の遠隔医療 2004.12.5
テレビ電話機能付きの携帯電話を使った遠隔医療を、試験的に開始するという発表を、現在の職場で行いました。これは、FOMAで代表されるテレビ電話携帯を患者さんに使っていただき、送られてくる映像を見ながら、大学病院などの専門医が必要な指導を行うものです。
遠隔医療については、前の職場でも色々とやりましたが、電話回線やインターネット回線を使ってレントゲン写真を送るタイプのものが主でした。パソコンにテレビ会議機能が付いたものも使ってみましたが、ISDNの通信速度(64Kbps)では、映像がぎくしゃくして、とても使い物にならないという印象がありました。
そんなわけで、今の職場に映ってから、FOMAで遠隔医療を、という話が出ても、そんなに使えないのでは、と密かに思っていました。ところが、ところがです、実際にFOMAの画面を見てみると、なかなかきれいなのです。手ぶれさえしなければ、相手の表情の変化くらいは十分に読み取れるのです。
これは一体どういうわけだろうと考えました。通信速度は前に使ったパソコンと変わらないのに... で、ハタと気付きました。カメラが違うのです。5年くらい前にパソコンのテレビ会議システムに付いていたCCDカメラの画素数は、高々10万くらいだったのです。ところが、何と、今の携帯電話に付いているCCDカメラは、ご存じのように200万画素くらいあるのです! 画素数以外にも技術革新はあるのでしょうが、単純に考えても、このカメラの違いは大きいですよね。
テレビには、退院して県北に住んでいる双子のベビーちゃんと、そのお母さんに出演願いました。ベビーちゃんの表情がテレビ画面を通してでも、かなり鮮明に映し出されていたことが、後でビデオを見てわかりました。また、テレビ局の記者が、FOMAを通じて直接お母さんにインタビューする場面もあったのですが、「直接子供を映して見てもらうことができるので、音声だけの電話よりははるかに役に立つし、安心感もある」と期待通りの答えをして下さったので、スタッフはホッと一息。
今後は、在宅医療をしている患者さんやその家族の方に、在宅医療機器や医療材料の使い方を指導する時などにも使って行きたいと考えています。
これを機会に自分もFOMAに替えようかと考えたのですが、ショップで価格を見ると新機種はまだまだ高くて...もう少しPHSのお世話になりそうです。
 医学教育と医療現場とのギャップ 2004.12.13
今朝の通勤電車の中で、元の職場の元病院長と一緒になり、1時間ほどお話しをする機会がありました。話は電子カルテの話題になり、その先生が今お勤めになっている病院でも最近電子カルテを導入されたということでした。
で、使い勝手はどうですか、ということになるのですが、慣れるまでは(あるいは慣れても)、紙に比べてカルテの記載に時間がかかる。そうするとどうなるかというと、記載を簡略化しようとする。患者様の訴えや経過を端折って書こうとする。病棟はまだしも、外来では特にそうですよね。
更に時間を短縮しようとすると、あらかじめ一定の質問事項を並べたフォームを作っておき、それを埋めてゆくようにする。もちろん、自由に書けるスペースは作っておきますから、そこを利用すればフォームにない事項も記載は可能です。が、横着をすると、穴埋めに終始してしまう。
これは、今の医学教育と全く反対の路線なんですよね。医学教育では、「医療面接」を重視し、私たちも模擬患者さん達にご協力願って、学生のコミュニケーション能力をアップしようと懸命の努力をしています。その中では、「開かれた質問」をし、まずは患者様にできるだけ自由にお話しいただくことを原則としています。「開かれた質問」とは、こうですか、ああですか、という、yes/no で答える質問ではなく、「どのようですか」、「もう少し詳しくお話し下さい」などと、より多くの情報を引き出す質問のことをいいます。
情報が多いのはいいのですが、これを電子カルテで入力しようとすると、たいへん骨が折れますし、時間もかかってしまいます。せっかく学生の時にしっかりお話を聴く姿勢ができても、現場に出ると時間と制約に追われて、通り一遍のことしか聞かなくなってしまうのでは、何のためのコミュニケーション教育かわかりませんね。
この解決策は何なのでしょう? カルテの記載に音声入力を取り入れるなど、いくつかの候補はありますが、まだまだ精度は高くありません。皆様もいい知恵があればぜひお貸し下さい。
 歩道はやっぱり歩くところ? 2004.12.21
転勤してから自転車に乗る機会が増えました。駅からバスが基本なのですが、朝早くからあるミーティングの時はバスでは間に合わないので、一つ前の駅で降りて自転車を飛ばします。また、昼休みなどにちょっと出かけるときも自転車です。
久々に街を自転車で走ってみて気が付くのは、歩道は決して自転車に優しくないということです。第一に狭いところが多いし、広いところではタイル模様になっていたりして、振動が激しいこと。自分が車に乗っていて、自転車が車道を走っているのを見ると、とっても危なっかしく感じ、何で歩道を走らないんだ!! って思うのですが、自転車に乗ってみると、車道を走りたくなる気持ちがとてもよくわかります。
人通りが多い時間帯では、人と対向の自転車をかわすのにもテクニックが要ります。特に対向してくる自転車は右か、左か、どちら側にかわすかという一瞬の判断が極めて重要です。その点、私などはまだまだアマチュアといえましょう。下手をすると自転車どうしが正面衝突! これはちょいとかっこわるいので、何としても避けなければなりませんね。
日本の歩道は自転車が走るようにはできていないということが、この4ヶ月でよくわかりました。もっとも、これは自治体によって違うのかもしれませんので、うちの県(市町村)は違うぞー! というところがあればお知らせ下さい。
 一人きりのX'masイブにもちょっといいことが 2004.12.26
25日は世の中はクリスマスだというのに、何の因果か医学教育関係の仕事が福岡県の久留米市内であり、前日、すなわちクリスマスイブの日から出かけていました。
途中、博多で用事があったので、途中下車をして街中へ。時は夕暮れ時で、一番にぎわう時刻です。当然、カップルの姿が目立つわけですが、私は重い旅行鞄を抱えて一人でウロウロ。
久留米に行くのには少し早かったので、足は自然と近くで目に付いた大型電気店に。雑念を振り払うために、ひたすらマニアックな世界に入り込んでいました。最近、小型のMP3プレーヤに興味を持っていたのですが、ここの店には目移りするほどたくさんの機種が揃っていて、パンフレットもほぼ全機種ありました。今の居住地の家電店にはこれらの情報はほとんどなかったので、さすが博多! とそれだけでも満足して店を出たのですが... 
西鉄の駅に向かっていると、何やら歌声が。ちょっと期待して、人だまりの方向に歩いて行くと...やっていました、クリスマスイブコンサート。男ばかりのゴスペルステージ。出演者は、もしかしてゴスペラーズ? と思ったのですが、何とスターダスト・レビューでした。私、恥ずかしながら生のスタレビを見たのは初めてだったので、ちょっと感激。
翌日博多でステージがあったようなのですが、前日の24日夜は、地元放送局主催のチャリティコンサートだったのです。ラッキー!と思ったのもつかの間、プログラムは既に終盤で、まさに最後の曲が始まろうとしていたところでした。こんなことならもっと早く電気店を出ていればよかった、と悔やんだのですが、それでも、素晴らしいアカペラで、アメイジンググレイスを聴くことができたのは、一人寂しくしている私への、神様の粋なお計らいなんでしょうね。温かな心を抱いて久留米に向かうことができました。

久留米に着いて家に電話をすると、小学生の娘が、今年はサンタさんが来ないかもしれない、と心細い声で言うのです。昨年辺りまでは、結構本気でサンタさんの存在を信じていたようですが、今年はさすがに友達に「いい加減に目を覚ましたら」と言われて、なるほど、部屋には煙突もないし入ってくる所がない。では、サンタさんはお父さんに違いないというのです。なぜお母さんではなくお父さんなのか。お母さんは朝までぐっすり眠っていて起きないので、プレゼントを枕元に置くことなんてできないというのです。これは、なかなかに鋭い観察眼なのですが、奥方の名誉のために言いますと、お母さんサンタさんもイブの夜くらいは起きているのですよね。
で、今回はどんなプレゼントが欲しかったかというと、子供用の化粧品で、それを直接販売している所は全国でも数カ所しかないんです。博多にもなく、熊本のデパートにはある。そこで、始めは久留米を通り越して熊本まで足を伸ばそうかと言っていたのですが、ちょっと時間的余裕がなかったので、サンタさんに期待してみようということになりました。実際は、通販で手に入り、24日中に届くことがわかったので、そのような話にしたわけですけどね。
娘は、お父さんがいないので、サンタさんが来ないかもしれないと不安に思っていたらしく、電話で、サンタさんが来なければ熊本まで行ってもらわなければ、と言うのです。グッと言葉に詰まりましたが、ま、まあ、明日の朝まで待ってみたら、とごまかして、電話を切った次第。翌日娘から熊本へ行って欲しいという電話はかからなかったので、ことの顛末はおわかりですよね。
これで、娘のサンタ像はいったいどのようになったのでしょうか。お母さんが信用を回復したということなのでしょうね、きっと。
 新たな年になりました 2005.1.1
皆様、新年おめでとうございます。
昨年は本当に災害の多い年で、普段は渇水の心配が絶えない私の住む県も、昨年は襲来する台風ごとに別の地域が水害に見舞われました。水を確保する対策はしていても、水があふれる対策はほとんどできていなかったので、被害が大きくなってしまいました。年間のスマトラ沖地震による大津波も驚きでした。地震情報の伝達の遅れが指摘されていますが、あのように陸の奥まで水が押し寄せたのでは、たとえ情報が入っていたとしても、逃げ場が少なかったようにも思えます。改めて自然の驚異、特に水の力のもの凄さを思い知らされた一年でした。

お正月の風景は、私達が小さい頃(40?年前ですが)とは様変わりしていますね。
私は小学生の頃は、夏休み・冬休み共に、兵庫県西部に一人で住んでいた祖母の所に帰って、そこで過ごしていました。お正月も私が一足先に帰って、年末ぎりぎりに両親と弟がやって来るという段取りでした。おせちの準備も手伝ったり(途中からだし巻きが私のミッションとなりました)、お仏壇の掃除をしたり。この、お仏壇の一部の金物を分解して、磨いて、また組み立てるというのも、私の重要なミッションでした。
その頃は、三が日の間はお店が休んでしまうので、おせちを作って3日分の食料を蓄えておかなければならなかったのですね。ところが最近では、2日には店が開くようになり、またこの頃では元旦から店開きするところが増えたので、おせちの意義も変わってきましたね。デパ地下や大手スーパーに行くと、ほとんどのパーツが揃っているので、詰めるだけでできてしまいます。うちもたくさんは用意せず、1日半ももてばいいか、という状況です。
これに対して、歳月が経ってもあまり変わらないのは初詣風景ですね。幸いにことに(?)、昨日から雪模様となり、冬らしい寒さがやって来ました。凍えるような寒さの中で、手を摺り合わせながらお参りすると、何だかいいことがやって来るような気持ちになれるから不思議です。

今年をどんな年にするか、どんな年になるか。 「するか」ということは、自分の意志である程度コントロールできますが、「なるか」ということについては、他力本願的なところがあり、特に自然災害については、昨年のようなことがありませんように、と祈るほかありません。人々の祈りが通じて、何とか穏やかな一年であって欲しいと思います。
 10万回アクセス記念に書き込みのページを 2005.1.19
設置しました。
最近更新がままならず、新たな情報発信があまりできないままで経過していたのですが、それにもかかわらず、よくアクセスしていただき、皆様ありがとうございます。新たに来ていただいた方からもメールをいただいたりして、密かに感激しています。
これまでは、できるだけ私のお話に耳を傾けていただきたかったので、書き込みのページは用意していませんでしたが、よく考えてみると、メールアドレスをお持ちでない方は、当サイトへのメールも送れないわけですから、書き込みのページがあった方が、気楽にご意見やご経験を投稿していただけると気付きました。
本日ようやく10万回に到達しましたので、お約束通り書き込みのページを設置します。ご自身の経験や今の気持ちなど、他の方に聞いていただいてもいいような内容を書き込んで下さい。

多くの方の眼にふれたくないような内容は、これまでどおりメールでかまいません。
 老年医療の講演に感激! 2005.2.6
先週末に、仙台で行われた第9回日本心療内科学会に参加しました。仕事の都合で、2日間ある学会のうち、2日目しか参加できませんでしたが、2日目の教育講演「高齢者のからだとこころのクロストーク」には感激しました。
東北大学医学部;老年・呼吸器病態学分野の教授であった佐々木英忠先生の講演でした。佐々木先生は元は呼吸器がご専門であったことは知っていたのですが、老年医学の方に移られてからは、どのようなお仕事をされているのか全く認識していませんでした。
開口一番、「お年寄りが長生きすると医療費が余計かかると言われているけど、それは間違いである」、とデータを示して力説されました。むしろ長生きした方が医療費がかからないというのです。これには、早くに寝たきりになると寝たきりになる期間が長くなる、という事実も関係しているようです。したがって、元気で(寝たきりにならないようにして)長生きしていただくことが必要であるというご主張でした。
佐々木先生は元々呼吸器がご専門ですから、老人性肺炎についての研究を多く紹介されていました。その中で一つ驚き、感心してしまった研究がありました。高齢になると、異物が気道に入った時に起こるはずの咳反射が弱くなるのです。そのために紛れ込んだ細菌を咳で追い出すことができずに肺炎を引き起こしやすくなります。ここまでは誰でも知っています。
ここからがギョッといったのですが、降圧薬の中にACE阻害薬という分類の薬があります。この薬剤には咳が出やすくなるという副作用があることはよく知られています。一般的にはこの副作用のために使うことができる患者さんが限定されるのですが、佐々木先生らはこの副作用を逆手にとって、咳反射が弱まっている高齢者に服用してもらうことで、咳が出やすくなることを期待したのです。で、その効果をきっちりと検証して、実際にも効果があるということを、英語の論文にまとめられていて、その点にも感心させられました。
もう一点は、これは呼吸器には関係ないのですが、高齢者の異常行動に、漢方薬の一つである、「抑肝散」という薬剤が効くということ。精神科的な薬剤を使うとどうしても副作用が気になるのですが、漢方薬はこの点は懸念が少ないのです。「抑肝散」そのものは、私も最近愛用しているお薬ですが、このような使い方はしていなかったので、今後試みてみようと考えています。
さらに、早期に痴呆に至るアルツハイマー病についても、新たな治療薬、それも、既に別の目的で使われていた薬剤が効果がある、というお話しもあり、これもまた驚き。
何かの機会があれば、ぜひ近くに来ていただいて、もう一度お話しを聞かせていただきたいと、切に感じ入りました。
この学会ではもう一つ記念すべきことがありました。それは、学会長である東北大学総合診療部教授、本郷道夫先生が、初日に行われた会長講演の中で、私が昨年日本心身医学会総会で報告したデータを引用して下さったことです。私は初日には参加できなかったので、直接には会長講演をお聴きできなかったのですが、私の集めた数値が再び日の目を見ることができ、本郷会長には深く感謝しています。
 メールの返事を出していますか? 2005.2.27
ついこの前、年が新たになったと思ったら、もう明日は2月の最終日ですね。
私は6ヶ月というとてつもなく高額な定期を買って、JR通勤しているのですが、その定期が明日で切れるのです。月末まであるからまだ大丈夫と思っていたら、2月は28日までなので、かなり焦って、今日あわてて買いに行きました。6ヶ月といっても、2月は通常の月に比べると2,3日少ないのだから、ここで切れると何だか損をしたような気になります。しかし、よく考えると、どこで始まっても終わっても一緒なのですよね。次の定期は8月31日までなので、気持ち的には少し得をしたように思えますが、結局の所、30日X6ヶ月分有効なわけではないのです。
さて、細かい話はおしまいにして本論です。電子メールはこのところ急速な普及をしていますが、皆様は、どこでやりとりを終えていますか? 郵便と違って簡単にやりとりができるため、行き来の区切りをどこでつけたらいいのか、悩むことはないでしょうか。一時、うちの息子が一人の相手と際限なく携帯のメールでやりとりをしているので、いつまで続けるん? と尋ねたら、「だって来るんだから」、という回答。正直者の息子はこちらから止めることができなかったのですね。最近は少し賢くなって、さすがにそのような事態は避けられているようです。
今日言いたいのはその反対で、要求に応じてメールを出しても着いたという返事が来ないこと。特に大学の事務官に多いのですが、〜〜の書類をメールで送ってほしいという依頼があり、その通りに送っても、届いたというレスがあることは極めて珍しいのです。送り先さえ間違わなければたいていはちゃんと届いているので、別にレスしなくても、という気持ちもあるかもしれません。が、面倒なことを書かなくても、「確かに受領しました」、だけでもいいから返してくれると、送った方としては大変安心するし、人間関係も向上するのではないでしょうか。   もっとも、人間関係を向上させようとする気持ちのない輩には、そのような発想すら浮かばないかもしれませんね。人事考課をするなら、このような観点も評価項目に入れてほしいな、と思ってしまう今日この頃です。
 夢は語るもの ー選抜高校野球開幕ー 2005.3.22
いよいよ明日から春の選抜高校野球が開幕します。何がいよいよなのかというと、今年は格別な理由があるからなのです。
長男が小学校の頃野球をしていて、これについては、お父さん方の忘年会の様子など、ここでも書かせて頂きました。その時に監督をしていただいていた方が、「このメンバー(1学年で18人もいたのですが)で○○高校に行って、甲子園を目指す」と、事あるごとに言っていたのです。○○高校は文武両道とはいえ、進学校で、まあ、おそらく誰もそんな、甲子園に行けるなどとは思ってもいなかったでしょうね。大風呂敷を広げていた本人ですら、本気で思っていたかどうか...
それがなんと、全員がその高校に進学して野球を続けているわけではないのですが、小学校のチームメイト4人、中学校のチームメイト5人を含む高校チームが、「21世紀枠」で、甲子園に出場することになってしまったのです。
その手があったか!! そうなんです、そんな手があったのです。もちろん、全く力がなければこの枠にも引っかかりません。作秋の県大会で、甲子園常連校、尽誠学園を破って、堂々の準優勝。四国大会では、愛媛県の強豪校に負けたものの、着実に力を付けていたのですね。
で、「夢は語るもの」なのです。 不言実行、が日本男児の行動規範のように思われています(今は違うかもしれない)が、やはり、夢を語り、周囲を巻き込んで、それに向かって邁進するということが大切なんだと、この度は感慨を新たにしました。
長男は高校に入ってテニスに鞍替えし、第一線の日はその試合があるようなので応援に行けず、私も仕事の都合があって、甲子園で一緒に燃焼するわけにはゆきませんが、テレビを観ながら、心の中で声を涸らして応援したいと思っています。第一線は強豪ですが、もし勝ってくれたら、二戦目は甲子園に駆けつけることができるかも。 期待してます!!

夢よもう一度 −選抜高校野球閉幕−                 2005.4.4
21世紀枠で出場が叶った春の甲子園も、イチローの母校の優勝で幕を閉じました。一回戦突破はならず、結局甲子園にも応援に行けなかったのですが、夏にもう一度楽しみを残してくれました。(選手の父兄達には、春の四国大会という楽しみもあるようですが、それにはS高校との代表戦に勝たなければなりません) 
地区大会の予選は、甲子園よりは身近なので、休みに試合があれば応援に行きやすく、結構盛り上がるのです。県代表とまでは望みませんが、できるだけ勝ち進んで、我々にも球場で応援の機会を一つでも多く与えてほしいと思います。関係者の方々、お疲れさまでした。

(事後談:このあと、応援団が最優秀応援賞をいただきました。)

 今年は桜が鮮やかでした 2005.4.17
今年の春先はいつになく気温の上下が大きく、3月末になってもまだコートが手放せませんでした。春は何時まで待てば...と思っていたら、4月に入った途端に気温が急上昇し、桜が一気に開花しました。心構えの出来ていなかった私は、もう、オロオロするばかり。
とはいっても、特にお花見に行く計画はなかったのですが、やはり桜が咲く時には心構えが要りますよね。 ってこんなこと思うのは私だけでしょうか。満開になって数日で無情の雨にたたられたので、鑑賞期間はほんの数日でした。それも、立ち止まって見る機会には恵まれず、ほとんどが、車や列車の車窓からという いささか寂しい桜との対面でありました。
今年のように寒暖の差が大きいと(ある時は翌日の最高気温が、半分以下という日すらありました)、体調を崩す方が少なくありません。特に気持ちの上で新たな負担もないのに、精神的に不調になる方も、例年よりは多そうに思えます。これからは5月病の季節。周囲の方にもよく目配りをして、早めに体調不良を発見するようにしたいものです。

<この頃ちょっとばかり腹の立つこと>
私は滅多に腹を立てないのですが、最近2つばかり許し難い出来事があります。
1)国家公務員の給与5%カット:これまでも、人事院勧告は3年ほど前から2年連続でマイナスで、昨年はようやくほんの少しばかりプラスになったばかりです。それが、今年は5%も下がるというのです。これはこれまでにない大きな下げ幅。旧国立大学の職員である我々も、独立法人になったとはいえ給与面では同じ体系ですから、当然同様の措置となります。景気の低迷に合わせ、一般企業との格差是正のための措置ということですが、これを決めた中央官庁の官僚は、調整手当で下がらずにすむそうです。で、割を食うのは我々地方にいる公務員。確かに東京は住居費も高いかもしれませんが、果たして5%もの調整が必要なんだろうか? 決めた人間も同じように減給になるのなら大人しく従いましょう。でも、自分たちは変わらずに地方にしわ寄せを持って来るというやり方はどうなんでしょうか。地方の国家公務員はもっと憤りを感じてもいいと思うのですが、皆さん上品で大人しいのです。
2)中国での反日デモ:私もまだ準公務員という立場なので、政治的な内容を書くわけにはゆきません(もっとも元々たいした主張があるわけではないのですが)。でも、テレビの画面の向こうで日の丸が切り裂かれたり、燃やされたり、あるいは日本料理店が攻撃されたりするのを見ているのは、正直良い気分ではありません。日本で同じことをすると、きっと中国ではそれ以上の示威行動をすると思われるのですが、日本人は今回の反日デモに対しても驚くほど穏やかです。かくいう私も、ここでこの程度のことを書くしかできないのですが、日本人が辛抱強いのか、政府の対応に期待しているのか、あるいは特に若い世代の人はあまり関心がないのか。私としては、日本人はより成熟した大人の集団であると信じたいのですが、いかがなものでしょうか。
 大型ショッピングセンター詣では1日がかり 2005.5.4
皆様、ゴールデンウィークはどのようにおすごしですか。 私の連休は、上司からの1本の電話で始まりました。明日から連休という28日の夕方、上司から、「...の研究助成金の締め切りが迫っているんだけど、そのことは知っているかな」という電話。これは、ローカルな研究助成金で、転勤後1年を経過していない私は、まだほとんど把握していませんでした。しかし、上司は知らなかった事に対しても若干ご不満げな様子で、とにかく書いてみてくれ、というご指示。私はあわてて、ホームページを見て申請用紙をダウンロード。幸い、ボリュームはさほどなかったので、1時間くらいで何とか体裁を整えて、上司にメールで送信。いつもレスポンスが早い上司のこと、きっと反応があると思い午後9時前までパソコンの前で待っていましたが、返事はなし。その日は思い切って帰宅しました。
翌29日も連絡はなく、30日土曜日の午後になって、赤字が山のように入った申請書が返ってきました。具体性が足りないので、再考するようにとのお達し。それはそうですよね、まだほとんど具体的になっていない内容を、しかも1時間ほどで作文したのですから無理もありません。
助成額も少なく、しかも地域的な助成金だったので、それほど報告のことは意識していなかったのですが、ここで改めて募集要項を見ると、ちゃんと報告書を作るよう書かれてある。これはマズイ。確かにこの内容では報告できそうになかったので、急遽報告ができそうな内容に変更して書き直し、再度送信。同日夜になって、この方がいいですねという連絡あり。手直しをせずに済むのかと期待していたのですが...甘かった。
翌5月1日は、娘の服を買いに行くとのことで、市内郊外の大型ショッピングセンターへ。ここは、市のやや南部にあるため、市外からのアクセスも良く、休日はいつも駐車場が満車状態です。特にこの日は朝から雨模様でしたので、普段以上の人出が予想されました。そこで、10時開店に極力遅れないようにと家を出たのですが、センターに近づくと少し手前から既に道が混み合っていました。こ、これは、思ったより出足が早い、地下駐車場に入れるだろうか、と不安な面持ちでノロノロと車を進めましたが、辛抱の甲斐あり、10時20分頃に地下のスペースに駐車することができました。
さあ、それからがまた辛抱の時間帯です。皆様も経験がおありかと思いますが、女の人の買い物、特に衣類を選ぶのには時間がかかる。これは中学生の娘でも同じようで、同じ所をグルグル巡ること1時間半。ようやく決まったため、とりあえずお昼ご飯。早めにレストランエリアに行ったつもりですが、既にどこも行列ができています。で、いつもと変わらないなあと思いながらも回転の速いうどん店へ。これは期待通りでしたね。注文してから届くのもなかなか早かった。
で、午後の部です。この買い物に付き合ったのは、自分としても目的があったのです。久々にジーンズを買おう! 前に来た時も売り場を見たのですが、種類が余りに多くて、その時はくじけてしまったのです。今日こそは粘って選ぶぞ!! 午前中に妻子の目を盗んで下見をしておき、幾つか候補を選び、奥方に提示。「サイズがよくわからないんだけど」、「とにかくはいてみたら」、「はけるよ」、「いいんちゃうん」、で即決。5分もかかりませんでした。女の人の買い物に比べたら実にあっさりしたものです。
その後は娘の希望でアクセサリー売り場を巡って、夜の食材を買って、ショッピングセンターを出たのは、午後2時を過ぎていました。しかし、駐車場を出ると、まだまだ中に入ろうとする車の長蛇の列。今頃来てもいつ入れるかわからないよねー、とささやかな優越感に浸りながら帰路についたのでした。
心地よい(?)疲れと共に帰宅して、恐る恐るメールを開くと...果たして申請書の修正版メールが届いていました。が、幸いなことに修正部分が少なかったので、このあと何回かやりとりをして無事一件落着。所用時間はともかく、頭の中では仕事のことが半分くらいを占めた連休前半でした。が、私の上司は休日にもかかわらず職場からメールをを出されていたようで、相変わらず超ご多忙なようです。連休の後半は少しでもお休みになれていればいいのですが。
 ご当地小説 2005.5.29
ご当地ソング、という言葉はありますが、ご当地小説、という言葉があるかどうかわかりません。でも、色々な小説を読んでいると、ある土地の様子が非常に鮮明に描かれていて、驚かされることがあります。有名なものでは、村上春樹さんの「海辺のカフカ」に香川県、そして高松市が出てきます。このことは出版された当時、特に地元では話題になったそうですが、私は文庫本になったものを読むまでは知りませんでした。ただ、高松市は出てくるものの、土地の詳細はぼかしてあるし、舞台の一つである私的図書館も架空のものなので、ちょっとリアリティには乏しかったですかね。
以前読んだ作品(すみません、作品名を忘れました)には、かつて住んだことがある東京都の小平市が出てきました。こちらのほうは超リアルで、小平駅周辺の道路の描写も実際そのままで、しかも、実在する製パン工場が名前を変えて出てきたので、ここまで書いていいの、って感じでしたね。
多くの場合、その作家の出身地周辺がよく出てきます。一時入れ込んだ森 博嗣さん(すべてがFになるなど多数)は名古屋が舞台。最近気に入って続けて読んだ雫井脩介さん(火の粉、虚貌など)は愛知県出身で、やはり愛知や岐阜が出てきます。今読んでいる高村 薫さんの「李歐」という小説には、大阪市北部の「十三」という地名が出てきます。ここは、私が幼少時を過ごした大阪府豊中市南部の町から近く、時々映画や100円寿司を食べに行った所でしたので、とても懐かしくその地名を心に刻みました。そう言えば映画の「モスラ」を観たのも十三の映画館でした。
JRで通勤するようになってから、本をよく読むようになりました。通勤だけでなく、東京の出張が飛行機でなく新幹線になったものですから、よけい文庫本の需要が高まっているのです。最近凄いと思ったのは、何と言っても、「ローレライ」、「亡国のイージス」の福井晴敏さんです。新幹線で東京までは3時間半余りなので、長編小説はとてもありがたいのです。長編というだけでなく、その仕掛けと、私より13歳も若いのに、戦争に対する考察が実に鋭く深い。いやあ、もう感服です。どうしたらあんな小説が書けるのか。ちなみに、雫井脩介さんも福井さんと同い年で、文庫版「虚貌」の解説は福井さんが書かれていました。この若手作家達には今後もぜひがんばって欲しいですね。映画のロ−レライは見逃してしまったので、亡国のイージスはぜひとも観に行きたいものです。
 種蒔きの時期 2005.7.17
四国地方はついに梅雨が明けてしまいました。7月に入ってからの降雨でダムの水位が50%過ぎまで回復し、何とか断水の危機は先延ばしになっています。しかし、このまま雨が降らないと、8月中旬にはまたダムが干上がる可能性が大だそうです。ようやく姿を現した台風も西に向かっているようですし...
11年前の大渇水は、それは大変でした。夜間断水なんて生やさしいものではないのです。何しろ、午後4時から9時までの5時間しか水が出ないのです。風呂に入るためには水が出ている時間帯の帰宅は必須ですし、一番困ったのは水洗トイレでしたね。細かなことは記憶の彼方に沈もうとしていますが、完全断水の恐怖におののいていた頃、「恵みの台風」が来て、ようやく断水が解消したことはよく覚えています。
11年前というと、前の職場に勤め始めて2年余り経った頃でした。まだ自分の方向性もわからず、じたばたしていた頃だったように思います。今回も、昨年9月に職場を替わって10ヶ月経った時期に当たります。昨年の今頃は12年余りの荷物の整理に追われていました。
転勤初期のことは少しだけ書きましたが、その後のことはお知らせできていませんでした。私にとっては母校に勤めることになったわけですが、なにしろ卒業後初めての勤務でしたので、何かとわからないことだらけでした。昼ご飯の食べ方(食堂のしきたり)すら理解するのに時間がかかったことは前にも書きました。廊下を通り過ぎてゆく人たちが99%知らない人、という環境もなかなか息苦しいものがあります。しばらくは肩こりの増悪が悩みの種でしたね。
幸いだったことは、前の職場で遠隔医療に携わっていたため、今の職場での遠隔医療の取り組みに早速参画させていただけたことです。このおかげで、関連学科の先生方とも交流ができ、仕事の輪が拡大しました。また、他大学の先生との音楽療法のプロジェクトも立ち上げることができ、現在進行中です。
今年の五月初め頃、GWが終わった後は、自分としては珍しくちょっとばかしブルーな時期がありました。五月病ってこんなことをいうんだなあと、妙に納得してみたり。この先今の職場で続けて行けるかなあと、やや悲観的な思考が続いた時期でした。職場を替わって未だめぼしい成果が上げられていないことに対する焦りやいらだちがあったように思います。でも、考えてみれば移ってまだ1年も経っておらず、今は種蒔きの時期と考えることで、何とか精神の安定を取り戻したように思います。9月で1周年を迎えますので、そろそろ何らかの成果を求められる時期です。9月病にならないようにがんばらねば。
 夏休み 2005.8.14
8月も半ばを迎えましたが、相変わらず厳しい暑さが続いています。暑いだけならいいのですが、香川県は水不足が深刻で、水瓶である早明浦ダム(高知県にあります)の水位がついに10%tなり、近々夜間断水が避けられない状況になってきました。夜間というのは、当面は午後11時から午前5時までだそうです。これならあまり生活に影響がなさそうにみえますが、午後11時というのは、うちではまだみんなが風呂に入り切れていない時間帯なのです。断水になったらさっさと風呂をすましてしまわなければなりません。私も時として帰宅時刻が午後11時前になることがあるのですが、これからはそのようなことは断固避けなければなりません(キッパリ)。あと困るのは夜間のトイレです。こんなとき水洗トイレは不便ですね。暑いからといって水分を摂りすぎないようにして、11時を過ぎたら寝てしまうのが得策かもしれません。しかし、これからは子どもの夏休みの宿題の仕上げが待ち構えていますので、それもままならないかもしれないのです。どうか、早めに雨台風が一つでいいからやって来てくれますように(いつもながら勝手なお願いです)。
昨日は土曜日でした。普段は外の医療機関で診療をさせてもらっているので家にはいないのですが、昨日はそこもお盆休みで、強制的に夏休みとなってしまいました。で、何をしていたかといえば、娘の宿題のお手伝い。1日中一歩も家から出ないで、ひたすらワークブックの仕上げを「手伝って」いました。
夜は年に一度の花火大会。うちの住み家は海岸沿いにあり、ほんの少し足を伸ばせば、やや遠景ながら人混みに紛れなくても花火鑑賞ができるのです。缶ビール片手に気軽に夏の夜空の大輪の花を堪能することも可能なのです。しかし、今年は、それさえも横着をして、ケーブルテレビで放映されている花火を見て室内で過ごしました。映像はリアルタイムで届くのですが、音は少し遅れて直に届いてくるので、まるで外で見ているような実感があります。大きな玉が上がると、窓を振るわせるくらいの音が聞こえてくるので、なかなかリアルです。涼しいところで寝ころんで絵は見られるし、音は体感できるし、これは来年からも病みつきになるかもしれません。
一夜明けた今日もほとんどは宿題のお手伝い続き。今日はちょっと近くの書店を冷やかしに行ったので、少し息抜きはできたのですが。
さ、明日からは8月も後半。今年は今月後半に世界心身医学会議が国内(神戸)であって参加するため、これからも忙しい日々が続きそうです。まだまだ暑い日からは解放されないようですので、水分と休みとをうまく取って、体調を崩さないように気をつけましょうね。
 秋の夜長  2005.10.2
たまらなく暑かった夏も過ぎ、残暑も思いの外短く(今日は想定外に暑かったのですが)、秋の夜長と呼べる季節がやってきました。皆様はこの時期をいかがお過ごしですか。この時期、食欲の秋でしょうか、それとも読書の秋? 
通常は1日2時間のJR通勤時間があるので、この時間帯用に文庫本を用意しておきます。懐に余裕があれば書店で買い求め、なければ職場にある患者さん用の図書室で借りて、時間をもて余すことがないようにしておきます。
で、どんな本を読むかですが、恋愛小説は今更気恥ずかしいし、たいていは推理小説か事件ものになってしまいます。一人の作家が気に入れば、その作家の作品を渡り歩く方なのですが、最近はできるだけ自分にとって目新しい作家の作品を選ぶようにしています。主にはタイトルと、裏のあらすじ、そして本の厚さ(そこそこ厚いもの)を基準にして選ぶのですが、これがなかなか難しい。でも、幸いなことに、今の所大外れはありません。さらに、翻訳物も範疇に入れるようにしています。翻訳物はさらに選ぶのが難しく、しかも少しばかり高いのですが、世界の色々な所に連れて行ってくれるので、なかなか捨てがたいものがあります。
奥方には内緒なのですが、先日は発作的に一度に4冊もまとめて買い込んでしまいました。しかし、秋の夜長は罪なもので、面白ければ、通勤用に買ったものを、そうでない時に読んでしまうのです。これは通勤用、と言い聞かせても無理な時がありますね。それはまあ、作品の持つ魅力なのですから仕方ないのですけどね。ちなみに、4冊は既にあと2冊になろうという勢いです。ですが、そのうち1冊には京極夏彦さんの作品が含まれているので、かなりしばらくは大丈夫そうです。
秋の夜長は読書ばかりをして過ごすわけにはゆきません。この時期は来年度の研究費の申請時期なので、読むばかりでなく、書くことにも勤しまなければなりません。これがまた苦手なものですから、この時期は1年で一番プレッシャーがかかる時期です。そんなわけで、10月一杯は作文に取り組んで過ごすことになりそうです。勤務先が変わって減った体重が更に減るという事態に至るでしょうか。回答は11月の更新をお楽しみに。
 忙しかった!! 2005.12.4
前回、11月の更新と書きましたが、予定を若干超過して、12月に入っての更新となりました。
いやあ、この2ヶ月間は予想通りというか、飛び入りの用事ができたりして、予想を上回る忙しさでした。 少し、日付を追って、振り返ってみたいと思います。
前回更新時点での課題は、@科学研究費申請書類作成(学内締め切り10/25)、A総務省の研究資金申請書作成(締め切り11/2)、B日本心身医学会地方会(11/5開催)の準備、C日本心療内科学会学術講習会(11/27開催)の準備でした。その直後に、自治体交流ということで、岡山県の情報政策を視察するためにイギリスから団体さんがやって来るので、11月25日に、岡山大学の遠隔医療を見学させて欲しいというお話が飛び込んできました。日本人なら何とでもなるのですが、英国人となると、少しは英語で資料やプレゼンの準備をしなくてはなりません。日にちはCの直前で、さあ困った。しかし、県からの依頼ですので、断るわけにはゆきません。課題が5件に増えました。
@の科学研究費(通称科研)申請は、毎年秋に大きく頭を悩ますことの一つなのですが、今年は、幸いにネタがあったので、比較的時間をかけずにクリア。これはなかなか当たらない(採択されない)のですが、オリンピックと同じで(参加することに意義がある)、出すことに意義があります。
これより大変なのが、Aの総務省の競争的研究資金です。これには、現在岡山大学で取り組んでいる、テレビ電話(FOMA)を使った遠隔医療支援を題材にして申請するのですが、昨年も申請して採択されなかったので、今年は内容に工夫が要ります。昨年より更に技術的な点で目新しさを出すために、工学部の先生方とのやりとりを頻回に行って、書類を準備。研究に必要な費用の算出根拠を事細かに書かなければなりません。内容と並んでこれがかなり大変です。
それと平行して、心身医学会地方会の準備です。この時期に行うのは、抄録集の印刷。10月半ばまでには印刷して、座長や役員に送らなければなりません。それと、10月末には会場の準備のことを考えなければなりません。
総務省の申請書類が何とか仕上がって、締め切り1日前に電子申請を済ますことができました。さあ、後は心身医学会地方会の当日の準備。11月3日は休日を返上して、会場の張り紙や、受付簿の準備。何しろ、秘書と名が付く人がいませんので、全て自分でやらなくてはなりません。
前日4日には午後から会場の準備をして、夕方から教育講演の講師の先生を空港までお迎えに行こうと思っていたら、総務省の書類で、不備があるとの連絡。研究費の金額の計算が合わないというのです。気は焦りながら電話で担当の方とやりとりすること20分。ようやく内容の理解をして、月曜日の夕方までに再提出すると約束して、一路高松空港へ。教育講演の講師のお一人は、我が国の交流分析の第一人者でいらっしゃる杉田峰康先生です。空港まであと10分くらいという所までたどり着いたところで、何と空港に向かう飛行機が目の前(正確には上方ですね)を横切るではありませんか。あれが予定の便なら到着が早すぎる。どうぞ、違う便でありますようにと祈りながら空港に着いたのですが、やはり早く到着していたようでした。杉田先生をお待たせすること約10分で、無事お迎えを果たすことができました。
さて、心身医学会地方会当日。朝一番はいつものごとく人の入りが今ひとつでしたが、最終的には60名を越える参加者で、教育講演も一般の方を含めて多くの方に聴いて頂くことができました。会計の収支はほぼとんとんというところでした。
Cの講習会は、事前申し込み制で、地方会が終わった時点でほぼ定員に達するくらいの受講申し込みがあったので、これは楽勝と高をくくっていました。ところが、受講料をを当日払いにしていては、ドタキャンが増えるから注意するように、との事務局長からのメッセージ。それから慌てて、受講料の事前振込をお願いするために、FAXとメールを70名余りの先生方に送った次第です。これも、秘書さんがいませんので、3日がかりで自力で対応しました。しかし、これは、事前キャンセルを早めに把握するには非常に効果的で、講習会の数日前には、ほぼ収支の見通しがつきました。結果的には、72名の受講者が全国からおいでになり、狭い会場ではありましたが、熱気あふれる講習会を開催することができました


その前のイギリスからの視察には、遠隔医療のデモを用意するなど、これもそこそこ大変でしたが、岡山大学でやろうとしていることは理解をして頂けたようで、ホッと一安心でした。
27日の講習会が終わって、一息つく間もなく、週の後半は教育関係の会合(東京)に引き続いて、遠隔医療学会の研究会と役員会が、何と群馬県の伊香保で合宿形式であり、それにも出席して、土曜日の夜にようやく高松に帰ってきました。再来年はこの学会を岡山県でお世話することになりそうで、それに備えて他の用事を入れないようにしておかなければなりません。


   (伊香保温泉案内地図)          (上越新幹線)
後は、地方会と講習会の決算報告をして、年賀状を作れば年末が来るのですが、今月の半ばは忘年会オンパレードで、年賀状はやっぱり押し迫ってということになりそうです。
いやあ、久々に長いレポートを書いてしまいました。で、肝腎の体重ですが、残念ながら合宿の効果で、岡山に移ってから減っていた体重が一気に戻ってしまいました。
残念!!
 インフルエンザの季節です 2005.12.31
今年もいよいよ最終日になってしまいました。
インフルエンザの流行が気になるところですが、今年は気象庁も想定外の寒波のためか、既に流行期に入ったという報道が先日ありました。最近はどちらかというと、流行が遅めだったので、ワクチンの接種も12月半ばでもよかった、もっといえば、これからでも間に合ったのですが、今年は早めにすませることが必要だったようです。
インフルエンザの流行期に入るのが早いと、終わるのも早いかというと、そうでもないようです。早く始まると、流行期が延びるのだそうです。しかし、そうすると、早めに打ったワクチンが、今度は切れてしまう可能性があります。有効期限はおおよそ4ヶ月なので、早々と11月初めに打った場合、3月の頭には有効性が下がってきます。うちもそうなのですが、大学受験生を持つ親にとってはちょうど受験の日程と重なり、気が気ではありません。もっとも、流行期間の長さは、今後寒波がどうなってゆくかにもかかってきます。早めに寒波が弛んでくれると、流行期間も短縮されるでしょうから、それを祈るばかりです。
小さいお子さんがいる家庭では、子どもさんが保育所や幼稚園でインフルエンザをもらってきて、それが家族中に広まるということが、よくあります。これは不可抗力かと思っていたのですが、よくよく聞いてみると、親が子どもの食べ残しを食べたり、洗面所のタオルが共用であったり、感染するような状況や環境を作っている場合も少なくなさそうです。
インフルエンザも嘔吐下痢症もそうですが、症状が出る前の潜伏期が一番感染力が強いのです。ですから、症状が出てしまってからあわてて子どもさんと距離を置いても、既に遅く、ウィルスはあなたの体の中に侵入してしまっているのですよ。ですから、この時期は、特に子どもさんのクラスで罹患者が多く出ている際には、子どもの食べ残したものは思いきって捨てて、タオルは別にして、家族内感染を防ぐようにしましょう。もちろん、手洗い、うがいが基本であることは言うまでもありません。冬の寒さに慣れて油断した時が危険ですよ。皆様、健康で良いお年をお迎え下さいね。
 新年おめでとうございます 2006.1.2
これは、本当は昨日書きたかったのです。
昨日は元旦であるにもかかわらず、妻子が、受験生の息子と私とを置き去りにして、宝塚歌劇の正月公演に出かけてしまったのです!! 息子は当然私の相手などしている暇はどこにもありませんから、私は1日暇を持て余す予定だったのです。
しかし、昨日は、何と朝から仕事をしてしまいました。1月半ばにある講義のスライド作りを始めてしまったのです。 おー、新年早々気合いが入っている!! と思われたかもしれませんね。しかし、これは、別に今年一年の気合いを意味するものではなく、暇だったことと、単に気になっていたから取りかかったというだけのことでした。
その証拠に、昼からは届いた年賀状の整理をして、晩ご飯の買い出しに出かけて、後はアルコールのお世話になって、極めて正しい元旦の過ごし方をしました。
さて、新年も2日目になりましたが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。私は、2回前にも書いたように、昨年夏以降は、ほとんど自分のペースで仕事ができませんでした。やらなくてはならないことが先にあって、それに合わせて日々する事を決めていったような過ごし方ですね。いやあ、お前そう言うけど、みんなそんなものだよ、と言われればその通りかも知れませんが。
新たな職場に移って1年4ヶ月。やっと、毎日出会う風景にも慣れて、ここが自分の職場なんだなあと思えるようになってきました。昨年は外向きの仕事で忙殺されていたので、今年は、病院の中で、自分が何をすればいいかをもう一度ちゃんと考えてみたいと思っています。職場を替わる前には、あんなことをしたい、こんなことをしたい、と考えていたことが、これまでには半分も実現できていません。幸い、今年は昨年のような大仕事はないので、時間を工面してそれらのことに取り組んでみたいと思っています。
しかし一方、独立行政法人化した大学を取り巻く情勢は思いの外厳しく、昨年末に聞いた話では、大学全体で今後800人の人員削減を予定しているとのことです。そして、その手始めに、退官した教授は後補充をしない方針、というのです。これを本当にどこまでやるのかはわかりませんが、余りに安易な方針だとは思いませんか? 組織全体を見渡して、こことここの講座は統合して教授は一人にしようとか、そういった方針ならまだ理解できます。しかし、退官順というのはあまりに考えがなさすぎる。
永らく大学に残って研究を続けている教官達は、やはり教授になることを目標の一つとしてがんばって来ているはずです。それが、突然、あなたの将来はここまでです、と宣言されたらどうでしょうか。そのようなことが続くと、大学にますます求心力がなくなり、条件のいい企業の研究所に人材が流出し、大学ではいい研究者が育たない、という結末をもたらすことになりはしないかと、大いに懸念されるのです。大学に人材が不足すると、学生の教育にも支障が出て来ます。それは、将来的には日本全体の損失になるのでは...と。ま、これはちょっとばかし大げさでしょうか。
年の初めに悲観的な話題を提供してしまいましたが、自分のレベルで色々言っても仕方ないので、まずは、足下の仕事をコツコツと進めて行くしか打開策はなさそうですね。
昨年はこのページの更新も遅々としたものでしたが、今年はもう少し頻回に話題提供をして行きたいなと考えています。本年もどうぞよろしくお願いいたします
 受験の季節です 2006.3.5
かつて、ホームページを開設して間もない頃に、息子の高校受験のことを書いたことがあります。あれから3年、ついにやって来ました、大学受験。高校受験は選択の幅が狭いので、大学受験よりむしろ大変だなあと感じていました。それは確かに大変だったのですが、選択の幅が広いと思っていた大学受験も、学部・学科を限定すると、やはり大変でした(当たり前ですよね)。
それにしても、今の受験生は大変ですね。我々の頃にはなかったセンター試験というものがある。これを自己採点して、それを参考に前期試験、後期試験の志望校を決めるのですよね。全国的な尺度がなかった我々の時に比べると、この方式は目安になっていいのかもしれません。
息子の通う高校は、現役で通る通らないはさておいて、とにかく望みは高く、という校風なので、息子もそれに則って、やや高みを目指しています(医学部ではありませんよ)。とりあえず前期試験は終わり、数日後に発表です。できは,,,どうなのでしょうか。試験って蓋を開けてみるまでわかりませんからね。自分のこと以上にドキドキします。県外に出るつもりなので、おまじない代わりに住む所の予約はしましたが、これが無効にならないことを祈るばかりです。
受験生を子どもに持つ親の皆様、良い春が来るように、今しばらくがんばりましょう。
 全国版テレビに出ました 2006.3.19
皆様、サイエンスZEROという番組をご存じでしょうか。NHK教育テレビで放送される、土曜日の午後7時からの45分番組です。
4月1日に、遠隔医療が取り上げられました。遠隔医療は、前任の大学でもかなりの力を注いで取り組んでいました。その時は、医師対医師の遠隔画像診断が中心でしたが、一昨年秋に職場を替わってからは、携帯電話を使った遠隔医療に取り組んできました。
一つは、テレビ電話機能付きの携帯電話を在宅医療などに使えないかという取り組みです。ホームヘルパーさんや、訪問看護師さんが患者さんなどのご自宅を訪問して、何かそこで解決できない問題が生じた場合、携帯電話を使って、より経験のある看護師さんや、かかりつけ医師にその場で相談するという取り組みです。映像があると、言葉では伝わりにくい情報を適切に伝えることができます。もちろん、患者さんのご家族に持っていただき、必要に応じて連絡してもらうこともできます。テレビ電話機能付き携帯電話のいいところは、身体の問題のある箇所を簡単に映すことができる点です。据え置き型のテレビ電話ではこんなわけにはゆきません。映像も思っていたより鮮明です。
もう一つは、携帯電話を使って、リアルタイムに不安や痛みなどの程度や、食事や運動、喫煙などの行動記録を毎日入力して送ってもらう、という取り組みです。言葉で伝えるのはやや難しいのですが、番組をご覧いただいた方には理解してもらえたかなと思います。
番組の全てではありませんが、ほぼ2日かけて取材して行かれた内容を集約して、45分の最後に6分余り、我々の取り組みを紹介してくれました。収録に協力下さった皆様、本当にありがとうございました。
 テレビ放送の余波 2006.4.9
サイエンスゼロを見ていただいた皆様、ありがとうございました。短い時間ではありましたが、おおむね私たちの取り組みの意図は伝えてもらえたかなと思います。
放送があっての、私の個人的な期待は、日々の状態を携帯電話で入力していただくシステムを、いろいろな方に使っていただきたいな、ということでした。 しかし、私の所属が、心療内科医師、と紹介されたために、予想通りの反応が...
すなわち、私の所属する病院で心療内科にかかるにはどうしたらいいのか、という問い合わせがあったことでした。これは、メールでの相談でも最も多いのですが、今も治療を受けているが、今ひとつうまくいっていないので、別の所に替わりたい、というご相談です。また、今はかかっていないのだが、どこにかかればいいのかというご相談も少なくありません。
ややこしいことに、「心療内科」は、私のように内科などの身体科をベースにしている医師と、精神科をベースにしている医師とがあります。選び方としては、身体のだるさや食欲不振などの身体症状が主であれば、「心療内科、内科」と標榜している医師に、気分の落ち込みや不安、不眠などの精神症状が主であれば「心療内科、精神科(または神経科)」と標榜している医師に受診して受診していただくのがよいのです。ですが、どこの地域に行っても、後者のような標榜をしている精神科をベースにした医師が多いのです。もちろん、うつや不眠症などは元々精神科の守備範囲ですので、精神科をベースにした医師のところにかかられることが適切なのですが、身体的な愁訴に対しては、少しばかり対応が不十分で、患者様が満足感を得られないこともあるようです。
まだまだ全国的にも不足している、、「心療内科、内科」と標榜できる医師を増やしてゆくことが、私たちの務めと思っています。そのためにも、医学生に対する教育がもっともっと必要ですね。それと、このような領域の診療に対する医療費の確保(診療報酬のアップ)も、教育と同じくらい重要です。
 あけましておめでとうございます 2007.1.2
一日遅れましたが、新たな年になりました。 昨日更新を、と思っていたのですが、年賀状の整理などで一日遅れとなってしましました。
皆様はどのうような新年をお迎えでしょうか。当方は、大学受験生と、宿題を山ほど抱えた(正月休みくらい量を減らしてほしい)中学生がいるために、実家詣でもままならず、家の周囲でウロウロと過ごしています。
昨日は殊勝にも初詣に行こうと、屋島(屋島寺があります)に向かいかけたのですが、な、なんと、ふもと(車で山頂に登るのです)から車が大渋滞。昨年までは少なくとも途中の道はガラガラだったのに、どうして!? おそらく、山頂の水族館が昨年暮れにリニューアルオープンしたために、人出が増えたのではないかと思われます。久しく低迷していた屋島詣でが復活するのは、地元の人間としては好ましいことです。我が家の初詣はちょっと落ち着いてからにしましょう。
ローカルな話題はそのくらいにして、新年といっても、元日からスーパーは開いているし、おせち料理も本当に形ばかりになりましたね。昔は、元日から3日まではお店も閉まっていたし、正月に料理をしなくてもすむように、という意味があったのでしょうが、今は何の準備をしていなくても、全く問題なく新年を迎えられますね。
年賀状も、自宅でパソコンで作る人が増えたために、投函がますます遅くなっていると聞きました。かくいう我が家も、取りかかりは29日で、ようやく30日と31日に分けて出しました。ですので、うちからの年賀状で元日に着いたところは少ないと思います。申し訳ありません!!
でも、毎年必ず下さる方の年賀状が今日、2日にかなりの枚数届いたところを見ると、他家でも事情は似たり寄ったりのようです。ちょっと安心?
さて、今年はどんな年になるのでしょうか。安部内閣は出だしからいろいろと躓いていますが、このまま大波小波を乗り切って、続投が出来るのでしょうか。 労働環境では、先日恥ずかしながら初めて、「ホワイトカラーエグゼンプション」という言葉を知りました。ホワイトカラーの労働時間は労働基準法での規制の対象外にするというものです。すなわち、企業は社員をいくら働かせても、お上からお咎めを受けることはなくなるわけです。確かに、ホワイトカラーの労働時間は掴みづらいところはありますが、この制度が「過労死促進法」と皮肉って言われるように、過労死が増える危険性があり、しかも、過労死しても会社の監督責任は問われず、自己責任になり兼ねないというのです。私達の所に受診して来られるような、責任感が強く、真面目で自己主張が少ないようなホワイトカラーの方々が、真っ先にその影響を受けそうに思います。今でさえ、パワーハラスメントに悩んでいるような方々の精神的健康をどのように維持して差し上げればいいのか、関連学会でも検討していただく必要があると思います。
私自身の冬休みは、とうとう明日一日を残すのみとなってしまいました。最後の一日をのんびり過ごしたいものですが、4日が締め切りの仕事をすっかり忘れていました。残念ながら、明日の半分くらいは、先行してお仕事モードに突入しなくてはならないようです。
今年の一大イベントは、秋に日本遠隔医療学会という学会を岡山で開催することです。心身医学とは直接関連はありませんが、この領域も私の何本かの草鞋の一つです。関心がある方は、また学会のHPをご覧下さい。
心身医学関係では、近々大学病院に臨床心理士が増員となります。これまで、大学病院の中での心のケアは、私自身ほとんど手を付けることが出来ていなかったので、これを機会に少しずつ取り組んでゆきたいと考えています。
年明け最初の文章が取り留めないものになりましたが、皆様にとっても本年が良い年になりますように。
 春になりました 2007.4.8
この前の更新が正月明けでしたので、何と3ヶ月経過。最近は四季に一度の更新の様相を呈しています。
今年の冬は暖冬といいながら、3月に入ってから急に寒波がやって来て、で、また暖かくなってきたと思ったら、4月に入ってまたまた寒波の襲来。東京では花見と雪見とが両方できたとニュースでも伝えていました。このように気温が目まぐるしく変わると、体調もままならないことが多いのですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今年のように暖冬だと、インフルエンザも大流行をまのがれたようで、3月に入って少し流行したもの、小規模に終わったようです。受験生を抱えた家族にとっては、その点はありがたかったですね。
以前の記事を見直していると、1年前に受験のことを書いてますね。あの後の記事がなかったということは、そう、昨年は不本意な結果に終わったのでした。その後1年間、昼は予備校、夜は別の塾に通いながらがんばったおかげで、今年は春が訪れました。
先週末は、家族総出で住むところの準備に出かけていました。そこで買い物に行っていて、共通して品切れになっているものがありました。何だと思いますか? スプーン(スープ用の大きめのものです)と物干し竿なのです。3件目でやっと手に入れましたが、普段はそんなに数が出ないので、まとまった数は置いていないのでしょうね。ちょっとばかり焦りました。その後入学式もすみ、今は一人暮らしを謳歌しているようですよ。
これまで一緒に住んでいた息子がいなくなると、寂しくないか? この一年は、夜は塾の自習室で過ごして、帰宅はいつも12時前だったし、休日もその自習室に出かけていましたから、既にほとんど家にいない状態でした。ですので、幸いなことに、思っていたほどの寂しさはないですね。次に娘が出て行ったら、それはちょっとこたえるかもしれませんが。
その娘にもいいことがありました。10年ほど続けているバレエの四国コンクールが3月末にありました。これには3年前から出ているのですが、今年は全国大会の出場枠に入ったのです。一昨年と昨年とは同じ踊りをしたのですが、今年は心機一転、踊りを替えての挑戦だったので、すぐには無理かなと思っていたのですが、春休みを返上して練習した甲斐があったようです。そのつけが回ってきて、今は宿題に追われているところですが。大会は夏なので、また結果報告をお楽しみに。
久々の更新が近況報告になってしまいました。でもまあ、暗い話題でないので、どうかお許し下さい。次はGW位には更新したいと考えているのですが、また夏になってしまうかもしれません。
これからまたしばらく学会シーズンが続き、その準備に追われそうです。
 今年の夏 2008.8.30
今年の夏は歴史に残るような猛暑でしたが、突然訪れたゲリラ豪雨と共に、ようやく真夏日の連続に終止符が打たれました。
暑い日が続くと、それだけでも心身のエネルギーが奪われ、気分が沈みがちになることがありますが、皆様はどのように過ごされたでしょうか。
当方は、昨年の夏までは、娘の宿題に毎年悩まされてきていましたが(とにかく量が半端じゃない)、今年は春から通常の宿題がない生活になったので、この夏はその点楽をさせていただきました。
夏休みは、学童や生徒を持っているお母さん方にとっては、本当に大変な時期ですね。子供が一日家にいるので、毎日昼ご飯を作らなくてはならないし、宿題も最近では親の手を必要とするようなものが増えているようです。
自分のことを振り返ってみると、小中学校の頃は、7月中に宿題のドリルなどをすませて、8月に入ったら兵庫県で一人住まいをしていた祖母のところに行って、8月下旬まで過ごしていたので、あまり母親の手を煩わせた記憶はないのですが...。 この頃は休みになっても友達と遊んだりすることが少なく、家の中で過ごす子供達が増えているのかなという印象があります。そうなると、母親は子供のことを始終気にかけていなくてはならず、本当に大変ですよね。 明後日から幼稚園や学校が始まるので、ほっとしている方がきっと多いことでしょう。
お盆の前には、恒例の父親親睦会をしました。これは、小学校の時に一緒に野球をしていた子供達の父親の集まりです。子供達が高校を出るまでは一緒に見守ろう! というのがスローガンだったのですが、何のことはありません、高校を出て2年目になりますが、まだ続いており、この夏もいつものメンバーが8人ほど集まりました。このメンバーは、子供達が現役で野球をしていた頃は、何とまあ6時間ほどは平気で野球の話で盛り上がったものです。子供達が大学に進学して、ほとんどが野球からは離れたために、さすがに野球の話だけでは話の維持ができなくなりました。でも、中に情報通の方がいて、子供達の昔のライバル達(他の学校の同級生)の現在の動向をちゃんとフォローして私たちに提供してくれるので、それでまた昔話に花が咲いたりして、まあ時間の半分くらいはやはり野球の話で維持ができるのですね。そんなことがあってこの会も続いているのですが、子供達が大学を出ても、おそらくフォーエバーのような気がします。
昨年の夏は、娘がバレエの全国コンクールに出て、ちょうど暑いさなかに東京まで出かけたりしたものでしたが、今年は遠出はなし。お盆の直前に息子が帰ってきたので、本当に久々に奥方の実家に家族そろって行けたり、私の実家のお墓参りに弟の家族と共に行けたり、親としては満足のできる休暇でありました。休みに家でボーッとしているのもなかなかいいものです。そして子供達がいることも。
お盆の翌週には息子もアルバイやサークルの合宿があるとのことで帰ってしまい、娘もまた先週末に寮生活に戻ってゆきました。そんなわけで、今週初めからはまた奥方と2人の生活に「戻って」しまいましたが、まあ、何とかやっています。
しばらくは大きなイベントはないのですが、秋は食欲だけでなく、勉学の秋でもあります。書かなくてはいけない原稿もあり、がんばらなくては。
今回は近況報告が中心で、お役に立つような内容がありませんでしたが、今年の暑さに免じて何卒ご容赦を。
 本を出しました 2008.12.31
今年の11月に、右のような「医療面接」の本を出版しました。
香川大学医学部総合診療部の千田彰一教授と共著で、出版社は日経メディカル開発です。
医師が患者さんから色々なお話しをお聴きすることを、最近では「医療面接」、と言っています。
私たちが医学生であった約30年前は、患者さんからどのようにしてお話しを聴き出せばよいかというような教育はなかったのですが、最近は医学教育の中で非常に重要な要素となっています。
この書籍は、その「ツボ」を著したもので、医学生だけでなく、若い先生方にぜひ読んでいただきたいと期待しています。
 今年も最終日となりました 2008.12.31
今日は大晦日、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
世の中は今、大変な状況になっています。
未曾有の大規模解雇。年末を迎えて、住むところも追われる、というニュースを耳にすると、本当に心が痛みます。
医療崩壊、という言葉も何度も聞かれるようになりました。
厚生労働省のねらい通り、医局制度が「崩壊」し、地域の医療機関に医師を派遣することができなくなりました。特に公立病院からの医師の引き上げによって、診療体制が維持できなくなり、入院患者の受入ができなくなったり、診療科を閉鎖したり、最悪の場合、病院そのものが閉鎖に追い込まれた医療機関すらでてきています。
厚生労働省は、地域医療のある意味支えていた医局の機能を制限しておいて、では、厚労省が代わりにそのような地域に医師を派遣できるようなシステムを持っているかといえば、それは、ないのです。
では、医師はいったい何処に行ってしまったのか?
初期臨床研修制度によって、医師の卵達は、出身大学に囚われずに、自分たちが魅力を感じる医療機関に行けるようになりました。それまでも行けなくはなかったのですが、より公に認められた形で行けるようになったのです。
すると、研修医達は都市部や、地方でも教育スタッフが充実している大手の病院に集まるようになってしまいました。
一方大学は、一部を除いて、特に地方大学では研修医が集まらず、「大学離れ」が進み、医局で抱えることができる医師が次第に減ってきています。その結果、地域の医療機関から医師を呼び戻さざるをえなくなり、これが地域の医師不足の大きな原因の一つになっているのです。
このようなストーリーを、果たして厚労省は読めていなかったなのか??
日本のお役所の特徴として、先の先まで見通した制度設定がないことが挙げられると思いますが、医療制度にとっても全く同じ事が言えます。
大手の人気病院で研修を受けている若手医師達も、研修期間が終わればいつまでもその病院に留まるわけにはゆきません。そのような医師達が地域医療に魅力を感じて、今医師不足で困っているような地域医療機関に勤めてくれたらいいのですが、それとて、厚労省がコントロールできるわけではありません。
医師不足の唯一の対策が、医学部の定員を増やして、医師数を増やすことです。しかし、今から医学部に入学した方達が医療の現場で一人前に活動できるには、少なくとも10年はかかります。しかも、その医師達が地域医療に従事してくれるようなシステムは未だないのです。
先の見通しもなく、ただ医局の解体だけを目論んだ厚労省の見通しのなさには、特に大学病院に勤める者として、本当に憤りを感じます。
来年以降、若手医師達が、やり甲斐を持って、しかも安心して地域で働くことができるようなシステムを作ってもらいたいものです。しかし、これは役所任せでは不十分ですので、医育機関としての大学病院も何らかの手段を講じなくてはなりません。
と、愚痴っぽい話ばかりになりましたが、幸いインフルエンザも今のところ大流行はしていないようですので、皆様も健やかに良いお年をお迎え下さいね。
 今年の夏はちょっと変? 2009.8.17
またまた更新が半年ぶり以上になってしまいました。
海を越えての通勤も間もなく5年目を迎えようとしていますが、さすがに最近は疲れが出て、帰宅してビールを1本空けると、更新の元気が...  また春以降はしばらく日曜日が無いような生活をしていましたので、休日に更新、ということも難しくなっていました
と、言い訳はそのくらいで、今年の夏は、適度には暑いのですが、梅雨明けが遅れたために、何となくシャキッとしない夏ですね。農作物にも影響が出てきているようです。
暑さが後ろに移動するのかと思えば、予報ではこのまま気温が下がる見通しとか。真夏日が長期続くのも困りますが、夏らしくないのも何か気持の切り替えに困りますね。
今年の夏休みも子供達は帰ってきたのですが、ちょうどお盆に娘のイベントがあり、昨夏のようにそろって双方の実家詣でができなかったことがたいへん残念です。 かくなる上は9月の大型連休を狙うか... というところです。
恒例の父親の会も開きましたよ。今年は常連のある方が今春からアメリカに出張で、このタイミングでは帰国できず、残念ながら不参加でした。いつもの笑顔に会えなかったのはちょっと寂しかったのですが、このグループから国際人が出現したことは大きな喜びでもあります。少し先にはなりそうですが、アメリカ話を楽しみにしています。
大学生の息子達の中でで野球をしているのはさすがに皆無ですので、子供達の現状やら、地元の高校野球の話で盛り上がりました。
この夏は衆院選の行方も気になるところです。
どこが政権を取るにせよ、公務員の給与は引き下げられそうで、困ったことだと思っています。国は民間の給与水準に合わせて公務員給与を引き下げるというのですが、そうなると、ますます国民の購買力が低下し、景気のためには逆効果ではないかと思うのです。 もっとも、これは自分がその影響を受けるからそう言っているのでは? と言われればその通りかもしれません。(それにしても霞ヶ関の中央官僚の給与は確かに高すぎるので、ここは下げてもいいと思う)
各政党のマニフェストはもちろん公務員給与の話だけではないのですが、一番の問題はやはり、各省庁の無駄遣いの是正と思います。大学に所属していると、年度末近くになると、補正予算と称して、いわゆる「ばらまき予算」が提示されます。その中には確かに有効なものもあるのですが、あちこちからの応募に対して短期間で正当な評価をできるはずもなく、無駄づかいになっているものも決して少なくはないはずです。どこが政権を担うにせよ、この部分には是非ともメスを入れて欲しい!!
何となく取り留めのない内容になっていますが、今年の秋以降は、新型インフルエンザが心配ですね。これまでは比較的毒性が低いと言われていますが、次第に変異をすると、わかりません。ワクチンの開発もされているようですが、そうすると、これまでのワクチンと2種類するの か? まだまだわからないことだらけです。必要以上に恐れることなく、しかし用心をして行かなければなりません。
来年の秋には、「日本心療内科学会」の総会を岡山でお世話することになりました。今秋以降はこれの準備に本腰を入れなければなりません。
さて、次の更新がいつのことになるかわかりませんが、またネタを仕入れておくようにします。
皆様も変な気候の影響を受けて体調を崩されませんように。
 
 大晦日になりました 2009.12.31
今年も夏以来更新をしないままに年末を迎えてしまいました。
今回は、前の職場に新設された医学教育専門の講座の担当教官に応募することになり、前回更新日は、ちょうどその応募書類を出し終えた日でした。
医学教育については、医療面接の指導などで、一部は実績がありましたが、全般について現状の問題点や、今後の抱負などを応募書類に書かなければならなかったので、自分にとってはかなり大変でした。A4版を1枚埋めるのに、こんなに苦労したことはかつてありませんでした。
その後もプレゼンテーションの準備など、秋はこの準備に相当の時間を割かれました。 さてその結果は... また来年になってお知らせします。
今年の漢字は「新」でしたが、私の回りにも幾つかあります。 まず、ノートパソコンを新調したこと。通信機器付で2万円、というのをずっと狙っていたのですが、11月下旬にようやく手に入れました。 今もそのパソコンで更新しています。通信機器は月々通信料が必要で、2年間は解約できないので、結局ローンを払っているようなものですが、外出時にはやはり便利です。また、本体も1.2kgくらいなので、持ち運びにストレスはかかりません。
もう一つ、年末に、年賀状を打ち出し終えた途端に、昨年買ってまだ1年半位しか経っていないプリンタが突然ストライキを起こしました。電源が入らなくなってしまったのです。修理が必要だろうなあと思いつつ、購入した量販店に持ち込むと、果たして予想通り、メーカーに送らなくてはならないとの「悪魔」の宣告。これが29日のことで、当然メーカーは休みになっているので、いつ修理が完成するか全く不明。しかも、メーカーへの送料や、修理代を合わせると、販売価格の半分を超えてしまうのです。 ウーン、ここは考えどころ。動かなくなったプリンタも相当酷使してきたので、急ぎ奥方と相談して、大英断! 買い直すことにしました。 プリンタも刻々進歩していて、今回のは無線LAN対応。これで、今使っているノートパソコンからも直に印刷できるようになります。これは相当便利。 しかし、前のプリンタと使用するインクが違うので、家に残っていた新品のインクが使えなくなり、これはかなりショック!!
故障の原因は、おそらく横着して電源を入れっ放しにしていたためだと思います。皆様もこまめに電源を切りましょうね。

今年は、恒例の父親の会はありませんでした。大切なメンバーのお一人が年末に逝去されたことが大きかったのですが、日程調整もうまくゆきませんでした。で、新年会をしようということになっているのですが、その様子はまた次回に。現役で大学に入った子供たちは今が4年生ですが、まだ就職が決まった話は聞こえてきません。厳しい時代です。
(PS その後の息子からの情報では、何人か内定した同窓生があったようです。とりあえず、めでたしめでたし。)

政権が交代して少し経ち、支持率もやや低下してきています。
漢方薬を保険医療から外す、ということが事業仕分けで取り上げられるという「暴挙」に驚きましたが、これは各所からの反対が大きく、見直されることになりそうです。
予想通り、公務員の給与が引き下げられましたが、浮いた予算をぜひとも景気回復に有効に利用してもらいたいものです。

年末になり、子供たちも帰ってきました。
息子は、友人たちと出かけるか、家にいる時は寝てばかりいるので、ほとんど会話がありません。娘は帰るなり膨大な年賀状作りに忙殺されて、一時は声もかけづらいくらいでした。
今日の夜くらいは、一家団欒とゆきたいものです。

取り留めのない話題になり、お役に立つ内容がありませんでしたが、前回に引き続き近況報告ということでご容赦ください。

では、皆様、よいお歳をお迎えくださいますよう。

PS 新年になって、今度はパソコンの調子が悪くなりました。電源を入れても、モニタに何も表示されないのです。
これは困った。奥方愛用のパソコンなので、急ぎ何とかしなければ。
すぐに、メーカーのDELLに電話しました。以前もそうだったのですが、実に細やかに辛抱強く付き合って下さり、結局は、購入時にオプションで入れていた、高性能のビデオボードに問題があることがわかりました。で、これを(泣く泣く)抜いて、一件落着。何とか「新」パソコンを購入しないですみました。
このトラブルも、パソコンの電源を入れっ放しにしていたことと無関係ではなさそうに思います。繰り返しになりますが、電源はまめに切りましょうね。

 職場が変わりました
昨年末に、新たな職場への応募について書きましたが、それが本決まりになり、4月1日より、古巣の大学の新しい部署で働いています。
 「医学教育学講座」という部署で、文字通り医学教育全般のお世話をするところです。医学教育というのは、それぞれの講座の先生方が、担当する領域の講義をすればそれでいいようにも思えます。しかし、あるテーマにそって、色んな講座の先生方が講義を行う場合のコーディネートや、専門家が必ずしもいない、地域医療や家庭医療などを講義していただく際の、外部講師派遣などについては、専任の教員がお世話をする必要があります。また、現在の教育プログラムが適切なものであるかどうかについて、検討をして行くことも業務の一環です。
その他、いざ就任してみると、教育に関連した想定外の仕事も振られることがあり、そこそこ忙しくさせてもらっています。
今回の異動に関連して、5年半余り続いた遠距離通勤から解放されました。アメニモマケズ、カゼニモマケズ(時々強風で瀬戸大橋が通れなくなりましたが)続けて来た瀬戸内海縦断通勤でしたが、4月以降は車で通勤できるようになり、体は楽になったとはいえ、通勤以外で瀬戸大橋を渡ると、さすがに感慨深いものがあります。
話は変わって、昨年末にも事業仕分けのことを少し書きましたが、この「仕分け」について、皆様はどのようにお考えでしょうか。
昨夏に政権が変わって、最も期待されていたのはおそらく景気対策と思われますが、誰がどうみても、何ら手を打っていないように思います。今や日本は、かつての高度成長期と異なり、もの作りはアジア諸国に奪われ、雇用の場が極めて少なくなっています。このような時こそ、公共事業を増やして、雇用の場を拡大することが必要でしょう。
しかし、「仕分け」は、確かに無駄は減らしているかもしれませんが、一方で、雇用の機会を減らしたり、金銭の市場への流入を減らしたりして、デフレを加速させていることもまた確かです。
「仕分け」で調整される金額は高々数百億円程度で、パーフォーマンスの割にはしれています。これでは、政府が景気対策を行えていないことの隠れ蓑と評価されても仕方ないでしょう。
医療の面で公共事業を行うとすれば、公的医療機関で行うことが好ましい医療(摂食障害の治療など)を行うための予算措置を講じるなど、できることはたくさんあります。「仕分け」で節約された国家予算を、そのような医療に振り分けてくれれば、医療機関での雇用も増え、景気対策の一部になります。
私の患者さんにも就労できない方がたくさんいらっしゃいます。担当医の立場からも、現政府には、真剣に景気対策に取り組んでもらいたいと切望します。
   
 何かと新たな年でした 2010.12.31
今年は我が家にとって、新たなことが3つありました。
まずは、4月の私の職場の異動です。これについては、前回(いつものごとく相当前になってしまいましたが)書きました。 その後半年余り経過して、ようやく自分の仕事の全体像が見えてきました。 最終的には、医学部6年間のカリキュラム全体のバランスを考えて必要な時期に適切な内容を盛り込むことです。 とはいいながら、このカリキュラムについては、これまでしっかりと検討されて現在の形になっているので、そうおいそれと大改革をするわけにはゆきません。 カリキュラムというのは、学校の時間割のようなもので、一つを動かすと、ところてん方式に他の所も動かさざるを得ないからです。
全体の流れも視野に入れながら、今日の医学教育に求められている、コミュニケーション、医療安全、地域医療教育、臨床推論能力の向上、また医療倫理というような内容を、どの段階で学生が受け入れやすい形で提供してゆくかということが私のような教育専門職に課せられた喫緊の課題といえます。
講義で主に接しているのは現段階では1年生と2年生です。 彼らを見ていると、多くの学生の視野が狭いなあ、と感じます。 特に、自分が将来医師になるにもかかわらず、医療の分野に対する関心が我々に伝わってきません。 最近久しぶりに私たちの大学病院でヒットとなった、膵腎同時移植のことを知らなかった学生がいたのには驚きました。 こんな学生達に、どのように広い視野を持った医療人になってもらうかも、また課題の一つです。

2つめは、日本心療内科学会の、今年度の学術大会・総会(第15回)を主催させていただいたことです。2年前にこのお話しをいただいたので、会場は岡山でした。 心身医療に携わる医療者が少しでも増えて欲しい、という願いから、大会のテーマを、「プライマリ・ケアにおける心身医療の実践と展開」としました。 学術的なテーマは少し減らして、臨床現場の先生方が、今知りたいこと、を提供すべくプログラムを組んだつもりです。 ただ、最近は製薬会社等からの協賛が次第に得難くなっているので、赤字を出さないように運営できるかが、最後まで心配の種でした。 最終的には当日何人の参加者があるかで収支が決まる、という状況で迎えた大会でしたが、推理小説作家の夏樹静子先生のご講演もいただけたことも幸いし、想定以上の参加人数があり、何とか赤字経営にはならずにすみました。 この場をお借りしてご協力・ご協賛下さいました皆様方に心より厚くお礼申し上げます。

3つめは、この歳になって初めてヨーロッパに出かけたことでした。 残念ながら旅行というわけではなく、遠隔医療のヨーロッパ事情を調査に行ったのです。
パリに1泊、ベルギーのブリュッセルに2泊、ロンドンに2泊しました。 欧州での遠隔医療に関して全般的な傾向としては、1対1の遠隔医療というよりは、電子カルテのネットワーク化を中心とした、e-Healthにより大きな関心を持っていることでした。 国土が広い、カナダやオーストラリア、また冷土に閉ざされる北欧では1対1の遠隔医療や遠隔画像診断に関心が高いようですが、人口密集地域の欧州本土ではまた事情が違うようです。 ただ、向こうの方は、医療データが電子的にやりとりされることに不安を抱く(例えば自分の医療情報が会社や銀行に漏れてしまうのではないか等々)方が多く、基本的な電子カルテの普及がままならないとも言われていました。 この点については日本人のほうがいささか寛容であるようです。
向こうに渡った時は、ちょうど季節外れの大きな寒波が押し寄せた時期で、外気温が零度付近の日々でした。(その頃日本平均18℃くらい) 寒さももちろん堪えたのですが、それより驚いたのは、建物の中や、交通機関の中の温度が非常に低いことでした。 日本では、外は寒くても、どこかに入ると、ホカホカーと幸せになりますが、向こうは、どこに行っても寒い!!! これには色んな事情があるとは思いますが、地球の温暖化防止には大きく貢献していることは間違いありません。 日本も少し見習わないといけませんね。
ロンドン周囲の空港が相次いで閉鎖され、帰国が危ぶまれましたが、何とか寒波をかいくぐって帰国することができました。 次にはもう少しいい季節の時に行きたいものですね、できれば旅行で。

懸案の大仕事が終わりましたので、来年からは、本務である医学教育の改善に邁進したいと考えています。 このHPの更新をもっと頻繁にすることも考えないといけませんね(壁に向かって反省)。

 では、皆様、寒風が吹き荒れる中ではありますが、佳いお年をお迎え下さい。
 秋らしくなりました 2011.10.2
3月の東日本大震災から半年以上が過ぎ、復興も駆け足で進んでいます。
 
私が所属する心身医学会でも現地に診療チームを派遣しました。中国・四国支部でも、派遣の呼びかけに対して、医師や心理士の方々が、10名以上申し出て下さいました。 日程等の都合で、全ての方に現地に赴いていただくわけにはゆきませんでしたが、少しでも被災された方々のお役に立ちたいという学会員の熱意を感じ、大変心強く思いました。この場をお借りして、皆様のお気持ちに対して心よりお礼申し上げます。

さて、季節は秋。今日は、マンションの改修の関係で、部屋に足止めされたため、思いがけず更新する時間が取れました。 というものの、最近は仕事の中心が医学教育に移ったため、なかなか心身医療についての話題提供ができていません。

今年の連休明けから、私が長を務める医学部教育センターのHPを立ち上げたため、最近はそちらの充実に努めています。twitterもその一環です。

心身医療の実践は引き続き行っていますので、また何らかのテーマで構想がまとまったらお知らせしたいと思います。
 謹賀新年 2012.1.1
今年は2年ぶりに子供達がそろって帰って来たので、少し賑やかな年末年始になっています。

さて、今年はどんな一年になるのでしょうか。

心身医療の関係では、今年は明るい話題が一つあります。
それは、心理士が国家資格化される見通しが出てきたことです。 これはしばらく前にも一度実現しかけたのですが、諸種の事情でうまくゆきませんでした。

国家資格になると、心理士単独で心理治療を行っても、保険点数が付く可能性が出てきます。 今はそれができないために、心理士さん達の職場がなかなか拡がりません。

ここ3年間、とある大学の心理学科で、心身医学の集中講義を受け持っていますが、卒業後に心理士になろうという学生さんが少ないことに残念な気がしていました。国家資格化が実現すれば、少しずつ心理士への道に進もうとする学生さんが増えてくるかもしれません。 その意味でも、今回は挫折せずに法制化されてほしいないと思います。

ともあれ、本年の皆様の一年に佳いことが訪れますように。

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