赤い手袋

 

いつの間にか眠ってしまったようだった。

目の前の置時計は、午前0時を過ぎている。

まさしは、解きかけの数学の式が書かれたノートから顔を引きはがすと、

ボーッと、今見た夢のことを思い出していた。

 

夢の中で、まさしは小学一年生だった。

その頃家の近くに住んでいた、仲の良い女の子とふたり、

放課後の校庭で雪だるまを作っていた。

他のところはぼんやりとあやふやなのに、女の子のしていた赤い手袋だけが、

なぜかくっきりと記憶に残っている。

 

――あの子、どうしてるかなぁ……

 

中学生になる前に、その子は都会へ転校していった。

ふたりとも幼かったので、まさしはその子のことが好きだったのかどうか、

よくわからない。

でも、その子と遊んでいるとすごく楽しかったし、もしも今、会うことができたなら、

きっとまた仲良くなれるだろうと思った。



ふと窓に目をやると、窓枠に雪が三センチほど積もっている。

 

――ああ、そういえば、今日はクリスマスだ。でも、受験生には関係ないなぁ。

 

と、そこへ、雪の玉が飛んできて、ぱぁん、と窓ガラスに当たって砕けた。

 

ぎょっとしたまさしが、窓を開けて外を覗いてみると、白いコートを着た女の子が、

こんもりと雪の積もった垣根の向こう側に、にこにこ笑いながら立っていた。

 

「まさし君、出ておいでよ。どうせ勉強中に居眠りでもしてたんでしょう。

一緒にまた雪だるまを作らない?」

「あれ!? 洋子ちゃん? どうしてここにいるの?」

 

すっと名前が出てきた。それは、引っ越していったはずの洋子だった。

 

「うん、おとうさんが仕事でこちらに来ることになったの。

私、受験勉強に飽きちゃってたから、一緒について来ちゃった。

でも明日はもう帰る。

ねぇ、まさし君、ちっちゃい頃に学校の校庭で、ふたりで雪だるまを作ったの、

私さぁ、そんなこと忘れちゃってたんだけど、この町に来て、

さらさらの粉雪が降るのを見ていたら、急に思い出しちゃって。

そしたら、絶対雪だるま作るんだ、って思っちゃって。

ほら、私、昔から飽きっぽかったじゃない? 

だから、あの時、なかなか大きくならない雪だるまに飽きちゃって、

寒い寒い、もうやだ、なんてわめいて、一人で先に帰っちゃったんだよね。

だから、今日は、ちゃんと、完成させたい。

そうしないと、先に進めない気がするんだ。」

「……ちょっと待ってて。今行くから」

 

まさしは部屋にあったジャンパーをはおると、玄関から表に出た。

洋子は、コートのあちこちについた雪を払いながら、道路でまさしを待っていた。

雪はもう止んでいた。

 

「行こう」

 

まさしは、洋子が何に悩んでいるのかわからなかった。

でも、突然自分をたずねてきてくれたことが、とても嬉しかった。

 

十分ほど、黙って歩き続けた。

雪のせいで、あたりはいつも以上にシンと静まりかえっている。

ふたりが歩く道の上に、まさしのスニーカーの足跡と、洋子のブーツの足跡が、

きっちり並んでついてゆく。

 

小学校の校庭が見えてきた。

 


洋子が言った。


「わぁ、ちっとも変わってない。

ほら、あのもみの木の下。

あそこだったんだよ、ふたりで雪だるまを作りかけたの」

 

――そうだったんだ。僕は、さっき夢に見るまで、すっかり忘れていたなぁ。

 

ふたりは門をくぐり、校庭の隅にそびえるもみの木のところまで行った。

 

「この辺にしよっか」

 

洋子は雪の上にかがみこむと、芯になる雪の固まりを作り、それを転がし始めた。

さしも洋子に倣う。

だんだん重くなる雪の玉を、がんばって押していくと、

かなり大きな雪の玉がふたつできた。

大きい方の雪玉の上に、もう一つの雪玉を、ふたりで持ち上げ、重ねる。

もみの木の根方から、小枝や石を探してきて、目、鼻、口、そして腕をつけると、

一メートルくらいの高さの、おちゃめな雪だるまが完成した。

 

はぁはぁと白い息を吐きながら、まさしと洋子は、満足そうにそれを眺めた。

 

「大きくなると、雪だるまって、簡単にできちゃうんだね。

あの時は、あんなに大変だと思っていたのに」

洋子の頬が赤くなっている。寒いのと、今運動をしたせいだろうと、まさしは思った。

 

ポンポンっと柏手を打ち、洋子はその雪だるまを拝んだ。

 

「どうか志望校に受かりますように!」

「え、そんなの、効くの?」

「うん、おばあちゃんがよく言ってた。信じる者は救われる。

天は自ら助くる者を助く。サンマの頭も信心から! ん? ちょっと違う?」

 

洋子は笑った。

 

「よし、僕も!」

 

まさしは、洋子と同じように、ポンポンと二回手を叩いて、

もごもごと願い事を言った。

 

「そろそろ寒くなってきた。もう帰りましょう」

「そうだね」

 

――ああ、僕は洋子ちゃんのいいなりになってる。

きっと小さいときもこんなふうだったんだろうなぁ。

 

まさしはなんだかおかしくなった。

 

「ねぇ、まさし君。手、冷たくない?」

「え? あ、大丈夫だよ」

「ううん、絶対冷たいはず。ほら、この手袋、片方貸してあげるよ」

「いいよ。だって、女物の手袋を僕がはめたら、伸びちゃう」

「大丈夫!」

「それに、洋子ちゃんはどうするの? 片方だけじゃ冷たいじゃない」

「だから大丈夫だってば! 手袋のない方の手はつなぎましょう!」

 

洋子は、少し怒ったように、右手の手袋をはずして、まさしに差し出した。

その赤い手袋は、夢に出てきたあの手袋と似ていた。

 

「……」

 

まさしは照れくさかったけれど、その手袋を受け取り、窮屈そうに右手にはめた。

そして、左手を洋子の右手とつないで、家の方に歩き出した。

 

まさしは左手がとても熱かった。心も熱かった。

なぜだかずっと、どきどきしていた。

 

自分で言い出したくせに、洋子もまた再び無口になってしまい、

ふたりは黙ったまま、まさしの家の前までたどり着いた。

 

洋子が顔を上げて、まさしをまっすぐに見た。

雪明かりを受けて、その瞳はきらきらと輝いていた。

 

「まさし君、私、受験、ちょっと危ないんだ。

だけど、がんばって、きっと志望校に合格してみせる」

「うん」

「だから、まさし君もがんばって!」

「うん」

「その手袋、まさし君に預けておくね」

「うん」

「大学生になったら、それを私に届けに来て」

「うん」

「まさし君」

「うん?」

「うん、ばっかりだね!」

「うん!」

 

ふたりはやっと、呪縛を解かれたように笑い合った。

 

 

ひとりで帰れるから、という洋子をその場で見送り、まさしは部屋に戻った。

洋子から預かった片方だけの赤い手袋を、御守りのように、大切に、

机の一番上の引き出しにしまい込む。

まさしは、

「よおし! がんばるぞ! おおおおお〜!」

と、拳を作って気合いを入れると、鉛筆を取り上げ、数式の続きを解き始めた。


(おわり)