打ち上げ花火
あれは、高校二年の夏休み。
クラスメイトの亮(トオル)君との初めてのデートの約束は、遊園地の花火大会だった。
園内にあるプール施設で、亮君は監視員のアルバイトをしていて、
それが終わってから一緒に花火を観よう、と私を誘ってくれたのだ。
*
約束の日曜日。
私は、紺地に大輪の白菊が染め抜かれた、おろしたての浴衣に袖を通し、
黄色い帯を母親に締めてもらい、紅い鼻緒の下駄を履いて、
高鳴る胸の鼓動を必死に抑えながら、電車で彼の待つ遊園地へと向かった。
待ち合わせの時間は午後7時。
早めに着いてしまった私は、遊園地のゲート入り口で、
彼がバイトを終えて迎えに来てくれるのを待った。
園内に入ってゆくたくさんの人に背を向けて、
知った顔に会わないように祈りながら、
彼が現れそうな方角と、
だんだん暮れてゆく夏の夕空と、
真正面に見える大きな丸時計と、
履き慣れない下駄から覗く白い指先に、視線を移しながら・・・。
けれども、7時10分になっても、20分になっても、彼は現れない。
どうしちゃったんだろう、亮君・・・。
時間はどんどん過ぎて行く。
チケット係のお姉さんが、さっきからこちらを気にしている。
目の前に見える丸時計の針は、もうすぐ、花火の始まる8時を指そうとしている。
私の胸に、少しずつ不安が押し押せてきた。
――もしかして私、このまますっぽかされちゃうの?
泣きたくなる思いをこらえて、それでもじっと同じ場所で立ち続ける私の所へ、
ようやく亮君が走ってきた。
赤い水泳帽を被った、プール監視員そのままの格好で!
笑顔で彼を迎えようとしていた私は、その場で凍った。
「ごめん、プールで事故があって・・・」
亮君が、一生懸命、状況を説明してくれている。
大事には至らなかったけれど、救急車が来るまで大変だったこと。
これから反省会があるから、すぐに戻らなくちゃいけないこと・・・。
でも、私の頭の中には、ひとつのことしかなかった。
――花火、一緒に観れないんだ。
口をきけなかった。
口を開くと、泣いてしまいそうだった。
――わかってる。
亮君のせいじゃない。
でも、私は、亮君と一緒に花火を観たかったの。
すごく楽しみにしていたの。
すごく、すごく、楽しみにしていたの・・・。
「じゃぁ、行くね!」
亮君は、そう言って走り去ってしまった。
私はひとり、ぽつんと遊園地の入り口に取り残された――。
家に帰って部屋にこもり、私はたくさん泣いた。
自分のことを、すごく可哀相だと思った。
そしてそれから・・・
亮君とは、そのままになってしまった――。
*
亮君はあの時、初めてのアクシデントに、パニックになっていたはず。
だけど、私が待っているのを知っていたから、
きっと上の人に断りを入れて、
あんな格好のまま、私に知らせに来てくれたんだ。
それなのに私は、自分のことばかり・・・。
もしも、あの時の苦い痛みを浄化してくれるものがあるとすれば、
それは、私の身体に轟き渡る、打ち上げ花火の豪快な炸裂音――。
*
「わ!」
突然、ほっぺたに冷たい感触が走った。
「瑛子、ほらビール。どうしたの? ぼぉーとして・・・」
飲み物を買いに行ってくれてた亮君が、水滴の付いた冷え冷えの缶を、
私の顔にぺたっと押しつけたのだった。
「いやん、もう! 顔が凍傷になっちゃうじゃない」
思わずそんなふうに返したけれど、私の顔は笑っていた。
悪戯好きな亮君。大好き!
そう、私は今、亮君と一緒に、海辺の花火大会に来ている。
大人になってから再び出会った私たちは、
こうして、防波堤のコンクリートの階段に並んで腰を下ろして、
波の音を聞きながら、花火が上がるのを待っている。
風が吹くたびに潮の香りが鼻をくすぐり、私はなぜか、切ないような気持ちになる。
――もしかしたら、あの時のあの痛みは、
私にとって必要なモノだったのかも知れないな。。
「あ、始まるよ!」
亮君の声がして、海の方角から、ひゅるるるる〜という音が響いた。
ドド〜ン! ド〜ン! ドド〜ン! パチパチパチ!
頭の真上で花火が炸裂し、轟音と、弾けるような破裂音が、
びりびりと私の身体を内側から揺さぶる。
紺色の夜空に、大輪の菊の花が、いくつもいくつも、重なって広がっていった。
(おわり)
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