r.asema

 

俺はベースマン。

神戸北野坂通りにあるジャズカフェで、週に一度、仲間達とライブ演奏をしている。

メンバーは俺の他にピアノとドラム。そこに女性ヴォーカルが加わる。

お、六時半になった。今夜最初の出番だ。

 

ステージに出て行くと、見慣れない女性客がふたり、前の方の席に座っていた。

ビールのグラスをテーブルに置いたまま、じっとこちらを見つめている。

かなり緊張してるみたいだ。ジャズライブは初めてなのかな?

だが、俺たちが演奏を始めたのと同時に、彼女たちの身体がスィングを始めた。

おお、乗ってるなぁ。そうそう、それでいいんだ。ジャズは気楽に聴いてくれ。

俺たちも気持ちよくスィングするからさ――。

と、突然、手前の女性が慌てたようにバッグを押さえ込んだ。

咄嗟に泳がせた目が俺の目と合ってしまい、ばつの悪そうな顔をしている。

そうか、携帯電話が鳴ったのか。

大丈夫さ、そんな音、聞こえやしなかったよ。

俺はすっと目をそらせ、何事もなかったようにブブンブンとベースを弾いた。

ピアノマンはポンポロロロロンと踊り上がるようなメロディーを響かせ、

ドラマーはシャカシャカバシンと心地よくリズムを刻む……。

お〜〜い、彼女、まだ気にしてるのか? こちらを見なくなったじゃないか。

俺はにらんだ覚えがないんだがな……。

 

二曲ほど演奏し終えたところで、華々しくヴォーカルの登場だ。

タイトなドレスに身を包み、しっとりと深みのある声で明るいナンバーを歌い上げる。

拍手!

客席がぐっとこちらに近づいたところで、彼女は順にメンバーを紹介する。

ピアノ! 

ピアノマンの指がここぞとばかりに鍵盤を駆けめぐり、次々にアドリブを繰り出す。

わき起こる拍手。

次は俺の番だ。

ベース! 

……おっと!! 俺の携帯が鳴った!! 

ヴォーカルと目が合う。

何やってんの、とばかりに笑い出す彼女。

俺はすっと目をそらせ、何事もなかったようにブブンブンとベースを弾いた。

客席を見ると、さっきの女性客はきょとんとしている。

なんだ、今の出来事に気づかなかったのか?

 

それからも俺たちは気持ちよく盛り上がり(ヴォーカルは笑い続けていたけれど)、

客席も気持ちよさそうにスィングを続けるうちに、第一回目のステージは終了した。

去り際に前の方の席をチラッと見ると、あの彼女たちは満足げに笑顔を見交わし、

残っていたビールを飲み干して、出口へと向かっていった。

なんだい、もう帰っちまうのかい? 夜はこれからだぜ。

せっかくボーイに合図して、わざと俺の携帯を鳴らさせたのにさ。

でもまぁ、気持ちよく聴いていってくれたのならいいか。

だけど、今度はもっと遅くまでいて、俺たちのステージを最後まで観ていってくれよ。

君たちにカクテルの一杯も贈らせてほしいし。

それから……そうだな、

今度来たときには、携帯の音を消しておいてくれるとありがたい。

いや、俺たちのためにじゃない。

君たちが慌てないためにさ。

 

(おわり)