春休みに帰省をしたら、金魚の水槽が空になっていた。
「あれ? 金魚ちゃんは?」
私の問いかけに、キッチンで野菜を洗っていた母は一瞬手を止めてから、
こちらを見ないままで言った。
「気がついたらいなくなっていたの。きっと、龍になって飛んで行っちゃったのね」
あれは中学二年の春休み。
私は高い熱を出して寝込んでしまい、楽しみにしていた修学旅行
に参加できなかった。
熱に浮かされて夢でも見たのか、その時私は、龍になりたいという金魚の背中に乗って、
修学旅行先である清水寺の音羽の滝まで飛んで行き、
もうちょっとで「知恵の水」を手に入れるところだった。
母が声をかけて私を起こしさえしなければ・・・。
旅行から帰ってきた親友が、お土産だと言ってペットボトル入りの水をくれたけれど、
それは私の健康を気遣っての「長寿の水」。
私はその水を半分、金魚の水槽に入れてあげたのだった。
知恵の水じゃないから龍にはなれないけれど、どうか長生きをしてね、と願いながら。
あのときのことを、母は覚えていたのだろうか。
あれから7年。推定金魚年齢17才。和金としてはかなりな高齢。
母の言うとおり、金魚は長生きをして悟りを開き、
自力で龍になって飛んでいったのかもしれない。
「そっか・・・。ねぇ、夕飯までちょっと出ていい? せっかくだから桜見てくる」
そう言って私は近所の児童公園へ向かった。
子どもの頃によく訪れていた公園。
砂場に、滑り台に、ブランコ。
私が遊んでいたそのままの場所で、あの時の私みたいに、
子ども達が親に見守られながら遊んでいる。
でも、あの頃はもっと広いと思っていたけど。
桜は・・・どうだったかな。覚えていない。当然咲いていたはずだけど。
あの頃はあるのが当たり前みたいに思っていたからかもしれないな。
私は空いていたブランコに乗って、そっと漕いでみた。
頭の上に張りだしている桜の空が、私の動きと共に移動する。
浮遊感が私を襲う。
「金魚ちゃん、空から見た清水寺の桜はきれいだったね。今も見ている?」
上を向いたまま、私は目を閉じて、桜色の空を飛ぶ白い龍を追いかけた。