2/1
<今>
生まれた日なので、今、思うことを書いておくこととする

答えなどない問いを自分の内部で繰り返していることが娯楽の私。

最近のブームは「無」

これまでに様々に巡らす考えの網から少し違った方向性というか、同じように巡らしていた座標が違うと思っていたことが合わさるような思いがしている

「神」

私はなんの宗教も持たないのであるが、やはりなにか「神」といった概念については考えてしまう

そして「宇宙」

この3つがどうも重なり合うように思い始めている

「無」があるとするなら、すでにその問いは瓦解している
存在とは私たちが規定する概念の意味
存在はすでに「無」を排斥している

我々が存在するという時点で、もはや「無」はない。
だからこそ「無」なのである

主体でも客体でもない想念でもない
そのあり方こそが「無」に近い

私にとって「神」は、それに一番近似した印象として映るのだ

加え「宇宙」の始まりは、「無」からのビッグバンといった素粒子が、あったりなかったりする動的な、湧いたり消えたりするような状態・・・それがビッグバンの前の宇宙の「無」とされる状態だという。

そんなことをつらつらと思ううち
私は常に「無」であると思うようになる

負の意味ではなく、矛盾する合一性の流動する
この座標軸上の存在は、けしてとどまるものではなく、実体としての時間性をとどめるものではない・・・とするなら「無」であることによって、その存在は意味を持つのではないだろうか・・・
「神」は見えない
「宇宙」は内包されている
「無」はすべてなのである


1/19
<心の襞>
先日、CAI 02で映像を見てきた

幾人かが提示する
短い映像の連なり

技巧なんかはよくわからないので
ただ単に感情として見ていた

小山赤理さんの
I can see your beads
の中で、旅をしていた

僅か2:50なのだが
拡がりゆくのは記憶の襞
そして時間の間断的なシャッター

エンドレス・ループで制作するときに
流し続けていたいと思った

時々、手を止めた時に
その映像が目の前にあったら
もっといい作品が・・・(笑)


言葉を尽くすべきは、またとして
感じた温かさののこるうちに
書きつけておくこととして


12/13
<ワタワタ>
ワタワタしている
ここにきて
外は真っ白に覆われてる
頭の中にも積もってる
外の除雪は一段落
頭の除雪をせねば
搬入は18日

きちんと避けるとこは避け
積むところは積む
作業を・・・・
明日終わらせよう

一度、white out


11/14
<私であり私でない>
置田さんの写真展 
[ phase ]

彼女の写真はいつもフシギな気持ちにさせられる

けして見ているはずはない光景が
自分の中にぼかし込まれているようにある感覚

どこといって特異なものはない光景

そのなさが穏やかなんだ

そこへ行ってみたい・・・とか
そんなんじゃない

ずっと持っている
ずっと待っている

そんな感じだ

回帰・・・とされている展のタイトル

帰っていく場所を私も
探し続けているからかもしれない


11/11
<いろいろ>
今日はいろいろな感じ方ができた

大学生3人のテキスタイルの展示には
新鮮な若さのもつ楽しさを

ケルテスの写真がほどく本質と時間と内実

硝子が見せる光と作る人間の前のめりな創作

とっても刺激的な一日


11/7
<本屋>
久しぶりに書店へ行く
お目当ての本と付随して見つけた本で
散財するが、ほくほくとした気分

タノシイなあ
やっぱり書店


11/3
<風が笑っている>
風が笑っている
何を笑っているのかは定かではない

それでも笑っているんだ

初老の私はそう思うんだ

だから笑い返すために
また違うことをする

それでも笑うのかもしれないけどさ


一緒に笑ってみるのもいいかもしれない


10/23
<パラレルワールド>
このお話が来た時期は
会期まで新しいものを考え作る・・・というのは、時間的に物理的に無理だった。

それでもなお出品するためには
私ができることを私としてしなくては勿体ないし
それが責任だと思った。

異世界やSFなものは、私の中にはない

常に現実であり暮らしである

そこで私は段々とキューブ状に仕分けされ始めそうな
まだ箱の中に入れてしまうには早すぎる記憶の痕跡を
拡げたい・・・と思った。

紛れもなく、3.11震災へと向かうものだ

現実は常にパラレルである

現実はつながっているが
それは必ずしも同じ座標軸の上に載っているものでもなく
次元は同じでも少し距離を持って平行に時間を共有していたりする。

その感覚と実体験してはいない者として
そこから或る望みのよすがとしての光芒を示したかった

必ず光は射す

かなり安易であるような思いもしたが
その安易さこそが今の私の感じうるすべてなのだ・・・と吐露することが肝要なのだと思った。

それでも猶、思うのだ。。。ということを。

それは何度も何度も反芻することなのだと

記憶は常に個人の中で、様々な情報に接することでも、
改変されてゆく。
忘れることは止められない。
それは生物の人間としての落とし込まれた生き続けるための方策なのだ。
だからそのままにしておくことを許容していくだけでは我慢ならないのも確かだ

だから、ここで私は拡げようと思った。

直接的なことは何もない
テキストにもない

でも、今回、出品しているものには通底しているものがある

それが表層的ではないかもしれないが
深いところで見えないところで
作用してくれることを願い、祈りながら展示をした

この時期に
美術館という場所で
川のすぐそばで
拡げられたことに感謝です


10/19
<ぼっこりと>
ぼっこりと凹

調子に乗ってたかもしれないな

自戒

9/1
<素中へ>
私は
やはり
天然の素中を
模索したいのです

木と一緒に

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

7/24
<うがぎぐげご>
まあんだまんだ木である
どんなことになるか
まだまだわからない

それでもあせって彫れば
文字通り
墓穴を掘ることになる

確かめつつ

うがぎくげご


7/13
<素>
素をたぐらなければ


いっぱい味付けをした

口当たりはとても美味しい

でも調味料の味しかしないんじゃない?


素の味ってどんなだっけ


そのことを伝えたいだけ


7/9
<やはり>
久しぶりに書き込む

それは、うずきだした生来の天邪鬼の鬼を懐柔するためかもしれない

現在、原子力発電についての反対が沸き起こっている

今になって・・・・・

そんな気分が心の片隅に巣食い、共に叫べない気分

ここまで依存する形になった構造
その構造に対する対策が明確でない今・・・である

それでも電気は不可欠になっている

そのことを
その事実を

もう一度、自分のスマホに映る
外影ではなく
内を照らし
内影をさぐることをしなくてはいけない

・・・気がする


3/18
<ずれずれ>
ずれずれの日
動くごとにずれていく

動かなければいいかというと
それもまたずれる

そんな日

1/4
<足の裏>
一日に誤って、コロコロの柄の部分を
思いっきり踏んだ
右足の親指の付け根の肉球のあたり・・・
かなり痛かった・・・

歩くのを我慢して、ぼんやりして
早、4日に

大分、良くなったので外出で試験歩行。
なんとか大丈夫そうで安堵。

歩かないと脳も活性化しないようでいけません。
私の場合。
踏みしめないと、なんだかぼんやりとします。

足の裏は大事!


12/26
<もやっとしたずれ>
もやっとしている
そして、ずれがある

そんな感覚が
次の展示に向け
カタチに返していく作業をしようとしているこの時期
頭の中に広がって

フォーカスを絞ることがいいのか
そのもやもやとずれを助長していきたいのか

もやっとずれと
もう少し付き合う必要がありそうだ

ただ
ひとつ言えるのは
ワクワクしたいんだ・・・ということ!

きっとまだ古い皮が、まだ乾ききっていないのかも


11/24
<そのまま>
一番困難なのは”そのまま”を”みる”こと
嘘は嘘であるし
本当は本当

ヒトとしての感覚器官を駆使する

それでもみえてないものの方が多い
それはないものではなく
感知しえないもの

存在は我々だけのテリトリーにあるものだけではなく
感知外の存在の支柱が至る所にある・・・らしい

知らないということも人知の範囲内から得た
認識なのではありますが。

それでも
その不可視の存在に向けて
私の意識は向かうのです

”そのまま”は
何が”そのまま”なのかも分からなくなってくる

分からないまま、私は”そのまま”を
感覚器官が働く限り探し、
その都度、感得し、またじきに落胆する

繰り返し、繰り返し


11/7
<覚悟なき>
覚悟なき受動
受容しているのではない第三者

複雑になり距離が遠く見える機構

それでも一人称たる自覚と覚悟を
持ち続けることが
私たちのできること

改めていい聞かす

10/30
<思いのたけ>
昨日、今日、中島公園は写真を撮っている人々があちらこちらに。季節の変わり目を写し取ろうと木々の色の変容にファインダーが向いている人々。
フォトコンテストがあるらしい。
どんな写真がTOPに選ばれるのか・・・少し興味をひかれる。

思いのたけはひとそれぞれだけれど
美しいと思うものは人それぞれだけれど
きっと公園の中にいて、写真を撮る・・・という意識の中に
それはあるのかな・・・

私なら・・・

その光景に目をやり、瞬間の画像として取り込む
そのことの中にあるものは現実なのだろうか
あるいは、個々に存在した時間の反射像としての虚像だろうか

写真は簡素に美しく見えるような画像を提供してくれる機械でフラットなものになっている。

きれいなもの、きれいな画像・・・・

思いのたけは・・・

私は自分で長い棒とロープで作った道具を使い
ぎんなんをゆすぶり落としていたおじさんを
写したい・・・と思ったのでした。

それが、私の思いのたけ

ゾンビも紅葉も鴨も池も彫刻も押しのけて
おじさんがとってもフォトジェニックでした。


10/24
<指先から>
指先から解けていく

首筋の固着した観念は
とてもしつこく私の邪魔をする

光は望むところにある

ふと雨粒が弾く光の散らばる様をみながら
手のひらをかざすと
たよりないぼんやりとした手形があった

どこまでが私の指なのか・・・輪郭は
おもむろに流れ始めた

指先から解けている

10/23
<日々は>
日々はうつろう

なんの遠慮、会釈もなく

そうなのです。

5/5
<途上・・・>
引っ越した・・・と、同時に風邪を引き込む
とめどなく鼻から異物を
体外へ押し出そうとする
ティッシュ二箱分

ようやく治りつつ。

壁を塗り、棚を塗り、徐々に
山積みのダンボールをほどく

70近くのダンボール
まだ半分も終わっていません・・・

そして、まだ治すべきところもありで
こりゃ・・・ある意味ライフワーク
暮らしつつ進行していくしかなく。

ほんとに制作かからんくちゃ
やべ


4/29
<引越し>
引越し完了
掃除延長
終了見込み立たず・・・

4/21
<はきだす>
生物で一番大事な反応
異物を体内から排出すること

・・・はきだそう

それは危機管理にも同じことだ
それすらもできないのだとしたら・・・

3/27
<それでも>
それでも
信じる

それは
存在するしないのではない

信じる
祈る

ただ そのことだけだ

3/19
<そうなんだ>

そうなんだ

いないんだ

この地球には


3/18
<やる>
やることはやる

偽善といわれようと

ダサいといわれようと

売名といわれようと

意味ないといわれようと

なんだろうと

かんだろうと

やるのだ


3/16
<役割>
もっと役割分担はできないんだろうか
同じことを同じように放送
そして微妙に情報が違う

これはとても無駄遣い

電気も情報も人も

各々にここを見ればこれが分かる知ることができる
そんな割り振りはできないのか

日本全体で支えあおうと言っているのに・・・

お互いが同じレベルで同じように追いかけても
でてくる情報は左程変わらないなら

特化した取材や情報収集の仕方をすれば
もっと被災地の人たちにも有用な
放送ができるのではないのか

われわれに何を見せたいのかが
分からない

メディアとはそんなものなのか・・・

根の深い問題なのか


2/10
<新しい道路>
ここ数年、新しいことを(net関連)積極的に
オミットしてきた
しかしながら、今年1月から、twitterに触ってみたら
面白くなった
これまでには嫌だとおもっていた事柄は
ある側面だけなのを知った
と同時に、怖さも感じる

改めて、人はいろんなとこを駆け巡り
いろんなことを考え
いろんなことを感じ
いろんな表現で
それをつぶやいている

つぶやくという言葉が示すのは
パーソナルなものだ
ただ、それは、鍵をかけないかぎりは
誰でも聞けるものになる

張り巡らされた網の一端を伝いながら
驚くべき人たちがいることも
知ることとなる

その知はどういう類のものなのかは
まだ、自分の中で醸成されていないから
はっきりと言うことはできない

ただ確実に、今まで歩いてきた道路とは
まったく違った質感と温度と長さと複雑さをもった
道路なのだと思っている

分かんない事だらけだ

それが正直で素直な感想

これから

2/1
<冷静になり>
ついに本日51回目の生まれた日を迎えた訳ですが
自分を省みるとかなり寒い思いがする(笑)
寒い思いをしたおかげで冷静さを取り戻しつつある

いろいろ前回で書いたことを考えてみるにつけ
疑問というかあり方の変容が迫られているときなのではないかな・・・と思います。

現実にLIVEの映像がネットで流れてしまう今、メディアとしての既存概念が横滑りしていくとすると、そこに人が情報を求める時、役割の分担がなされるとするならどんなカタチを準備して欲しいか。

そんな岐路には、あるように思う。

徒に裏も取れぬまま、不安を掻き立て、特定の方向性を導くようなあり方は、新聞のあり方ではないよな〜
いろんな感情を刺激するような情報が流布されるこの時だからこそ、そこは踏ん張ってもらった方がいいのかな〜
それが購読者の減少を招く・・・・ということにならなければいいのだが・・・・
やはり信頼を置いておきたいのは新聞
紙媒体、云々と言われているが
踏ん張ってほしい!と、いうのは正直な気持ち

信頼に足るものは欲しいのだ


1/30
<それでも>
最近 twitter 興味深く、そちらに書き込んだりした。
でも、やはり、不特定多数の人に発するには不適切なこともあると感じた。
もちろん、ここがなんでもありなわけではないのだが
とりあえず勝手にフォロワーさんのTLに入り込む訳ではないので、もう少し突っ込んだ話をしようと思う。

Twitterで感情丸出しで報道のあり方を指摘した。
なんにもなかった
かえって引かせてしまったかもしれない

メディアそれぞれに役割はあるのは理解する
ただ・・・ただ・・・起こっていることは
伝えなくてはいけないことはあると思う。

数字の羅列、おおまかな結果の羅列では
それが実際にどのように行われたことなのかは
皆目不可解になることは目に見えていると思う。

なぜ人々は暴徒化するのか
どのように行っているのか
なぜ警察は実弾(ゴム弾)を発砲するのか
どのように行っているのか
なぜ警察はその後逃げ出したのか
ある情報では
警察は市民に向けて発砲させるべく、囚人に銃を持たせて解放した…

「警察は確実に殺すつもりで撃っていると医師。半分近くの人がゴム弾で撃たれている。ゴムでも頭や喉などを至近距離で撃てば殺傷能力がある。どうか軍隊を病院に派遣して下さいと医師。
こんな恐ろしい情報も流れた

なぜ軍隊は一部は民衆の側に立つのか

新聞やTVの役割はなんだろう

本当に頭が混乱してしまった

アルジャジーラが正しい報道をしているとは必ずしも思わない。だが、実際に起きていることを伝えていることは間違いないことだと思う。

100人あまりの人が亡くなっている。
1000人以上の負傷者も出ている
個別にあげる訳にはいかない
でも、目に余る行為や状況にはきちんと説明し
伝えなくてはいけないと思う

日本では・・・
警察がいなくなり一部暴徒化した民衆を映し
軍隊が交通を規制している状況
博物館さえ襲われたということを繰り返す

どちらにも狂奔した精神状態はあるのだと感じる

どっかのコメンテーターは臆面もなくこう言った
「アメリカはこのままムバラクがいるのがいいと思ってますよ。その方が中東情勢は維持できると思ってますよ。
軍隊はムバラクにピターッとついてますからチュニジアのようなことにはならないですよ」
起きているひとつひとつの痛みはあまりに彼には軽い出来事なのかもしれない。

私は、この人を金輪際、信用しないと決めた。

その痛みをきちんとどんな方法で痛みがもたらされたのか、その状況と意味を心の底に置いた上で語るコメンテーターがいて欲しい

まだ、混乱は続いているのだ


12/7
<その上で>
その上で
共有する記憶の果たす役割が軽いとは思わない

その僅かにでも交わる部分の中で
自他の交接の実感を持つ

いつかしら忘れ去った記憶と
刹那ごとに強くはりついていく記憶

それはふたなりの現実

名前ではない実感

違うものを感じるためには
自分の中に違う何かをしみこませるためには
その部分に滑り込まなくてはならない

概念の違いでさえもだ

簡単な握手はできない

それは反意をもつということでなく

覚悟がないと手は差し出さない

言葉を交わす

そして新たな共有する記憶として
各々が持ち帰らなければならない

各々が築いた共有する記憶は必ず力になる

12/6
<共有する記憶と相容れない個人的な感覚の貼りつく記憶の届き得ない握手>
無駄に長い表題です
昨日、見た展示と映画
なにかすっきりしないもやもやを抱えている
それがその長さ
oublier
「忘れる」ことで特定の記憶は強くなる
いささかの変質、いや、薄い絵の具を塗り重ねていくように
原型を少しづつ変化変容させながら
それはいかなる忘却の誘惑にも
惑わされずに
新しく古い記憶になっていく

共有する記憶は、どこか記録と似た様相を帯びる
そこにある光は均等に広がっているようだ
そして、その記憶に覆い被さるようにして
個人的な記憶が感情を伴ってある

そこに橋を架けるのは
反意を持った条約の締結みたいな
不実を思う

完全な握手はできなかった

言葉は交わせても

そう思うのだ


11/28
<私と貴方の月>
我々は月を見ている
見ていない人もいる
でも、見上げればそこには
地球と月の位置関係に応じた形をした月が
まごうことなく、雲の邪魔さえなければ
所在なげに浮かんでいる

この現実世界を憂う言葉を
最近は特に多く聴くようになった

それは。。。

ごく最近になりその憂いの尾の先にある
なにかまやかしのような
内側に折り込められた目には見えない
マジックのタネが存在しているように
感じてしまうのは
単に私が天邪鬼だからではないと
思う

憂いながら私たちはその古い赤い葡萄酒色の
憂いの中で酔っている
何事をも変えない概念と言葉のすり替えによって

源となるゆがみは依然として弧を描くように
私たちの周りに延長されている

認識の仕方は常に同じだ

月が一つであると疑わない現実という
不確かで砂の地面のように足元が動く
自らの概念の台地の上で塔は
高く積み上げられ続けている

私と貴方の月は同じであり
同じではない

そのことが重要なことなんだ

認めることが


10/16
<雪虫>
雪虫を
みた

ただそれだけのことで
生きていることを
思い出す

不思議なことばかりの中で


5/30
<当意即妙>

その場その場に応じて機転をきかすこと。また、その場の雰囲気に合わせて、すぐさま気のきいた言動をすること。

仏教語引用の元の意は

世界に遍満している全ての現象が、各々その位に住して各自が素晴らしい自在のはたらきをすること

・・・・・・・・・・・・・・・・

現実にあるイノベーション
それと
古代にあった技術

どれほどの違いがあるのかといえば

それは自己の存在の大きさを
どのように認知しているかだと思う

それが視野から外れてきたとするなら
それは種の限界点なんだろうか・・・とも感じる

特異な種であるヒト
特異で異端であるが故に
我々の位置するはじっこにある
現実をしっかりと存在と共に感じなくては


5/25
<もひとつ>
前ネタと似たことで

ラスコー洞窟の壁画は、1万6500年ほど前の氷河期に描かれたものであると考えられており、牛や馬、カモシカなどが描かれているが、この壁画に、「夏の大三角」と思われる明るい3つの星の並びと、「プレヤデス星団(すばる)」と思われる星の並びが描かれているのが発見された・・・そうな。

まだ考古学、天文学双方からの
完全な同意は得られていないらしいけれども
同意する人たちも少なからずいる

いろんなアプローチがされている
ラスコーだけれども
古代の人々の空にある何事かに
いざなわれる生活と精神を感じますね

きっと、それだけではない
様々な概念が折り重なった意匠なのでしょう

そのひとつとして
星があるというのも
しっくりとくる

グリップする
内的な動きのあり方です

5/23
<腑に落ちる>
ピラミッドの石って
切り出して運んだ・・・・という定説が
なんとなく・・・もや〜っとした感じで
イメージとしてすっきりせず・・・

最近、聞くのは
セメントのようなもの
いわば人造で作られているかもしれない
・・・という説。

腑に落ちた気がする!


5/22
<うららか>
うららかな日和

思いの索は放埓に

土器につけたらとんでもない模様になりそう

この季節の
新しい葉っぱの色は綺麗で明るい

二酸化炭素も彼らには必要

私たちはとんでもない悪者にして
知らんぷり
自分たちで出し続ける

保護って言葉は似つかわしくない
そういう言い換えが
見えなくしてしまう
事実でさえも

山川の末に流るる橡殻も
身を捨ててこそ
浮かむ瀬もあれ
・・・ってね!

捨てるところはどこか
捨てる時は何時なのか

それでもうららか


5/21
<interactive>
INTERACTIVE
作用しているのか
どこと?
それは情報?
及ぼしていることの本質にあること
そこが肝心
表層雪崩を起こしかねない

まずは
自己の外と内


4/11
<とても静かに>
とても静かに
TO OV cafe での展示は終わりました

毎日流れゆく人や自動車や自転車や
散歩する犬や風や光や雨
そのひとつひとつが私の展示の意味
だったかもしれません

新しい出会い
時を隔てていた人との邂逅

とても実感の伴った展示に
なった気がしました
それはやはり「場」の力が
大きなウエイトを占めていると感じました

なにかしらの流れが
何処かしらにほんの僅かでも
揺らし発現となっていたら
これ以上のことはないです

とても静かにゆっくりと
私の中にもまた動き出す
エネルギーを蓄積してくれた13日間でありました

感謝!


2/28
<ゆくかわの>
ゆくかわの流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし・・・・

川の流れは飽きないです

雪解けとともに開く
展示の中に流れるものは
ほんの塵ほどでも
そんな感慨を


1/17
<水>
月にも火星にも水
地球の生き物は水が根源
そして我々の脳の中の水の変化

水は流れ解ける


12/16
<振り子は両方に>
振り子は両方に振れる
同じぐらいに
簡単なことだけれど
忘れていた

ふたなりの現実

深く正の方向にふれていたら
その逆にも必ずふれている

見せてもらえた

それでも
今、すべきこと
しなくては届かないところに
行くためには
ひとつづつ積み上げることをしなくては

作りたい・・・表現が難しい
作るというのでは少し足りない

そんなことに向かうために
不器用に積み上げるしかないな〜〜


12/2
<車窓>
晴れた初冬
JRの車窓から見える山々は
とても近く見えた
街並はクリアに
山々は僅かに青白く霞み
対比的でありながら
街の建造物は
まるで山々から切り出された
切石がくるまれるように
青い空気の中に

息を呑むような
ごく当たり前が
静かに絶え間なく変質し続ける

偶さかの美しさはすぐそこにある


11/19
<浮き足立つ言葉>
重たい質感を持つ言葉が
最近、その語感のみで使われている傾向を感じる

それはマスメディアがかなりの責任を
負わなくてはいけない気がする

それが及ぼすのは
言葉の持つ内実が搾取された
言葉として実質感として感じられた
ものが感じ取られなく
その表面にあるうすっぺらい感触でしかなく
それはともすれば、自分の感覚を鈍磨させ
自分と社会との希薄なつながりをも
誤った喚起をすることになってはいないだろうか

簡単に口に出し、売り出されてはいけない言葉も
あるように思う

説得されうる言葉自体の力は
徐々に衰弱してる・・・ように

浮き足立ってはいないか?!


11/17
<左側頭部のむず痒さ>
次の個展に向けて
一人ブレイン・ストーミングを始めている

もや〜っとした、ず〜っと考え続けていることを
見えるカタチにしていく作業

そういう時、決まって左側頭部がむず痒くなる
ニューロンの枝先が違う経路を捜している
そんな感じがする

だんだんとその広がりが前頭葉に
そして右側頭部へと移り頭全体が
むず痒く、ぷちぷちと今までつながっていた
経路の断線の感触

最近は左、右と交互に短い間隔で
その感覚が起きているような気がする

どうも私の場合は左脳から物事が始まる

だから「叙述」するような物づくりを
してみたいと思うのかもしれない

それはもしかすると致命的に
芸術家ではないことを示唆している

私は私のやり方でしか
作り続けることしかできない

不器用に不細工にまた
芽を出し葉をつける


10/30
<立ち上がる>
ヒトが立ち上がったとき
見えた景色
その景色がヒトを進めていく道を見せた

違った景色を目の当たりにすると
感覚にひっかかるものが変わる

また一段積んだ敷石の上に
立ち上がる


月に水があるらしい

地球にも水はある

地軸23.4度の傾きは月があるから
その絶妙な傾きが地球生命圏を形成した

立ち上がる起因した物事
眠っていた承前がはっきりとする

觀ることを忘れちゃ
立ち上がっていても
なにもうまれない

確かに静かに目の前の景色は
同じ要素を提示し続ける

そこに何を觀ることができうるのか
何を聞き取ることができるのか
何が薫っていると感じられるか

手に伝わることを


10/27
<ないまぜに滲む>
いろいろな時間軸の中で
無数に貯め込んでいる記憶
刹那の繰り返しが作るのは
記憶をとどめ置く場所
大きさ・形状はその都度に変化していく
経験が作る空間は
おのずと予め用意される場所もあるかもしれない
意識することなしに
出来事の記憶は
収納されていく
次第に奥の方へとされるもの
いつも取り出しやすいところに
常に移動しておくもの
だんだんと増える記憶の空間
既設された空間の変容
矮小化していく空間
消失したように感じる空間

そのすべてはないまぜに滲みながら
意識の表層にその都度、必要な部分を
再生し浮かび上がらせる

一緒のところにあるようでいて分けられている記憶

その滲みの渺茫とした光景は
焦点がおぼろげになった
仄白いいくつもの塊が集まっているかのように
觀える


10/23
<ものの輪郭・心象の無形>
もののカタチとして外側にあらわれるのは輪郭
それはものの幻線

心象には形がない
・・・だろうか

概念的に或いは視覚的に
知覚する

慣れた仕方ではない
方向から表したときに

その実体は
いつもの知覚とどうつながるだろう

違和感は生物が生きる為の
もっとも大切な感覚である

僅かな違和感
ずれ

そこに新鮮な水は流れている
気がしてならないな〜


10/18
<呼応>
建造物は内的な表象であり環境
時代に沿って
マテリアル、様式、サイズは変化
民族的慣習、生活習慣、気象環境、思想形態、宗教も
大きく関わる

人間の内的表象として呼応している

心理の内的構造はカタチではない
しかしながら、その内的構造の有り様を
ひとつの試みとして
カタチに変換してみた

ひとつのKEYとなるのは
数え切れない経験とそれに付随する
知覚的認識、感覚は
脳(心?!)内に記憶として収納されていく
その収納空間は各人各様に
数もカタチも広さも違うはず

そしてその空間は日々刻々変わっていく
なくなっていく空間
新しくしつらう空間
広げられる空間
空間同士のつながりも変化する
光の入り具合も違ってくる

輪郭・外郭はないようでいてある

もっと作品として煮詰めていくと
呼応して、
また違うカタチになっていくような気がする


10/16
<どっと>
個展会期が終わったら・・・
風邪を思いっきり引き込んでしまった
症状から新型の厄介なヤツではなさそうでよかった
が、結局二日間ほとんど寝たり起きたり
ようやく今日、鼻からの漏水が止まった
まだちょっとだるくせきもちょっと
早く動けるようにしないと

今回の個展は、いつにもまして
再会の日々
5部屋あるうち開けてたのは、我が部屋のみ
間違いなく私の展示を見ようと
やってきてくれた人たち
天候も不順
台風やらあられが降るやら雨やら・・・
それでも訪れてくれた人々に
心からの感謝

おそらく
今回出した新作はこれまでのものとは
まったく主たるモチーフが違うもの
それでも私の中では
続けてきたことの延長線上であると思っている。

「場」との関わりに、昨今は触発される

そして、その触発され呼応するように
出来てきた作品は、当該の「場」だけではなく
他の「場」にも現れる時は、様子を変えて見える

各個展の回ごとに、観た人たちの印象に残るものが
違っているのはそういうことなのだろうと。
そして、そのひとの変化でもあるのかもしれません。

作品、ひとつひとつではありながら
それがある順序・間隔・光で並んだ光景も
ひとつの作品として
「叙述」するように作りたいと願う


9/15
<むずがゆい感覚>
ずっとむずがゆい感覚が続いてる
手を出してしまえば
一歩進んでしまえば
何のことはないそのアクションを
できず・・・というか
保留しつつ、熟し落ちるときを
た〜だ待つ
といいつつ、いろんなあがきはする
光をあててみたり
水を与えてみたり
袋をかぶせてみたり
毎日なにかしらのアクションのための
アクションをし続ける
むずがゆい感覚は続く
だけど茎の色はもう
落とす準備はできている
地面に落ちて割れる前に
掌で受け取る準備だけは
おさおさ怠りなく
目は見開く


8/15
<ひとつの現実>
たったひとつの現実
そこには数え切れない命のあるものや
生命活動をしていないものも関与して
構成されている
見方によっては、善でもあるし悪でもある
そんな判断基準は意味がないのかもしれない
用意された観念とモラルの多寡によって
一時的に下されることだ

たったひとつの現実には
いくつもの物語がある
思いをめぐらすヒトの数だけ

それが複雑に絡み合っている
表面的には滑らかに廻り続ける
ベアリングが動かす機械のようだ
それが時としてひずみを見つけ出したことで
それまでとは同様な動きをしなくなる

たったひとつの現実は
限りない過去という記憶をはらんでいる

月は毎夜やってくる
その月は昨日の月と同じものかなんて
考えるのも馬鹿馬鹿しいことにおもえる
けれども・・・

たったひとつの現実は
たったひとつではない認識の中に
区分されない時間と同じように
カタチを変え続けているに違いない

たったひとつの現実は
通り過ぎるともう違う現実に変わっているかも
しれない

それがたったひとつのたったひとつである
唯一の所以なのだ


8/10
<反映>
月から見える地球

ぽかりとあるものは
自分の存在のありかを見ていた

それは外貌としてあるのじゃなく
逆に内側から見ているような

反映される心持は月の上に
うずたかく積もっている

穴ぼこだらけの反映の対象から見えたのは
天体というよりは
身体だと

8/1
<もうひとつの>
もうひとつのLIAISON
外に向かった時間を過ごし
今度は内にも向けて
違う母音との重なり合う響きを捜す

それはネガティブではなく
ポジティブな内へのアプローチとして

どんな音節が生まれてくるかは・・・
あとふた月しないと
私にも分からない

それが生き続けている源泉なのかもしれない

もはや化転のうちにくらぶれば・・・の齢
まだまだ転がる


7/12
<おそらく>
木々の中にいた1週間から感じたこと
少し滞留させてみたら・・・

やっと挨拶できた

そんな感じです
憧憬する対象だから
失礼があっては・・・
拒絶されたらちょっとツライな〜
そんな感じで臨んだ

おそらく
挨拶は返してくれたように思う
今度は少し会話するようにしてみたい

そして、つらつらと・・・
生きてきた記憶の中から
つながってくることが見えた
いや・・・聞こえた?!

水の音と共に流れながら
つながる川の行く末の奏でる主題が
散りばめられたエポックのひとつひとつとして
成り立っている

これから出す音は
それと調和させ、発展させるものに
なっていくに違いないと思う

まったく外見が違った相貌を
していても、内側で反響するのは
つながってきた和音の響き
・・・なのだと

6/4
<本質と理想>
理想を語ることは気持ちがいい
ただ、人間という種であることの本質を
忘れては、本当に絵に描いた餅を涎を垂らして
いることになる
現実に潜む曲々しいことのすべては
底に澱む種としての性質

嫌悪されることに対して
目をそらし認識せず思考停止になることは
クリーンルームで暮らすことは
生きるということと同義なのでしょうか

汚れた怖ろしい原質と共に
私は在る

そこから始まる理想に向けて投ぜられる
軌跡を思い描け始めた時に
ひとつ違ったループの生態が生まれる
・・・ような気がする・・・・だけ?


6/2
<ヒト>
ひさしぶりに人の多いところを歩いた
自分も含め多すぎるのかな〜・・・と
単純に思った

偏ったことには、それなりの変化が起きてしかるべきの自然界においてはかなり異例である存在量

今、一番不思議な生き物は
人類なんだろうな〜と
直裁に感じた

思っちゃったんだからしょうがない〜

それでも
また個展が近づく
木々と仲良くなれるかが
今回最大の課題です

予定した場所の庭には
明るい色の葉が悠々と日光をうけ
鮮やかな営みが水の匂いと共にありました

間違ってなかった〜〜と少し嬉しい再確認でした


5/23
<いるってば!>
あまり知られることのない生き物の研究に
携わるひとのひとつの言い方で
「誰かが記録しのこさなければ
この生き物はいないことになってしまうし」

確かにそれがいるのだということを知らされなければ存在するという認識を私たちは得られないけれども〜
それっていないことにはならないでしょう

そこにもひとつ観点を変えて展開できる場所がある

ヒトが知りうる世界は限られている

いっぱいいるってば!分かんないものたちが〜


5/16
<目的>
一番厄介なのは目的
すました顔をして袋小路に追い込む奴

一番罪深いのは目的


5/8
<歳?>
歳なのかな〜?
こないだのNHKの話もそうだけど
いろんなことが違うっ!!!て思うことが
多くなってきたな〜
現実の常識の量り方がどうも違う
生活のあり方も違うからかもしれないな

ただそれを加味しても
今、人間が直面している現実に対処の仕方は
承服しかねる

廻っていることどもの見える部分だけでも手に余る

種としてのルールからも大きく逸脱したループを
修正するための方策は、現在まで保持しつづけてきた
目的と便宜性に立っていては有効なものではない気がして仕方が無い・・・

歳かな〜・・・


5/5
<なんかやっぱり>
NHKの地球LIVEは・・・・
なんかやっぱりずれてる・・・・・
わたしがずれてるのか・・・・・・・・


4/28
<隣>
明るく射し込む光が壁に
半開きにした窓枠の此方側の色の彩度が落ちてる

すぐ移る筈のこと
すぐ隣に対極はいる

魯山人は移ろいの人
器は移ろひを待つ
きっとただならぬうつろひのとなりへてをのばす
手があり続ける

生命は必ず死を携えて生まれる
隣にいる

だから現在が、うつろふだけの刻が
たまらなく心の底をさらっていく

光と闇は互いに補完している隣人
ぼんやりと脈絡の無いことが歩く


4/23
<下にある>
メキシコに結晶洞窟がある
そこは鉛や銀の採掘をしている鉱山
汲み上げた地下水が抜けたことで現れた
結晶世界
10mにもなる透明な結晶柱、切っ先を向けた
まるで顕微鏡の中の棘のような集合体
・・・以前、読んだJ・G バラードの小説を思い出した

摂氏44度の世界
冷却スーツを着用しなければ人間は入り込めない

3000以上洞窟を見たっていう洞窟学者のイタリア人の学者でさえ初めて見たと興奮して、身体の危険なんて忘れて上気した面持ちで語る地中の光景

やがて採掘が終わると、地下水が抜かれなくなる
そうするとそこもまた地下水に満たされる
束の間の場所
まだそんな風に未知の場所はある

なのに・・・・あっちこっちで
勝手に二酸化炭素を注入して、地層処理って!
ええんかいな、ほんまに・・・


4/21
<凹み>
凹みに効くのは・・・
その凹みに何かを嵌めてやる
寸分無く。。。は無理だけれども
その凹んだ影の部分を大分埋めることはできる

うっすらと細くなった影には
もっと光を当ててみるか
もっと小さい何かを押し込む

そうした重なりでできてく


4/19
<分かっても分からなくても>
もうすぐここでも桜が咲く季節
夜はまだ寒い
それが心地良い
特段、陣取って飲み食いするわけでもないから
歩いて見上げるには程好い

分かっても分からなくても
桜はその下に眠るものを喚起する
咲く姿は内的な振動が伝わってくる


4/4
<どうして?>
知る・・・
っていう、概念を自らに植えた

そのために
何ガロンの水を遣ったかしれない

数えられないくらいの芽が
様々な土から
にょきにょきと出てきた

葉を作り幹は太さと長さを得て伸びた
幾本も枝を各々の樹は持った

そのすべての樹に生る実に
「知」があった

だけど
その果実の味は
信じていた味とはすべていつも違った

戸惑いながら、食べた後の種を
また土に埋め戻す

今度は
今度こそは
思い描く味の果実になれ・・・


4/2
<痛いは>
一月半ぶりにからだのあちこちが痛くなり
こりゃ〜・・・と思ったら案の定
熱が発生

ある程度前兆が分かり始めて
もう2年くらいになるだろうか
対処は自分なりの仕方が出来てきた

痛いは嫌というほど肉体を感じさせられる
と同時に感じる感覚をも突出させ
他の意識を押し込めてゆく

或る意味感覚のリセットが行われた気がした


3/29
<やんわり>
やんわりとした温度と光が満ちている

フリーの猫たちの姿が目に付く
度合いが増えてきた

足跡だけではなく

ご近所のもう老犬の域にはいっているだろう
柴犬の目も細長く
身体を心なしか緩めた姿勢で
うとうとしている

胡蝶飛ぶ姿の在不在の曖昧模糊とした
時間が包む日曜の午後

宙ぶらりんになった気がしている


3/23
<二面性>
人間にとって
文化と遺伝子は密接な関係にあるそうだ

遺伝子・・・
生物共通の原理が人間にも作用している影響

「新奇探求性」と呼ばれる性格は遺伝的な要素が強く、
遺伝子の塩基配列との相関が報告されている。
反対に、文化が遺伝子変異の広がりを左右した例もある。
牛乳に含まれる乳糖を分解する酵素に関する
突然変異は牧畜文化の広がりとともに
広まったことがわかっている。

文化的な側面を持ったことで
地球環境に大きな影響を与える存在にもなった
人間のありよう

宇宙にもゴミを放置し
棲んでいるこの地中にさえも
厄介者を埋めてしまって
無いことにしてしおうとしてる

エコってなんでしょ?

高度・・・とは、あまり言いたくない
複雑化し、膨大になった情報
バーチャルに取って代わられる経験は
棲息環境を便利にしていく

新しい病理は静かに拡がってはいないか?

起きるストレスと呼ばれる因子が
種の原理生体的抵抗をコールし続けている

今に遺伝子も入れ替わるつもりなのかもしれない
でなければ・・・


3/21
<矛先>
いつからか分化してきた
命題の解決方法
様々なアプローチで生まれる解は
どこかその目標軸へ向かうための
グラフ作りがされているように感じる
哲学であれ心理学であれ脳科学であれ分子生物学であれ量子物理学であれ宗教であれ・・・・

f/1のゆらぎの心地よさ
向かう波(力)に反比例する現象が
もうひとつの見方として
意識や物の存在自体に近寄る道筋として
歩いてみる興味深い方法

<私>の向ける矛先はゆらぎ
中心からぶれぶれ

その軌跡こそが<私>

3/18
<水の意思>
人間の意識の形成に脳内の水が
重要な役割を果たしているという仮説がある。
この理論によると、
脳内部で発生する熱によって水分子が動き、
その動きが神経細胞の活動を
絶え間なく引き起こすために、
人間の意識が作られているのだという。
水分子の動きは極めてミクロな現象なので、
現在の技術では直接観察することは難しい。
しかし、最近の研究で、
脳細胞には水分子だけを通す穴が
あることが明らかになってきた・・・・

それは誰の意思?
そもそも意思ってどんな?

こう思うと科学は哲学が扱っていることと
密接につながっている

春は水の音
その意思は内に外に
響いている

感じる感じないはまた別の話


3/11
<こもる>
こもる
くちごもる
ひきこもる
たてこもる

内側からにじんでくる

その澱のような感覚は
決して明るいものではないけれど
見ておかなければならないこともあるような

陰干しする記憶
まつわる現実の認識
ぼんやりと立ち上がる


3/1
<小さな足跡>
雪が降ると足跡が分かります
私の住んでいる場所の前にも
じぶんの足跡
その外に小さな足跡
素足で歩いたその足跡はここが
彼ら(彼女ら)の通り道なんだと判った
特に声をかける訳でもない彼らの
気配はその足跡の窪んだ
体温の穴と共にある

たまにはピンポン・ダッシュくらいしても
許そうと思った


2/26
<僅かな時間>
空を見ると青い
雲は白い
その青と白の間にある
青と白

僅かな時間にいる


2/24
<あまのじゃく>
いい!といわれると引く・・・
だめ!といわれると知りたくなる・・・

こぞってもてはやされている環境は
何かの後ろ盾をもって
猫も杓子も

静かに出会いたかったものが
すこし離れたところへ押し流された

あまのじゃくの、この性質は
きっと死ぬまで、死んでも変わらないかもな〜

白い衣装を着れるような死に方さえ
もしかすると遠のきつつあるのを
感じている

だからこそ、静かにひっそりと
出会いたかったな〜

もう少しほとぼりの冷めるのを
待つとしませう。


2/22
<遠くに>
心を動かされることは
日常の合間にもある
涙を流すほどではないにしろ

慣れる・・・という感覚は
感覚の流れをスキップする
行動・認識を早くすると同時に
見過ごす細かい相違が生まれやすくなる

未来予想的な環境は・・・・
ひどく落ち着く場所を見つけられない
その予想図はどこか極端な
科学技術の進化
もたらすアーティフィッシャルな都市環境
地面が見えない
空にも飛び交う交通の網
地下さえもそのテリトリーにも加え

果てはそれが壊れた凍るような光景

遠くに見えるもの
現実ではあるけれども
日常ではないこと

そんなことに安心できる心の昂揚が
あるのかもしれない

風が吹き雨が降り雪が降り草が芽吹き樹が葉を茂らせ動物が食み・・・・

望むらくはそんなことがある環境に
暮らしていることを


2/17
<進化の必然>
パスカルは想像力ってずるいとのたまう
誤りと偽りの主である・・・・って
彼にとっての進化は理性
簡単になんの説明も無くひっくりかえす
想像はとても邪魔っけだったかもしれない

人間の誤謬のいちばんおかしな原因は
感覚と理性との間で行われる戦いである・・・とも

理性と実証を積み重ねてきた固い現実
固い現実の上にいっぱい高層の建造物
その地盤も緩んできた
地盤の構造自体は完璧なものではないから

そこを埋めるためにいろんなものを詰め込む
ただそれも大元が緩んでいるから
全体が傾いていくことは止まらない

傾きを止めることは無理かもしれない
その傾きを作ったことを語っても意味は無い
傾きは何処でも何時でも何にでも起きる
傾きに見合う進化を遂げられるかが
種の力かもしれない

進化の必然は人間にも起こるのでしょうか


2/16
<冬の水の底のような部屋>
木に向かって鉈を振り続けていた
いつか時間は夕方になった
TV画面には海の中から映した映像が流れている
少し暗くなった気がした
一息をつくつもりで窓に向いた
すっかり沈んだ日の光は
僅かに余光を雲に写して
プルシアンブルーからコバルトブルーの背景に
ダークグレイの薄い雲にハイライト
水の底から水面を見ているようだった
徐々に暗くなっていくと共に
自分は段々と深く深く沈んでいく・・・
そんな錯覚を覚えた

勿論
カーテンを閉めて
部屋の灯りをつけた

冬の水の底はそんなに
冷たくは無かった

2/15
<どこに>
どこにそんなものがあるというのか

見えないことが見えるものの輪郭を作るから
私はひたすら見えないものの見えない影を
追い求める

見えるものは、見えないものを想像するための
カタチであることのような・・・

常に見えるものは変わり
見えないものは変わらない

変わらないものがないとするなら
見えないものは無

ないからこそ
そのないものの相觀を
かたちとしてあらわす

現実をしっかりと腹のうちに落とすために

考えることは無であり続けること

意味などどこにもない

あるのは切実に感じ続ける
見えない現実の膨大な量感

音階の間に無限にある音の響きに
耳をそばだてる。。。。。


2/10
<Andante tranquillo>
歩く位が丁度良い
殊更の抑揚は要らない

今、幽かに響いている曲想

現れ始める主題に近づく為に


2/9
<そこかしこの分からないこと>
アラビア半島のソコトラ島
竜血樹という木が自生している
或る村ではその樹液の塊を売って
生計を立てている

竜血樹の欲する霧がその村の高度で
発生するため、多く自生していた

最近、霧の発生の高度が高くなった
やはり地球環境の変化
竜血樹は枯れ出した

住民は原因にはっきりとした理解はできない
それでも樹は枯れる

分からないことは
分からないところで
分からないうちに
進んでいる

生活はどこかにつながっている

そんなこと、もっと小さなことも、
そこかしこにある
そしてそれらが積み重なる

積み重なった層が大きな変化を作る

まだ自分たちの正体さえ
掴みきれない間に

そんなことは分かる必要もないのかもしれない
ただ分からないことを知り
分からないことを起こしていることも
知る必要はある気がする


2/2
<相互作用>
生活環境は刻々と変ってゆく
年代における物事の認識・感じ方は
そこに礎点がある
時間と共に自らの概念が固まる
やがて固着した澱のように
変わったもの、新しいものをはじき始める
変わった事との関係において
それは不可解・疎外感をつくる

否定ではない受け取り方をする姿勢
理解できないのは自分の内にある現実
その内なる現実と外にある現実とを
なるべく反目しないようにしたい

知り、受け取り、想像し
相互にサインを受け渡してゆく
作用を起こし続けていきたい

私にとって、つくること、展覧会を開く事
それが相互作用であり
そうでなければ、あんまり面白くない!


1/30
<リエゾン>
リエゾンしていく音節に
惹かれる
次の母音に重ねる子音のつながり

輪郭、外郭は出自する固有の
時間と場所において孤立するものではなく

無理矢理に便宜的に輪郭をつけられている

流れていく視覚
リエゾンしていく認知

そんな風に記憶はある


1/23
<静かな場所>
最期に静かな場所が必要なのかもしれない
自分のためでもあり
そこに訪れる人の為でもあり
贖いのためということなのかもしれない

ものを作り描き削る人々の中には
最期の仕事として
礼拝堂を残す人たちがいる
必ずしもその宗教に帰依している訳ではない
人もいる

礼拝という言葉には
“宗教”が必ず絡み合う
それが礼拝堂がある理由のひとつ

信者でもない人間でも
そこに佇み、とりとめの無い存在に
心静かに想念を届けたいと感じるのだろうか

対象となる存在は
現実にあってもなくてもいいのである

静かになっていく自分の現実においての
存在と呼応するように
希求する何事かが生まれてくるのかもしれない

静かに願い、静かに祈り
静かに語りかけるのです。

その言葉は、誰に宛てるでもなく
光と影の重なり合う境界を滲ませながら
拡がりながら、“今”と交じり合って
消えてゆくのです

静かな場所・・・・私にとって
どんな場所を用意できるだろう


1/21
<忘れる>
いろんなことを忘れる
忘れないとオーバーフローしてしまう感情

それが種を存続させる

そしてこびりついた記憶に
支えられている

忘れてはいけないという教えの中に潜む
分化・隔離された意識は
特化されて、免罪符や大義名分へ。

バランスが必要?!・・・・

他にも沢山忘れてはいけないこともある筈

記憶と感情のもつれ合いが
悦びも哀しみも怒りも産みだしている

忘れることは残ったものの姿を増幅し続ける


1/19
<なにか>
もしかしたら・・・
何度も経験してきたことなのに
連鎖・・・という単純な図式ではない
感覚の麻痺が起きている

それさえも、なにか要素のひとつであるかのように

人間の進化・・・とうか、大きな変化は
たとえば二足歩行になった
たとえば言葉を獲得した
なんて変化は
長い停滞期を経て劇的に起きているらしい

なにか変わることのできる要素はないか
・・・と目を皿のようにしてみても
見えてくるのは外形は違えど
内実は同様のことばかりが見えてくる

何を食べ
何を着て
何処に棲み

なにか達成しなくてはいけない・・・
そんな妄想に憑依しなくても
生きていることは
けしてつまらなくはない

そして、そんなことを考えなくても
もっと大きなサイクルの機構は
ゆっくりとしかも突然に
環境を変える準備をしているのかもしれません

それでも!
今、変えたいと思う
想像し続けること
感覚を麻痺させないことに
気を遣いたい

なにか・・・・


1/5
<生活>
生活はキビシイ
考えなくてはならないこともいっぱい
他人事ではないニュースを見るにつけ
自ら選んでる自分のオバカさに呆れるが・・・

崖の上の・・・ならぬ、崖っぷち近し。

それでも作ることは、もう生活というか
呼吸というか・・・

また、かなりの岐路に立っている気がする

・・・・・・・・・・・・・・
吉本隆明の講演TVを見た
身体が不自由になりながらも
自身のしてきた仕事をひとつの流れとして
語っている
彼の姿は、自身の論や思想の奏でる
音楽を指揮するコンダクターのようだった
目は斜め上方を見つめ
手は何かを掴むあるいは放散するように
虚空を泳いでいる

その姿だけでも
素直に真摯に生きた彼を表出してた

掛け値なく
羨望を禁じえない


1/3
<つっかえ棒>
みんなそれぞれにつっかえ棒を持ってる
何かを信じること
それはかなり大きくて太い
見えない届かないからこそ
より堅固なものになる

そこにあるのは他意のない気持ちの有り様

いつも思うのは・・・・
信じうる対象は、やはり私には遠く
信じている人の心の有り様ならば
もしかすると感じうる部分かもしれない・・・と。

最近、惹きつけられる絵や彫刻などは
なにかしら宗教がバックボーンにあるものが多い。

その惹きつける力のなにかしらを
私の中でみつけたいと思うのです。

静かでありながら触ると熱を感じる

そんなことに向かい合える
この一年であることを願って

私の今のつっかえ棒はか細い〜〜
でも、よくしなる!


2008/1/2
<モチーフ>
作るものが“人間と動物”だけではなく
建物や樹木や苔が加わった

彫刻作品としては、とても余計なものがいっぱいついてる

作りながら、気づいたのは!
私は“彫刻”と呼ばれるものを作りたいのではないかも?
じゃ〜いったい?

だんだんと個展の感触fが違ってきているのは
そんなせいなんだな〜!

それを捜すために
作るしかない。

コタエは
どんどん変容してる!


12/23
<まだまだ>
まだまだ階段は続く
それでもこの目の前の一段に
どちらの足でも構わないから乗せなくては
近づけないから。

意味があるのか・・・という問いには
意味さえ求めなければ、意味はぼんやりと光る
そんな気がします・・・としか答えられない。

ヒトは言葉を得た時から
概念の囚われものとなったのかもしれない。

そこから出られないのならば
それを如何に柔軟に広げるための
手を伸ばすか・・・で。

腕組みをしたままでは
だんだんとモジュール化してゆき
いつか考古学者が固く鋭いハンマーで
割ってくれるのを待つしかない。

進化という簡単な形質変化だけでは
ヒトは変われなくなっているのかもしれません

棲んでいるこの場所は
すべてのサイクルと時間が重なり合って
生きられる場所になっている

AMEN

生きていられる
姿をしっかりと

まだまだ

12/22
<変わらずに>
自然は変わらずにある
それはヒトの時間の尺度で
ゆっくりとすべては変わる

ヒトが見ることさらに言い募る変化は
自分の生涯の長さに比例した変化
自らの身体も自分たちの作った
時間の単位で計ることに意味が無いほど
微細に変わりつづける

変わらないものがあるとしたら
頑なに縛られた概念で覆われた意識

それさえも意識しないところで
流れていることに気づきもせず
生きて暮らし感じている

変わることだけは変わらない


12/12
<TALENT>
それぞれにもらったGIFTが
TALENT

各々の色と形や大きさを作るのは
自らの時間。

時間は皆に同じようにあるようでいて
均等にあるのではない

DEC.24の祭
YESUS の 与えられたGIFT
YESUS が 与えたGIFT

GIFTを開けたときにみる光の反射を
投影できるスクリーンを用意しなければ
それはただの光の束でしかないのかもしれない

或る人は何事かを見
或る人は空っぽの飾り箱の内側を見
或る人は自分の後姿を見
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それがTALENT

肉体は肉体としてあり
脳は脳としてある
単一の生命体であるという幻像

TALENTはまったく違うように
全員にGIFTされている

それが自分とフィットさせられるかは・・・
神のみぞ知る?(笑)

唯、人は人でしかないのだから

GIFTをもう一回確認してみようっと
どんなTALENTが見えるだろうか
かなりコワイものがありますが(笑)


12/11
<涙腺>
歳経るに従い、涙腺が弱くなる・・・と聞いてはいた
感情の昂ぶりが及ぼす涙腺への影響は
やはり体験・経験を積み重ねた
記憶との相関曲線を描くようで。
加えて、遭遇した事実から勝手にマイ・ストーリーを紡ぎ
本筋からは離れたところで
涙腺は刺激される

今は、そういうリズムなのかもしれない

やがてまた違う感じ方が
現在、感じている記憶が重なることで
生まれてくるのだろうな〜

核は同一であるとしても
核が纏う感情と理性のせめぎ合いは
いつもでも続く

涙腺が枯れる事態だけは
避ける暮らしをおくれれば・・・


12/2
<永遠の不在>
信仰のない私にとって“神”の概念は
唯一のものではなく、多様である
多様・・・それもなんだかしっくりとこない
それは外側にも内側にも感じられること
何も無いこととそれは同じかもしれない
何も無いことは、はたして概念として抱けるか?
137億年前にあった大騒ぎのあとに存在しはじめた
時間と光はその前には・・・
座標軸の違うステージにあるものは
まったくちがった存在としてあるのかもしれません

私の“神”は
永遠の不在です

12月はそんなことも
考え始めるきっかけになります

コタエの無い答えは
私の脳のシナプスの樹状突起を
時々はつなげてくれる役割を果たしているんだろうか


11/27
<世界で初めて・・・>
テレビでしきりに「世界で初めてカメラが入ります!!!」
と、連呼していた。
「貴重です! 世界で初めてです! 一般の人は入ったことがありません! 研究者の方たちだけです! 世界で初めてです!」 あ〜、もう、うるさいっ
一回、言ったらわかるっちゅうのに。
だんだんその言葉を聴きながら、初めてということが
つまらなくなる始まりを見ている気がして。

初めて・・・そら、なんにでも初めてはあるじゃろ〜〜
そっから先や、問題は!!

案の定・・・一人騒ぐ、日本人のオジサン
その横の案内した研究者の女性の絵面は
とても気恥ずかしいものになってしまっていました。
動いた経済的な需要と供給が余計に・・・

魅力あることはそんなことではないような・・・


11/15
<かみさま ほとけさま>
見つけられない答えを捜す
ダッチロールしながら愚考の空を
急降下、急上昇、急旋回を繰り返しているかと
思いきや、それは自分の妄想の耳石が
こぼれているだけが原因の
眩暈を起こす。

EXPRESSION
小林氏によれば
脳漿を搾り出すようにしなければならない

目を大皿にして下りられる空港を捜す
滑走路は自分が決められれば降りられる

かみさま ほとけさま は、
そんな時とても便利(不遜ではありますが)

私の宗教心、信仰はそのくらい

また、今度も叫んでしまう

かみさま ほとけさま〜

記憶は重要だけれど
そこに私以外はない

見つけられない答えの欄に
次の問いのために
何事かを
書き記す

それはいつも正しく、いつも間違っている。

かみさま ほとけさま〜
・・・・・・・・と叫ぶように。

//////觀//////


11/10
<不確か>
さまざまな新しさを体現しながら
科学は進む。

確かさと不確かさが並立している・・・
それさえも妄信できないかもしれない

不確かさを確かに内側に持つ科学者は
信用できる。
不確かさを確かなものだと
吹聴する者たちがいることも確か。

プリマ・マテリアが現実に存在しないことは
理解しながらも、思考上のそれを
追い求めなくてはいられない脳。

性(さが)ですよね〜

それと夢とをごちゃ混ぜに語られるのだけは
気持ち悪い〜


11/9
<物質の変成>
新しい物質・・・いわば化合物・材料
元素の新しい組み合わせで生まれる物質
それは人口的に作られる
自然には必要ないからできていない物質
ただ人も自然の一部
人が欲するものは自然も欲するものなのか・・・

かの錬金術師たちのたぐりよせた
化学の細い導火線についた火は
消えることなく走り続ける

その求めた本質は忘れ去られているとしても。
現象としての、現実としての変成は
無数の試行錯誤の過程と共に
行われ続ける

ぐるぐると回し続けないと焦げ付きそうだから
離れられないでいるのかも知れない。


11/6
<冬>
冬は寒い
・・・
久しぶりに書き込む

ゆっくりと集めるばら撒かれてきた音符
もう、そろそろ曲になってもよさそうなものだけど
主題が揺れ動く!

その変化も含めての流れ
終わるときに残る余韻はどんなだろう


7/28
<きれい>
きれいときたない
その境界線は人によって違う
きれいであることは良い事・・・か???
きれいすぎる水に魚は棲めない・・・と言うぞ?!

求めすぎるきれいさは
やはりヒトとしての本能的な部分もかかずりあってきている気がする。
クリーンな環境・・・そんなものがあるとするなら
それは死の世界を想起せざるを得ない
時間の止まった世界

137億光年先にあった時間の種子が芽吹いてから
此の方、きれいであることとは逆の方向に進み続けている
すべてのことがら事象に生命的因子を結びつけてイメージするのはかなり無理があるけれども、同じ原子と構成要素をもってしても人為的に生命は生まれてこない。

そこになんらかのことがらが介在している

それはまだ分からないらしい・・・が
介在しているものがなんであったにしても
我々(体内にいる共棲体も含め)のいられる世界は
完全なきれいさはとてもいづらくなる環境のように
思える。

未だに危険信号が見えない・・・見えない振りをしつづけている人類。口ざわりのいい薬を舐めたくらいではどうにもならないところにきていることを知っている筈なのに。
国家・国益
それは人間の囲った概念でしかないですよね

囲みの中から出て考えないと
本当の意味で外は見えてこないし
危険も感じられないのかもしれない

きれいな場所できれいな空気を吸いきれいな食べ物を食べても・・・

そこの先にあるイメージが豊かな多様性をもった
場所であるとはとても言えない。

きれいなんて・・・ね〜


6/23
<不可逆>
氷が溶けています

製氷機で作った氷の球形に似た固まりが
少しづつ小さくなって
その分だけ水が流れてゆきます

あえて見ることはないその光景

いつもはグラスの中や器の中で
周りの液体と混じり合いながら
徐徐に氷は姿を失っていきます

その部分だけをとりだして見る

時間を傍らに氷の外形と大きさは
小さくなります

流れた水を集めて
また製氷したら同じ?

もしそれが同じだとするのなら・・・

体積が半分に近づくと
溶ける速度は加速度的に高まってくる
感じがしました

氷が載っていた白い陶器の皿に
不可逆な経過が溶け込んだ
透明な広がりが
氷の分だけありました


6/11
<本屋での愉悦>
やっぱり本屋は愉しい

ネットでいくらでも情報や画像は見つかる

でもね〜〜〜!
本屋で思いがけなく
こんなのがあったらな〜・・・って
ぼんやり思っていた写真集や本に出くわした時の愉悦
なんだか久し振りに体験しました!

忘れていた感覚が甦る

どっかでなにかがつながっている

分からないことだらけの中で生きているのだから
その愉悦は格別です
人間だから


6/10
<立っているところ>
今、立っているところ
そこがどんな温度でどんな湿度でどんな匂いがしてどんな高さでどんな木が生えててどんな建物が建っていてどんな虫がいてどんな動物がいてどんな人がいてどんな自分がいるか

デジタルモニターの光源が生み出す“リアル”は
確実に脳の中に現実との境目をぼかしている
制御しきれない脆弱な脳
簡単に騙されやすい構造である脳内認識

もう一度
立っているところを
觀る

視覚的にという意味だけでなく
あらゆる備わっているであろう感覚を用いて

そしてゆっくりと性急にではなく
考えたい


6/8
<・・・・>
言葉にならないこと

なんともいえない波立ちがおさまらず

何故と問う事さえ苦しい

・・・・・・・・・・・・・・・

できることは
木を削ること

少なくとも、僕ができることは
その事だ。


6/6
<個展後は個展前>
とてもいろんなことが觀えた6日間
そして足りないところの大きさにも気づき
このままでは届かないこと
それでも手を変え品を変え
次へとつなぐ

それでも嬉しい事も楽しい事も
久々に感じられた時間でした!

いらしていただいた方々に感謝!!!

また9月に向け
足りない所を補完しつつ
新しい階段を作ります!!!
踏み外さないようにしないと〜


5/27
<やっと>
今日、個展の初日
なんだか波乱の展開
TESTされてる?!
しかし、ずっともやっとしていたものが
はっきりとした。
顕在化することがいいとはすべてにおいて言えないかもしれないけれど・・・
改めて・・・
今回こだわった"觀”が KEY となった

まだまだ修行が足らんな〜
ただ、現実的に出来得たことの上に
また積み重ねるしかない。


5/9
<カタチヅクル>
どこかの範疇におさめることは
自分にとって都合がいい
何か通念的に補完された價値觀の中に
対象を置くことで理解できた気分になる

形を作るということは常にそことやり取りをする事になる。
某かの現実的に模した形は
その原型の内的な作用が及ぼす個人的な仕分けの中へと送り込まれていく。

ゆっくりと見てみる

カタチヅクル・・・・

いつか境界と輪郭は溶けはじめる


5/3
<混在>
混在する古い建物と生活する人々の家
そんな町が嬉しい
なにもかも残すことが是とは言わないが
大切に残しておくものもあって欲しい
そのための負担も含めて

エコ、エコ・・・・って、どこ行っても見る言葉
思わずなんかの呪文を思い出してしまう・・・・
その根源にあることを変えようとしている人、或いは国はどれだけあるのだろうか・・・・?
悪魔に魂を売りつづけながら、ちょびっと贖罪の真似事で満足することになってはいないのか・・・

何の為のエコなのかが現実に流れる潮流は、人社会に及ぼす影響に転化しては本末転倒になることをしっかり反芻しながらエコバッグを持ってスーパーに行く・・・のかな。

想像しうることは為しうることだとする
その裏には予想だにしない副作用が用意されてる
その副作用に耐えうるだけの体力があるかなぁ

誰の為でもないエコであって欲しい
少なくもここまで進んできたのだから

混在する意識に立つ
それが肝?!
ちゃんと觀なければ


4/20
<理由>
生まれてくるすべてのことに遍くある理由
理由がないという理由
我々・・・語弊があるといけないので
私は・・・なにかしら理由を見つけようとする
そこかしらの断片の中にある
何かしら納得する為のカタチを
理由として安心している。

すたれない思索の学問と探索は
その安心を担保している。

持たされた、選びとってきた尺度を
放り出せる覚悟・・・それもまた大仰か

理由はあくまで便宜であるということに
思いを致さなければ
転変し続けるカオスの渦から
抜け出ることはできないのかもしれない

勿論・・・違うカオスがそこから始まる

桜はもうすぐ咲くらしい

4/18
<日・月>
陽だまりはとても暖かく
体内の流れを緩やかに促してくれる
日は柔らかく。

夜の道に届く月の明かりは
反射し照じる静かな時間を朝に向かって重ねる
月は見える形を変え。

そんなことを ivory への新作に

二律背反でありながら
一律もその背中にある
鏡面の一律と共に在る

・・・・・唯、觀る・・・・・
日と月を。

3/24
<ひだ>
郵便局まで歩く40分ほどのみちのりには
街路樹としてシナの木が立っている。
アイヌの熊の木彫りになる木
仕事柄そんなことを思いつく
立っている場所は1.5mほどの幅の
作られた歩道の端の緑地帯がほとんど
ある程度成長した木は毎年枝を落とされた
丸い切り口が見える
枝は放射状に拡がる
それは葉が太陽の光を受け
効率よく光合成をするために。
ひとつづつ見ていくまでもなく
すべての木はまったく違う形をしている。
凍裂で裂けた部分を持つものもあるし。
苔も樹皮についてる
薄く白く風化している黒と焦げ茶とが混じり合った
樹皮のアクセントになった緑がよく目立つ
樹皮は不規則に割れている。
その割れたひだのひとつづつが
時間と温度と湿度と光で。

やはり、ひだはとっても美しいです


3/9
<熱の石とミモザ>
ひと月半ぶりに熱が出た
これまでだとひと月スパンだったのが
若干空いたので、希望を少し持ったら・・・
やはり、来た。

眠っているかいないか・・・
半覚醒のような状態で夢?!のなかで感じた感覚
自分の中にとてもかたい
いびつな台形のような石がある
もやもやとした意識の紫雲の只中に
ぽっかりと石が浮いている
そしてその石の各面にいろんな要素が振り分けられている

身体の各部であり精神的の諸要素であり・・・・

そのなかで
この面だけは削ぎ落とされるることはない
そう思える面があった

他の面は熱のうねりでぼろぼろと崩れ
雲母のようにこ細かくそぎ落ち降っていく

その堅固な面がなんだったろうか・・・
内側に響く自分の聲は
こう叫んでいたように感じた

「脳だけは絶対に削らせない」

それが自分のなかで何を意味するか
潜在的に何を欲し守りたいのか・・・・
定かではないけれど、
どうもどうでもいい考えを継続することを
放棄したくないのかもしれない

それがいいんだか悪いんだか
分からないところではあるけれども。

・・・やっと復活し、久し振りに仕事で
雑踏の中に入り込んだその帰りに
ぼんやりと駅からすぐの花屋にふらっと呼ばれた
毎月のデザイン仕事の今月のテーマのミモザが
店頭に大量に置かれていた

その光景は
ミモザの小さな黄橙の華が放射状に咲き
連なる華の木が並んでいるまるで小さな光が
放散されているように見えた

その光景は
「削らせない」と聞こえたその時に見えたように感じた
ボロボロと崩れ落ちていくものたちが
落ちていくその連なりの光に似ていた

・・・・
小さく切られまとめられたミモザを買った


3/8
<戻り始める時>
屋根の雪の底辺で固まった氷が
参月の太陽の熱の伝達で
ぴとぴとと落ち始めている。
戸外に固まっていた冬の塊にも落ちると
そこに穴をうがち徐々に地面に戻り始めた。

この天体の条件が変わらない限りはやって来ると約束されているこの現実の中で戻りながら新しい季節という節を撫で擦っている。

春・・・というなんだかあまやかな響きとは裏腹に
実体としては厳しさが鞘に収まっている感じ。

・・・・間断なく、水という状態に還り屋根から
地面に戻る音を聞いている


3/7
<不都合な視点>
真実・・・という言葉の陰には
虚偽が存在します。

真実と虚偽の関係性は視点
つまりは見る角度

単一の視点から見えた事象は真実と言えるのでしょうか。

もっと言うと
真実と虚偽を分けるのは
事実がどのように構成されているのかを
自分の位置関係を様々に変えながら
見なくては誤謬を生じます。

それは観測することとに誤差が必ず生じることと
同じことのように思えます。
何度も観測し、誤差の平均が観測結果の精度となります。

その次元でしか語れません。
それはとてもこの世界を円滑に動かす為に
重要な要因であり原動力にもなってきました

しかしながら
平均が真実とは到底なりえません

考えておかなくてはいけないのは・・・
宇宙も地球も生命も分子も原子も素粒子も光も時間も
真実という概念の囲みの中に入れられるべきものではないということだと思います。

無限であると考えるその瞬間に
有限の思考の輪の中に投げ入れられます。

有限であると考えるその限りの涯には
無限が渺茫とその輪郭を打ち消す

概念とは・・・そんなもののような気がします

今、急速に変わりつつある生きるベースを危惧するあまり
失ってしまう理性は空々しく自虐的
自虐は即ち自己の視点に埋没するナルシズムです

解決・・・という言葉はとても気持ちのいい言葉です
ただ解決の次に待っているのは、解決の生む問題
その繰り返しの中で概念は彷徨います

ふらふらとする不都合な視点から観ていたい
真実が生じない現実の事象の上で。


3/5
<觀る>
觀る・・・ということは
視覚的に見るということをのみ感ずるだけでなく
視覚を切ったあとにもその対象を
想像しうることの中で觀る・・・觀えてくること

そんな見え方に向かって作る

そして・・・唯、観る・・・ことに
意識を集中させたい


2/20
<唯、觀る>
唯、觀ている存在

その存在を感じる事は内的に気づく

曰く、それはよすが

そうであること以外には存在しえない存在

唯、観ている
それが私の宗教的な意味

唯、観る


2/15
<カオスと脳>
脳のはたらき具合はカオスの論理に似ているらしい
無秩序のように見えながら角度を変えた視点で見ると
そこにはある法則みたいなものが見えてくる

カオスはある違いが生じた時にその違いを
より広げる方向に動く

法則はいつも同じではなく変化する

変わらないと信じてはいけないってことですね
法則をいつでも変えられる用意をしておく脳をもっていたい。

カオスがカオスである事の意味はない
意味と概念を求めすぎると
その誤差が生み出す盲信に戸惑ってしまう

でも!
そこに心地良さを感じることが
カオスであるひとつの証明なのかも。


1/11
<VIRTUALって?>
最近の研究・装置により、視覚から受ける反応により
“外側の自分”を感覚できるそうだ。
研究者はそれによって、「自分とは・・・人間とは何かを新しい視点で認識することができる」と言った。

人間の視覚認識の曖昧さとそれに簡単に騙される脳。

装置は別の方向で使って欲しいと思った。
脆弱な認識システム・・・つまり感覚の中からツカミトル刺激を脳が記憶と照合して作り出す現実認識。
人間の感知し得る範囲の中で形成される現実。
そこを周到に用意された「VIRTUAL」な感覚でかき回して欲しくはないと思った。

また分からなくなってきた

いろんな感覚は時間と科学と環境で変化する
その変化は不可避なものだ
しかしながら・・・

脳は何を見たいんだ?


1/9
<NOUVEAU>
進化・・・微妙な言葉
多少の不可解さも孕みながら
HOMO-SAPIENCEが次へとステップ・インする
変化って体型的変化なのか
それとも・・・もっと「人類」の「人類」たりえた脳の獲得と
それが許した言語の獲得。それによってうまれた概念というカタチのないもの。

声高に叫ばれる地球環境の危機

そこにあるのは人類の責任?
何の為の誰の為の?

そこをもう一度認識し直したい

その根底が変わらなければこの流れを
急激に変える事は無理なようだ。

もし劇的に何かが変革されるのだとしたら・・・
脳なのかもしれない。

どんな風に変われるのか
時計はどんどん進んでいく

ヘイルメリーパスは届くか〜?


1/8
<巨視と微視>
どこまでを関連づけるかという境目
大きくすればするほど視点はぼやけてしまうし
細かく見れば見るほど微かになっていく実体

身の丈にあった視点
悲観的でもなく楽観的でもなく
散文的でもなく詩的でもなく
実利主義でもなく理想主義でもなく

表現する事の中でも大事で!

多様な伝わり方がするのも楽しい
核になっていた考え方が伝わるのも嬉しい

一番重要なのは、やはりそこ(作品・核)から拡がる
流れるような想像のうねりに揺られてもらうこと

それは大きすぎても小さすぎても成立しない

程好い滴を程好い大きさの場所におとす

綺麗な波紋を描きたい


1/6
<気がついた?!本当に?>
気がついた時には、もうすべては流れている。

そんなことは何度も何度も繰り返したよな〜

それを悔やみ嘆くことは、自慰にはなるけれど
変える力にはならない。

事実は必ずしも正しく伝わるとは限らない
伝える側の意識と恣意的な部分がそこに重なっているから・・・
どこかになにか
それが分かるとしても、それを現実に転化できなければ
変わることはありえない

不可逆である生命の流れは、分岐し支流はまた新しい生命の流れを生み枯れまたその上を新しい流れが横切っていく。
本流とはなんだったっけ・・・

それすらも思い出せないほど
  昔から届く光の反射に吸い込まれそうになる時
     闇の深さとそこに存在する認識できない気配をとめどなく感じ続ける。

スローガンやキャンペーンではない
社会の変革はもっとジェナスティックなところから
始まらなければ

光はまっすぐ進むようで、干渉するいろんな動きをしている。
だから美しい>だから多様に>だから廻り続ける

分からないことは分からない
すべては分かるようであり、その姿は変容してる
それが本質とたがうこととはまた違うような気がするな〜・・・・見立てることの想像がヒントでもあり、誤謬の元でもあったかもしれないけれども・・・
誤謬さえも実はひとつの答えとしていきたい

何処まで続くのか・・・なんてことは
あんまり意味の無いこと

どう続けるのか

とりあえず歩きましょうか〜



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