「古のローマには、多いときで30万にものぼる神々が棲んでいたという。・・・・・・古代ローマの心臓部であったフォロ・ロマーノの遺跡の崩れた石柱にでも座って、ガイド・ブックや説明書を開いているあなたの肩ごしに、何か常ならぬ気配を感じたとしたら、それは、生き残った神々の中のいたずら者が背後からガイド・ブックをのぞいているからなのだ。・・・・・・・」

 「知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト人やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るのローマ人が、なぜ、あれほどの大をなすことができたのか・・・・・・」

  塩野七生の「ローマ人の物語」は、こう始まる。
  ローマへの旅は、この謎を探求する大いなる学びの旅でもある。

 以下は、ローマから学ぶことについて2003年7月に『塩野七生の「ローマ人の物語」』として書いたもので、ローマの旅の原点となったものです。





『塩野七生の「ローマ人の物語」』

(はじめに)

 7月は、英語でJuly、その語源は古代ローマのユリウス・カエサル(英語読みでジュリアス・シーザー)にちなんでいる。ついでに、8月Augustは、カエサルの後をついでローマ帝国を創り上げたアウグストスにちなんでいる。二人とも、それ以前の数字順の月の呼び方に割り込んで自分の名を刻んでいる。そして、その呼称は2000年後の今も使われている。月の呼び方にはじまり都市や制度の起源などにみられるように、古代ローマ文明は、キリスト教文明と双璧をなして、今も通奏低音のように西洋文明のベースとなって響いている。

 ところで、この古代ローマ人、東洋の端っこの日本人とは全く懸け離れているかというと妙なところで気が合うのである。古代ローマ人は、大の風呂好きである。遺跡のあちらこちらには、必ず浴場跡が残っている。温泉好きの日本人とはぴったりである。また、古代ローマ人は、何かにつけ簡単に神をつくり、ありとあらゆるものが神になった。なかには夫婦喧嘩の守護神もあるのだからその数は無限である。その点、日本人も八百万の神というぐらい神様つくりでは負けない多神教の文明をもっている。なんとなく喜怒哀楽が似ているのである。「千と千尋の神隠し」がもし古代ローマの神殿で上映されたら、たぶん大うけであったろう。

 この古代ローマ人の姿を、今そこにいるように、描いてくれているのが、塩野七生の「ローマ人の物語」である。全15巻で、まだ11巻目が出たところで、完結までにあと4年かかる。私も、ここ数年はこの本に浸りっきりである。この本は、宝石箱のような本である。古代ローマ人の歴史をとおして、きらきら輝くような発想や言葉が詰まっている。驚嘆したり、唸ったりしながら、時々その宝石を眺めている。そのうちのいくつかを紹介しよう。

(宝石のいくつか)

「人は自分が見たいと欲することしか見ない」

 この言葉は塩野七生が大好きなカエサルが、いつも言い続けてきたことである。カエサル以前のローマは共和制により拡大成長してきた。広がってしまった領土を今後どう治めていけばいいかということが、時代が彼に与えたミッションであった。彼は、今までの成長期の体制を再構築して、安定期にふさわしい統治システムを築こうとした。「カエサルこそローマ帝国のグランド・デザインの設計者であった」が、いつの時代でも、改革は、古き良き時代にこだわる旧守派の抵抗にあう。今そこにある現実を同じように見ているのに、同じように見えない。いや、見ようとしない。カエサルは、人間の有様を冷静に表現した。「人間ならば誰にでもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」と。身近なところでも、同じ現実にどうしてこういう見方の違いが出てきてしまうのかという思いをもつのは、いつものことである。

「税体系の確立がなにより大事」

 カエサルの後を継ぎローマ帝国の統治システムを確立したアウグストスが、最も心を配ったことの一つが税制であったらしい。国や自治体は、歳入としての税収がなければなりたたない。しかし、税は取れるだけ取れれば良いというものでもない。いつの時代でも、税金は取られる方にとっては、重税である。このため、彼は、絶妙のバランス感覚で説得力のあるシンプルでわかりやすい税体系をつくりあげた。その税制が、その後の300年間続くローマ帝国の基本となるが、その中には、今おなじみの相続税や消費税もきちんとあるのだから驚きである。「税制はよき政治の根幹」と言われるが、必要な税制の確保に苦慮している今の日本があるだけに心に響く。

「パンとサーカス」

 カエサル、アウグストスに次ぐティベリウスのころから言われてきたのがこの言葉である。しかし誤解も与えてきた言葉である。ローマ人はパンを与えられ、剣闘技ショウを見て暮らし、その堕落がローマ帝国の衰亡に向かう一因であるかのような。しかし、この言葉のもうひとつの面は、ローマが統治システムとして真に必要なものは何かということをしつかりと見極めていたということ。常に食糧確保は全てに勝る優先課題であった。「小麦法」などという食糧供給法を確立する一方、福祉や教育は完全に民活にまかせた。統治にとって何が大事で何は任せるのかという役割分担の発想がしっかりしていたのである。

「敗者も同化する」

 遡ってローマが周辺地域に拡大成長していた共和制のころからローマがずっと貫いてきたのが敗者に対する同化政策である。敵に変わりうる被征服者たちを敵にまわらないようにする。これこそがローマの成長要因ともいわれている。およそ、負けたときよりも、勝ったときの敗者に対する処遇のしかたこそ難しいものはない。身近なところでも悔しさを相手に残して勝ってしまえば必ず反作用がある。争いよりも争いの後処理のほうが難しい。

「指導者に求められる資質」

 これはおまけであるが、現在のイタリア高校生の歴史教科書に、「知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。」が指導者に求められる五つの資質で「カエサルだけが、このすべてを持っていた」と載っているそうである。凡人にはただただありがたく拝聴するしかないが、なにかを成し遂げるにはひとつも欠くことができない資質なのであろう。

(おわりに)

 もっとご覧いただきたい宝石は尽きないが、紙幅が尽きてきた。おわりに、あらためて歴史を読む意味はどこにあるのかということについて一言。

 かつて、ある高校の卒業式で「これからの君たちには、ギボンのローマ帝国衰亡史を是非読んでもらいたい。」とある来賓の方が熱く語りかけていたのを聞いた。今の高校生にどれだけ響いたかは別にして、それ以来、その言葉が気になり、そのギボンの前にと読み始めたのが、この「ローマ人の物語」との出会いである。両方とも大著ゆえ簡単に読破できない。

 しかし、歴史を読むと日頃の雑事から離れて、大きい視点から考え方が洗われるような感覚をもつ。物事を考えるとき、しっかりと目の前にある現実を踏まえるとともに、遠く引いてみることもまた大事である。歴史は、相対的に眺められる知恵を提供してくれる。また、歴史を読むと、なにかを成し遂げようとする人間の意志の力も歴史を創ってきたのだということを教えてくれる。政策形成ということを考えるときも、これらのことは、しっかりと踏まえておく必要があるのではないかと考えるのである。