ヘンリー四世 King Henry W

《あらすじ》

 舞台は、イングランド、ヘンリー四世の治世の15世紀初め頃。ヘンリー四世はリチャード二世から王位を簒奪したことから敵も多く貴族の間に王への不満もくすぶっている。一方息子ハル王子は呑んだくれの騎士フォルスタッフと自由奔放な毎日を送っている。やがて謀反が起き、ハルは父王より鎮圧軍の指揮を命じられる。フォルスタッフと共に出陣したハルは武将として目覚ましい活躍を見せる。フォルスタッフは戦場を逃げ惑うばかりだったが、敵将を倒した手柄は自分にあるなどと相変わらずの大ボラ。やがてハルの弟の活躍もあって内乱は鎮圧されるが、その頃王は病のため死の床に。駆けつけたハルは父の枕元で王冠を継ぐことを誓う。ヘンリー五世の誕生である。旧友フォルスタッフは大喜びで駆けつけるが、ハルの発した言葉は「私はお前など知らない。」、そして、彼を追放処分にしてしまう。


《ポイント》

 イギリスの中世をテーマとしたシェイクスピアの史劇、日本人にはあまり馴染みがなく、ちょっと敬遠しがちですが、大酒飲みで女好きの巨漢フォルスタッフのお笑いや王の放蕩息子ハル王子の成長譚などが絡まって、意外と楽しめるお芝居です。

フォルスタッフはシェイクスピアの創作した人物。堅苦しい史劇を面白く見せるために考えたのでしょうが、さすがは当時の大衆演劇のエンターテナーでもあったシェイクスピアの技です。エリザベス一世がこの「ヘンリー四世」を観て大変面白がり、「フォルスタッフに恋をさせよ」と命じて後の「ウィンザーの陽気な女房たち」が生まれたという伝説があるそうです。

フォルスタッフという人物像はその後の西洋芸術に大きな影響を与えている。ヴェルディの最後のオペラも「ファルスタッフ」。このフォルスタッフの縦横無尽な滑稽さは観る者を楽しませるが、最後の顛末には“ほろり”と考えさせられる。ハルの発した言葉は非情ですが、人は前に進むために冷酷に運命を受け入れることを強いられる時があるのかも知れない。それは見方によっては、裏切りや変節と映るのかもしれないが、また凛とした美学も感じさせる。

 この「ヘンリー四世」は「リチャード二世」の続編であり、後にフランスに進攻する名君「ヘンリー五世」、そして百年戦争、薔薇戦争の「へんりー六世」三部作へと続いていくその後の歴史劇の“除夜”にあたるものです。

《名せりふ》

第X幕第5場

私はお前など知らない、老人よ。毎日を祈りに捧げなさい。
その白髪は阿呆や道化には似合わない。
こんなふうにぶくぶく太り、年老いて、下品だった。
だが目覚めてみると、思い出すのもいやな夢だ。
 ・・・中略・・・
いまの私をこれまでの私と思ってはならない、
神はご存じだし、世間にも知らしめるつもりだが、
私はかつての自分を捨てたのだ、
付き合っていた仲間も捨てる。

I know thee not, old man, fall to thy prayers.
How ill white hairs becomes a fool and jester!
I have long dreamt of such a kind of man,
So surfeit-swell'd, so old, and so profane;
But being awak'd I do despise my dream.
        ・・・・・・・
Presume not that I am the thing I was,
For God doth know, so shall the world perceive,
That I have turn'd away my former self;
So will I those that kept me company.
(松岡和子訳)
※ハルがヘンリー五世として即位すると、その知らせを聞いたフォルスタッフは、自分たちの天下になったとばかり駆けつける。しかし、新王は昔の放蕩仲間と縁を切るつもりでおり、フォルスタッフに追放を言いわたす。有名な「フォルスタッフ追放の場面のせりふです。

観た読んだ歴
play

2013420
彩の国シェイクスピア・シリーズ第27
さいたま術劇場

蜷川幸雄演出
CAST
吉田鋼太郎 フォルスタッフ
松坂桃李  ハル王子
       

★蜷川シェイクスピア第27弾を観ました。
1部、第2部に分かれた2本の戯曲を今回は凝縮して一本の作品として通しで上演。それでも4時間近くもかかりました。今回の役者は、フォルスタッフに蜷川シェイクスピアで不動の存在感を出している吉田剛太郎。ハル王子には朝ドラでお馴染みの松坂桃李。松坂さんもなかなか頑張っていて、大ベテランとフレッシュな組み合わせがシェイクスピアのこのお芝居の狙いにぴったりだったような気がします。
★最近の蜷川さんの演出は観る人に驚きを与えることよりもシェイクスピアの戯曲本来の味を大事にしているように感じます。これを円熟というのでしょうか。

観た読んだ歴
film


観た読んだ歴
book

2013年4月
松岡和子訳
ちくま文庫 シェイクスピア全集24
★蜷川シェイクスピア第27弾で使われた台本です。
松岡和子さんは、 「フォルスタッフの台詞には“if”の文章が多い。“if”と言いさえすればすべて解決され、逃げが打てる。喜劇的な精神の表れであり、フォルスタッフに“if”を使わせることで、シェイクスピアは彼の人格や思考のパターンを的確に表した。」と言っています。