一代目ミラージュの歩み
実は…今のミラージュは二台目であります。
以前は最上グレードの「サイボーグR」に乗ってました…
訳あって乗り換えましたが…そのサイボーグRの歴史を。
この車をなぜ買ったのか?
もともと、この車を乗る前は親の車のお下がり、カリーナ、SG(昭和63年車!)って車に乗ってました。
1500cc、AT、FF、四ドアとTOYOTAの申し子であり、
世間一般では いわゆる、「ファミリーカー」って車です。
貰ったときに距離はおよそ8万6千キロほど走ってましたが、
廃車にする「102015km」までまったく何も壊れませんでした。
さすがTOYOTAカー、故障知らずです。
そして、免許取って車をGETしてから一年が経過し、
普段から車を使い、一般車と同じように走れる様になり
余裕も出てきた頃。
この頃から、走り屋には憧れを持っていました。
その年の冬・・・・
バイト先の駐車場でサイドブレーキなどを使ってスピンターンをやるようになり、
石狩○港などをギャラリーし始めました。
いきなり○狩新港 メインデビュー!(ハイ。馬鹿でした)
そこからは、イッパシのFF使いの気分でソコラ中サイド引いてました。(はずかし!
で、当然ぶつけます。(当たり前です)
で、車どうでもよくなります・・・。
で、ボコボコになって乗り換えたくなります。
カリーナ SG (管理人使用後)
今思えばもっと大事にすればよかった・・・。(泣後ろ側面をぶつけたため、マフラーが
斜めだしでした。(流行を先取り!?)
12月末、親に交渉したところ、
当時の親ローン(免許代)を払い終わっていたのでOKってことになりました。
最初はイニDの見すぎで、「FR、ターボじゃなきゃ車じゃねぇ」ということで
180SXかFD3SかMR2が欲しかったです。
今思えば「夢見すぎ、現実知らずなガキ」でした。
その後、人とは違う車が欲しい!と、思い始めました。
ちょうどその頃、友人が『レビンGT−APEX(AE101)』を買い、運転させてもらった所・・・・。
「はえっーーーー!、1600スポーツでこんな速いのか!」とカルチャーショックを受けます。
当時、兄もB16A(1600VTEC)を積んだインテグラに乗って
「学生で買うなら、テンロクにしておけ。 燃費いいし、タイヤ安いし」という忠告もあり、
『FFのNA』、『友人のレビンより速い車(笑)』、『あんまり、見ない車』ということで・・・・。
候補は、「丸目インテグラSi」と「ミラージュアスティRX(クーペ)」です。
しかし、HONDAは壊れるらしくやめておいた方がイイってことで、
『ミラージュアスティ』で、中古車屋に探してもらいます。
しかし、タマがぜんぜんありません・・・当然です。だって実車見たことなかったモン。(笑)
3ヶ月ほどたった頃、「いまミラージュのサイボーグRならあるんだよねぇ〜。」というような話で、
ピン!と来ました。サイボーグRって、純正でレカロシート、モモのステアリングがついてるって
ネットで調べたことが頭に浮かびます。
よくよく話を聞くと、『社外マフラー付』『純正フルエアロ』!!
はい。ノックアウトです!
ということで、俺の誕生日の次の日(3/28)、ミラージュは家にやってきました。
当時は、あまりハッチバックは好きじゃなかったんだけど、
この車乗るようになってからは「悪くはない」と思うようになりました。
2001/3/28
一代目ミラージュ納車。距離608??キロ
2001/4頃
いきなりイジル。MIVECコントローラを導入。速度リミッター解除。
リアバンパーに前のオーナーが付けてた恥ずかしい青の照明を外す。
納車1週間で一般道にて、ふわわkm/hOVER達成。(アホ
納車2週間で山に行き、MIVECに酔いしれていきなり全開!
水溜りに乗り、ハイドロを起こし立て直せなくて路肩の雪にボカーン!
左リアクォーター&左ドア凹ます。
2001/5頃
兄から、15インチアルミ、オーディオ、ウーハー、バキューム計を2万で買い、取り付け。
2001/5/11
板金に出し、八万かけて直す。
2001/6/1
その二週間後、バイト先の友人にFFはすぐケツ出るから余裕といわれ、
道でスピンターンを試みアンダー出して、路肩にボカーン!
板金屋逆戻り・・・。
フレームを曲げ、事故暦:有となる。 七万かかった。
チューン&修理代にとっておいたお金、使い果たす。
2001/8頃
石○新港に出没するミラージュの友人から、純正タワーバーを¥1000でGET
早速装備、しかし腕がなく効果がわからなかった。
友人が15インチタイヤ&ホイルをかったので14インチのタイヤをもらう。
で、石上車輌ににてアルミを現在の14インチにインチダウンする。
友人に対抗してHKSのむき出しパワーフローを入れる。
2001/9頃
川沿のホーマックで、後ろにあった電柱にボカン。
リアパネル凹ます・・・。8万もする中段スポイラーも損傷。
スポイラーは後に修復。
リアパネルはそのまま。
この頃から、友人たちと材○峠によく行くようになる。
山にハマル。
この頃からノッキングが出るようになりミラージュが一時不調になる。
とりあえず、エアクリを剥き出しからノーマルに戻す。
低速トルク大幅に改善。
2001/10頃
整備工場にだす。
ついでに、バルブクリアランス調整、スロットル洗浄をしてもらう。
剥き出しの湿式エアクリを入れてたため、ISCサーボが結構汚れていたらしい。
どうやら不調の原因はMIVECコントローラーの配線接続不良だった。
ちょっとチューンアップ。
永井電子のウルトラのプラグコードと純正プラグ(七番)に交換。
プラグを取り外したところDENSOのイリジウムプラグがついててちょっとびっくり。
チューニングショップ「RED ZONE」ににてパワーチェック!
驚きの「165ps」がでる。(パワーカーブは→コチラ)
このミラージュ、当りエンジンということが判明。
その様子が雑誌に載る
このころ、ブレーキローターを初めて真っ赤にしてビビル。
2001/11頃
MIVECコントローラーを外す。 リミッターが復活する。
どうやら、これを付けるとMIVEC時に高回転用点火時期に上手く切り替わらないらしい。
2001/12頃
友人と某駐車場に滑らしにいく・・・。
逆フリを失敗し、イン側の壁に左フロントをボカーン!。
バンパー、左フォグ、左ライト、左右ウインカー、ボンネット、ラジエターサポート、フレームを損傷
板金屋に出すお金がなかったため、
ミラージュの友人を頼り、自分たちでフレームを引っ張り、直す。
伊丹車両から部品調達をし、2.5万であげる。
この作業で、作業に自信を持つ。
2002/1〜3頃
ミラージュの友人達と冬の走りスポットを毎週のように通う。
メキメキと腕を上げたつもり・・・。
あまりに車体を振動させながら走っていたので追加メーターの台座がもげ、
プランプランになり、バキューム計外す。
これで、ほぼノーマルに戻る。
1月にブレーキパッドが無くなったため社外品に買える。
3月には「競技初参加!」真狩ウィンターフェスティバルに出場。
FFクラス25台中15〜6位ぐらい。
2002/4頃
春になったので、パーツを個人売買で買う。
前後タワーバー、足回り(Kg/o DR21&TOKICOジムカーナ用ショック)を入れる。
ハッチバックのクイックな特性に惚れる。
車高がべたべたになり、おかしなミラージュになる。
乗り心地に関しては同乗者からクレームの嵐!
ハッチバック宿命リア周りのボディ剛性のなさを補うため、リア周りの補強バーを入れる。
この頃から、近場の○岡に出没するようになる。
峠の危険性を思い知る事件がおきる。
2002/6頃
エアコンクラッチが壊れていることが判明。
フルオートヒーターと化す。(エアコンレスになる。)
ジムカーナってヤツを知る。
タイヤ導入。 9部山のGRID2。
2002/7頃
エアコンコンプレッサーAssyをミラージュの友人から1000円でGET。
で、整備工場に持って行き、なおす。
ジムカーナの練習を夕張でやる。
メッチャはまる。
バイトを始めたため余裕ができ、バキューム計を取り付ける。
2002/9/1
ジムカーナ競技「バトアタ」に出場。
ゼッケン1で激しくプレッシャーがかかる。
クラス14台中8位。 上には上がいることを痛感する。
2002/10頃
今の車高では車検通らないことが判明。(センターメンバー下でおよそ7cm)
ホームコースでインテR(DC2)に撃沈される。
スランプに陥る。
支○湖にいるミラージュ乗りにアドバイスをもらう。
今後の課題「ブレーキ、ステア操作」
2002/11頃
6月買ったばかりのタイヤにスリップサインが出る。
ブレーキパッドまたなくなる、同一製品を入れる。
冬仕様(ノーマル足+スタッドレス)にする。
フツーになったね(?)《俺は元々フツーと思っていた》と友人達から言われる。
自作アーシング&ヘッドライトリレーを付ける。
ライトの明るさが向上。
三菱スポーツECU導入。 リミッター解除&MIVECポイント変更
2002/12/19
キロロスキー場に行く途中、中央分離帯にボカーン。
右フロントロアアームを曲げる。
気合と根性と努力で何とか直す。
2003/1頃
サイドブレーキワイヤーを凍結から守るブーツが破け、駐車時にサイドブレーキが使えなくなる。
2003/2/9
千歳モータースポーツランドで開催された「雪上スノートライアル第三戦」に参戦!
17台中6位入賞となる。
2003/3/18
車検…思ってた以上に色々な部品が消耗してたことが判明…。
2003/3下旬
夏仕様のあまりにも車高が低いのはもう勘弁なので、フロントにリジットのジムカーナバネ、
リアにはラリーアートのラリーバネを入れるべく、ジムカショックを分解。
…が
技術の未熟さがゆえ、ねじ山を潰し、ショックを使用不可にしてしまう。(泣
2003/4上旬
運良く、格安でクスコ『Comp1』車高調をGET!、リアのみピロアッパーマウント。
タイヤもDUNLOP『ディレッツアDZ101』新品を導入!
負けても、「言い訳できない」仕様になる。
2003/4下旬
マルシェ製のボディ強化パーツ「筋金君」を入れる。
ハンドリングが激変し、コーナーリングスピードが大幅にアップ。
2003/4〜8頃
たまに○岡に行き、それらしきクルマを手当たり次第に追っかけまわす。
ブレーキパッドがえらい勢いで無くなる。
ブレーキローターもクラックが入ってどうしようも無くなり、APのローターを導入。
2003/9/23深夜九時頃
そろそろ冬だし。ということでノーマル足に戻す。
ノーマルのクルマの特性はどんなものかを知りたく、つるつるの夏タイヤに履き替え、
スライドさせながら走る・・・。
一瞬のミスで、あっけなく木に突っ込み廃車…。幸いにも、怪我はなく、クルマも最小のダメージですんだ。
2003/10/25
エンジン&ミッションを下ろし解体。
エンジンはオーバーサイズピストンなどを組み込み、新たなるボディに乗せかえられ、復活予定。
2003.11現在
移植できるものはすべて移植し、LEADににて永眠中。(部品取りとも…)
ホントにいろんな意味でいい車でした…
内装 | |
追加メータ | 大森 バキューム計 |
足回り | |
ショック&バネ | クスコ Comp-1 |
ブレーキ | |
フロントブレーキパッド | winmax Zger スポーツ |
ブレーキローター | AP スタンダードブレーキローター |
補強系 | |
前後タワーバー | クスコ アルミシャフト |
サイドタワーバ− | マルシェ 筋金君 |
リアピラーバー | 自作 鉄パイプ |
リアエンドクロスバー | 三菱純正 エボ5RS用 |
チューニング | |
マフラー | 山恵 NUTECマフラー |
エアクリーナー | アペックス 純正交換タイプ |
ECU | 三菱 スポーツECU |
プラグコード | 永井電子 ウルトラプラグコード |
その他 | |
アーシング | 自作アーシング |
ライトハーネスリレー | シビエ ライトハーネスリレーキット |
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