「ベル友」 藤本憲一


 世界の中で、携帯メディアのいちばん発達した国は、どこ?
 正解は、香港とシンガポール。その「ケータイ先進国」香港におけるポケベルの呼び名は「電迅傳呼」。「電波でたずね、伝え、呼び出す」機能的な翻訳語である。さらに街中の派手なカンバンを見ると、ポケベルのキャッチフレーズは「一呼天下應」(一声呼べば、天下が呼応する)。時空を飛び越え、戦国の昔に「いざ出陣!」を告げる、ホラガイの重低音を連想させることばだ。ピーピー、カン高い電子音で鳴るポケベルとのイメージ・ギャップが、なんだかおかしい。
 日本でも、女子高校生をはじめとする若者ユーザーのリードで、香港・シンガポールとはやや進化の系統樹を異にする、新種のケータイ文明が花開きつつある。東京・渋谷あたりで携帯メディアの調査をすべく「ポケベル見せて!」と声をかければ、無言でうなづきつつ、いきなりスラリと腰だめから、ポケベルと携帯電話(およびPHS)の両方を抜き放つ、得意げな若者たちの多いこと! まるで二挺拳銃のカウボーイか、二刀流の宮本武蔵か。二刀をさばく手ぎわもあざやかなら、TPOに応じた使いこなし、使い回しも機略縦横。たとえば、ポケベルと携帯電話では、それぞれ無線電波の先につながる交友関係も違ってくる。
 そこで、ポケベルでなくちゃ知り合えない友だち、「ベル友」の作り方を紹介しよう。まず、公衆電話から「ピ・ポ・パ♪」と、適当にランダムな「ベル番」(ポケベル電話番号)をプッシュします。つぎに「ベルトモにナロウ。」とか「ダレ?イマ、ナニシテルノ?ヒマ?」とかメッセージを入れ、自分のベル番を添えて、見知らぬ匿名のだれかからの返事を待つ。たいていは無視されてしまうけれど、うまくいけば、ほどなくメッセージが返ってくる。こうして何度かメッセージを打ち合ううち、自然消滅する場合も多いが、二人の「ノリ」が合えば、顔も声を知らない、年齢性別さえわからない「ベル友」誕生。「ゲンキ?」「オハヨー」と、あいさつを交わすようになる。ときには、「親友にも言えない秘密の悩みや相談」を打ち明け合う、カウンセラー的な「心の友」にまで発展する。たがいに氏素性を知らないからこそ長く続く、無償の深い友情・・・。心からの「ベル友」がこわれるとき、それは、どちらかが相手の顔をのぞきたくなってしまうときだ。
 青年誌のグラビアや男性かつらCMに出演中のアイドル・矢部美穂が、8/21歌手デビューした。CD「シャボン玉」には、彼女のベル番が添えられている。かつてイジメに悩んだ矢部が、みずからリスナー全員の「ベル友」となって、心の悩みに答えたいという。でもCDがヒットしたら、何万人もの「ベル友」と、いったい、どうやってつきあうの? 心配ご無用。直筆サイン・握手・電話とちがって、アイドル本人が直接答えなくても全然かまわないのが、「ベル友」のいいところ。二四時間いつでも安心してコールできる、非人称的で中性的な一つの番号こそ、「心の友」そのものなのだから。


1996年10月11日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊13面

ふじもと・けんいち  

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