「文化の日」特番として全国放映された、NHKスペシャル『ベル友----12文字の青
春』。新しい若者の情報生態ドキュメントとして、よく描かれていたとは思う。筆者は放
映に先立って、当連載第4回で、「顔も声も知らず、性別・年齢を問わない、ポケベルだ
けでつながる交友関係」として「ベル友」を紹介した。そこで、このテレビ番組を見て感
じた点を、フォローしておこう。
番組の冒頭から、クレーンに釣られた俯瞰のカメラは、高校一年の内向的な少年ナオキ
の24時間を追う。個人情報誌『じゃまーる』に「ベル友」募集広告を掲載、たちまち百
人以上の連絡先ポケベル番号をゲットして、うれしそうに「ベル友」リストを作るナオキ
。リストが完成するや否や、彼は縦横に検索を開始し、自分の理想条件にかなう異性だけ
をピックアップしていく。性別・年齢・学校偏差値で次々に相手をふるい落とした後、同
い年の少女ミキ一人に狙いを定めて、まめまめしくポケベルでアプローチ。めでたく初デ
ートに成功するや、わずか一ヶ月で、「ベル友」リストは早くも用済みに・・・。ナオキ
に忘れ去られ、リストの紙片はむなしく、風にはためく。
ここでの「ベル友」は、いささか「オタク」っぽい孤独な少年が、一本の赤い糸を見つ
けるまでの、「真の男女交際」にたどりつく過渡期の「安物の疑似恋人」的な存在である
。いわば「コンビニエンスな情報選択行動」における「かりそめの使い捨ての友」として
描かれている。はたして、そうか?
もちろん、その一面もある。ただ、筆者たちの街頭調査では、外向的・社交的で、活発
に路上を移動・機動する「オソト」少女群像を調査対象としていたためであろうか。この
特番でのナオキのように、「ベル友」の広告を「赤い糸さがしの無料カップル斡旋所」と
して「タダで乗り捨て」する動機不純な「オタク」ポケベラーは、少数派であった
むしろ「オソト」少女たちは、ふだんから顔と声で直に接するボーイフレンドや、遊び
仲間には事欠かない。であるからこそ、「ベル友」の存在は、身近な生身の友とは別次元
の高みに置かれている。共に悩みを分かち合い、癒し慰め合う、相互扶助的な「電脳ナー
ス」「電脳カウンセラー」「電脳ボランティア」と位置づけられている。「成金的な物質
主義者」として悪名高い彼女たちでさえ、匿名の「ベル友」とつきあっているときだけは
、めずらしく敬虔な気分になるらしい。このときの「ベル友」は、どこか遠くから電子音
にのって届く天の声・お告げであり、「電脳コックリさん」「電脳巫女」「電脳占い師」
的存在といえよう。
かつて古人は、この「ベル友」のように「スピリチュアルな匿名の存在」を、「妖精」
「精霊」「地霊」と呼び、なかでも哲学者ソクラテスは「善き守護霊【ダイモーン】」と
呼んで、尊重した。近代化の過程で、深山幽谷を追われた「妖精」たちは、今かろうじて
「機械仕掛けの神」として、電脳界に移り住んでいる。「ベル友」のもつ、この独自の文
化的・精神的意味を、見落とさないでほしい。
1996年11月15日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊17面
ふじもと・けんいち