メディア・アートのたくらみは、身の回りのありふれた事物にひそむメッセージを掘り起こし、ふだん眠り込んでいる五感を目覚めさせて、しらずしらず聴衆を「くすぐったい困惑」「楽しいめまい」「知覚のサーカス」体験へと、周到に導いていく点にある。
大阪は「天保山現代館」で5月25日まで開催中の「美味しいアート/みる・つくる・たべる」展のワークショップに参加した。水色のコック帽がよく似合う当日のナヴィゲーター、謝淋(シェリン)さんは、「ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家」みたいな巨大なオブジェを、ぜんぶケーキで作ってしまうアーティスト。さて、ふつうの料理教室のように、和気あいあいと生クリームをホイップしつつ、突如そこへ、無味無臭あざやかなブルーの食品色素を投入。とたんにケーキは、イヴ・クラインも真っ青の、不思議に生めかしいオブジェに変身する。試食会の感想は、「なんだか変な青い味!」。当日のコンセプトは、「食べられることを拒否するケーキ」であった。
つづいては、武庫川女子大学・生活美学研究所「クリエイティヴ・サロン」へお招きしたファッションデザイナー、浜井弘治さんのミシン・ワークショップ。「着古してタンスの肥やしになったシャツに、ミシンをランダムに走らせ、発想実験をしましょう!」。初めて乗った自転車のように、手綱をイヤがる荒馬のように、右に左にミシンは暴走する。困った! 片袖を縫い閉じてしまった、万事休すか!?
「それでいいんです! ヨレやホツレも個性のうち。右袖が通せなくなれば、左袖も縫い閉じてしまえばいい。そこに新しいデザインの生まれる発端があるんですよ」。見まわすと、みんな我我我我(ガガガガ)とナルシスティックに、暴走行為にのめり込んでいる。負けられない! 試着会では「ココをこうすれば?」と各自アドバイスをもらって、自分の芸術的感性(?)に自信を深めた。
そもそもケーキとは、教会・塔・城・庭園を模した建築菓子であり、ウィーン会議では敗戦国フランスの「料理外交」をになう戦略兵器であった(同大学院生・松本佳子さんの研究)。また、19世紀半ばにアメリカで実用化された本縫いミシンは、はじめサーカスの見世物として客を集め、初期の家庭用ミシンは、いるか・りす・馬・鷲・天使のオブジェと合体した豪華家具であった(同研究所助手・村瀬敬子さんの研究)。たった二日間とはいえ、現代芸術のたくらみに触れて、今では日常の平凡な点景へチンマリと縮んでいるケーキやミシンの、かつての華やかな黄金時代の記憶に、感電してしまったような気がする。
今は亡きジョン・ケージの「音曲馬団【ミュージサーカス】」パフォーマンスは、あたかもギリシャ神話のミダス王のように、触れる事物すべてを黄金の楽器に変えていった。聴衆がポ〜ッと見とれていると、「こんなこと、誰でもできるよ!」とケージは微笑んだ。今年出会ったお二人も、まちがいなくミダス王の末えいであろう。
1997年3月7日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊14面
ふじもと・けんいち