JR東日本のポスターに、誕生以来30周年を迎えた「リカちゃん人形」が登場している。自分のからだより大きな携帯電話をかかえたリカちゃんが、つぶらな瞳に星を浮かべ、「乗る前に、スイッチ切ってくれて」「ありがとう」と通行人に訴える。「もしもし、あたし、リカよ」のオモチャ電話や、声のテレホンサービスで時代を先駆けた「リカちゃん電話」の国民的認知を利用して、マナーの向上をうたうものであろう。
たしかに車内の携帯電話利用者は急増し、鉄道各社は、アナウンスやポスターで、利用自粛の呼びかけに躍起である。関西圏各社では、おおむね「車内でのご利用は控えめに」という内容だが、JR東日本では4月から「携帯電話はご遠慮ください」と、使用禁止に近いトーンとなった。「車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください。携帯電話の話し声がうるさいと因縁をつけられ、金品を脅し取られる事件が急増していますので、お気をつけください」というアナウンスが流れることもあるらしい。じっさい、今月に入って「若い女性が、携帯電話の話し声がうるさいと、中年男に暴力をふるわれる」事件も報道されている。物騒な世の中になったものである。
たしかに、携帯電話利用者の「声の暴力」によって、車内の村落共同体的な一体感は、いちじるしく乱される。そのノイズ(不調和・不協和・雑音)を嫌う年長者の不快感やストレスは、十分に理解できる。しかし、携帯電話利用者の立場からすれば、ストレスの高い物騒な世の中になり、同乗者(痴漢予備軍や不審人物を確実に含む)を100%は信用できないからこそ、携帯電話は絶対に手放せないのだ。
赤ちゃん連れで外出するヤングママにとって、一番の恐怖は、車内や路上で「赤ちゃん、かわいいね」などと近寄ってくる不審人物であるらしい。また、須磨の郊外住宅地で起きた小学生殺人事件以降、子どもを外出させられないほどの恐怖に駆られた親御さんたちは、防犯ブザーを子どもに持たせているという。しかし、人気のない郊外で、緊急のブザー音を誰が聞くのか、しょせん気休め程度の効果しかないようにも思われる。
無防備な弱者だからといって、ヤングママが、スタンガンで自衛するのは過激すぎるだろうか。ワンダイアル短縮番号で保護者に直結する携帯電話で、小学生が、個人メディア武装するのは生意気だろうか。そんなことはあるまい。むしろ「怪しい人を見かけたら、まず電話!」と、不審人物の接近を許す前に、小まめに電話するよう習慣づけるべきだろう。危険を感じたら、車内だろうが路上だろうが電話でしゃべりつつ、保護者とオンラインでつながりながら移動すればよい。どこかにネットワークしたアクティブな情報発信状態であれば、卑劣な敵も容易には手出しできないはず。車内も路上も危険な現代にあって、「テレフォンラインこそライフライン」なのだから。鉄道各社は、十分な保安・警備スタッフを常駐配備できないかぎり、断じて、携帯電話の使用を禁止すべきではない。
1997年6月20日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊13面
ふじもと・けんいち