携帯電話の電磁波がガンや白血病を引き起こすという噂がある。「電磁波って電子レンジに使われてるヤツ。だから、脳がチンされるのよ」などという噂には、妙にリアリティが感じられて恐ろしい。携帯電話は使わない方が良いのだろうか。悩むところである。
結論から先に言えば、電磁波の人体への影響は今のところ科学的には証明されていない。今後その影響が明らかにされるかもしれないし、全く影響がないことがわかるかもしれない。では、科学的に白黒がつけば噂は消えるのか。
実は、新しいメディアの普及過程で、それを排除するような噂が流布するのは珍しくない。例えば、公衆電話事業が開始された明治二十年代には「電話でコレラが伝播する」との噂が流布したし、ラジオ放送開始直後の新聞には「ラヂオからの電波が体に悪いのではないか」という相談が載っている。今の私たちにとって全くナンセンスに聞こえるこれらの噂も、その「社会的意味」に注目するならば必ずしもナンセンスだとは言い切れない。
「電話とコレラ」の噂を例に考えてみよう。明治中期まで周期的に大流行し、多くの死者を出したコレラは恐ろしい病気であった。患者は隔離され、その家は目印の紙を貼ることが義務づけられた。家屋や家財道具は消毒のために焼却されることもあった。こういった防疫態勢は警察権力を後ろ盾に強圧的に進められたのである。しかも、この防疫態勢は漢方や民間医療といった「民俗の知」に根ざしたものではなく、人々にとって未知の西洋医学に依拠するものであった。明治政府はコレラ防疫をきっかけに西洋医学のもとでの国民の管理をすすめ始めたのである。「電話とコレラ」に限らず、この時期コレラにまつわる噂は数多い。それらは単にコレラに対する恐れからだけではなく、医療体制の変容に対する反発からも広まったのである。
では、電話はどのようなメディアだったのか。電話はまず官庁や警察、軍事目的の専用回線が整備され、公衆電話事業は治安上の理由もあって官営で行われることとなった。国家的な産業政策のもとで整備された初期の電話は、単なるコミュニケーション手段でも新奇なメディアでもなく、国民管理のための装置であったのだ。「電話によってコレラが伝播する」という噂の背景にある「コレラ防疫」「電話ネットワークの整備」は共に、国家による国民管理といったイメージで結びついていたのである。
噂のメッセージは単一ではない。「携帯電話の電磁波は危険だから使わない方がいい」という「情報」だけが「携帯電話の電磁波が危険だ」という噂のメッセージではない。だから、電磁波が本当に身体に悪いのかを科学的に検討するだけでは、この噂を理解することはできない。噂の背景にはどのようなイメージがあるのか。携帯電話や電磁波、さらにはガンといった噂のモティーフそれぞれのもつ社会的意味を読み解く必要があるだろう。
1996年10月4日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊17面
まつだ・みさ