ポケベルの未来は? 松田美佐


 ポケットベルや携帯電話の研究をしていると話すと、最近きまって「いつポケベルはなくなるでしょうか」と尋ねられる。どうも、次のような理由が背後にあるようだ。
 ポケベルは「いつでもどこでも連絡をとる」ために生まれたメディアである。しかし、今日のように携帯電話が六人に一人の割合で普及すると、直接相手と「話す」ことのできないポケベルはまどろっこしいだけだ。若者の間でのポケベルの「遊び」的利用も単なる流行であって、最近ポケベル契約数は減少傾向にある。ポケベルは携帯電話が普及するまでの過渡的なメディアにすぎず、その歴史的使命を果たしたのではないか。
 このような問いには「今のようなポケベルはなくなるかもしれませんね。けれど、ポケベル的なコミュニケーションはなくならないと思いますよ」と答えることにしている。つまり、現存のポケベル端末はなくなるかもしれない。しかし、何らかの情報機器端末に短い文字メッセージを送るというコミュニケーションはなくならないように思うのだ。
 なぜなら、ポケベルのコミュニケーションと携帯電話のコミュニケーションは別物であるように思うからである。ポケベル・ユーザーにインタビューすると、「(対面にしろ、電話にしろ)直接は言えない、もしくは、直接言うほどでもないメッセージでも、ポケベルを使えば伝えられる」といった答えが返ってくることがしばしばある。「いつでもどこでも連絡をとる」という機能では等しいはずのポケベルと携帯電話は、非同期的b同期的、文字b音声といったメディア特性の違いもあってか、コミュニケーションのあり方まで同じなのではないようなのだ。
 つまり、メディアを機能面のみから捉えるのは適当でないのである。例えば、用件を速やかに伝達する機能を持つ電話は、手紙を凌ぐメディアとして受けとめられ、「電話が普及すると手紙がなくなる」と言われたこともあった。しかし、現在両メディアは共存している。いや、「棲み分けている」と言った方が正確であろう。日常的な連絡は電話で、年始の挨拶や正式なお礼状は手紙(やハガキ)で、といった具合に。だからこそ、普段電話でしか話さない相手から手紙が送られてくると、そのメッセージ以上にコミュニケーションの「意味」を感じるのではないか。
 同じ機能をより高度な形で実現するように見える新しいメディアが、必ずしも古いメディアを駆逐するとは限らない。むしろ、新旧メディアは共存するのであり、新しいメディアは古いメディアに新しい「意味」を付与するのである。では、ポケベルのコミュニケーションのあり方はどのように変わりつつあるのか。携帯電話だけでなく、電子メールや手紙、電話やファックスなど、さまざまなコミュニケーション・メディアとの関係において考えていく必要があるはずだ。

1997年8月22日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊14面

まつだ・みさ  

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