クローン技術 松田美佐


 一月ほど前だろうか。新聞やテレビが一斉にクローン羊の誕生を報道したのは。英国で昨年七月に誕生していたという。SFの世界ではクローン技術は当たり前、クローン牛だって誕生していたはずなのに、「何を今さら」と思ったら、そうでもないらしい。
 これまでのクローン技術は、受精卵がいくつかに分裂した段階で遺伝情報の含まれている核を取り出し、未受精卵に入れるという、いわば人工的に双子や三つ子・・・を作るもの。今ここにいるあなたや私のクローンは不可能である。対して、今回は成体の細胞の核からであり、原理的にはあなたや私の細胞からでもクローンを作ることができる。ゆえに、「ヒトラーのクローンが誕生したらどうするのか」といった問題が起こるという。
 しかし、「医者でも泥棒でも、赤ん坊を好きなように育ててみせる」と述べた行動主義者ワトソンならずとも、この問題の立て方のおかしさには気づくに違いない。たとえ、同じ遺伝子を持つクローンが誕生したとしても、全く同じ生育環境を用意することが不可能である限り、「ヒトラーその人」を再生させることはできない。厳密に環境や体験をコントロールして、万が一、ある段階ではヒトラーと全く同じ思考・行動様式を持つクローンが誕生したとしても、次の瞬間からクローンは「ヒトラーその人」とは別の存在になる可能性を持っている。いずれにしても、「ヒトラーその人」の再生はありえないのだ。
 もちろん、クローンの問題はそれだけではない。例えば、臓器移植を目的にクローンが作られるとしたらどうだろう。「人工臓器はよくて、クローン臓器はいけない」とは一概には言えないはずだ。この場合、臓器を提供する/させられるために誕生するクローンの「人権」はどうなるのか。もちろん、人間まるごとではなく、個別の臓器のクローンも可能だという。では、体の中がすっかりクローン臓器になったとしても、私は私のままなのかという問題もある。人間ではないものの、クローン羊誕生を成功させた英国の会社は、人間の心臓移植に使えるクローン豚の研究に着手するとの情報も届いている。一刻も早く、生命倫理の観点からこの問題を議論する必要があるのは言うまでもないだろう。
 そして、この問題はメディア論的に考えてみる必要もあるのだ。メディア論の始祖マクルーハンは、あらゆるメディア(テクノロジー)を人間の身体を拡張するものとして捉えた。彼によれば、衣服は皮膚の延長であり、電気回路は中枢神経の延長である。果たして、「永遠の生命」を可能にするクローン技術は、人間を拡張するのだろうか。
 クローン羊誕生に際しての論議は、初の「試験管ベビー」誕生の時ほどは盛り上がっていない。だが、倫理面からだけではなく、「メディアと人間」について今日考える者の一人として、この問題を真摯に受けとめなければならないと感じている。

1997年4月4日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊15面

まつだ・みさ  

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