先月のお盆休みに沖縄を訪れた。数年前からかの地の文化と自然のとりことなり、何かと理由づけて年に一度は訪問することにしているのだ。今回の楽しみとしては一人芝居で沖縄の文化や人々の生きざまをコミカルに演じる芸人、藤木勇人さんの舞台を初めてナマで見るというのもあった。
当日の演目でとりわけ笑わせられたのが、沖縄の伝統的な巫女である「ユタ」を演じたもの。祖先信仰が根強く残るこの地方では、今なお霊能者としてのユタが重要な地位を占めているのだが、芝居の中では、たまたま本土からやってきた依頼人に対するユタのチグハグなやりとりが、いかにもこっけいなのである。さらに興味深いのは、そんなギャグの端々を通じて、聖と俗の狭間で今も生活を続ける沖縄の人々独特の日常が表現されていることだ。
思えば「メディア」という単語は、そもそもユタやイタコに代表される霊媒・巫女など、あの世とこの世の媒介者という意味に由来している。その点、今回「メディア」としてのユタを藤木氏が演じることで、同時に彼自身が舞台を通して沖縄文化を伝えるメディアとなっていたのは何とも象徴的である。
かつて沖縄の人気グループ、りんけんバンドのメンバーでもあった彼は、数年前にグループを脱退したのち、こうした一人芝居を各地で演じる活動をはじめた。さらに地元のテレビやラジオに出演するかたわら、フリーのミニコミ誌を創刊、最近ではネット上からもアクセスできるようにするなど、多くのメディアを駆使して精力的に活動している。もともと沖縄は出版業がさかんで、CDもかなりの数が独自に制作されている土地柄でもあるが、こうした土壌の背景には、彼のような数多くの「メディア的」人物がつちかってきた文化の厚みが横たわっているのである。
米軍基地問題をきっかけに活発化した沖縄振興策の中では、マルチメディア特区の構想がひとつの大きな柱となっている。しかし従来からいわれているような光ファイバー網敷設といったハード中心の施策だけでは、地元に根を下ろさない上滑りなものとなってしまいかねない。マルチメディア研究機関の設置や、NTTの番号案内の拠点を移設するといったことも検討されているが、地域の文化や生活に密接に結びつくものでなければ、情報化による振興策もおのずと限界に突き当たるであろう。
むしろ何よりも重要なのは、誰に対して、何を伝えるべく情報発信するのかということ。そして、手近なメディアを有効に使うことである。インターネットをはじめとする電子メディアも、既存の伝達手段や組織と有機的に結びついてはじめて有効に機能するものなのだ。藤木氏をはじめとする沖縄文化の担い手たちも、それらの点を明確に認識しているからこそ、ナマの舞台やミニコミ誌などへのこだわりがあるように見受けられる。
情報化による地域振興は沖縄に限らず各地で叫ばれているが、電子メディアさえ導入すればすむというわけではないことを忘れてはならない。
1997年9月5日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊15面
おかだ・ともゆき