昨年来、世間をにぎわせてきたインターネットも、ブームの勢いはなかなか衰えて
いないようだ。とはいえ、いざ接続のためにパソコンを購入してはみたものの、マシ
ンの立ち上げがうまくゆかず、そのままホコリをかぶってしまう場合も少なくないと
聞く。
やはりもっと簡単に使いたいというニーズがあるためか、先日、インターネットテ
レビなる製品が各家電メーカーから発売された。今までよりずっと簡単にテレビ画面
上で茶の間からインターネットのホームページが楽しめるというものである。
しかしこの製品は、これまで端末として主流だったパソコンとは大きく異なる点を
持っている。インターネット関連の機能をホームページの読み出しにほぼ限っている
ことだ。そのため、これだけではカナだけの簡単なメールしか送れないし、自分でホ
ームページを作って発信することもできない。ほとんどのユーザーがそこまでインタ
ーネットを使いこなすわけではないといっても、インターネットテレビは、このネッ
トワークの多様な側面を切り捨てて、インターネットの利用を受け身の行為に限定し
てしまうもののような気がする。
そもそもインターネットとは研究者が互いに電子メールなどで連絡を取り合ったり
、ネットワーク上で共同作業をおこなったりする手段として発達してきたものだ。世
間でインターネットの代名詞にもなっているホームページのしくみも、画像や音声を
含むデータを利用者間で比較的容易にやりとりする方法として、ほんの数年前から始
まったものにすぎない。それが娯楽や生活に関する情報を取り出すために活用される
ようになり、インターネットが既存のマスメディアとは異なった、誰でもメディアの
送り手になれる手段として脚光を浴びたというわけだ。
過去の歴史を振り返ってみると、今世紀初頭のラジオもじつはそうした開かれたメ
ディアとなる可能性を持っていた。当時の欧米では、今の言葉でいえばさしずめ「お
たく」的な無線マニアの間で、おしゃべりをしたり音楽をかけ合ったりという電波の
ネットワークが展開していたのだ。それが第一次大戦後になって、現在のような受信
専用のラジオが大量生産される一方、商業放送のシステムも確立された。こうして放
送局という少数の発信者に対し、聴取者である多数の受信者という今日のマスメディ
アとしてのラジオ放送の制度が成立したのである(このあたりの事情は水越伸著『メ
ディアの生成』に詳しいので、興味のある方は参照されたい)。
インターネットテレビも、「パソコンおたく」的な知識を必要とするインターネッ
トを一般レベルでも利用できるよう解放していくための情報機器といえるだろう。し
かしこれが端末の主流を占めるようになったとき、インターネットの可能性から失わ
れるものは少なくない。はたしてインターネットテレビはブームの中のアダ花に終わ
るのか。あるいは逆にこれまでのインターネットのあり方を変えてしまうのか。今後
の成り行きが大いに注目されるところだ。
1996年11月22日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊17面
おかだ・ともゆき