「ワープロ誤字」 岡田朋之


 最近、あちこちで漢字の誤りを目にする機会が増えたように思う。先日などは、新聞を読んでいて「月間誌」というのに出くわした。この場合はもちろん「月刊誌」が正しい。京都新聞の名誉のためにも、他の某全国紙であったことをことわっておかねばならないが、以前では新聞でこういった初歩的なミスはまず見受けられなかったはずだ。似たような間違いはテレビの字幕にも多い。「以外な新事実発覚!」(正しくは「意外」)などと画面上にあらわれた日には、めまいすら覚えそうになる。
 そんな状況の背景には、ワープロの普及が関係しているのは間違いない。物書きを生業とする者で、出版社などに手書きの原稿を入稿するというのはもはや少数派。テレビのテロップも、かつては写植や手書き文字だったが、今ではパソコンなどの装置から直接送出されている。
 ワープロが製品化された当初は漢字変換辞書の性能の悪さにイライラされられたものだが、次第にその性能が向上し、最近ではほとんど違和感なく正しく変換してくれるようになった。とはいえ私たち自身、変換機能に頼るあまり、ついつい間違いを見逃しがちになっていることは否めない。これに対して新しいメディアの普及による「ことばの乱れ」を批判し、国語教育の再徹底を主張する向きもあることだろう。だが問題はそれほど単純ではない。
 電子メディアによる言語活動の変容を論じた米国の研究者、マーク・ポスターは次のようなことを言っている。文字で書かれた言語や活字になっているものは、物質化することによって客体化され書き手に対峙(じ)する。そこで書き手は確固とした主体として言語を操る存在となるのである。だが、コンピュータによる電子的言語は物質性を持たないため、客観化することが比較的難しい。それゆえ、電子的な言語は印刷や手書きの文字言語にくらべると、より話しことば的性格を帯びてくるというのだ。たしかにワープロ打ちした文書を外に出す場合、一度紙の上にプリントして見直すことが少なくない。それも電子的言語が本来持つ性格に由来するのだということになる。
 そう考えると電子メディアのなかで完結する言語には誤字が多く見られるのもも不思議ではない。電子メールの場合、書いた文章をそのままパソコン上で送ってしまえることから、手紙やファックスにくらべると気軽にメッセージをやりとりすることができる。しかしその反面とんでもない漢字の変換ミスが残っていることもしばしばだ。インターネットのホームページでも誤字を見かけることは多い。そうしてみると電子的なコミュニケーションは、言葉遣いへの意識や感覚の点で、知らずしらずのうちに書き言葉よりもルーズなスタイルを獲得しつつあるともいえる。同時にそれは既存の書き言葉のあり方にも影響を及ぼす。書き言葉が生み出される過程に電子メディアが関与することで、電子的言語の性格を少なからず帯びてくるはず。その意味で、冒頭に挙げた新聞のミスプリは、電子メディア化の進展による言語活動の変容のひとつの現れだったといえるのかもしれない。

1997年6月27日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊15面

おかだ・ともゆき  

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