11月下旬、東京・恵比寿ガーデンプレイスで、ある意味において普通でないコン
サート「BrainOpera」が行われた。このコンサートは二幕で構成され、第一幕は「マインド・フォ
レスト」と呼ばれる森が茂る部屋で「行われる」。いやむしろ「行う」といったほ
うが正確なのかもしれない。というのも、この森での「演奏者」は来場者自身なの
だ。しかし、そこにあるハイパー・インストゥルメント=「楽器(を超えた楽器と
言うべきか?)」類は、SFの世界に出てくるような樹木、生命体のような形をし
ており、普段見慣れないものばかりである。その光景は、西洋的な楽器に慣れた人
であれば、逆にグロテスクに感じるかもしれないし、そんなものは楽器ではないと
いうかもしれないが。
例えば、センサー・パッドを叩けばその強さによって多様なリズムを奏でる「リズ
ム・ツリー」、ゲームセンターのドライビングゲームのようにモニターの中の音符
を操作すると、その道筋によって音楽が出来上がっていく「ハーモニック・ドライ
ビング」、幻想的なスクリーン映像の前で感じたままのジェスチャーを行えば、セ
ンサーがその肉体表現を読み取って音楽にしていく「ジェスチャー・ウォール」な
ど6種類。それぞれが来場者たちの「音楽的想像力」に任せて即興的な音楽を奏で
る。
そして第二幕は、名門ジュリアード音楽院卒で、スタンフォード大、マサチューセ
ッツ工科大(MIT)でコンピュータを学んだ、この「Brain
Opera」の提唱者であり、MITメディアラボ教授であるトッド・マコーバーと2人
の仲間によるコンサートだ。そこでもさっきのハイパー・インストゥルメントたち
が活躍する。しかし、その音素材は第一幕で来場者=聴衆たちが奏でた音、あるい
はインターネットを通じてリアルタイムでこのコンサートに世界各国から送られて
くる音声データ。それらをもとにしてマコーバーたちが演奏するのだ。つまりはこ
のコンサートにおいては、聴衆が「聴き手」でとどまることができない。音素材提
供者として参加することで、両者の間でインタラクティビティが成立するのだ。
普通、コンサートで「演奏者」と「聴衆」の関係は絶対的に固定されている。「演
奏者」に触れることも、その「演奏」に参加することも「聴衆」には許されない、
一方通行の関係ができあがっている。しかし、この「Brain
Opera」は「聴き手のままでは終わらせない」(会場パンフより)のである。
「音楽は苦手」という人を「聴き手」として縛りつけてしまう音楽的コンプレック
スは、楽器の演奏や歌の上手さを点数によって計る現在の音楽教育から出てくるよ
うに思える。だが誰もが持っている「音楽的想像力」は、本当はテクニックや知識
には左右されないしその優劣などないハズなのだが。
1996年12月6日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊17面
たかひろ・のりひこ