「ヴァーチャル・ペット」 高広伯彦


 「ウチの子、死んじゃったの。10才で...。」
 知り合いの女性から電話が入った。ちなみに彼女は二十五才。十四、五の時の隠し子か?というとそうでもないんだけど。でも最近、子供を産んだことのない女性からこんな言葉を聞かされることが多い。特に高校生からOLぐらいまでの女性からだ。
 真相は昨年末に某玩具メーカーから発売され、爆発的に売れている『たまごっち』にある。外見的にはSサイズのたまごを平べったくしたような筐体に、2センチ平方ほどの液晶画面がついている。その中には丸っこい生き物がいる。コイツをたまごから→「ベビーっち」→「こどもっち」→「アダルトっち」と育てていくというゲーム(?)なのだ。「ゲーム」と言ったら「真剣」に育てている人たちに失礼かも。というのも育て方(「ごはん」・「おかし」のあげ方、泣いた時の「しつけ」方、トイレの掃除など)によってそれぞれ違った「風貌」になっていくものだから、「育てる」ほうも本気でカワイイ。現に「夜、寝れない!」なんていう人もいる。つまり彼女たちの認識は液晶画面上の存在であってもひとつの「生命」なのだ。
 そういえば、人間は昔から人工の「肉体」「生命」を産みだそうとしてきた。パラケルススら中世の錬金術師たちは、フラスコの中に入れた精液を腐敗させ、加工して、人造人間「ホムンクルス」を作り出せると信じていた。また、レーウェ・ユダ・ベン・ベザレルはプラハにおいて土人形「ゴーレム」作り出し、これは13年間生き続けたと伝えられている。こういった人工の「生命」への探究は想像の世界にすぎないが、すでに「サイバースペース(電脳空間)」上では「人工生命」に出会うことが現実となっている(例えば「人工生命」は芸術の世界で一つ流れを作っているがこれについては後日)。当然、これらの「生命」を構成する「肉体」は、魔術を用いて土から作るのでも死者の肉を用いるのでもない。代わりに数式から生み出されるプログラムを用いる。しかし、『たまごっち』もそうだが、この計算で生み出される「肉体」は何か「現実」に「存在」する生命のシミュレーションやコピーではない。だから「人工生命」の多くは仏の思想家ボードリヤールの言葉を借りれば「シミュラークル」(オリジナル無きシミュレーション)な存在であると言えよう。
 この間の日曜日、1997年1月12日はA.C.クラークが小説『2001年宇宙の旅』で描いた人工知能、「HAL9000」が生まれる日(US版WIRED1997年1月号で特集しているので、興味のある方はどうぞ)のハズだった。だが、彼のように思考するコンピュータに出会うことは「現実」にならなかった。その一方で、おそらくこの日も数多くの「たまごっち」は生まれていただろう。「シミュラークル」な、しかし彼女たちにとっては一つの「現実」として。

1997年1月17日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊13面

たかひろ・のりひこ  

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