「新世紀エヴァンゲリオン」は、「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」に匹敵する超人気アニメとして、昨年のアニメ界の話題を独占した。ビデオとレーザーディスクは計二百万本。三冊の単行本が各百万部。主題歌のシングルCDは計八十万枚。サントラ盤はアニメとして十七年ぶりのオリコンチャート一位。その他、シナリオ集や画集、ジグソーパズルや模型、テレビゲームも発売され、ファンによるホームページも三百を越える。
昨年十月から今年三月までテレビ東京で放送した時は、平均視聴率七・一%とさほどでもなかった。しかし、放送終了直後から火がつき、一気にブレイクした。
物語の舞台は、二十一世紀。大異変で人類の半数が死滅した。二0一五年、正体不明の怪物「使徒(シト)」が箱根の第三新東京市を次々に襲う。国連直属の特務機関「ネルフ」は、巨大人型兵器「エヴァンゲリオン」で迎え撃つ。パイロットは、主人公の一四歳の少年、碇シンジと二人の少女。「エヴァンゲリオン」は限られた少年少女しか操縦できないのだ。シンジは、どちらかというと無気力で、真面目なところだけが取り柄というクラスの中でも存在感のない少年。シンジは、決戦兵器「エヴァンゲリオン」の開発者であり、十年以上会わなかった父にある日突然呼び出され、困惑したまま操縦席に座る。「自分はなんのために闘うのか」という問いだけが、ケンジの心の中で繰り返される。
学校帰りに「ネルフ」に向かうケンジの姿は、中学生が塾に通う姿とだぶる。作品全体に漂っているのは、どこにも居場所のない少年の孤独と「どうせやらなきゃだめなんでしょ」という諦めである。そこにあるリアリティは、アニメファンだけでなく、十代二十代の若者たちを引きつける。自分は果たして社会から必要とされているのか、いったい周りどう思われているのかという不安は、若者達に共通するものだろう。しかも、闘う理由がないまま戦闘を続けるシンジの姿は、受験戦争に明け暮れる今日の中高生の姿でもある。敵と味方、善と悪が曖昧な今日の社会であるからこそ、誰と何のために闘うのかを問い続けるシンジの姿が共感を呼ぶのだろう。しかし、「人類補完計画」や「エヴァンゲリオン」の真の正体など、多くの疑問が謎のまま放送は終了した。その後、結末を巡って雑誌やインターネットで論争が起こり、人気に火がついたのだった。
放送終了後、一年近くたった今でも話題を独占し続ける「エヴァンゲリオン」。今春、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」として映画化される。そこで結末が提示されるとのうわさだが、詳しい内容は分からない。ただ、そこで提示される結論よりも、このようなテーマ設定が人気を集めること自体に私たちは注目する必要がある。それは、「生きる意味」を見失い欠けた現代の若者達がそれを求めようとする姿の現れでもあるからだ。「エヴァンゲリオン現象」は、この世紀末を象徴するひとつの社会現象と言えるだろう。
1997年1月10日 『メディア人間学』 京都新聞朝刊17面
とみた・ひでのり