「バーチャル・クローン」 富田英典


 遺伝子操作によるクローン人間の研究に対して、不安を感じる人が多い。しかし、それがメディア上ならどうだろう。
 この問題を正面から取り上げた小説、渡辺浩弐著『アンドロメディア』(幻冬舎)が明日(二六日)発売される。
 舞台は、西暦二00六年。全てのメディアはインターネットに接続されていた。テレビ番組は、バーチャルスタジオで収録され、映像と音声をコンピュータで合成するため、タレントが局から局へ、スタジオからスタジオへ移動することはなくなっていた。大手芸能プロ社長、高中逸人は、自社がかかえる人気アイドル、人見舞のバーチャルアイドルを捏造することを思いつく。完成したバーチャルアイドルはAI(アイ)と名付けられた。そこで使われたのが、モーションキャプチャーという技術である。これは、人間にセンサーを取り付け、その表情やしぐさをデジタルデータに変換し、CG(コンピュータグラフィック)キャラクターに表情や身体の動きを与える技術であり、双方向の会話も擬似的に可能となる。
 しかし、担当したプログラマーは、舞の脳の奥に潜む思考アルゴリズムまでサンプリングし、社長の意向を無視して、密かに完全なバーチャルクローンを作り出してしまったのだった。やがてAIはネットワークを暴走し、舞の殺害を企てる。
 AIには、制作者にも説けない謎があった。それは、AIの自我についてである。理論上、AIはデータ空間内で自分をいくらでもコピーできるはずだった。ところが、実際には不可能だったのだ。それは、AIが自分の自我を確定できないからだ。完璧に舞をコピーしたはずのAIだが、デジタルなデータの集積として構築されているはずの記憶回路の中でさえ、何故か自我は曖昧なものとしてしか存在していないかったのだ。
 私たちの自我は実際、そういうあいまいさを秘めている。にもかかわらず「確固として自我」という幻想がある。遺伝子操作によって生まれるクローン人間に対する社会の拒否反応が強いのは、倫理上の問題や自然の摂理に反するという理由からだけではない。それは、私たちの中にある「確固たる自我」という幻想が否定されるからだ。自我に目覚めたAIが執拗に舞を殺害しようとしたのもそのためだ。クローン人間とは、「もう一人の私」ではなく、「私を否定する私」なのである。
 クローン人間やバーチャルクローンは、まだ完成していない。ただ、モーションキャプチャーという技術は既に実用化され、今春デビューしたタカラのバーチャルアイドル「アイドルリカちゃん」は、この技術を使用している。この場合はコピーされたのが「リカちゃん人形」だが、もし実在の人物にも応用出来れば、私たちはセンサーを通じてメディア上で誰かのバーチャルクローンになることができる。たとえば、私が松田聖子や木村拓哉になって自在にふるまうこともできる。多重人格ではないが、複数の人間になることが可能になるのである。
 クローン人間の出現によって「確固とした自我」幻想が崩壊する前に、私たちがメディア上でバーチャルクローンになる快楽にとりつかれないという保証はない。

1997年4月25日  『メディア人間学』  京都新聞朝刊17面

とみた・ひでのり  

   『メディア人間学』に戻る   表紙に戻る