速いもので(2008/06/06)
もはや、六月。一年のサイクルで見ると折り返し点です。本当に年を取ると時間が進むのが速く感じる。
さて、更新をサボった。と言うか、月が変わってページを新しくするのが面倒だったので、ついつい後回しに。で、相変わらず、天罰は続いております。腫れは三日で引いたんだけど、深く曲げると痛む。意外と、足の指の付け根は、深く曲げるものと痛感。歩くときに、蹴り足となると、90度に近いぐらいになるし。気を抜くと、やってしまって、いてててと叫ぶハメに。件の子とは、完全にシフトがずれて、もはや会う事も無かろうと言う状況なのになぁ。嫉妬深き我が女神。それとも、なにか波乱を用意しているのか。
ぷよった腹対策も、一週間で3sおとしたはいいが、そこから減らない壁。まぁ、ここで折れるとリバウンドなんですけど。つーか、ぷより対策なんで、体重云々より、筋肉量のが問題だが、ジャックナイフサボリがち。そーいや、メタボ検診という、ふざけた税金の無駄遣いは、どうなった。あんなん、流行り言葉つかつて、国民の方向いてますよと言うアピールやん。一律、ウエスト85センチ以上メタボって…身長150でウェスト80はセーフで、身長190でウェスト85はアウトなんかい。
モーターヘッドのレミーのように、いくつになっても社会悪への怒りは忘れずにいたいものだが、そこは凡俗なので、のど元を過ぎれば忘れてしまう。大阪府職員の、ぬるま湯のような悪の海に浸りきった姿勢が、腹立たしい。大阪でアレだから、地方に行けば、村レベルだと、完全に私物化されている所もありそうな気がするなぁ。
ちなみに、悪の海つーのは、詩人になり損ねた、予備校の先生の詩の一節。心地よいぬるま湯のような悪の海にヒザまで浸かった僕は、疲れ切った老婆が立ちつくすのを見て寝たふりをする。とかなんとか。原形とどめてないけど。全国規模のやつで、佳作になったとかなんとか。国語の講師かと思った人、甘い。英語の講師だった不思議。講義はイマイチだったけど、話は面白いタイプだった。
煽り(2008/06/11)
猟奇的な事件がおこると、犯人の、とくにマイナーな趣味を持ち出して、それに原因を求めようとする姿勢は、全く直ってない。少なくともテレビ朝日は。
かつて、宮崎事件で、犯人が、千単位の番組収録をしたビデオをクローズアップし、常軌を逸した趣味のように取り上げた。とくに、それが、アニメや特撮という、大多数の人間にしてみれば、子供向け番組と言われるモノであった事も、取りざたされた。
先日来の、秋葉原連続殺傷事件の犯人が、学生時代、サバイバルゲームに参加していた事を、取りざたし、あまつさえ「サバイバルゲーム、疑似殺人ゲームとも言われる」と言い切っていた…その言葉には、サバイバルゲームが、殺人衝動を育んだと言わんばかり。ほしたら、フルコンタクト空手やボクシングは、疑似ケンカスポーツかい?。オリンピックは代理戦争かい。
そもそもにおいて、ゲームとはすべからく疑似的なものだ。本来出来ない事を、擬似的に、平和的に行うのがゲーム。だから、スポーツもゲームだし、いわゆるテレビゲームもゲームだ。頭から、(テレビ)ゲームは悪。と言う決めつけがあり、結論の誘導が見える。
犯人が使用したダガーナイフも、サンケイのネットニュースでも、「ドラクエなどに登場するアイテムで」などと記事にしており、結論への誘導が見える。ヤクザ映画が流行していたおり、短ドスによる犯行があったなら、映画のせいにしただろうか。おそらく、否だ。また、こうした事件が起こると、自称有識者や、一般人はナイフの規制を!。と言うのだが、日本で犯罪に使われる凶器の一位は、キッチンナイフ。つまり包丁。インパクトとしては、サバイバルナイフやコンバットナイフのがインパクトがあるが、件数で言えばかなり少ない。
一ヶ月ほど振り返っても、百均で購入した包丁で犯行に及んだ事件は数件あったはず。なのに、百均での刃物販売に規制を。と言う声は全くない。
思いこみで怖い。と思ったのが、ナイフ店での会話で、「ナイフを刺すようなしぐさ」と公開されていた映像が、実は雪かきの身振りだった事が判明。先入観というか、何というか、ちょっと怖いなと思った瞬間だった。
人物像に関しては、そこかしこで語られているとおりで、だいたい、誰しも高校当たりで挫折し、現実と向き合い、現実と妥協して生きていく訳だが、それが出来なかった。と言うところで、高次機能障害?みたいな、精神疾病があるように見える。キレやすい。と言うのも、瞬間的に感情がコントロールできず、また行動に歯止めが利かなくなるのもそう言う理由だからだろうか。もしかすると、ACのヒーロータイプ。だったのかも知れない。一番、ヒーローらしく振る舞わなくてはいけなかった、中高で挫折した事で、心が折れてしまったのだろうか。弟に親を取られてしまった孤独感と、お兄ちゃんなんだからと抑圧されて、良い子に振る舞う姿は、ACに見られるモノではないかと思う。
だからといって、罪を減じろなどとは思わない。そもそも、私は、責任能力がないと無罪というのは間違っていると思ってる人間だし。だいたい、現代で、精神科に行けば、なにか病名がつく(もしくは、予備軍と言われる)ものを、誰とも抱えていると思うわ。
ながかった(2008/06/16)
本当に長かった。と三萩野球五の様な事を言ってしまうけれど、やきゅつくDS版。これは期待できる。
完全に、方向性を見失っていたPS2シリーズという、ファンにとっては忘れたい(特に2002と2003は酷すぎる)現実から、ようやく、明るい日差しが。変にリアルな7頭身のポリゴンキャラより、SDの方がらしいんだよね。そもそも。
DC版が絶妙だったのは、監督業と社長業とGM業、すべてをバランス良く行えていたから。そして、通算記録を残せるという強み。私は、DC版で、軽く千年はプレイしております。ただ、携帯ゲーム機であるせいか、記録は残せないらしいんだわ。連続試合出場記録とか、残したいジャーン。つーか、開発ブログで、記録に残る選手、記憶に残る選手とか言ってたのになぅ。オリジナルスキルは確実に、アストロガッツとか付けそうだ。
ともあれ、またDS熱が、こみ上げてきました。前は、オペレーションダークネスとオブリビオン。世界樹の迷宮とシャイニングフォースを天秤にかけて、X箱にしたんだけど…OPDは、アレだったし。オブリはPC版買ったし。あ、フェイブル2は、良さそうです。PC版は無さそうなので。ひさびさの箱ゲーかも。結局AC6は見送り中。飛行機15種と言う、少なさは致命的すぎる。
うーん、DS買うかなー、どーするかなー。ただ、世界樹とやきゅつくと、SFやったら、埃かぶりそうなんだよなぁ。美文字トレーニングでもする?。
まぁねぇ(2008/06/18)
何かあるとこうした事で、予知だ何だと騒ぎたくなる気持ちは分からなくもないが。こういった、偶然の一致は、まぁ、たまに発生する。
例えば、タイタニックの何年かまえに、巨大な客船が沈没する小説が発表され、船の前も、タイタン号だか、ギガント号だか、巨人の名前で。とか一致していたり。漂流している3人が、クジで負けたら、残り二人の食料になると提案した当人がクジに負け、暴れ出すが、他の二人がコレを殺害し、生き延びる。という筋の小説が発表された後、まったく同じ事件が起こり、裁判官が、この小説を読んだ事があるか。と聞くほどだった。とか。
まぁ、神格化したい気持ちも分かるが、ポップオカルトは嫌いです、私。まぁ、作家業というのは、創作活動というトランス状態では、極まれに、アカーシャにアクセスしてしまい、知らずと利用する事はままあるわけで、予知ではないが、アカーシャにアクセスしたのは間違いないだろうなぁ。
予知とアカシックレコードの違い。予知は、あくまで予定の先見であり、それは確定した未来ではない。しかし、アカーシャに刻まれた事象は、変更されない、確定した事象である。と言えるかな。ふぅむ、この辺の違い、ネタに出来そうだな。自分で書いてて何だけど。
話は飛んで、ソナ4。つーか、ペルソナ4って五文字からさらに略すか?。売り文句に、前作をしのぐマルチエンド…前作ってマルチエンドだったか?。つーか、2つしかないエンドパターンの前作をしのぐって…自慢げに書く事かなぁ。ドン引きしていく私です。
ペルソォーナ(2008/06/23)
ちょっとばかし、懐かしくなって、ペルソナ1をちょっとプレイ。ペルソナ様遊びに端を発し、見舞いがてらの検査で病院へ、そして異界化。即座に引き込まれます。何がどうなっているのか、同級生は無事なのか。思わず先に進めたくなる、上手い引き。こういう先輩が残した名作があるのに、どうしてペルソナ3では、うまく引き継げなかったのだろう。ちなみに、ペルソナ3風に演出すると、随所随所で、ディヴァシステムを起動させる神取のシーンが入るわけですな。そして、多分、ご丁寧に、異界化した理由まで語ってくれるハズ。まぁ、先が見えると、やる気なくなるのは、私だけかも知れませんが。
さて、やり直してみて、ちょっと感じ入ったのが、フィレモンの言うこの言葉「ここに来て、自分が誰か名乗れるモノは、少ない。」これが、存外に重い事に気がついた。まぁ、ペルソナ、と言うもう一人の自分。そしてそれが神か悪魔かという程、強大でありながらも、それを、付け替えコントロールする。まさに、仮面を付け替えるが如く。
つまりは、軸となる自分を持っていて、それが揺るがないからこそ、容易に付け替える事が出来る。「ここに来て、自分が誰かを名乗れる」と言う事は、軸になる自分がある。と言う事に他ならない。人間ならば、誰しも、仮面を付け替えて生きている。良き子、良き父、良き夫、良き友。どれが本当の自分か分からぬままに、仮面を付け替えている事すら、気付かないまま過ごしている人間が多い中で、軸となる自分を持つ。だからこその、ペルソナ能力であり得たわけだ。
それが、2でその傾向が少し見えるが、3に至っては、完全に、単なるスタンド能力となっていて、もはや、悪魔云々、神話云々は、全くと言っていいほど関係がなくなっている。もはや、看板に頼り切っていると言っても良いぐらいで、だからこそ、薄っぺらさを感じるのかなぁ。と思った次第です。
ペルソナ1とは、見えない部分での土台の出来に、雲泥の差を感じてしまう。さて、4ではどうなりますか。それこそ、投げっぱなしだった復讐サイトを応用して、ペルソナを利用した殺人事件だっりしてなぁ。まぁ、どっちにしても買わないけど。
大人の居直り(2008/06/25)
カルドセプトがDSででるようです。が、その公式サイトで、なんやらごちゃごちゃ言うてますが、結局、PS版をDSに軽くリメイクやん。なにが、原点に立ち返る。PS版を知らない人にも、知って欲しい。そんな言い訳めいたコマーシャルコピーは要らん。
普通に、「あのカルドセプトエキスパンションが、DSで蘇る」と言うだけで、ファンは買います。新作ぶって広報されると、変に期待されて、また評価下げるというのが分かんないかなぁ?。まぁ、バンナム経由でなくて、セガからの発売らしいので、その点は安心できます。
カルドセプトのコンセプトと携帯ゲーム機という相性、とくに最近の機種は、通信機能もあるので、さらに相性はいいはず。PSPでは、カルドセプトの情報量に対して画面が足りないので、DSの2画面はピッタリ来るはず。アバターの追加など、サーガで忘れてしまった何かをちゃんと思いだしたのは、えらいと思う。
ただ、本当に、横車を押して正当化する必要はない。胸を張って言えばいい。エキスパンションをDSで、リメイクする。と。 まぁ、サーガの失敗に対して、今一度、原点に立ち返る。と言うならば、良い話。ホントにサーガは、通信対戦を考慮しているクセに、アバターの数が滅茶苦茶少ない等、何を考えているか、サッパリなところがあったので。
ペルソナは見限ったけど、カルドセプトはまだ希望を持っている私です。