クトゥルフの楽しさ。と言うモノは、探索者、すなわちプレイヤーにかかっています。
従来のファンタジーモノになれたプレイヤーでは、死ぬことを恐れ、嫌がります。キャラクターには、少なからず愛着のあるハズですので、当然の感情とも言えます。一番酷い経験は、探索そのものを拒否された経験があります。
さらには、ファンタジーで死体馴れしており、猟奇死体を出し、その描写を丹念にしている最中に、
「はいはい、分かったから、手がかりを探るね」
と言い、平然と死体を漁るのですから…泣けてきます。
まぁ、当時はまだ高校生で、お互いに理解していなかったと言うものあるのでしょうが…ちなみに、無理矢理、クトゥルフやろうとごり押した訳ではありません。希望されたから、シナリオを作ったのです。
プレイヤーとキャラクターを分けて考えることが出来、もっと言うと、知らないフリが出来、破滅への道を楽しむことが出来るプレイヤーでないと、まず無理です。
そういうプレイヤーをお持ちのキーパーは、実にうらやましい。
そうでない場合は、あっさりとHPL純正設定を捨てて、ダーレス派の軍門に下ることが得策です。
(注:ダーレス派。オーガスト・ダーレスの作った設定を好む人たち。栗本薫や矢野とおるなど、日本人作家のほとんど)
善悪二元論で、ピンチになると、ドリームランドから旧神を呼んで助けて貰うか、十字架で救われる。そんな世界です。
別に、悪いとは言いませんが、そんな世界だったら、なにもクトゥルフと言うルールでやらなくても。と言うのが、私の意見です。真・女神転生や、CHILLなど、人間と怪物がほぼ同等の能力を持っているゲームは沢山ありますので、そちらをプレイしてはいかがでしょうか。でも、あえて、クトゥルフでキャンペーンシナリオを組むなら、ダーレス設定でないと無理ですけどね。
クトゥルフの難しさは、クトゥルフに限らず、ホラーRPG全てに言えることだと思いますが、恐怖をどう演出するか。にかかっています。
恐怖の対象も、個々人で異なり、全てに対応するのは無理です。
かといって一般に共通認識となる恐怖感で、全編を乗り切るのは不可能ですし、前述した死体への恐怖というモノも、理解(想像力?)のないプレイヤーの前では、学園祭のお化け屋敷以下です。
また、恐怖と驚愕(驚き)は混同されやすく、また、生理的嫌悪感とも混同されます。
暗がりから何かが飛び出してきた。これは驚きです。
何かが出るかもしれない。とビクビクしている間が、実は恐怖のなのです。幽霊の正体見たり枯れ小花。の歌にあるように、正体が判明すれば、恐怖ではありません。つまり、どれだけ相手に、いろんな事を想像させるかに、かかっているわけです。相手に想像力がない場合は、諦めましょう。見分け方としては、情景描写中に、それをさえぎったりするプレイヤーです。
また、恐怖の演出としての難しさは、TRPGだからこそ、と言うモノがあります。
映画やなんかだと、主人公の背後を、何かの影がつきまとうだけで、観客はいろいろと想像してしまいます。ホラー映画なんかの定番ですね。
しかし、RPGではこれは出来ません。プレイヤーとキャラクターは、分けて考えても、視点はあくまで、キャラクターでなければ、ならないはずですので。逆に、キャラクターは怖くなくても、プレイヤーを恐怖させるとか、その逆もあるでしょう。
登場人物が、順番に死んでいき、仲間が少なくなっていく。と言う手もあまり使えません。プレイヤーの方々には、せっかく集まってもらったのですから、プレイから外すような事は、極力避けるべきです。
私は、未だに良い方法が見つかっていません。どなたか、ご教授して欲しいものです。
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