どこまでがクトゥルフ神話か?


 


 

商業作家も同人作家も、あまり触れないこの話題。まぁ、もともと触れても意味がない訳ですけども、あえて触れてみましょう。 クトゥルフ神話と呼ぶためには、何が必要であるか。

現状、「HPLが添削した」とか「魔道書(ネクロノミコンか無銘祭祀書あたり)が出てくる」と、もう神話作品に入れてしまう人は少なくありません。 酷いところになると「館の名前がウェスト邸だから」とかいう理由で入れ込んだりもします。それは、クトゥルフ神話=HPL小説という単純かつ何も理解していない分け方です。

ハスターはダーレスだし、クトーニアンはラムレーだし。そもそも、「死体蘇生者ハーバード・ウェスト」なんて、神話作品とは言えない、普通のホラーですし。

死体蘇生者ハーバード・ウェストを神話作品に含まない理由として、

1、神話生物(神性を含め、呪文の中にも)が出てこない
2、魔道書のような小道具も出てこない
3、完全に科学の話である


1で、すでに決定的
地球の既存の物理法則の他に、アザトースを中心とする異次元の法則に従った生物の存在によって、別次元の自然体系ってものの証左とするのがクトゥルフ神話。と思ってますので。 魔術や召喚呪文にしても、地球人にとっては魔法に見えるが、アザトースの自然法則の中では理にかなった物理法則であると言う事だと。

別段、既存の神話生物に固執する必要など無い。自作の超次元生物を作り、HPLの作った自然体系に沿った位置づけをすればいい。 逆を言えば、クトゥルフやハスターという単語が出てくれば、神話作品と名乗れる訳では決して無いという事。

例えば、東映だか東宝だかの、スパイダーマン。レオパルドンを呼ぶ方ね。アレを正式なスパイダーマンシリーズと見なす人は、まずいないでしょう。翻案を飛び越えて、全くの別物と思う人が、ほとんどではないでしょうか?。

それと同じく、クトゥルフやヨグソトースという名前が出てくるからとか、ネクロノミコンが出てくるから。と言うのは全く理由にならない訳です。むしろ、既存の神話生物が全く出てこなくとも、HPLの世界設定に即しているならば、神話作品と呼べるはずです。


2は、かなり微妙。
逆に、魔道書が出てくれば神話作品か。と言うと、絶対に否だから。あくまで、1で述べた体系に組み込む小道具としての存在であり、それ自体が体系の要素ではない。ネクロノミコンが出てくると言うだけならば、キャプテンスーパーマーケットやマウスオブマッドネス とか、プリンセス・オブ・ダークネスも神話作品になっちゃう。

元々が、ウィアードテイルズの作家同士による小道具の貸し借りだったわけで、今で言うなら、マーヴルとかジャスティスリーグみたいなモノです。スーパーマン対ジョーカーとか、バットマン対ルーサーの様なモノです。 そこまでいけば、クロスオーバーになるので、バットマンが、デイリープラネットを定期購読していたり、スーパーマンがウェイン産業の車に乗ってたりレベルかな。

話は飛びますが、こうしたクロスオーバーは、どういう経緯で生まれたんでしょうね。編集サイドの企画なんでしょうか?。クトゥルフ神話では、作者同士の自発的リンクだったようです。有名な話では、ロバート・ブロックが手紙で、HPL当人のような人物を出してもかまわないか。と使用を求めたら、HPLは「その人物をどんなに残酷な殺し方をしても良い」と許可を出したり、お返しに、ロバート・ブレイクという人物を自分の小説に出して、怪物に惨殺させたりしてました。

こうしたことを逐一許可を求めているあたり、著作権意識がはっきりしていたのかは分かりませんが、モラルがしっかりしていたのは間違いないでしょう。盗作まがいのことや、コピペしたクセに自分の手柄のようにふんぞり返っている人に爪のあかでも飲ませたいですな。


3も、1に近い理由。
魔術めいたモノ。つまりは、超次元の法則に従った何か。 つまりは、神話生物の代わりに、アザトース世界の物理法則を使用する事で、コズミックホラーを体現させずして、神話作品は名乗れまい。そういった点では、チャールズデクスターウォードの事件も微妙になってくるし、戸をたたく怪物とかも。



こういった点を勘案してみれば、やはり、超次元生物の存在が不可欠なのではないかと。そして、それが単なる怪獣ではなく、超次元の自然法則に則った存在であること。これに尽きるのではないか。これを補足、充足させる小道具として、魔道書などの小物が存在するとおもう。

例えば、深海生物や、未知の島の生物の存在がもたらす恐怖。であるならば、それはクトゥルフ神話とは言えない。アウトブレイクやキングコングにネクロノミコンが出てきたって、神話作品ではない。

輝くトラペゾヘドロンが、ヨグソトースの操縦装置と言う設定だとしたら、ただ名前を借りただけの存在だと皆思うだろう。あれは、ニャルラトホテプの巧妙な罠で無くてはならないのだ。

また、逆に、既存の神話生物が、地球物理にしたがっていたとしたら、それは到底、神話作品とは呼べないはずだ。やつらは、別次元の超生命体ないし、神の域に達している存在なのだから。ほとんどの物語では、別銀河の侵略者であっても、地球の物理法則そのものにしたがっている事が多く、また、外見や言葉まで地球に即している。HPLはその事を「子供じみている」と断じた訳です。

ふざけていると言われたそうですが、「いもちょーの芋ようかん」で巨大化する方が、別銀河の存在なのだと実感出来たりしますが。 つまり、外惑星人が、地球の物質でどんな影響があるかは分からないものです。逆に、地球人が他の惑星の主食で、巨大化したり、獣化したりするかもしれませんから。宇宙の卵入りプールで泳いだら、老人たちが若返った映画もありましたしね。


超次元生物と、地球の未知の生物との違いは、どんなに未知であっても、それらは地球の物理法則に従っており、常識からは外れているが非常識ではない。超次元生物は、地球の物理法則外に存在する生物であり、人間がいかに脆弱でか弱い存在である事で恐怖を描こうとすることが、神髄である。と思います。

そして、それらは人間が勝利する可能性が全くない存在であるからこそ、絶望感や虚脱感に襲われ、人間の世界がいかに偶然の連続で成立している危うい世界であるか。と言う事が、コズミックホラーなのではないでしょうか?。

よって、ダーレス設定のような、人間が知恵や神の助力で、神話生物を撃退してしまう世界は、結局、コナン(江戸川でなく、ハワードの方)のようなマッチョワールドと言えるでしょう。

どんな困難に対しても、常に勝利の可能性を秘めており、努力や機転、勇気で逆転できるファンタスティックなマッチョワールドをHPLは目指していた訳ではないのですから。


マーベルコミックにおけるクロスオーバーがオルタニバース、DCがエルスワールドと呼称しているように、ウィアードテイルズにおけるクロスオーバーを、クトゥルフ神話と呼ぶべきなのかも知れません。アメコミにおけるクロスオーバーとはちょっと意味がずれているとは思いますが。

ただ、クトゥルフ神話は、出版社の縛りや、登場キャラクターの縛りが一切無いかわりに、上記で述べた「コズミックホラー」と言う路線を踏襲している必要があるのではないかと思います。そして、クロスオーバーである以上、それ自体が、一本の話として成り立っている。独り立ちしていなければなりません。ただ、名前と姿を借りただけでは、ゲスト出演にしかならないのですから。

キャラクターが固定されるクロスオーバーと、世界観が固定されるクトゥルフ神話と言えるかも知れません。


最終的には、こうまとめられると思います。
「自分の世界にクトゥルフを呼んだか。クトゥルフの世界に自分が入っていったか」

根幹となる神話が別個にあり、その世界の一部としてクトゥルフが居るならば、それは新しい世界であり、別段、かまわないと思います。たとえば、新生黙示録では、新神が追い落とした旧神の中に、クトゥルフ神話を組み込んでいます (いわゆるダーレス設定を取り込んでいる)。

デモンベインや、魔夜氏のアスタロトシリーズなどは、もはや「クトゥルフ神話に影響を受けた独自の世界」であり、クトゥルフ神話とは呼べないと思います。セイント聖矢や、アメコミのマイティソーを、それぞれ、ギリシア神話、ゲルマン神話と見なす人がいないように、独自解釈で再構築された世界は、もはや別個の存在とするべきでしょう。

つまり、自分が創作した世界に、クトゥルフを呼び込んだ世界。取り込んだ世界と言えます。

逆に、アザトースを中心とする世界に飛び込んだにもかかわらず、それらの世界設定を全く無視しているのものは、とうてい神話作品とは呼べないでしょう。


哀しいかな、世界設定や根幹設定を無視して、名前だけ拝借しているに過ぎないモノが、神話作品などと大手を振っていたりするわけです。 本当に、他の作品で「使徒」とかいって魔物出したり、「ロトの勇者」とかだしたら「パクリだ!」って大騒ぎしそうですが、クトゥルフに限っては、関連単語だけで逆に正統扱いされたりするんですよね。

上でも書いてますが、クトゥルフやハスター、ニャルラトホテプが出てこなくとも、神話作品たり得るのです。むしろ、世界設定や根幹設定を踏襲して、新しい神性を登場させることこそが、神話作品といえます。イグやガタソノアなどは、HPLが考えたモノではありませんし 、既存の神話生物はほとんど出てきませんしね。


クトゥルフ神話の魅力の一つに、誰でも「参加」できる。と言うモノがあります。あくまで、「参加」であって「改竄」や「変更」では無いはずです。強力な絶対的存在が思いつかないから。とクトゥルフを拝借して、ラブクラフトが思い描いたであろう、宇宙的恐怖、絶対的存在への畏怖を無視してしまうなら、それは看板を盗み、肩書きを偽ることに等しいと私は思います。

神話へ参加しているのか、設定を拝借しているのか、きちんと考える必要があるように思うのです。 真っ当なプロ作家であれば、設定の拝借には呵責を覚える…と思うんですけどね。


こちらにも掲載しますが、
少し聞いてみたいのが、ゴジラとかキングギドラが、等身大で戦隊ヒーローの怪人として出てきて、何とかシュートで倒されて巨大化して、ロボに倒されちゃったら、特撮ファンはどう思うだろう?。車が変形してコクピットになっちゃう鉄人28号とか?。 リモコン操作こそが鉄人の肝でしょう?。

「プラグエントリー、変身!」「新世紀戦隊エヴァンゲリオン!」後ろでカラー爆薬がどかーん。「スーパーポジトロンライフル!」で、使徒が巨大化して、ネルフ基地から、働く自動車を呼び出して、「合体!エヴァンゲリオンロボ!」とか、やってるエロゲメーカーあったら、皆さんどうします?。まぁ、ガイナックスがセルフパロディとしてやってたら、受けるかも知れませんが、他社がやったら 、どう思います?。

いかに自由度がある。と言っても、他人が考えた設定を根底から突き崩してしまうのは、問題があるのではないかと。創作活動をする人間ならば、自分の作ったキャラクターが、原形も残らないほど改編されて、それでもなおかつ、原作通りなんて言われたら、キレてしまうでしょう。デモンベインや這いよれニャル子さんは、それをやっている。と私は思うのです。世界観すら覆してまで、なぜその名前を使う必要があるのか。私には理解が及ばないわけです。



クトゥルフ神話ファンも、詰まるところ、クラスに一人はいた、ウルトラマンや仮面ライダーの怪獣博士、怪人博士どまりで、これだけオレは神話生物知ってるんだぜ。に止まっている 人が多いのも悲しい事です。出版社から発行されている事典系は、そんな感じですよね。

……ふと思えば、ウルトラ怪獣的だからこそ、クトゥルフ神話は受けたのかも知れません。確かに、ハスターとクトゥルフの取っ組み合い。メフィラス星人や、メトロン星人ばりに、策謀巡らすニャルラトホテプ。多分に特撮的な感じがあります。そして、より怪獣的 、ウルトラマン的、特撮的にするダーレス設定が好まれた。と考えれば、合点がいきます。

ダーレスの設定を突き詰めれば、ピンチに陥ると古き印(もしくは十字架)を握りしめ、「神(ノーデンス)よぉ〜」と叫べば、どこからとも無く、ノーデンスが現れて、「外道照身霊波光線!、汝の正体見たり、前世魔人ニャルラトホテプ!」とか叫ぶ世界 になります。それでも、クトゥルフ神話モチーフなんですかね……まぁ、モチーフかも知れませんけど……モチーフ作品って言葉、便利すぎません?

それだったら、「本郷猛は改造人間である。星の知恵教会によって、ヨグソトースの細胞を埋め込まれた」とか、怪人代わりに、ノフ・ケーとか、ガグと毎週闘うのも、クトゥルフ神話?。「ノーデンスに選ばれた五人が 変身して、地球侵略を目論むニャルラトホテプと闘う」ってのも、クトゥルフ神話? 。「人間性というもの−そして地球中心の考え方−を振り捨てなければならないのです」と言い切ったHPLを無視して、少女の外見して、地球人とアチチするのもクトゥルフ神話?。キタブ・アル・アジフに見いだされた少年がスーパーロボットに乗って………うお?、ヤツだ、やつが来た。ぬらぬらとした深緑色の金属光沢を持つ触手のようなモノがドアのすき間から蠢いている。ああ、私の足に…神よ…



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