1,外へ出る
ジェーンが用意してくれた、バッグは今でも大事に保管してある。中身は、すべて使いきったか、捨ててしまった。薄情と思われるかも知れないが、ショットガンを思い出として保管しておく趣味はない。護身用のつもりでいれていたのだろう。最初の村にたどり着くまでは確かに心強かったが。
村にたどり着いてから、頼りになったのは現金。都市についてからは、偽造IDだ。ジェーンの用意してくれた逃亡セットは、実に役に立った。そのまま偽造IDで別人になりすまし、無事にシャトルが大気圏を突き抜け、重力を振り切った事で、連邦軍の追っ手をようやく振り切ったと言う実感は、今でも忘れがたい。
月面都市の表と裏。活気に沸くフォン・ブラウン。裏を返せば、金権主義が満ちあふれている。旧世紀では、ユダヤ人がその商才から疎まれたように、宇宙世紀では、ルナリアンがその商才から疎まれている。俺もかつて、その隙のない商売を疎ましく思ったものだ。
今では、俺たちも、疎まれる側だ。
子供のいなかった俺たちは、戦災孤児やその他諸々の子供たちを引き受け育てた。厳密には、子供を作れなかった。
戦闘兵器たるバイオドールに生殖機能はない。おそらく、アイリーンとして作られたイリスには、なんら欠けるところは無いはずだ。もし子供が出来なかったら…それは、俺が戦闘用ドールという証明だ。
だから、怖くて試せなかった。
この7年間。楽しい思い出も、悲しい思い出も、嬉しい思い出も、山のようにあった。それでも、この心の底にある澱みは、流し去る事が出来なかった。
「また…戦争なのね…」
「ああ…地上と宇宙の民族紛争だからな…こんどのは…」
どこか他人事のように呟くイリスに、俺も他人事のような返事をする。この7年、間違いなく幸せだった。だが、ぬぐいきれない不安が、いつでもあった。こうまで、自分が人でない。と言う不安に呵まされるとは…ジーンやヒュー、ソーンの葛藤はどれほどのモノだったのだろう。人でないから、なんだというのか…だが、自分が人間でないかも知れないと言う疑惑は、確実に俺の精神を蝕んでいった。
この不安を消し去る事が出来るのは、ビームと爆発の閃光だけなのか。そう感じるのは、俺が戦闘用のドールで、戦いを求めているからなのか?。かつての戦友から、エゥーゴへの誘いに、喜びを感じた事が、その考えに拍車をかける。
それが逃避である事は分かっている。戦場という、余計な事を考える暇がない空間への逃避。あわよくば、一発の光が、全てを帳消しにしてくれる空間。結局、俺は自分とすら、向き合う事も出来なかった。ジーン、どうやら、お前の言葉正しかったようだよ。所詮ニュータイプは、野生化した人間なんだ。
「行くのね…ううん、言わなくても分かる。でもね、これだけは忘れないで。あなたの帰ってくる場所はここよ」
これまでにないほどの力で、イリスが俺を抱きしめる。この温もりを捨てでも、俺は行くのか?。この温もりでも、俺は不安を打ち払えないのか?。
泣き崩れるイリスの声を振り払う、俺は…やはり、戦闘機械なのだろうか?。ピノキオにすら、なれなかった人形。プログラムという見えない糸を断ち切る事は出来なかったのか…まぁいい、もうすぐだ。もうすぐ、考える余裕など無くなる。この苦しみとも…しばらくは、逃避できる。
【END】